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モデル概念の再考 |
Introduction 超宇宙論
Super-cosmology 1. 旧基礎資料 Old basic paper 1 ・雑感 My impressions 1 2. 旧基礎資料2 Old basic paper 2 ・雑感2 My impressions 2 3. モデル概念の再考 ・例示と解釈 Illustration/interpretation ・例示と解釈2 Illustration/interpretation2 ・未来予測 Future prediction ・解脱境完全ガイド Deliverance perfect guide 4. 哲学的応用例 ・般若心経解釈 5. 古代科学からのフォロー ・古事記「天地のはじ め」 6. 雑感 ・雑感3 ・雑感4 ・雑感5 ・雑感6 ・雑感7 |
拙論のモデルからすると、科学のとる解釈も、宗教のとる解釈も、別の観点から捉えなおすことができ、あっと思うような解釈ができる場 合があります。 その一環で、このありがたくもまたおそろしげなるシステムの裏をかき、解脱という境地に至ることの意味を、モデル概念を使って説明しましょう。 というのも、何千年というスパンがバーチャル世界において何度も繰り返し利用され、地球の実時間である3000年にはバーチャルリアリティを生み出してい たシステムが損傷してダウンするのですから、多くの意識たちは突然、無に帰するか、プログラムのない虚空に投げ出されるわけです。 私は、そのときが解脱と言われるときであろうと推測しています。 そこで、PCによってそれがどのようにシミュレートできるかを示しておきたく思います。 あなたに解脱境を事前理解させるためのパーフェクトガイド (不 明箇所もあり) 思惟作用すらもプログラムの中に記載された出来事なら、@コンピューターにプログラムのかかっていない状態や、ANOP(ノンオペレーション)命令だけの プログラムがかかっている状態というのも想像できます。さらにはBとして、コンピューターの電源ダウンなどのシステムダウンというものも想定できます。 自己のコンピューターの実行結果をもとに世界を組み立てる意識はそのときどう認識するのでしょう。 @は、コンピューターがその稼動目的を満たすべく作られているなら、なかなか遭い難い状態であるには違いありません。この状態がたまたま実現したとして も、またすぐに次のプログラムが用意されるはずだからです。上位の監督者プログラムが次のプログラムをすぐさま用意して、取り掛からせたりします。 この一過性の状態は、プログラムの掛け換え時に偶然発生する可能性があります。すなわち、生前の世界から死後の世界へと移転する人の死の瞬間などにおい て、偶発的に起きるのです。仏教では実際にその認識状態のあることが知られています。→ 「死の科 学」ダルマカーヤを参照 そのときコンピューターはプログラムという修辞されたものを通さずに、観測行為の本質を垣間見ることになるのです。すなわち人は、高エネルギーの照見する 光そのものを見るわけです。これをチベット仏教では、死の直後に訪れる原初のクリアーライトと呼んでいるようです。 いっぽうAは、NOP命令に定義されたPC上の性質によって、どのようにコンピューターに観測されるかが決まります。まばゆい光だけの世界なのか、真っ暗 闇なのか、それとも灰色なのかといった明度くらいが観測されるでしょうか。あるいはNOP命令にも特別な性質の付帯するものがあるのかもしれないですが、 至福、無限、無辺などが性質として考えられるものの、それらはむしろ修辞になってしまいます。 また、NOP命令ではない違反した命令語を実行した場合、結果が保証されないだけでなく、メモリパリティエラーなどのシステムダウン要件になったりします から、こうしたことのないように監督者プログラムは事態が起これば直ちに回復する手段を持っているはずです。(今のWindowsなどにはないらしく、 しょっちゅうフリーズします) NOP命令だけを実行している状態の意識の境地とは。たぶん、思惟や行為のすべてを停止した状態が実現しており、その付帯する性質だけが感得されているこ とでしょう。それは人においては禅定の境地と言っているようです。仏教ではその意識の状態に住することを、無色界にあるというのかも知れません。 無色界に対し、色界は主体的にイメージのプログラムで織り成される世界であり、色即是空とは、イメージ(色)の世界はプログラム(空)によって生起すると いう意味になるのです。さらに深化した方式やマテリアルでなる欲界も、イメージを複雑化させた相であるために、同様に「空」が本質だとされているのです。 空即是色とは、プログラムがイメージの源だという意味です。五蘊皆空とは心の作用もプログラム上の記載事項であるという意味です。 また、欲界はまるでどこぞやのOSのように、頭を叩いてたんこぶを作り、また叩いてたんこぶの上にたんこぶを作ったような、ステップ数だけべらぼうに大き い複雑怪奇な(といっても宇宙の場合は根は単純で、方式を与えてフラクタル展開しただけのものですが、これもたんこぶの上のたんこぶに似ています)プログ ラムが、超コンピューターにかけられて、冷却ファンが盛んに回るヒートした状態を呈する如き境地になるもののようです。 つまり、無色界、色界、欲界のことごとくは、まだPCが生きているだけに、迷妄に束縛された状態であることになりますでしょう。無色界といえどもそう。そ れは、超コンピューターという存在によって束縛が発生しているのです。 そこでBの状態が想定されてくるのです。つまり、我々において真の「解脱」という境地は、思惟して得られる境地ではなく、超コンピューターの稼動そのもの から脱却することでしかないのです。 超コンピューターである真実から、自らを解放できるのか。電源を落すことで可能なのかどうか。電源を落したら意識はどうなるのか。むろん未知の体験になる かも知れないです。ほとんどこのモデルから確実に言えるのは、無意識になるだろうということです。なぜなら、何の思惟作用もないのですから。 それは唯物論者の言う死後の世界のようなものですが、どっこい唯物論者は時空の継続を異なった形で迎えて、がっかりすることでしょう。彼にとって、その望 むべき境地になるのは、途方もない先のことかも知れません。 まず最初に、地獄の体験プログラムが蓋を開けて待ってることでしょう。さあ、こっちにいらっしゃいと。お金が積み上げられ、きれいな姉ちゃんたちが門の前 に立つプログラムエントリー地点ですが、やっぱり行きますか。 さてしかし、コンピューターはやがて劣化して、ちょうど原子力発電所の圧力容器のように破損してしまいます。コンピューターの寿命は実時間で二十年もある でしょうか。しかしその中で、超高速演算が行われ、ソフトが何億回も営まれます。そのそれぞれが人生ゲームだったら、いったい輪廻はどれほどすればいいの か。そしてコンピューターが壊れたその先に、別の意識として、たとえばデスクのコンソールの前でグーグー寝ていたオペレーターとして目を覚ますことになる のかどうか。それは保証の限りではありません。さすがの私にも、わからないのです。 そして最後に、どんな使用説明書にも書かれる文言を小さく・・・ この説を用いることによる、いかなる意識的あるいは精神的、あるいは物質的な損害についても、拙論および拙者の責任は免責され ることとします。ご自身の責任と判断において、用いるようにしてください。また、この論の著作権および意匠権を放棄するものではありません。 |