未来知識

Future knowledge



                         旧基礎資料
                       Basic paper


はじめに
Introduction

超宇宙論
Super-cosmology

1. 旧基礎資料
 Old basic paper 1
  ・雑感
      My impressions 1

2. 旧基礎資料2
 Old basic paper 2
  ・雑感2
      My impressions 2


3. モデル概念の再考

  ・例示と解釈   
Illustration/interpretation
  ・例示と解釈2
Illustration/interpretation2
  ・未来予測 
  Future prediction
  ・解脱境完全ガイド
Deliverance perfect guide


4. 哲学的応用例

  ・般若心経解釈


5. 古代科学からのフォロー

  ・古事記「天地のはじ め」


6. 雑感

  ・雑感3

  ・雑感4

  ・雑感5

  ・雑感6

  ・雑感7


 超 宇宙の仕組みを考えるためのモデル概念
 
A model concept for considering the structure of the super-universe using the von Neumann type computer



 この論文は、1983年に公開された日本サイ科学会研究論文「超宇宙の仕組みを考えるためのモ デル概念」(サイ科学第7巻第2号 VoI.7,No.2 November 1983)
の増補版 である。
  This paper is an enlarged edition of the Japan-PSY science meeting paper "A model concept for considering the structure of the super-universe" (7th volume of PSY-science No. 2 VoI.7, No.2 November 1983) exhibited in 1983.


Synopsis

There must be a premistic supposition of some mechanism which governs the movement of the nature behind the modern physicists' effort of finding out an immutable law in the nature.
The author has thought out an unique model by which we can explain not only physical Phenomena but also super-natural phenomena as a whole, by assuming hyper-space and the computer existing there.
This gives us new idea by extending the fundamental interpretation of quantum mechanics and referring to the concept of Thomas Bearden's hyper-dimensional model.
The pith of this model depends on the opinion that all phenomena originate from the excitation of the causal program informations due to the superhuman information Processing system in hyper-space.
Some of the important conclusions on the basis of this model may give us the reason for the mini-microscopic section of our nature, and the prospect of philosophical thought about the construction of universeby extending this model features.


はじめに


 古代の物理学観は我々の世界はもとより、はるか神の領域にまで思索を及ぽし、神を中心存在として秩序立った体系をもっていた。そ の取り扱う範囲から言えば、現代の物理学の対象とする領域を包含する関係にあったことは確かである。そして科学の発達の経移からみても現代物理学の基礎原 理は多く古代の索引から得られており、その上に詳細な発見物をつけ加えて今日に至っているというのが実情である。
 しかし、近、現代物理学は観測可能なもの、証左のあるもの、公理や規定に基づき推測できるものといった公認の枠を設定し、そのら ち外にある古代的科学観を排除した。このことは初め、様々な不合理性や迷信を排し、多くの発明とそれによる文化の発達という良いものを生みつづけてこの方 向づけに間違いはないと思われた。ところが、進化論と相まって人類至上主義が幅をきかせ、今ほど自然を我が物顔で踏みにじることが平然とおこなわれている 時代も無い。人は精神の無い科学観と繋がりのない知識情報の氾濫の中で本質を見る目さえも摘まれようとしている感がある。いつもトラブル発生の後に反省し 改めようとする傾向もまるで自然現象であるかの如く理論化されたりしている。これらは実に奇妙な現象である。

 倫理観念の欠如、昨今の教育の荒廃、心的不安など挙げればきりがないが一重に物質的豊かさの反面、精神的に虚無であることを如実 に物語る現象ではあるまいか。これら現代の半病的有様は最小限、古代思想が持っていた「全能の神により生かしめられている」という認識に立つだけで改善し ていくはずのものである。神が本当に在るのか、と言われるむきもあろうが、古代思想は神を認識させるための膨大な知識体系と神に接近するための実践論を 持っていた。これらのものが不合理の名のもとに一ベつもされなくなってから既に久しいのである。

 本源に立ち帰らねばならない。不可知であっても神の存在に意義を見出す動きが科学の中に出てこなくてはならない。そのためには科 学的態度が表面的追求から脱して内奥の本質を穿つ方向に進路がとられねばならない。それが難しいことなら、現代と古代の科学観の融合をはかってゆくことが 望ましいと思われる。

 話は変わるが、ここで現代の謎とされるUFO現象を考えてみよう。地球外知性の乗物であるといわれるこの不思議な飛行体は、人類 に現状のゆきがかりを改めるよう注告を与えているといわれる。筆者は中でも、その運動形態に新たなものの嘱望されていることを窺い知ることができた。アメ リカで起きたUFO現象に図4.1のような成りゆきをしたものがある。各コマは右記時間経過後の光体の変化を示しているものとする。
図4.1

 この解説は至って簡単である。四次元時空上に十手型に横たわった物体を時刻tの断面でスライスして目撃していたというわけである (図4・2)だが、このような変則的物体を四次元時空に置くという所業は五次元的なことではありはしないか。この後、UFOは米空軍のヘリコプターのまわ りを旋回して推進原理の明らかな違いを見せつけて去ったという。

 五次元時空、これは表面観察を続ける現代物理学では認め乾い言葉である。逆に今は黙殺されている古代科学なら得意とするところで あった。そして現代物理学すら全体の中の一部にすぎないと言うであろう。この皮肉に我々の歴史の負った業のようなものを感ぜざるを得ない。しかし、考えよ うによりけりである。この両者が合すれば、やがて〃活”となる。そしてそのような変革が今、内外から要求されていると思われる。

 幸い、古代科学は現代科学の扱う領域を包含する関係にある。そして現代科学は可観測な仕組みを詳細に考えているに対し、古代科学 はむしろその外周から無限の神域までの非可観測な仕組みを概括的に与えている。このため、融合は互いの主義を闘わせながらも比較的容易であろうと思われる のである。

 もし古代思想を充分に説明できて、なおかつ現代物理学と整合性の保てる新旧統合の物理理論ができたら画期的なことである。そのと きには現代の抱える諸余の問題を考えれば、少なくとも古代思想の積極的な再検討が図られるべきであろう。拙論は、そのような現代という時代の暗黙の要請に 基づいて提案する一つの試案である。

 その前に、古代思想特有の基幹概念に少なくとも次のようなものがあることを述べておこう。

1、超空間(現実世界とは別の天界や冥界など)
2、原型的世界(理念、アカシックレコードの存在領域)
3、意識
4、霊

 これらのことは現代物理学では全く解き得ない。1が解けないとUFO現象は説明できない。
 2は物理学的土台をくつがえすものであるゆえに一べつも与えられないだろう。すると3以降が説明困難となってくる。拙論はそのよ うな中に新しいモデルに基づく新物理概念を展開し、これらの問題を統一的に説明しようとするものである。
 

1. 当宇宙構造モデルを考えるにあたって


 現代物理学が自然界に不変の法則性を見出すべく努力する根拠には、自然界を運行せしめるある種のメカニズムの前提的な想定がある からに他ならない。それなら一層のこと、コンピューターのようなものを法則の担い手として、現象の背後に仮定して物事を考え直してみてはどうだろう。そう 考え、一つの宇宙構造に関するモデル試案を構築した。
 概略骨子を述べると、現象は超越的なコンピューター的メカニズムにより、原型プログラムが実行された結果、生じていると想定して いることである。このときのコンピューターとは銀河、超銀河のマクロコスモスから、人間やそれ以下のミクロコスモスまでを扱うことのできるフレキシビリ ティを内蔵しつつ、決定論的に存在するソフトウェアの各部的プログラムを演算実行し、その結果を観測結果として認識し、さらに記憶し、あるいはプロセスに フィードバックするといった機能を個々のプロセッサ単位とし、多数のそれらが連合して矛盾の ない宇宙の運行がバーチャル的におこなわれていると考えるものである。

 なお、ここで取り上げるものは、一般的な数理的モデルではなく、機能モデルであり、しかもモデルの構成要素が単純なものではない ので、一般に受け入れ難いものであるに違いない。加えて、現状の四次元時空の物理観からすれば、背後のメカニズムなどの存在する余地は無いというのが大か たの見解であろう。

 だが最近、ある方面からこれを可能してくれる概念のあることが分かった。アメリカのミサイル工学の専門家であるトーマス・ベアデ ンの創案した超空間概念である。彼は、エベレット理論などを根拠にUFOを含む超自然現象を統一的に扱うことのできるモデル概念を発展させているが、筆者 の考え方とは共通するところがあるので多く参考にすることとした。拙モデルの中核をなすコンピューターとは、ベアデンの考え方を流用すれば、超空間にある 有機的精神物体ということになろうか。

 ところで、どうしてコンピューターなどを模型にしなくてはならなかったのか。少なくとも精神の領域を語ろうとするのに無感動冷酷 な金属物体でおこなうとは何事かとお叱かりを受けるかも知れない。古代思想で基本的に言明されているのは、「人間は神の模倣」、詳しく言うと「大字宙と人 間は同じ仕組みで作られ、神はそれらの世界を包み、かつ融合している」ということである。このことは幾多の民族に共通した思想ともなっている。もっと古い 伝承によると、「最も原初の頃、人は神と対等であった」とさえ記されている。

 人を神や事績をあらわす模型として科学する方法が古代にあったことも確かであろう。それは多く、人間に内在する神的部分の拡大と 意識的接近にふりむけられ、現在において隆盛することとなった瞑想学を登場させた。しかし学問の側で、人間という有機生命体をつかって表現することは非常 に複雑で難しく、現代のように人間の機能の細部まで理解されるような時代となったといえども、それは不可能なことであった。古代においては、その局部的な エッセンスを抽出して、積極的にモデル化が図られたようである。

 カバラでは「生命の木」のモデルがあり、それは宇宙にも人間にも適用されるとしている。またインドでは「マンダラ」があり、やは りこれも宇宙(如来)と人間の両本性を結びつけるシンボルとされた。それらは瞑想のためにも用いられたが、重要な学究的モデルでもあった。それはシンボラ イズされなくてはならない理由があったのであり、筆者は、人間をモデルにすると余計に不鮮明になるということを理由に揚げたい。だが、人間をモデルにする 方法 が、今もしあったならば・・・。

 現代に至りバイオニクスの成果が実り、人間は自分に似せて多くの機械を発明した。中でもコンピューターは人間の中枢神経機能を模 倣 し、いつでも機器的構成図などの形で機能が明確に把めるようになっている。宇宙の模倣が人間で、その模倣がコンピューターなら、コンピューターモデルで宇 宙が説明できるのではなかろうか、というわけである。

 物理学は最近とみに物事を観念的に扱えなくなり、数理的手法に頼るようになった。ミクロの状態記述にはやたらと演算子が登場して くるようになった。筆者の予想では恐らく近いうちに物事は情報とその演算によって成立しているのだと物理学は結論するだろう。

 またマクロを扱う生物学においても、行動生物学は動植物の本能の世界を支配するのは信号と反応の連鎖、すなわち情報伝達とその情 報に規定された手順の発動のくり返しで成るのみであることを発見している。人間の場合、創造性や伝達系の錯誤などにより、極めて異例の行動様式を備えてい るが、それでも基本的には同じである。

 自然界における反応系、人間をはじめ、生物の行動、さらに原子・分子の動き、各種保存則の成立などを考えると、情報伝達を抜きに しては語れないのであり、その有機的機能体であるコンピューター的反応形態は、汎ゆる生命現象の根底をなす基本原理と言っても良いものである。人間は本 来、 生化学的コンピューターとしての性能を持っている。そして現行のコンピューターは人間の仕組みを判り易くする便宜的手法でもあることを理解願いたいのであ る。

 では、次に拙モデルを支持してくれそうな一風変わった傍証を掲げておこう。五井昌久氏を通じて宇宙人のもたらした知識情報の中に は、現象生成がまるで磁気コアメモリを磁化するような方法でなされているというものがあった。また超能力者ユリ・ゲラーはスペクトラムとかロンバス四次元 と か名乗る超空間上のコンピューターから知識やエネルギーを受け取っていたという。また、ヨーガをはじめ、古代インド哲学でいうアカシックレコードとは、予 め設定されている現象生成のプログラムのようである。それは過去・現在・未来に渡って歴史のなりゆく様やありうべき知識が理念の世界に、予め決定論的に存 在していると いうものである。予言者や発明家が随時に情報を得るというところがそれだ。

 古事記にも、現象生成の仕組みがコンピューターと相似の開係にあることが述べられている。「思金の神」は山田久延彦氏の言われる ようにコンピユー夕ー。この神の親が「高御産巣日の神」すなわち現象運行の摂理とされているのである。つまり、両者は機能的に相似の関係にあるというわけ である。

2. 基礎研究


 量子論では、時間とエネルギーの間には不確定性関係が成立っているから、極めて短い時間にはエネルギー保存則を満たさない過程も 起りうるとされる。このため、電子などは短時的には仮想的な光子を放出吸収していると考えることができる。これは、仮想的プロセスなのであるが、運動量変 化に伴う光子放出や、相互作用を考える上で欠かせないものとなっている。陽子や中性子でもπ中間子を出し入れしており、核力の理由とされている。
 仮想光子に対し筆者は実質的意義として、次のように想定したい。それは、粒子というものが、ある種の励起状態にあるものを言い、 その元となるものが観測にはかからないが存在しており、仮想光子は元のものを粒子に励起する「基エネルギー」として働いているのではないか、ということで ある。
図4.3

 図4・3は、粒子の時空構造や性質を記述した情報のようなものがまずあってそれを仮想光子が次々と点燈していくという概念図である。これは粒子が仮想の ポーズ粒子を出し入れているとする量子論的事実と矛盾しない。ここで重要なのは、時間が仮想光子に付随して発生しており、常に現象は、励起された最新のも のが存在しているということである。
 詳しく言うと、仮想光子が情報と作用して時間が生じているため、生じる時間の範疇でおこなわれる物理的観測には情報そのものは検 知されないし、仮想光子も現象上には登場してこないのである。(すると量子論でいう仮想光子のふるまいに帰因する発散の問題は解決つくのではないか。識者 は調べられたい)

 次に不確定性の意義を考えてみよう。

 場の量子論では四次元時空上の量子場は、それを頂点とする光円錐の内側にある過去の源によって決定される。つまり、現時点の量子 場は過去の一意に決まった地点をもとに相対論的因果律を満たして存在しなくてはならないとしている。ここで電子のみに限って、図4・4をモデルとして次の ような仮定をおこなおう。
図4.4


 時間的にみれば、電子はA点にあった次の瞬間(現時点)にはBの局面の確率的に分っているどこかに在ると考えられる。その間には 拙論のみにユニークなアイデアであるが、考えられるB点との間に軌道が無限に引けると仮想される。現時点ではこれを確定できないが、保存則の成立が必要で あるため先述の仮想光子が放出された時点、つまりCの局面に達した時にはB点として一意に確定されていなくてはならない。
 つまり、現時点の量子は仮想光子が投入されてできている一種の過渡状態ということができる。原因と結果の関係は予め、相対論的因 果律に従い無限通りの方法が確率的に決まっているのであるが、一通りの時間の中では量子という過渡状態を経過することにより、一通りの経路のみが選択確定 されているというわけである。

 つまり、一刹那毎に確定する過去、過渡状態としての現実(量子)、前提としての刹那毎に無限分岐するプログラム情報の存在が仮定 されてくるだろう。このうち、我々の関知するのは過渡状態のさらに特別な場合のみであり、前後二者は全く知り得ない状態にあることを理解されたい。

 以上してきた議論は、現象運行の基礎がコンピューターの動作原理に相当するものを内在させていること、およびこの説明のためにコ ンピューターモデルが有効であることを述べようとしたものである。またこの後、物理学的議論から漸次、意識、超意識へと話を進めていくが、その前提となる 考え方である。なお、物理学上の用法と混同を避けるため、仮想光子は次節から虚光子と改める。

3. モデルの基本的仕組み


 前節でおこなったモデル化のための基礎的事実の考え直しの結果に適合するように基本的に次のようなモデル構成を考える。
 ノイマン型コンピューターを中核にし、ホログラフィを入力系、空間媒質グラフィックスを出力系に配置し、次段階入力制御のための センサー観測、その結果のフィードバック機構を併せて、モデル構成の1ユニットとする(図4・5)。これが他系と通信回線で連絡し、後述する階層的ネット ワーク組織を形成すると考えのであるる。(モデルの構成要素のあらましは、表4・1を参照のこと)
図4.5

表4・1 モデ ル構成要素の概略
 ホログラムが多重記録可能という利点をもつことにより、現象をつくる情報構造が最大もらさず記録される。例えば空間 的情報は同一方向からの多 重露光で記録したいだけ可能であり、時間的には光の方向を変えてやるか、または光の波長を変えてやればよく、時空の情報はこの方法で原理的には充分網催で きる。(もっとも、現在のホログラフイは理想状態には未だない)
 記録情報の参照光はコヒーレントなレーザー光による。(この場合記録過程は考えていない)波長の可変なレーザーは現 在作られていないが、将来 的に結晶体の温度などを変化させて固有のスペクトルを変化する材量が出てくる可能性はある。このモデルでは実行順序をつくるために、ホログラムの周りで参 照光の方向を機械的に変えるというのではなく、むしろコンピュータの制御可能な要素をコントロールしてそれに応じて波長を正確に変化できるものとする。

 操作部は、時間の1単位を示すパルス信号と、参照光の波長を変化させるための信号を出力する。制御部は、系の内外か ら来る入力情報に判断を加 え、操作部の変化に影響したり、加工情報の他系送出をおこなったり、入力情報を自己のメモリーに記録したりする。この情報処理のため、「処理プログラム」 が運用されているとする。観測部は、実験炉内のセンサー観測情報を拾い、実行状況のモニターをおこない、制御部に送る。空間媒質は、参照光で得られた情報 量が演算されてここに点滅表示されるものとする。よって、エーテルとは別物である。いわばテレビ画面のようなものである。

 さて、以上の要素のうち、ホログラム、レーザー光、空間媒質はコンピューターの性能に応じて、無限次元までのものの 仮定をおこなう。例えばホ ログラムは、神の主権する全プログラム体系が載るものでなくてはならないし、推測では、無限小から無限大までの時間的に開始から終了までの情報が載ってい なくてはならない。また、空間媒質はホログラムで扱う情報量に対応しており、ミクロの光点の点滅から、全ての世界の全観が現出するまでの過程が表示される はずのものとする。また、レーザー光も波長相当の要素(次元)の数がホログラムの容れる次元数と同じであると考える。

     
  

 モデルの構成要素は機能面からの仮定によるものであり、実際には積分された有機的精神物体として超空間に存在する。このために我 々の感 覚はじめ物理学的観測にはかからない。

 その仕組みは大まかに、コンピューターによるプログラムの実行によって現象が生起していると考えるものである。図4・5の構成要 素の全ては超空間にある。さしずめ、空間媒質が我々の世界であるようだがそうではない。空間媒質は実験炉であり、そこに火が入れられてなおかつ、センサー 検知で観測され始めて現象空間が(識域下に)生じることになる。

 我々の世界と超空間を結びつける唯一の次元は時間である。これはベアデンの考え方に一致する。しかしさらに言うと、この両世界は 時間の中の変化を通して相互作用すると考えられる。これが拙論にユニークな点である。

 ここで、人間の有機的精神物体とは何かというと、博識な読者ならお分かりのように、心霊学でいうなら幽体であり、神智学でいうな らアストラル体である。だからコンピューターといえども雲をつかむような高度生命体であることがお分かりになろう。

(モデルの設定が最新技術の枠ばかりを集めたような結果になったが、現象説明に有効であるということ以外に次のような筆者独自の思 想がある。すなわち、歴史は最先端ほど宇宙の真相を累積的にまた総決算的に吐露していると考えるのである。特に現代は良いものも悪いものも何でもかんでも ひしめき合うようにして表出しているのであり、そこから何を汲み取るかは人の自由意志に任されていると考える。)

 現象生起の大まかな仕組みは次のようになる。

1. まず前提的にホログラムに記録された現象の運行を記述したプログラムがある。ホログラムは無限次元であると仮定し(*1)、 絶対的超空間に在るとする。これは一種のデーターバンクである。プログラムは全宇宙の発生から終結、無限小から無限大(極限が有るなら大の果てから小の果 てまで)のすべての成りゆきうる場合を網羅しているとする。前提的なプログラムの存在という考え方は、現時点が時間軸上の最前線に在ることを自負する現代 物理学からすれば御法度のことであり、科学界の権威の根底をくつがえす忌むべき槻念であるに違いない。

 しかしこれは既に故湯川博士が打ち出された素領域論の前提的概念でもある。この論は今検討されているところであるというが、この 東洋的発想に凱歌が上がろうことを期待したい。

2. 超空間のコンピューター(*2)は自系他系に発生する情報を考慮しつつ、自己の目的や資質に応じたプログラムを自己のメモリ 空間に呼び込み、それをもとに順次実行する。

3. 実行の過程には虚光子(*3)(ホログラムに対するレーザー参照光)による参照と解読により、一情報単位(*4)(一命令 語)のn次元情報が取り出され、演算されてn次元空間媒質のいわゆる実験炉に投射され励起した結果が現象となる。

4. 実験炉の中で現象生成の波頭に乗ってこの結果が観測され、次の実行サイクルのために情報がフィードバックされる。

 物理学的観測は、3項で励起された二次体(量子)の相互作用の記憶をとどめる光子の情報をもとにしている。厳密には、観測者に とっては、時間の刹那毎に起る自己の内部変化だけが検知されているにすぎず、与えられるままに変化の流れを読取るにすぎないと言える。既に申上げていると おり、プログラム情報は一切検知されない。これゆえ、情報の存在空間と現象生起の空間は全く独立したものとすることができるし、情報系に対しては、絶対空 間の概念が適用されても構わない。相対的な形式はこれが実行された結果、生じるのである。

 なお、実行時の演算結果をタイムリーにモニターする割込み処理が内部でおこなわれているとすれば、現象は完全に精神の中でおこな われる変化の流れにすぎなくなり、空間媒質すらも不要となる。ベアデンは観測者にとっては時間の刹那に併い起る自己の内部の変化が検知されるのみであると して、現象とは観測者の精神の内部変化であるという推論を進めているが、拙モデルはちょうどこれを超空間から観たものとなっている。

 また、図4.5からも分るように、システムの1ユニットに関係する観測は三種類ある。一つは物理学的観測、二つは、他系からの情 報入力、三つは自己の内部状態(実行状態)をモニターするもので、いずれも次段階の制御入力となる。

(以降、「観測者」と言う時は、物理学的観測者を示す。また、「実行者」とは、1ユニットそれ自体に起る変化に係わる超空間部分に 在る全てを示すものとする。観測者と実行者は処理の一連の過程の中で表裏一体となっている。)

 なお、人間の機能と対応させて言えば、実行者とは超空間上の有機的精神物体であり、観測者こそ我々の肉体、中でも五感の観測結果 を統合して情報を創り出す脳であることに注意されたい。

4. モデル概念の原理的検討


 物理学上のいくつかの根本的問題をモデルによって明らかにし、発展的に超自然現象、超心理現象の仕組み、その意味あい等を考えてみることにする。
(一)時間

 時間は我々が考えているように一定の大きさを持って不変に運行しているというものではない。自然界は非常に小さいところで切断し ているというのが最近の物理学の見方である。そこにはプランク定数が関わっており、それが時空に渡って存在する最小の現象をつくるエネルギー的基底量と対 応していると考えられている。拙モデルから考えれば、現象は情報が励起された結果として生じているとするが、その最小励起単位エネルギーを与えると考える ものである。

(情報の励起とは情報の実行あるいは演算の結果を空間媒質に出力するという意味であり、今後この表現を用いることになる)

 時間はコンピューターの実行に随伴して発生する。たとえば、参照光により得られる情報(命令語)を一単位づつ実行するとき、この 順序の中に光速や各種の保存則などの相対論的因果律が情報レベルで規定されていると共に、一単位毎に「みかけの」時間の大きさが与えられると考える。この ため我々が円滑と考えがちの時間の流れも実は破断しており、その間には何事も保証できないと言える。

 時間経過はプログラム上の二地点間の論理的距離や発生時間の累積値として求められるが現象上ではこれを観測できず、空間的な測定 結果から推量されるだけである。ただ、これは実行者の超空間では観測可能なわけであり、生物時計や発生分化、老衰プロセス発動の根拠となる観測系の存在を 予告するものである。

(二)光子と虚光子、そして量子化現象

 我々のいう光子は拙モデルでは情報の演算結果であり、その他の粒子と情報形式の差こそあれ原理的には同じであると考えられる。情 報の演算過程には虚光子が介在しており、すべての現象の陰の担い手は虚光子であるからである。一方、虚光子は超空間上でコンピューターの実行サイクルに関 わる電磁的物質であり、我々の世界に作用するときの現象励起の基エネルギーではあるが、現象上には情報をかぶった仮面の姿しか観測されない。

 光子は虚光子が情報にチャージして表現された量子である。時間も同様に量子である。そして情報に従い時間と空間は虚光子を介して 相互変換しているというわけである。それは相対論に基づく。また、我々がする観測は量子間の相互作用の結果の記憶を持った量子によっておこなう。

 この反応系には相対論的因果律が支配する。一方、虚光子は無限分岐する未確定な時空情報にチャージして量子を励起させ、次の瞬間 ここから放出されると同時に確定された一つの情報(粒子の足跡)を残していくタイプのものである。これには相対論は適用されない。

 電荷やスピンのような量子化は基本最小単位がbitであることによるだろう。(むろん、この場合のbitというのもさらに明細が 下位にブレークダウンしているのであり、ここではある実行者の実行状態における最小の代表情報なのかも知れない)これに基エネルギーがチャージされデジタ ルな演算の結果、bitを基底とした値が出てくるのである。これは一つの情報単位にかかる下位の情報素量(*5)のレベルで出てくる。これは量子数的量子 化(*6)と言われる。

 また、場やエネルギーのような量子的量子化(*7)の方は情報単位のレベルで出てくる。つまり、粒子自体励起の一単位であるから だ。その基底には演算前の基エネルギー(虚光子)があり、その仮面として量子が出てくるのである。そこで粒子と分かるものは、現時点の量子から推測される 過去の情報である。

 このように量子化現象は潜在したコンピューター性を端的に示している。

(三)プログラムの情報構造

 コンビユーターの扱うことのできる命令語の大きさに制限があることは自明である。同様に、各種の情報単位を構成する情報素量には 大きさの粋があることが明らかであり、これが演算後の各種物理量に表現上の限界を与えていることは充分推測できる。

 では情報構造としてどのようなものが仮定できるのであろうか。従来、分子から原子そして素粒子さらにクォークといった究極的実体 を探ることがおこなわれてきた。しかし未だに最終がどこにあるとの解答は無い。また、いくつか考えられている相互作用が粒子交換モデルにより統一できるの ではないかと考えられている。だが、これも重力場を組み入れるに至っていない。重力場には計算の過程で、非線型性が生じてきて計算上の限界をきたしてしま うというのである。これに対して重力場記述に関しては四次元座標では足りないのだという推測がある。このようなことから、拙モデルでは、次のように考えて みる。

 プログラムは、ある因果律に従い、予め命令語で記述されている。同様に現象の変化を示したプログラムもある種の命令語で記述され るが、その構造は図4・6のように階層構造をしていると考えられる。局所的にみれば、下位のボックスは上位に対し粒子の性質を決める情報素量の役割を果た す。つまり、ゲージの演算子場やクォークのような、さらに細分化できる粒子などを与えるものと考えられる。
図4.6

 図4・6左は、粒子がより下位の粒子で構成されていること、量子場が様々な場の関数として出現しているという事実から考えたモデ ルである。ここでは下位の粒子が上位の粒子の性質を与えると共に、量子化したときの演算子を供出することや、上位の粒子が下位の粒子の存在の枠を決定する ことが示されると考えられる。また、下位の構成子を必要なだけ設定すれば何次元の要素でも記述が可能となる。これはミクロの話においても、マクロでも充分 機能するだろう。我々の人体模型や太陽系の構造にも、また観念的な物事の説明にも対応のとれるものである。よって、汎ゆる自然現象の根本原理図と言っても はばかられないであろう。

 実際には、このような局面的階層関係が、時間と空間の構造を含んで上位にも、下位にも際限なく組織されているものが一つのプログ ラムにまとまっていると考えるものだ。(図4・6右)

 ここで一つの重要な仮定であるが、このプログラムの情報構造は実行者(コンピューター)が観測のために要求する精度に応じて、可 能な限りの無限小から無限大までの仕意の階層、任意のサイズの情報を一情報単位として供給することを可能にするものになっているということである。

 つまり、現象の破断は実行者によって起こされており、それを可とするプログラム構造になっているというわけである。

 不確定性でいう観測時間の長短の問題の実質的意義はここにあらわれている。観測的時間が長ければ、現象は我々の目で観測するほど のマクロなものとなるし、短かければ素粒子よりもなお下層の領域を調べるものになりうる。その差は時間が量子化していることによる。物質界が量子化してい るから、時間もそれに対応しなくてはならない。それは観測光のエネルギーとして与えられる。

 高エネルギー的光子は、より下位の粒子を探るであろうが、その場合、いったん相互作用の時間を限定する中間子に変化していると考 えればよい。この量子化したものこそ、その精神体としての実行者と対応がとれるものである。よって、情報の規模に応じて実行者もとびとびのスケールをもっ ているし、とびとびに定在し、受け持ち範囲を勤めているというわけである。

(四)情報上に記述された変化と保存

 量子論では、素粒子のできたところと消えるところといった観測点には、汎ゆる可能性があって、時空の連続性の概念さえも、いかな る基礎もないとされている。この中には二つの問題が提起されている。一つは変化の究極的な時点(地点)が定まらないこと、二つは、観測およびそれから導か れる推測に限界があることである。これらは、従来のモデルが表面的追求に終っていたために起きている。

 情報構造からすると変化は分明(デジタル)に記載されている決定事項であり、不可知性は一切無い。問題は、やはり量子化過程にあ るのである。虚光子が投入されてできている過程には、そこで形成される時間においてのみ、時空の連続性は保たれるがそれ以外は全く保証されない。

 つまり潜在した領域の話なので語りようがない。変化の究極点も、最初から破断しているものであり、この境界を考えること自体ナン センスである。実行は明滅的になされ、観測はその「明」のときだけなされるのであり、マクロな観測者はただ、量子の点燈した時の結果の集合をもとに、連合 させて隔った時間と空間の間がなめらかにつながっていることを感じているだけなのである。
図4.7

 変化の過程を示すために図4・7を掲げる。

 図は粒子の崩壊の例であり、一粒子が分裂し二つの同じ粒子に変化する様を示している。現象的にはa粒子は次の瞬間bとCの粒子に 分裂している。だがこのとき、実行者も含めた上で考えており、E1系実行者の時間軸に繋がっていた情報がツリーの或る個所で二つに分解されその一つはE2 系に引継がれていく方法をとる。
(El系も消えて全く別のE3系に転進すると考えてもよい)

 その間には各階層に応じた情報量保存則が成立している。これから分かるように粒子は時間の刹那というボックスの下に記述された情 報であると言え、これを統合するのが超空間の実行者であるということになる。

 図4・7はコンピューター技法中、データーベース手法の一般的なものを流用している。要は実行者が何をデータの索引キーにしてい るかによって、みかけの時間軸が生じているというわけである。実行はこのように特定の索引キーによって実行者毎にユニークになされる。このように実行者個 有に系を形成しているという概念により、物理学が現在当面している多くの問題に客観的な説明を施せるようになると思われる。相対論的因果律は起源ではな く、より起源的なものの派生物にすぎないことも言える。ただ、それをマクロな事象に結びつけていくとき、かなり飛躍した考え方を呼び込まねばならないので あるが、幸い、古代科学がガイドをつとめてくれることになると思われる。

(五)情報構造とマクロな現象

 では、このような情報構造と現象が一体どのような関係にあるのかをもう少しみてみよう。ありうる限りの無限小から無限大までがそ のまま現象上に投影されているとすれば、いかにも簡単であるが、それでは始めから情報を現象と区別して考えなくても済むことである。ところが実際に現象は それはど簡単なものではない。まず、観測者に基準が起かれるとする相対論が扱えない。また、量子化する理由が説明つかない。ニュートン絶対系とは実験的に 異なるのである。

 今の物理学でも存在の態様がどのようなものであるかは、実験的に、数理的に導き出せたが、その理由となると分かっていない。その ようなことは考えなくても良い、また納得できる説明のつくものではないというのが信条なのかも知れないがそれでは大きな未知を残すことになる。

 筆者は図4・6をもとに、次のようなことを考える。実行者は少なくとも一つのボックス乃至は一つのボックスを頂点とした複数階層 を同時に一情報単位として実行する。ミクロの場合、その階層は少ないがマクロなレベルでは多階層もありえるだろう。そしてミクロ、マクロがどのようにして 秩序立って統合され、あたかも一通りであるかのように運行されているかについては次のように考えられる。

 観測の側から考えたとき、ある観測者にとっては極ミクロのことまでを感知する必要はなく、必要とあらば別の観測者をたててそこか ら情報収集すればよい。それと同様に、実行者も細部まで関知する必要はなく、別の実行者をたてて、下位の現象を運行させているのであろう。

 だが、我々の世界をみれば分かるように、観測者のレベルでは観測は全く独立し、排他的になされる。そして意図して結びつけられる ことがなければ有機的なものになりえない。しかし、実行者のレベルでは実行すべきプログラムや下位の観測結果等の受け渡しがたえずおこなわれており、それ が緊密であるため現象上には矛循が生じてこないと考えられる。これは精神界と物質界の大きな相異と言えよう。精神界でのふるまいは波動的であり、物事は ミックスされて出てくる。だが物質界は全てが自己の殻を持ち妥協を許し難い形態をしている。

 ベアデンは、巨視的世界は点滅する光点から成るテレビ画面のようなものと言ったが、巨視的世界は実行者ごとにユニークな情報処理 がおこなわれている集積場のようなものと言い替えることができる。巨視的世界に矛盾のないまとまりがみられるのは、プログラムの階層構造に対応して、実行 者が階層構造的に組織的な情報処理をおこなっているからというわけだ。

(六)プログラムは観測者を基点にして実行される

 さらにもう一つ重要な問題がある。観測はなぜ特殊相対論に従うのであろうか。通常のノイマン型コンピューターでは一般的にベース アドレス方式が採られている。これは、同じプログラムが異なったメモリ空間に置かれ別々に実行されても同じ結果が得られるように、ハードウェアー的にアド レス修飾ができるように工夫されているやり方である。若干ニュアンスが違うが、実行者はプログラムをメモリ空間に導いた時点あるいは実行時に観測者を基点 に時空を扱えるようにプログラム情報を修飾していると考えられる。つまり、汎ゆる相対的な場の量は、観測者に基準が置かれるのである。これは実行者から現 象を励起する光が発せられ、観測光が観測者に帰せられるとすれば至極当り前のことかも知れない。

 こうすると観測者個有の現象があたかも彼の周りをとりまいているようなものであるが、そうではなく、現象は超空間上の実行者の 「心の面」に生起する出来事であるにすぎない。このように現象は、実行者に併い発生するゆえに、個我は他と区別されて意識される。そして、現象はあたかも 他の個我の領分と不可分に透け込んでいるが、トップダウンされたプログラムを観測点を違えて共有しているのであり、一時点一観測の原則は守られる。

(七)異なる時空の間の相互作用

 べアデンによると、全系時間を与えた超座標系内で、実験室空間、超空間、物質、精神といったものの空間的な相互関係が認められる という。その中で、実験室空間の位相を変え、一直交回転で、光子、二直交回転でニュートリノ、三以上で精神物体がそれぞれ存在しうる超空間であるとしてい る。そして、各空間の間の物質は、虚状態で充満的な無を媒介して干渉し合っているとしている。たとえば精神物体が凝集し、臨界に達すれば空間を超えて物質 状態が変化し、我々の世界に物質化現象としてあらわれたりする。その例として、UFOや幽霊、あるいはファチマの聖母のタルポイドなどを携げ、人類の集合 無意識が引き起こすキンドリング現象であると解釈している。

 拙論でも方法は違うが似通った考え方となる。まず、位相的な階層的超空間の概念は、階層的励起モデルを基本的に支持してくれるこ とを述べておく。

 次に、精神物体が凝集し、下位時空に作用を及ぼす過程、すなわち、階層の上下空間間の相互作用の形態は、コンピューターの実行の 過程への変化介入という方法で実現できる。実行の過程には、量子状態を実現すると共に、無限通りの進路から一通りを確定するという演算がおこなわれている と考えられるが、ここで変化介入は、通常なら状態変化を示す情報素量について慣性的な進路がとられるのに対し、慣性を情報的に破ることである。(図4・ 8)
図4.8

 といってもプログラム情報の実行直前の値を変えるというのではなく、参照光の方向乃至は波長を計算で意図された分だけずらせばよ い。すると慣性方向とはちがった地点から実行が継続される格好になる。この瞬間、現象的には基本定数の変化が起こり、短時的な超自然現象が実現しているこ とになる。

 既にお分りと思うが、制御された参照光こそが励起される現象時空の存在の根底をつくっているのであり、これが物理学上の第四軸、 時間を与え、我々の世界を電磁波動的なものにしている理由である。この中で波長は通常、一定に保たれているものであるが、必要に応じて変動し、新局面を開 く自由度を与えることができる。(この機能は図4・5の操作部が主制御部の指示を受けておこなうものである。)

 これは現代物理学が目指す四次元時空のみで現象を記述できるとすることと何ら矛盾しない。五次元的変化は時間次元を通してやって くるからである。五次元的事象は超空間の実行者を介して時たま出現するにとどまっている。特にミクロでは実行者が機能的に単純なので汎そ統計的にふるま う。よって統計的観測である限り全て統計的誤差に含められてしまうだろう。

 かえって、この現象の多くは定量観測の困難な生命体の中で起きていると考えられる。(一つの試みとして、超能力者を素粒子物理の 実験室に連れて行けばかなり面白い観測が期待できるように思われる。)

(八)精神作用と現象への関わり方

 変化介入は特に精神作用と関わりが深いことが考えられる。これは超心理学分野の問題でもある。実行結果の観測結果情報は現象と独 立したところでどのように演算加工されても構わない。

 それは図4・5から分かるコンピューターの機能として自明である。むろんこの演算加工処理のためには実行者の中に処理プログラム が存在していることはもちろんであり、ミクロな実行者ではそれは先述したように単純であると考えられる。しかし人間の場合、それはどうやら霊系からの付与 物であるらしい。ここに心霊学とのつながりが出てくる。

 入力情報は現象からのフィードバックのみならず、他の情報系からの入力もあり、現象上の一励起単位に対して演算加工に無限の奥行 きを容認できることになる。そしてこの演算結果が、実行中の時空に影響を与えるか否か、与えるとすればどのようにしておこなわれるかは、実行者の意思決定 に委ねられる。この演算加工と意思決定処理を併せて(超意識的な)精神作用という。(ここで言う精神作用とは大脳内の思考過程、すなわち現象上の作用を含 まないことに注意)

 では、人間の場合の精神作用の現象界へのあらわれ方はどうなのか。既に述べたように、三種類の入力情報は、何らかの規則をもつ処 理プログラムで処理され必要と意思決定されたとき適当な強度、形態で情報が介入して慣性的実行順序を変化するのである。変化の強度は時間、空間の広がりと して反映するようであり、そのうち軽度のものは最も脳の近傍で作用し、人の行動を潜在意識的なバーストを介してコントロールするようである。これが「衝 動」の本質である。この形而上との接点は脳梁であるといわれ、そこから高次元情報が右脳に送られ、それがさらに左脳で線形に分析を受け、肉体側の精神過程 にゆだねられると考えられる。その次は錯覚や幻覚などで観測結果に直接働きかける。ここまでで充分慣性方向から運命修正とも言える進路変更は果たせる。さ らに強度な場合は実行者の直轄する領域全ての存在状態を変え、あたかもトンネル効果的に進路変更することもありうるだろう。超能力者のPK現象はこのこと を言う。

(九)高密度記録ホログラムから生ずる雑書

 ベアデンは時間の一単位には、虚の物体や精神物体がサブ量子的であり続けるはど充分に非凝集性なら、無限に含むことができると 言っている。この「サブ量子的」というのは観測界面上に登らぬはどに繊細であるの意味であるが、拙論では時間軸を見かけのものとして複数用意することによ り階層別に全く独立した形で精神作用については無限の容量を認めることができる。

 なお、「サブ量子的」なものの存在も、ホログラム模型の挙証として必須のものとなる。すなわち、ある時点の主流プログラム以外に 支流的プログラムが無限通り分、ホログラムからハレーションとして出現してくるのである。これは理念の幻影ともいうべきものであるが多重記録されるホログ ラフィとしては仕方のないことである。

 つまり情報としての意味はもたないが、〃基エネルギー〃のいく分かをもらって、潜在したエネルギーとして存在することになる。物 体の周り、特にエネルギー的に活発なプラズマ状態にある物質の周りには顕著にあらわれるだろう。「オーラ」はこの潜在エネルギーの偶ま検知されたものであ ると考えられる。

 霊能者にこれが顕著に観測できるというのは、この霊能者をあらしめている実行者が照見のために用いる光の波長が多少通常よりずれ ているためと言うことができる。彼の現象空間では多くハレーションが生じ、通常無い成分が意味をもち、逆に通常のものがぼやけてくるのである。それだけ実 行者(彼の精神体)がユニークであるからと言えるだろう。

 これらハレーションの物質状態は、物理学的な一定の組み上がり規則を何らかの形で付与してやることによって、わずかな波動的ずれ のために不完全である状態を、あるものは脱し組織化を果し、観測可能なものとして浮上してくることになる。このために高周波電磁場が有効であることをキル リアン写真は物語っている。このハレーションの部分は、実行のなりゆきによっては具体化の自由が与えられていた範囲を意味していることになる。

(十)無限階層宇宙と光子、時間、空間、物質の階層的関係

 いままで、超空間とそこから励起される現象空間という二階層の世界を前提として話をしてきた。だが、現象励起する実行者の存在す る超空間も一定の時間の流れをもつ一つの現象世界であるに違いない。すると、この超空間を励起するさらに上位のコンピューターがありえ、そこにも時空があ るだろう。こうすると、上位に関して推測する限り、際限ない時空の階層的励起構造が成立っていることが考えられる。

 超意識的な精神作用は超空間コンピューターの動作の中にあり、これは虚光子のサイクルとn対1で対応する。しかも虚光子と超空間 時間はさらに上位からみれば同じものの異形態であるのみだから、よって、精神と超空間時間は虚光子に担われ、その微分型として物質、現象上時間、光子があ らわれていることになる。それは隣接する上、下位の関係にあるどのような時空でも同じであると考えられる。そこでは全系時間が連綿として流れている中で、 多種多様な見かけの時間と空間がありえていることになる。

 上位については、際限ない宇宙構造が可能と考えられる。では、下位に対してはどうだろう。

 さしずめ、我々の現象世界の下にコンピューターによって励起されているものは無く、ここが下限かと思われる。ところがミクロの世 界にそれは続いているのである。既にみたように量子現象の過程の中に、知られざるコンピューター的な照合と実行のメカニズムがありえているのである。

 量子は粒子がとるべき一つの行程をはっきりさせるための演算がなされている過渡状態である。情報構造は、下位に際限なく情報素量 を階層的に展開しているが、量子状態とは、この無窮の階程の情報群の階層的実行を含んでいると考えられる。下位階層の実行ほど、我々の時間から比較して、 短時間に終了することが分っているから、下位階層全体の実行の終了を待って次の刹那に至るといっても、その時間は大きいものではない。量子時間は収束の無 限級数で与えられることになる。その大きさは決してゼロではなく、それがなおも、現象に時空の厚みを持たせていると考えられるのである。

 粒子のコンプトン波長以下の内部構造を調べる試みは、観測光に高エネルギーの量子を投入し、観測時間を短時間に局限しておこなわ れるわけであるが、これは情報の下位の構成子の演算過程をのぞくことに相当する。たとえば中性子に高エネルギー光子を投入して中の構造を観るとき、光子は 量子時間の中における相互作用のための情報構造を予め創り上げている。その中には中性子との交流に関わる位相情報をもっており、その対応の如何によって は、クォークの演算子場と相互作用したり、あるいはグルーオン・あるいは全くダミーな演算子場との相互作用の形態がありえ、散乱結果は多様性をもつと考え られる。

 また、様々な研究から、自然界の極小限界が提案されている。それはブランクの長さ(10-33p)であり、少くとも我々の知る限 りの宇宙ではこの長さ程度で切断していると考えられている。これは情報構造の最小限界とも考えられるが、後程出てくる図4・10上にあるよう、まだ、無限 の一部なのかも知れない。いずれにしても、これが(ある実行者にとっての)bitに対応するに違いない。

 これから逆に、情報の一単位(実行の一励起単位)に投入される基エネルギー量にも推測がつく。

 それは、ブランク質量(〜1019Gev)で表現されるものになるだろう。またそれは、極ミクロから大宇宙、さらに超空間に関す るいかなるスケールの実行者でも同じだけ必要であろう。

 以上のことから、図4・6の模型が、実は我々がごく微細な一点として所属している全世界を示すものであることがお分りになろう。 無限階層情報構造を示すと共に、無限階層励起型時空構造の全貌を示しているのである。そこでは、どのような微細粒子においても情報で成り立ち、階層の節目 にコンピューター的機能が働いていると考えられる。ちなみに図4・6の意味を与え直し図4・9に掲げる。
図4.9 

(十一)プログラムを索引してくる意識体「索引念体」

 図4・9の繋ぎのラインはもっと複雑に錯綜するうちの基幹的なものをあらわしたにすぎない。というのは、中には例外的な索引形態 (時空を生成するための時間軸に沿わない)をもつものがある。

 たとえば思考活動や精神作用の過程で随時発生して観測データをもたらして適当な寿命で消滅するような、いわゆる一定の目標に指向 したベクトルプロセッサである。それ自体、局限的な意識体なのであろうが、そこまで高度な情報処理能力を有しないものをここでは「索引念体(あるいは単に 念体)」と呼ぷことにする。というのは念いの作用によって不完全な形態で生じることが多いと考えられるからである。

 念体の機能はデーターバンクにある仕意のプログラムを主体的実行者の実行のために準備することである。一般的にコンピューターは 実行に際して共用データーバンクからプログラムを自己のメモリ空間に導入しておいて、その先頭番地から実行を開始するのであるが、それと同様に念体は、必 要となった時点でこのようなことをおこなうと考える。つまり、念体の機能はデーターバンクにある任意のプログラムを索き、実行者のメモリ空間上の発生点の プログラムに繋げることであると仮定する。これによりコンピューターモデルのもつ全ての機能が満足することになる。

 ホログラムの参照とプログラムの入手は、参照光に一定のマッチトフィルター(*8)をもたせた念体による。マッチトフィルター は、やはり一種の高次元情報であるが、それは割合大雑把な形で精神作用によって創られる。それがホログラムの記録と近似の照合をみせたものを索いてくるこ とになり、そのもたらされる内容は、主体的情報だけでなくハレーション的情報およびそれらの下位につながる情報の全てである。

 念体は実行の動機づけをおこなうものということもできる。通常の実行が順次おこなわれるに対して、念体はダイナミックにプログラ ム自体を操作することがある。

 念体は実行者の中の一つの機能と考えても良い。この二者の動きが備わっていて始めて一つの柔軟性ある意識体として機能することが できるのである。

 索引念体の意義として次の三つのものが考えられる。一つとして、実行者が自己のメモリ空間に処理を必要とするプログラムを導入し たり一部入れ替えをしたりする、いわゆる基幹的プログラムのメンテナンスの役割を果たすものである。

 二つとして、定石的プログラムの呼出しである。これは、発生点が情報上のミスの少ない情報素量の中に経験的に築かれているもの で、相互作用や有機物の組織化規則などの法則の定型演算子のキャリアーとして確実に作用するものだ。

 三つとして、未開拓または頻度の少ないプログラムの偶発的呼出しがある。これは発生点が不完全な思考活動や偶然などで生じ、半試 行錯誤的なマッチトフィルターをもつために、発想とか、原始生命の誕生や偶発的進化のプロセスの担い手である。

 このような念体生起のプロセスが、それ自体情報素量として情報構造の随所に組み込まれており、実行者による時間の展開に併い順次 発現するのである。DNAは高次元なプログラムのミニチュア版である。A・G・C・Tの各基の組合せで成る情報群は、これだけで生物個体の発生から消滅ま でに関する出来事を秩序づけているはずはない。この一連の符号の中には体内電流と作用して超空間に念体を生起するタイプのものが充満していると考えられ る
(十二)我々の宇宙史の展開に関わる起空間生命体の発生と分化

 我々の宇宙を運行する超空間の意識生命体(実行者)の活動は次のように考えられる。

 我々の含まれる四次元宇宙は「宇宙意識」(仮定)というコンピューターに励起されている。実際には、まだ間に数段階の集合意識を おいて、我々をはじめ様々な意識形態を備えたコンピューターと連絡し、たえず情報交換をおこなっていると考えられる。たとえば、超銀河、銀河、太陽系、地 球を創造する意識とブレークダウンし、さらに人類、国家、専門分野と多種多様な意識形態がありえていて、我々の個我意識にあたかも干渉縞のようにふりか かっていると。(図4・10a)だから図4・9は基幹的な繋ぎを示したにすぎず、本質的には大脳神経系を書きあらわしたように複雑であると考えられる。
図4.10


 ここでは宇宙意識がプログラムバンクからプログラム塊を自己の実メモリに呼び込み、それをサブプロセッサである下位意識(我々も 含む)に役割分担しているわけである。逆に言えば、下位意識が自己の実メモリ上に分担されたプログラムを導入し、それをもとにして局部的実行を始め、その 結果、個我の認識領域が発生していると考える。(図4・10C)

 これを意識の時空において時系列的にみれば次のようになる。

 まず宇宙意識がメモリ上のプログラムの実行を始める。現象宇宙が開闢し、しばらく経つと宇宙意識の中に細部を扱う意識が萌芽し、 それに細部的なプログラムの実行と観測の役割が分担される。このようにして、時間経過のうちにプログラムの複雑な局面になるに従い、より多くの多段階のコ ンピューターがあたかも人間の脳神経系のように増殖して、プログラムの微細に至るまでが取り扱われるようになる。これは全プログラム消化というテーマに対 して発生する超意識レベルの生命現象と言ってもよい。宇宙意識を母体とした発生と分化の仕組みがここにあるのである。(図4・10b)

 この仕組みは、上位時空のメカニズムから下位時空が生起される要領でおこなわれる階層構造的な超空間の励起においても同じことが 言えるものと思われる。理念(プログラム)は全宇宙の有機的運行と共に上位から下位へと運ばれる。そして現象の観測結果が実行理念に関与する時は逆に下位 から上位へとフィードバックされて大域的な理念を渇望し、その傾向を決定する。

 下位の意識体の要求する理念の質(直接的にはマッチトフィルターの質)が総合的に向上することは、これを抱える局部意識系からよ り大域系へと理念の相対的な質的向上に寄与することになるはずである。このことから、「宇宙構造は、精神物体(物質を含む)の分布状況で決まる」という拡 張マッハ原理を提言するしだいである。

(十三)UFOのメカニズムと意識体の力関係

 ここで、UFOとはどのようなメカニズムのものなのかを考えてみよう。

 UFOが異空間航法を用いていることが真実であるなら、UFOは現象を独自に励起していくだけの「宇宙意識に準じたメカニズム」 を備えていることになる。つまり、一種の意識体(実行者)である。それは単一目的を持たされたメカニズムであるだけに、安定し強力であるに違いない。

 それは非稼動状態では宇宙意識の傘下にある無能力なコンピューターであるにすぎない。だが稼動中には宇宙意識とUFO内部の個我 意識の間に割ってはいる新たな意識体として一段階増結されることになるものである。はじめは宇宙意識の提示する法則に従い、プログラムをもらっているが、 やがてその範囲内で不確定性をマクロ化したようなジグザグ運動をおこない、さらにすすめばそれ自体で宇宙意識のもつプログラムの別の部分を奪ってきて、時 空の乗り替えをおこなったりするだろう。

 その傘下にある個我は以前の宇宙意識から受けていたものとは異る新しいプログラムをここから受けて、UFOで実現されているのと 等しい状態を認識するのである。それはたとえUFOが飛ぶための機能を備えていなくとも、新たなプログラムを供給するというだけのことで観測者(宇宙人) は新局面を観測することが可能となる大変な装置である。→ タイムマシン

 アメリカで調査された墜落UFOにはこれといった推進機構が積まれていなかったというのもこの辺に理由が見出せるだろう。

 既に冒頭でみたように、五次元的現象を考えるとき、もはや従来の物理観に基づく四次元的メカニズムでは解決がつかないことが分る だろう。確かにメカニズム部分は持つに違いないが、単なる機械でなく、超次元意識体と適確に連動し合う仕組みになっているだけでよい。(その仕組みと類似 したものが人体であると考えれば分り易い。ヨガでは人体は一種の宇宙機と言われている)

 ここで重要なことに気付かれることと思う。人の個我意識は上位意識体が与える情報をうのみにして実行し、観測しているわけであ る。もしここに霊力並みならぬヒマラヤ聖者がいて、ある人の意識を故意に支配下に置いたとしよう。すると、この人は聖者が無言であったとしても催眠術的な 制御を受け、実際には単なる棒切れも蛇に観測してしまうようなことが起こりうるのである。

 同様のことが、すでに我々が宇宙意識から地域的集合意識に至るまでの多段階の意識体の傘下に置かれることによって発生している。 それはほとんど「うのみ」の状態である。→ 洗脳世界

 また意識体は、たとえ突然発生したものといえども、重層する様々な意識体の任意の位置に割り込みをおこなうことができるに加え、 かつて従属していたものでも、その発達によって勢いが逆転することもありうることが理解されよう。

 超能力者は短時的ではあるが宇宙意識もしくは少なくとも地球人類意識を超えることができている。そこには、ある種の力関係が明ら かに存在しており、その力の規模は可変であることを物語っている。古代の求道者の多くは、この力の獲得のために訓練を重ね、ちょうどUFOがそうであるよ うに不思議を実行したものではなかっただろうか。

(十四)ホログラフィー的現実世界の臨場感の理由

 では、なぜ我々は映像的世界に対して現実的すぎるほどに臨場感をいだくのであろう。
 それは、我々がたえず目に見えぬ集合意識から暗示をかけられているからである。この場合の暗示とは催眠術師が言葉でつくる誘導と 非常に似ている。

 催眠術の場合、やや複雑であるが、術者の言葉を被術者が自らの考えの中で元なる言葉に翻訳して、自らの意識の中で照会用マッチト フィルターをつくり索引念体を介してデーターバンクから類似プログラムを入手し、彼の意識の場の中で実行して現実を経験するものであると考えられる。この 催眠効果は非常に強力である。

 ところが現実では、集合意識が与える意識場の中に個々の意識が浴しており、直接的に個我は暗示を「元の言葉」で受けとることにな る。これはど簡便で強力な暗示はない。個我の意識状態は様々な形態をとりうるが、顕在思考に同調しているときには、その集合意識と同調せざるを得なくな り、定在的な実現象として認知せざるを得なくなる。

 逆に、睡眠に入り意識状態が大脳皮質的思考から外れてくるなら、個我は異なる集合意識、すなわち旧脳的なものと同調し、なおも進 めば意識体が観測器である肉体から分離して、いわゆる意識レベルの先祖がえりと言うべきものになる。ここでは「認識する意識」は、別の記憶と思考中枢を備 えた意識体へと移行し、それが入手するプログラムを実行することによって、ここでも意識は与えられた場に臨場感を以て臨むことになる。→ 夢見 霊界

(十五)意識体(霊、幽、肉体)と意識場

 心霊学的な分類では肉体に重層するようにして存在する幽体(アストラル体)そして霊体(スピリッツ)を想定している。これらは客 観的にみて人の意識体が何重層もなしていることに対し、異なった人格を一個のものに認めるかわりに人格の媒体としての意識体を多数仮定したものと考えても よい。

 自我から主観的にみれば、意識体は本来一つであって、このメモリ上には特定の期間内に演ずべきプログラムが現実時空を与えるもの から異時空を与えるものまでつめこまれていて、それらが幾つかの分離される状態を形成しており、意識原理はその状態(すなわち異なるプログラム)間をただ サイクリックに飛び回っているのであると言い換えることができる。→ 唯一者の一筆書き

 また、それぞれの状態は他の状態から侵犯を受けぬよう、記憶域の保護をおこなっているとすれば意識状態が変わる毎にその前の記憶 が薄れてしまうことも言いあらわしうる。

 夢の経験を忘れてしまうこと、前世の記憶をもちこせないことなどはこの事情を説明するものだ。意識がある状態を経験した記憶は、 その状態における記憶領域にストアされ、他の状態における経験によってできる限り壊されないようになっている。このため、他の状態に移るとき、それまでの 記憶は遷移時に(バースト的に)転送されない限り失なわれてしまう。しかしまた元の状態に戻れば(夢の)記憶をとりもどし、逆にその前(現実)を忘れてし まうというようなことになる。

 記憶領域はその状態のプログラムに対して(あるいは意識体に対して)割りつけられる。このため、プログラム(あるいは意識体)の 消滅の直前に、もしそれまでの記憶が必要ならば次の状態に移る直前に次の状態の側に情報をバースト的に一括転送して記憶の存続をおこなう。→ 死後のフ ラッシュバック的生前体験

 ここで記憶に二種類あることに注意が要る。一つは宇宙的な記憶であり、無限分岐時空を一意にたどる過程の中に自動的に形成され る。二つは、自我のためにする記憶であり、夢の内容の記憶や、ニアデス体験者の語る「生前の記憶の巻き戻し的展開」の過程はこれである。その仕組みは現在 のオーソドックスな(ノイマン型)コンピューターが十年も前(1970年代)から採っている方法と何ら変わりないのである。(図4・11)
図4.11

 意識体の存在空間は階層構造をしていること、それらは全て現象界と同様の仕組みで段階的に生成されていることを扱ってきた。これ から宇宙構造に普遍して考えられることは階層的宇宙のそれぞれが量子的にとびとびの状態で存在していることである。特に個我を中心にして考えたとき、霊 界、幽界などの考え方をとることを別として、これらの概念は薄れて一つの「意識場」とも言える量子場が、個我(意識原理)を中心にして発生していると考え られる。

 その中には、基底からとびとびに「意識原理」の定在すべき状態が存在し、そこには、それぞれに適合したプログラムがあり、意識的 経験の素地が与えられていると考えられる。

 現象は全て量子化していることの関連事項をまとめると次のようになる。

1. 全宇宙は最も根元的な量子である。階層型宇宙はとびとびの状態で存在している。

2. 人間は「意識場」をもち、その中で意義はとびとびの状態をとりうる。各状態は意識体とも等価である。この関係はちょうど、場 の理論と素粒子論の観方の相違に似ている。主観的→意識場  客観的→意識体(霊体など)

3. 意識の状態毎に(あるいは意識体毎に)記憶領域と記憶保護機能が存在している。

4. 無限次元空間媒質中では、汎そ全宇宙に存在する要素の数ほど無数の波動の干渉縞として意識場が生じている。客観的にはあたか も無限次元超「まんだら」の如くであると想像される。

(十六)細胞レベルに封じられている宇宙の基本的仕組み

 理念(プログラム)の段階的ブレークダウンの仕組みは四・(十二)節で述べたメカニズムを基本にすると考えられるが、我々の身辺 にもそれが縮図化されでいる例がある。それは、我々の身体を構成する細胞で日夜行なわれている事実の中に在る。

 DNAに記録されたプログラム情報は、人体をどのように空間的に構成し、時間的に変化させるかを詳細に網羅し、体じゅうの汎ゆる 細胞の中に同じパターンを組み込んでいるわけである。しかし、細胞は脳神経を創るものであったり肝臓を創るものであったりして、全く似ても似つかぬ形態を 表面化させていることは衆知のことである。生物学ではこれを「機能分化」という簡単な用語で定義しているが、これこそ宇宙を語るものに他ならない。

 機能分化の理由は誰しも知る通り、DNAの中のある機能を満たす特定のプログラムが励起され用いられた結果、この特定情報を複写 する伝令RNAや、その結果として生ずる酵素にユニークなものができ、このために末端的に生産される化学物質に相異が生じ外形的変化となり、マクロな機能 分化へと展開していくわけである。歴史をつくる理念プログラムの具体化も全く似ている。

 伝令RNAに相当するのが中間段階の介添役である人間に相当する。その結果生じるのが生産物質(歴史)や老廃物質(カルマ)で あったりする。

 理念の部分的紐解きには時間経過が重大な役割をするのと同様のことがRNAにも言える。人類の歴史の場合、宇宙意識の下位にある 人類集合意識がプログラム実行と共に時間認識をしており、それがしだいに実行順序を一つの定型パターンの中に変化させてゆくと考えられる。

 同様に宇宙意識の下位にある幽体が人体の生滅に関する時間情報を認識し細胞レベルに電磁的変化を通して賦活をおこない、個人の生 涯を定型的な形に変化させていると考えられるわけである。

 ここでまとめると次表のようになる。細胞の中に宇宙の基本的仕組みが活在しているのである。



5. 総括


 さて、現象励起のメカニズムは以上の通り決してシンプルなものではない。だがこのモデルも、現象の機微に渡って潜んでいるメカニ ズムを言い表わしたものであるにすぎない。冒頭で述べたように、観測一つ考えても決して光子一個のごときものではありえない。現在の物理学は物質世界にお ける根本法則を導き出すことにあるためやむをえないことであるが、これでは有機体や生命現象を扱う分野との繋がりはありえないと思われる。

 だが拙モデル構築の思想は様々な分野を総合化することにある。このため、原理的なものの整合性には注意を払うが、理論化はせず、 物質世界の話題は現代物理学の与える解答が情報構造の解明に役立つであろう見通しを述べるにとどめている。そして拙モデルの意義は、もっと別のところに見 出されねばならないと考えている。→ 映画「マトリックス」への発想を付与

 ところで、このモデルはもっと簡単にかつ総括的に言い表わすことができる。それは、全ての時空がプログラムを基にしていることか ら結論づけられることである。

 絶対的超空間とは無限次元であり、これが記録されているホログラムも無限次元である。すると対応するコンピューターに無限次元の 処理能力を仮定すれば、一台の超・超コンピューターにより全ての階層的時空が生起していると置き替えられる。→ 唯一者による一筆書き

 ハードウェア的な機能をソフトウェアであるプログラムの手続きで置換できることは衆知のことである。つまり、階層的励起はメイン ジョブからサブジョブ、サブタスクを呼び出し起動するのと要領は同じなのである。この階層が無限であるかそれとも有限であるのか、それは元より不可知なも のからの推測ゆえ分らないが、原理的には何段階でも可能である。先程来のコンピューターを介する異時空の間の相互作用と観測の連合はプログラム間の情報と 制御のやりとりに置きかえられる。

 たとえば、図4・9内記号Cの通信回線は具体的な情報交換があれば、プログラム間連絡がある時点でおこなわれることになっていた ことを示している。また、上位のボックスに対する下位のボックスはメインプログラムとサブプログラムの対応である。同様に図4・9全体は現象的(動的)に は階層型コンピューターネットワークであるが、潜在的(静的)にはストラクトチャードプログラムを示したものと言える。

 以上のことからモデルの各要素に次のような原理的仮定ができると思われる。

(1)どのような時空においても物質で最速のものは時空に個有の「光」として表出する。

(2)本質的に光子(虚光子)は無限次元である。階層のフィルターを経て次元を落とした結果としてたとえば我々の世界における電磁 波として登場している。

(3)本質的な光子は全系の時間を担うが、この微分として各階層のみかけの光子や時間がありえている。

(4)m次元ホログラムの記録物は光を偏向していくことによって全てのものを顕わすことができる。(m=∞)

 一般的にホログラムは参照光の照射方向や波長を変化することにより、多重記録が可能である。本質的な光の中に波長の意味あいをも つ次元がm個あると考えると、原理的にはこのうちの一つの次元についてパルス的に照射される光の波長を一定値ずつ一パルス毎に変化させてやればよい。する と、その次元に関して実行順序がつくられ、見かけの時間が発生することになる。

(5)コンピューターは光の波長相当のm次元について任意の次元を(4)の要領で変化させる仕組みをもっている。

 我々や宇宙意識などは一次元分を操作するにとどまるが、程度の高いものであれば複数の次元を組み合せて操作し、プログラム間を多 次元的に飛び回るだろう。このようなものがUFOであったり、高級霊界人であったりすると思われる。つまり、実行者は階層的に上位であるほど自由度が高 く、下位になるほど情報的にフィルターがかけられて次元が固定され自由度は低くなるのである。

(6)ホログラムに作用するのは、本質的に一台のm次元分を操作可能なコンピューターで事足りる。現象的な無数の時空とコンピュー ターはメインジョブから階層的に発せられるサブジョブ、サブタスクである。(図4・10下、図4・11はその性質を表わしている)

(7)(6)が真理であるなら、現象は本質的に一筆書き的に確定していくものである。そして、本質的な光のもとでは一時一点観測で ある。

 そのとき、無数の集合意識や個我意識は一本の光が相互作用して通過した結果であることになる。それは今目下おこなわれているとい うよりも既に終った残像という観方ができる。光は無限速であると同時に、その中に時間経過は無い。ただあるのは光と情報の相互作用結果のみである。その記 憶をたどる行為が意識として表出していると考えられる。

(8)実行と観測は相補し合う。ホログラムには記録と再生の二過程がある。

 今まで前者には全く触れていなかった。これは次のように考えられる。

 現象の運行は既成のホログラムの再生であり、その結果として一本の軌跡が確定されるところに記録がある。または、n次元情報を再 生して(n−1)次元で記録がある。(上位意識のかかえる情報を下位のものが部分的に受持つ)

 次に確定された結果を近似的に観測し、認識するところに仮想的な再生プロセスがあり、その結果から意識作用によってプログラムの 傾向を変えたり、プログラムを置き替えたりするところに記録がある。

(だがこれもプログラムを新作するというのではない。なぜなら、次元的なブレークダウンを既にしているからである。では一体誰が始 めて根元的な情報を創ったのか。それはもはや唯一者「神」であるとしか言いようがない。この深奥については、古代哲学が明快な解答を与えてくれる。六節で それをみていくことにする)
サイババと黄金の宇宙卵


 このように無限から有限なものへ具体化と、波動的な状態から粒子的なものへの変換が連綿となされているものと考えられるが、この ようなところに現象運行の目的のようなものが見出せるようである。
 

6. 古代思想との整合


 もとより、古代科学観は超自然現象を含む汎ゆる自然界の仕組みに解答を与えるものであった。
 紀元前四千年の昔から四大文明に始まると考えられている古代国家は高度な数字、天文学を持ち、それに併う高度な宇宙観があった。 それは発達を遂げ様々な現在の底辺をなす宗教の教儀に採り入れられている。今最も盛んなのは、現代人のストレスとそこから起る万病の予防のための瞑想学で あろう。このため古伝を基磯に様々な応用が試みられている。また、理論の方は、人々に倫理観念をもたせ、生きる上での精神的な虚無から救うものをもってい る。もちろんこれは個別における最低限の効果であり、この真価が発揮されれば全体的な精神文明と物質文明の協調的発展の理想時代も夢ではないだろう。

 しかし、未だに多くの点が謎に埋もれたままであり、その良さを疑問視するむきがあるのは残念なことである。

 その最たる原因は古代智に対する先入観である。進化論の考え方からすれば、古代人の方がより思想的に優れていたと考えるのは矛盾 したことではあろう。だがここで反論するとすれば、進化論は巨視的な流れを語っているのであり、矛盾を起さないだけの期間内にあってはゆらぎがあっても構 わないということを無視してはいないかということだ。進化は試行のうちに創られ、それをもたらす突然変異は細胞レベルの非常に微小な範囲の試行錯誤のくり 返しの中のケースの中で起きているのである。生物学的歴史は数億年あるのに、わずか数千年の間に原始人から文明人となり得て、いま正に生態系すべてを全滅 させる可能性を近未来に抱えていること自体、進化論を論ずる向きには奇妙なことに映らないのであろうか。

 一説に紀元前四千年を遡る昔(歴史学で認められていないので「超古代」という)に現代に匹適するほどの高文明が存在し、各民族が 伝承するような「大異変」によって壊滅し、火事場から焼け出されるようにして、精神的、思想的なものだけが持ち越されたとする考え方がある。また一説に、 古代人はシヤーマンの側面を持っていたため、慣習的にアカシックレコード(根元的理念)を読む機会に恵まれており、多くの本質的概念を現象の機微に及ばぬ までも入手していたのであろうとする考え方もある。この考え方は拙論で説明できるばかりでなく、現在でも多くの霊能者や予言者、瞑想家の問では定理とされ ていることでもある。それらを非科学的という名の下に一笑に伏して良いものだろうか。

 筆者の研究では、古事記の神話は、一方では、現象上にスケールを異として発生する定型パターンを示す言理念を語るものであり、ま た一方では過去現在に生じた(生じるであろう)最低二回の時代の興亡を言い表わしていると解釈できている。旧約聖書はどちらかというと、理念の参照を物語 る。だが古代インドの叙事詩などは過去にあった驚異的な出来事を物語っていたりする。前者からはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が生まれ、もとあった思 想のうち奥儀的なものはカバラ派やグノーシス派などに受け継がれた。後者の奥儀的なものからは、ヒンヅー教、仏教が生まれ、生命の真髄を語り今でも多くの 人の思想的基盤となっている。

 では、古代の哲学、宗教思想が、いかに以上のモデル概念にぴったりと適合するか、申し上げよう。

 古代ヘルメス哲学では次のように言う。

「神は全ての存在を内にはらみ、全ての世界を包み込んでいる。中心がいたるところにあって、周辺がどこにも無い円である」と。これ は次のようにして言い表わせるだろう。

 実行者は神の光の通路である。その実行者はいたるところに観られ、その顕わす範囲は他と不可分に透け込んでいる。理念は神から供 給され、実行結果とその観測結果は神の本源へとフィードバックされる。供給と反映の中に、神と自然と人間が一体となった巨大なサイクルがある。と。

 また次のように言う。

「世界の全存在、森羅万象は神の一部で、世界の歴史は神の歴史でもある」と。

 また言う。
「唯一の存在者は限りなく多彩な形をとって我々の前に現われる。汎ゆる被造物は、この唯一のものから出ている。ただ特性によって分 化しているだけである」と。

 時間の流れ、あるいは大宇宙の歴史の流れは、唯一者の創りおき賜うた「大目的」をあらわしていく過程である。この大目的の中には 善も悪も智も無知も剛も柔も汎ゆる要素が波動的にミッスクされている。それをあらわすために照見の光が投入され、あたかも毛糸の玉をほどく如く索引系(時 間軸)を設定して多くの分光により、分担精査されてゆくのである。

 さらに、ヘルメス哲学では次のように言う。

「三つの世界がある。原型的世界、大宇宙、小宇宙。神、自然、人間。魂、精神、肉体。人間は大宇宙の反映であり、同じ法則に基づい て作られている」と。

 原型的世界とは理念(プログラム)界、また魂、精神はそれぞれ霊、幽に対応するだろう。ここには互いに重畳しながら、階層的、独 立的であってなおも三位一体である関係について述べられているようだ。まず理念があって、それが大宇宙、小宇宙へと階層的にブレークダウンされ、それが各 階層の実行者によって具体化される。そして万物何によらず、魂、精神、肉体の関係にあることを述べ、それらの構造が相似型に成り立っていることを述べてい るようだ。既にみてきたように神(巨大情報網)−実行者(コンピューターの積分)−人間の脳神経系−コンピューターの相似はこのことを証明している。

 また究極的唯一者の本性について、プロティノスは次のように言う。

「叡知以前のものである。叡知は存在者のうちの何かであるのに一者は何かではなく、むしろ全ての個々のもの以前であり存在者ではな い。一者は存在者を含む叡知以下の系列のいづれでもない」と。

 すなわち一者は、叡知を投げかけ自然を創り出す存在者のらち外にある、元の元たる創り主というわけであるが、奇しくも先述した五 節の(8)項の解答が与えられていることになる。

 グノーシス派の宇宙像では創造以前の原初から存在する世界に神と原型的世界があり、神が原型世界に投射することによって天上界、 宇宙、エーテル、太陽系、地上界などの創造された世界が登場するとしている。また、古代インド哲学では「ブラフマン」は変化して生じた一切の事物の原因で あり、ブラフマンは自己の力で自己を開展したのであると説いている。また、シナの哲学でいう「太極」は世界万物の生ずる根元であり宇宙の本体であるとされ ている。

 筆者の研究では、古事記にも超空間の実在が語られている。また神話はもとより、神道哲学的に言えば自然現象の荒御魂(すなわち現 象以前の原型的理念)をあらわしたものだとされている。

 さらに言えば、原型的理念は実現象として生起するまでには二段階以上の中間段階を経ることすら語られている。そして、我々は末端 に位置づけられ、最も適切な名詞「ひと」で呼ばれた。これは「日戸」すなわち「理念(知恵)を世に出す門戸の役割を担う者」の意である。

 このような古代思想は一体何を言おうとしているのか、それは十分考えてみるに値するだろう。ここでは幾つかの根元的概念をとりあ げ、拙モデルがそれによって支持されていることを述べた。
 

 7. おわりに


 最後に現代における最大の謎UFO現象に目を転じてみよう。それは既に忘れ去られようとしている古代的思考がいかに未来において 重要であるかを如実に示してくれる。地球外知性の警鐘というべきではないだろうか。
 UFOが我々に教えてくれる新しい現象とそれから得られるアドバイスには次のようなものがあると思われる。

1. UFOのふるまいは五次元宇宙の存在を暗示していること。
2. UFOのふるまいは観測的現象が映像的であることを暗示していること。
3. UFOはそのジグザグ連動の中に量子のマクロ化現象であることを暗示していること。

 1については、既に冒頭で述べた。現行物理学では解明不可能な問題である。

 2については筆者の経験も一枚かんでいる。あるUFO問題研究グループと共にUFO観測をおこなった時のことである。筆者の目撃 したのは夜間四時間はどのうちに十数回であったが、その半数位のときに強い「見えそうだ」という確信のわき上がりと共に夜空の一瞬の「ぶれ」に似た稲光り が肉眼で微妙に検知できた。その直後光体が視界を横切るのである。これは後のテレビ番組でE・メイヤーのUFO録画取りをコマ分解したところ、円盤の出現 と消滅の各々3/50秒前にコマ全体が光っていることを述べたが、関係がないとは思えない。電磁的なバーストが観測者を覆うようにして空間全体に起ってい るらしいのだ。

 筆者の眼には弱い稲光りと写ったが、すぐ直後にどこかに出現していて、ややおいて視界に飛ぴ込んできたと考えられる。UFO観測 者にとって夜空は映画のスクリーンのようなものだ。夜空ばかりでなく、筆者の居る空間すらそれに含まれていて、立体的な一つのコマがある瞬間別のものに置 き替っていて、その後矛盾なく進行しているという感じなのである。

 関連して、超能力者のPK時にはちょうど周辺空間の電磁場の乱れが観測器で検知されている。また、同じくマシユー・マニングの PK時にはしばしば周辺空間の歪曲すら目撃されているという。これらのことは、いづれも類似した現象であることを物語ると共に、時空それ自体が映像的であ ることを証していると思われる。

 3の意味はUFOが意識部分と、三次元物体の間を遷移する存在であることを示している。それは稼動状態において一種の「場」とし てふるまうということである。よって、ジグザグ運動あるいは光紐運動は自由電子のとりうる飛跡に類似のものとなると考えられる。このことは我々に「物理法 則は適当な処理を施せば変更することが可能」であることを示している。その方法はUFOが身を以て示しているというわけである。

 UFO現象に関して言えば、以上の三点が満足される理論が今後の物理学に登場しなくてはならないことを暗示しているのである。

 


 *注釈

*1 絶対的超空間現象を成立させる基がプログラムであるとした場合、その全プログラムを優劣なく同格に扱うことのできる、観念的な空間。いわゆるデー ターバンクである。

*2 超空間*1のプログラムの実行の過程でコンピューターが介在して起こす仮想的空間は、理論的に無限数個可能である。この中の一つが我々の現象空間 (実験室空間)であり、それを除くものを超空間という。

*3 虚光子超空間上の光子。コンピューターが現象の励起のために供給する基エネルギーである。虚光子と情報との相互作用で量子化現象が生じ、その特定の 場合が実験室空間における光子となる。

*4 情報単位コンピューターが実行すべき情報処理単位、すなわち命令語である。この場合、多次元情報構造をしている。

*5 情報素墨情報単位を構成する要素の機能単位。命令語でいえばオペランドの個々の要素。(ビットではない)

*6、*7 量子数的量子、量子的量子一電子の電荷は量子化されてeの値をとり、決して0.9eといった半端な存在は許されない。 また電子が磁気をもつ理由となっているスピンも半整数、整数の値しか取り得ないようになっている。このように性質がとびとびの値をもって出てくることを量 子化されていると言い、特にこの場合を量子数的量子化という。これに対し、エネルギーや場の大きさのようにそれ自体連続を許すが、粒子としての性質を併せ もつものを量子的量子という。基底にディジタル情報とメカニズムがある限り、仕方のない出来事であるといえよう。

*8 マッチトフィルター参照光に特定のパターン情報を付けてホログラム側の同じパターンの情報と照合させることによりホログラム 上の参照アドレスを見出したり、あるいは近傍の情報を連想的に索こうとするものである。そのときの参照光に記録されたパターンを照会用フィルターと呼んで いる。