未来知識

Future knowledge


モ デル概念の再考


例示と解釈(2)
                          


はじめに
Introduction

超宇宙論
Super-cosmology

1. 旧基礎資料
 Old basic paper 1
  ・雑感
      My impressions 1

2. 旧基礎資料2
 Old basic paper 2
  ・雑感2
      My impressions 2


3. モデル概念の再考

  ・例示と解釈   
Illustration/interpretation
  ・例示と解釈2
Illustration/interpretation2
  ・未来予測 
  Future prediction
  ・解脱境完全ガイド
Deliverance perfect guide


4. 哲学的応用例

  ・般若心経解釈


5. 古代科学からのフォロー

  ・古事記「天地のはじ め」


6. 雑感

  ・雑感3

  ・雑感4

  ・雑感5

  ・雑感6

  ・雑感7



拙論のモデルからすると、科学のとる解釈も、宗教のとる解釈も、別の観点から捉えなおすことができ、あっと思うような解釈ができる場 合があります。




目に見えないものだってあるんだよ

幽体、霊体、アストラル体? そのようなものはあるのか? 目に見えない霞のようなもの。そんなものがあるというのを論議すること自体、馬鹿げている。

なるほど、そうでしょう。だがそれは、ネットゲームなどにうち興じていて、OSの存在が見えない、感じられないと言っているのに等しい発想なのです。もち ろん、あなたも私もゲームの中の1キャラクター。それぞれが、それになりきっているのだとすれば、その人に何がわかるでしょうか。想像することでしか、思 い を持つことができないのです。

パソコンを操作しているあなたなら、まだ処理速度が遅いなどのトラブルで、OSのことを意識し、理解できるでしょうが、ゲームのキャラクターに果たしてそ こまでの理解を要求しますか? しかも、それができるときというのは、そのキャラクターに対してそのようにプログラムされているときだけなのです。なんぴ とも予定されていないことは、想起することすらできないのです。

また、キャラクターは、現実に目の前にあるバーチャル空間に起こる事態への対処で手一杯でしょうし、ほら、うかうかしていたら、敵にぶちのめされますよ。 あるいはライバルに先を越されますよ。あな たはその愛しいキャラクターに、そんな発想を要求することはできないし、またそんなことをすれば、キャラクターのまともな行動を妨げることになるでしょ う。あなたは、そのキャラクターに成り切ることに、今は意識のすべてを捧げているのですから。

私は? 私は何ゆえか、20代の頃から「割り込み」がかかって、まともな行動(仕事)を妨げられてきたのです。それゆえ、リストラという言葉のない時代に リストラされましたね。一般からすれば基地外に違いないのですが、人生の半分をそこまでで消化し、折り返したのですから、無駄な時間をすごさずに済んで、 よかったのです。

スーパバイザーコール(割り込み処理)

「割り込み」は、ノイマン型コンピューターの処理装置(CPU)の仕組みの理解において重要になる言葉です。

表に流れている目的のプログラムの実行中に、監督者クラスのプログラムが「割り込んで」コンピューターの実行順序を奪い、その処理を補助するわけで、入出 力処理や異常処理の用向きで、監督者クラスのプログラムはもっぱら動いているのです。

しかし、そこに人格的性質のプログラムを置くことは、開発者の自由です。我々の世界に介入してくる神や悪魔もそうなのかも知れません。

初期のノイマン型の原型的なCPUは、P1〜P4状態までがあり、表面のプログラムはP1状態、I/O処理はP2、プログラムの異常処理はP3、電源異常 時処理はP4などとなっていました。

最優先なのは番号の大きいほうで、電源異常時のときなどは、ほんの一瞬の緊急避難のためにも、それ専用のプログラムは優先されて動くようになっていて、そ うでなくては磁気ドラムがヘッドによって削られてしまったりして、マシンにとってフェータルな結果を招いたことでしょう。

同様に「割り込み」のかかり易いタイプのキャラクターもこの世にはたくさんいます。霊感霊視霊聴できる人から、予知予言者、テレポーター、サイキッカーな ど。 後述するヒトラーもその例でしょう。そういったキャラクターにも、それなりの認知度と仕事が与えられる世の中なら、ここまで末世にはならなかったでしょう に。ヒトラーでさえ、外部には自分の秘密を隠したようです。基地外に指令されたとなったら、世間は騒然となるでしょうから。

宇宙を記述するプログラムとその実行

宇宙全体を記載したプログラムは、宇宙大から原子やクォークの超ミクロまで網羅されているわけです。思惟作用すらもプログラムとして与えられているので す。宇 宙に生起するすべてのことが予め用意されているとするのが、このモデル概念の到達点です。

意識の目(意識原理)はそれに光を当てて観測する賦活の主体としてのPCの中核機能です。彼は純粋観照者でもあります。つまり、宇宙を観測する目的でコン ピューターシステムを作った側の意図そのものの表れであることになります。

人が脳を介して人の次元の観測しかできないのは、PCの性能上、実行する命令語のサイズと性質が脳の性質に合うように固定されているからです。外界として 認識するものは、脳という共通の機構的下地が人々にある限り、同様の現象として認識されます。コンピューターはそれを順次実行していく行為の中で、時間の 経過を生んでいきます。時間は因果律が認識の根底にあるところの観念的なものです。

しかし、高度化したPCは本来、実行する命令語のサイズを任意に変化し実行できるはずです。また、先ほどのP1〜P4といった制御権の状態は、実行命令の サイズの可変によっても可能になるはずのものです。そのようにプログラムを構成する命令語群を構造化すればいいからです。

瞑想や夢見は、このフレキシブルな性質を一部的に現すものでしょう。それはコンピューター本来のすなわち魂の性質であり、人はそうすることで、神の域から 地獄までを任意に体験したり、あるいはミクロや宇宙大にまで意識を及ぼすことができるようになっていると推測されるのです。それは単なる想像、フィクショ ンに過ぎないというのでなく、その想像行為そのものが創造の原理になっているのです。また、想像することすらも、そのようにプログラムされているからでき ることなのです。

ところが、現代社会というのは魂の希望からは乖離していくばかりであり、観測のフレキシブル性をわざと損なわせ、五感にのみ頼りきるように仕向けていま す。さらに労働の激化やストレスによって睡眠をも妨げて、せっかくの意識行為の自由時間をも奪い去っています。

脳は覚醒中にもわずか数%使われるのみで、不自由さの中に鬱憤と軋轢を溜め込み、機能縮退や細胞を死滅をさせて、早期にリタイアしていく原因になっている ように見受けられます。

アルツハイマーやピック病、さらに成人病というものすべて、意識の性向や潜在願望に対して反逆していることによるのです。そんなことは、医者は絶対に言い ませんけど、経験的にそんなことだろうなとは思っているはずですよ。さていったい、こんな悪意あふれる成り行きは自然のものなのかどうか。

では、意識というものの動作について次に説明していきましょう。

神の生活とは

神は、幸せなことに自由度の高い魂であるでしょう。というのも、人体に束縛されていないからです。彼がそのつもりになれば、超ミクロの中も観測してこれる フレキシブル性があります。だが、通常は人間よりも命令語の大きなサイズの単位で実行する者であるため、地球史や宇宙史レベルの歴史体験を大雑把にしてい るのが常ではないでしょうか。よほど関心を持つなどしない限り、そのフレキシブル性を発揮してくれそうにありません。

人とは観測時間の単位が異なります。フレキシブル性も備えているから、気が向いたら微細にも入り込み、その中を確かめてくることができます。時間軸の異な る人間界をわざわざ指導するのは、神の関心と善意なる心と言っていいでしょう。

共通素材を利用する無数かつ多彩なプロセッサたち、これを意識的生命体 という

よってある程度、魂というものは、種族によって類別された様々な意識的存在がいて、独自の文化と歴史を、この宇宙プログラムという共通素材を使って観測し 認識しているようなしだいになるでしょう。

地球外知性がおり、竜やスカイフィッシュ、プラズマ相の生命体がいてもおかしくはないほどに、生態系は多様であっていいのです。

意識原理は、意識を構成するに足る神経回路などの存在を止まり木のようにして、その観測の目を固定しようとします。つまり、その次元に目の焦点が合えば、 そこで世界を夢見し始めるのです。

PCがその開始点をベースレジスターに登録して実行を開始するわけで、開始点がその生き物(プログラム)の人生の途中であっても構わないのです。しかし、 プログラムの途中からのエントリーには慎重さがなければ、エラーを起こし易いです。

このような意識原理に対して、プログラムの側で受け皿を用意していれば、それが止まり木になります。宇宙にはそのような止まり木が無限数あります。それに 伴い、意識原理も目の数を増やすのです。

また、テンポラリーな止まり木なら、虚空にも形成されます。千の風になることもできますし、流れる川の水にも意識を宿せます。死者の幽霊として虚空に顔を 出したりもします。

宇宙プログラムは、ただそこにあるのではないのです。観測されるためにあるのです。だから、意識が介入することに対しては寛容であり、受容性が大きいので す。

別の角度から見るなら、意識体験はすべて意識の目の、プログラム側の用意した意識の座への憑依の結果で起きているわけです。プログラム上の観測者の座が、 彼の招かれた座なのです。そこに憑依してしばらく留まり、観測を続けるというわけです。人生数十年を生きる人間というのもこれに然りです。その止まり木の 消滅とともに、意識は別の止まり木を求めて他所に去っていきます。

その例えはプログラムの側から見た話なので、本質的ではないですね。意識原理(PC)の側からすれば、旧いプログラムをたたんで、新しいプログラムをロー ディングして実行を開始するわけです。

宇宙プログラムの開発者とは、その意図は

インターネットの中の仮想世界に集う人々が増えているといいます。すでに、世界人口500万人に及ぶ人が、その中でセカンドライフを味わっているといいま す。現実にはできないSF的なことも、そこでは飾り立てることができ、その中のキャラクターになりきることもできます。こうして、通常時にはとても実現で きない、第二の性質を獲得することができたりします。

日頃の日常生活をその中で送るライブ。ショッピングもありですが、形は仮想ショッピングではあるものの、実物のやり取りネットショッピングも可能です。不 動産選びも、仮想空間において行うことができる。3Dで、新居での家庭生活を味わうこともできる。普段と違う仮想世界の生活を送るという延長上に、現実と 仮想が融合しつつあるのです。

現実生活での戦闘が戒められているなら、仮想世界で戦闘本能を満足させることもできます。同様に性本能も。今流行しているのは、この類のソフトでしょう。 現実と仮想のけじめがつかなくなった人たちが、現実で犯罪を起こしたりしているようです。が、これからはそのけじめがしだいにつかなくなってくるでしょ う。

というのも、現実世界と思っているこの世界も、仮想現実であるかも知れないからです。根源的に同じであるとすれば、それらはやがて区別がつかないほどに融 合することでしょう。映画マトリックスは、その真実に気づいたごく稀な人たちを主人公にした物語でした。

我々は、仮想でなく、現実に生きていると思っています。だが、現実というのは真に本当なのですか。まさにこのネットの仮想現実の仕組みそのものが、現実体 験の下地にあるような気がしませんか。

終わりの時代には、隠されていた真実がすべて明るみに出ると言われています。コンピューターの出現、そしてネット社会。こうした形態的真相が、宇宙の中の 小宇宙という相似像の形で表出してきているのです。世の中の現象から大宇宙を量ることもできるというわけです。そうした時代に行き合せた幸運を喜んでいい ものかどうか。あっと仰天するだけなのでは。

こうした仕組みが我々の魂のために与えられた意味を理解できなくては、何の悟りにもなっていないでしょう。つまり、神がそれを与えたなら、その目的や意図 は何なのか、少しでも教えてもらいたいのが、我々思考する者の願いでしょう。

残念ながら、このプログラム的超宇宙は、決して我々のためを思ってのものではないと、今の局面を観測する限りにおいて思うわけです。というか、このマト リックス主催者自体が気づいていないのかも知れないので、そうならば諌める必要があります。悪意によるなら、改心を求めることも必要です。それがネオなど の救世主がやってくれなくてはならないことなんでしょう。庶民は無力だから。

おかしいということは電脳社会を見てもわかる

我々の世界にあるネット社会に繋がるための手段は何か。それはパソコンです。ネット社会は、人々の興趣を増すためにどんどん進化しています。ゲームはいっ そう多様化し高度化して。

ところが、パソコンに向かう我々の眼や頭や人体のことはさほど考慮されていません。確かに画面は見やすく、また疲れの少ない工夫が凝らされるようになりま した。だが、パソコン(携帯電話もそうだが)から発される電磁波は、非常に軽度とはいうものの、人の脳を直撃し、ちょうど電子レンジにかけるような様子と なっています。また、眼では近眼や乱視だけでなく、白内障を発症し易くしているようです。のめり込む時間に比例して、さらにはストレス病ともいうべき、精 神病や痴呆、成人病を起こし易くなっているとみられます。つまり、戦略的に、人間の機能障害を誘発するように仕組んであるようなのです。

天にある如くが地にもあり、地にある如くが天にもあるとするなら、我々の魂はマトリックス時空に縛られることによって、同様の機能障害の危険に晒されては いないか、というわけです。

いや、仕組まれているのではなく、ただ単に、開発者の開発途上にあることの無知のゆえだと仰るかも知れないですね。ならば、天においても然りではないだろ うか。そこに、全知全能を仮定すること自体、不適切でしょう。

自らの身を真に守りたければ、パソコンに向かうことそれ自体から離れたほうがいいでしょうし、同様に、マトリックス時空を観測する輪廻のシステムからも早 々に離れたほうがいいに決まっています。

しかし、ゲーセンやパチンコ屋に並ぶ人の数知れず。日々、そこから足を洗う人の数より、参加する人の人口が上回るような気がしてなりません。そんな世界が 行き着くところ(未来)というのは・・・。