未来知識

Future knowledge


モ デル概念の再考


例示と解釈
                          


はじめに
Introduction

超宇宙論
Super-cosmology

1. 旧基礎資料
 Old basic paper 1
  ・雑感
      My impressions 1

2. 旧基礎資料2
 Old basic paper 2
  ・雑感2
      My impressions 2


3. モデル概念の再考

  ・例示と解釈   
Illustration/interpretation
  ・例示と解釈2
Illustration/interpretation2
  ・未来予測 
  Future prediction
  ・解脱境完全ガイド
Deliverance perfect guide


4. 哲学的応用例

  ・般若心経解釈


5. 古代科学からのフォロー

  ・古事記「天地のはじ め」


6. 雑感

  ・雑感3

  ・雑感4

  ・雑感5

  ・雑感6

  ・雑感7



拙論のモデルからすると、科学のとる解釈も、宗教のとる解釈も、別の観点から捉えなおすことができ、あっと思うような解釈ができる場 合があります。



簡単な物理学的定義

量子とは。私から簡単に再定義しますと、こうなります。

現象を記述する一命令単位から次の命令に制御が移る際の工程は、およそ無限通りの中から確率的にふるまうわけですが、その可能性を秘めた過渡状態にある粒 子をこのように言います。

過去とは。
無限通りの未来から一意に行路を確定していく動作が、このコンピューターの役割であるときに、すでに確定された行路のことを過去と言います。過去はそのコ ンピューターかあるいはそれに代わる記憶装置に記憶され、任意に参照されてこそ、そのコンピューターが実行した過去として成り立ちます。

現在とは。
命令語のただいまの実行時のことであり、そのコンピューターにとってエネルギーのほとんどが投入されている実行現場の状態です。

未来とは。
いずれ通るであろう可能性を含む命令語群のことであり、まだ未確定の情報として記述されるのみです。それは無限通りあるように、おおかたは未実現のまま潜 在するだけにとどまります。そしてその潜在した行路の数だけパラレルワールドの展開する下地があったことになります。当然、すでに一意の行路で通過後の過 去には、未実現のパラレルワールドがあまた放置されてあるわけです。

パラレルワールドの発想は古典的科学者には無理なことではなかったでしょうか。というのも、宗教的に否定されねばならなかった話だからです。だから、今の 今 まで多次元時空の話題の出る幕がなかったのだと思います。

神が与えた予定のラインはただ一通りでなくてはならないという宗教的規定があります。そこに神の恩寵なりその逆があれば、神の意向で予定が変更されること もあるという例外規定が認められるにとどまりました。

また、予言がいくら正確に出されてきても、当たったためしがほとんどないときに、それを以て、偽預言者あまたありといった解釈をするのが宗教の常です。そ うではないのです。

アカシックレコードにはこう記載されていた。それを異界から持ってきたのに、実現しなかったというのは、観測する個々人がそれとは異なるパラレルワールド を選び取ってやってきているからなんです。こうして予言はあてにならないものとなる。

むろん、ただの売名行為や偽情報で怖がらせたり喜ばせたりするための捏造は多々あるとは思いますが、そうでない生の情報もあるということです。が、当たら ないことになりやすい。

まるで、予言とは粒子性と波動性を兼ね備えた不確定性下にある事象のようです。蒸着された記録であるアカシックレコードよりも、観測する光である個人のほ うが、量子的にふるまってしまうのです。

その時空を選び取る観測者個々人のことを、私は創造主と申し上げています。無限通りのルートある中からルートを一意に選ぶ行為というのは、まさに何もない 虚空から任意の未来を形作ることに似ていますから、創造主と言うわけです。



ノイマン型コンピューターをベースにして推測できること

(一) 観測者中心天動説

旧式の同コンピューターでも、ベースレジスタを備えていて、プログラムをどのメモリ位置にローディングしても矛盾なく(同じ結果が得られるよう)実行でき るようにしてあります。プログラムの開始点のアドレスをベースレジスターに置くことで、あとの部分はPC内のメモリ空間における変位として掴めます。

我々の場合、ホログラムメモリの上のプログラム(時空プログラム)のうち、自分で実行したい部分(ある人物の一生)を自分のPCにローディングしてきて、 それを自己中心系のイメージ空間の中で実行するわけです。ホログラムメモリ側には絶対的なプログラムが置かれていたとしても、量子的に可能な範囲を自己の PCに呼び込み、限られた選択肢にすることもできるし、あるいは許容度を上げて、無限通りを実行可能にしておくことも可能になるのです。

ここで古い科学言葉で言うなら、天動説でも地動説でもなく、観測者中心天動説というものになります。

自分のPCがどこにあるのか。観測にはかかりません。我々が見ている現象とは、命令が実行されて演算された結果の波頭とその繋がりなのであって、それを除 くすべての工程と途中のワーク的演算結果などはみんな潜在する黒子なのです。

(二) 八方、神に保護された世界

PCの中ではマルチプログラミングが一般的に行われています。OS(オペレーティングシステム。Windowsのような)がまずベースにあり、さまざまな 補助的、監督者的、外部入出力制御的なプログラムがその下にコントロールされています。

タスクマネジャーでその様子を見るには、プロセスタプをクリックすると数十個のサブタスクがたえず準備されていることがわかります。が、実際に我々が画面 上で結果を見たいプログラムというのは、せいぜいその中の2,3個のプログラムとその連携であったりするわけです。あとはその補助や監視のために機能し、 また待機しています。

それと同様、現象として見えるものというのは、画面上に臨まれる動きに過ぎないことになります。そのわずかなことのために、90%以上の潜在したプロセス が存在しているのです。神とは隠り身のことだと大和言葉は言います。それをも神というなら、まさに大部分の隠り身に囲まれてすごす我々というのは、神の保 護下にあると言えそうです。

ではいったい、我々がもっとも頼りにしまた畏れている神とは? さあ、いったい何なんでしょう。また後ほど解釈していくことにしましょう。

(三) 多世界並存もお手のもの

マルチプログラミングとは、同一PC内でメモリ領域をそれぞれ異として、複数個のプログラムが流れている(実行されている)ことを言います。神プログラム が多数ある中、同様に現象生起のプログラムも複数個流れることが可能です。そして、個々のプログラムは、索引してくるデーター領域もそれぞれ独立し、不測 の領域侵犯がないように監視されています。

バグによるメモリ侵犯のときは、プログラムダウン、場合によってはそのエラーでシステムダウン(フリーズしてしまう)になります。しかし、PCが、これも 個性ですが、プログラム間のデーター授受において融通性を持たせている場合もあり、その場合はエラーにはなりません。

その好例が夢見です。夢の時空体験は、多くの場合、目が覚めてしばらくすると忘れてしまいます。これは本来、別プログラムのデーターなので、こちらに渡っ てきてはならなかったものだからです。また逆に、こちらの時空の記憶が、夢時空の側で生かされることがほとんどないのも、同じ理由によります。

また、多数のプログラムが並存していても、動かないでいるプログラムもあれば、活発に動いているものもあり、PCの実行順序の制御は、めまぐるしくプログ ラム間を飛び回っていたりします。それでも、我々の観測時間に破断がないのは、見かけの時間がプログラムの命令語の実行に伴う観測事項だからです。

このように、PCの性質としての記憶領域の不可侵規則と、プログラムに対して固有の記憶領域であることから、そのプログラムが終了してスワップアウトして しまうと(あるいはPCメモリが十分に大きくてすべてメモリ上に収容できたとしても、原則的にデーター読み書きの侵犯が行われないようになっているから、 ひとつのプログラムが終了すればそのデーターも破棄され、他のプログラムが利用することはできない)、せっかくの記憶も同時に消滅するわけです。だから、 記憶の貯蔵所がどこか別にあってもいいではないかということになります。

その機能を受け持つのが、長寿命の監督者レベルのプログラムであっても、あるいは過去録データーだけを保存しスタックする外部大記憶装置であっても、ある いはオンラインストレージであってもいいわ けです。PCではそのようにデーター保存の工夫をしていますし、実際、そのような機構が我々の潜在領域にはあるもののようです。

(四) 同一性能のPCなら同じ演算結果になるが、それぞれが持つ処理プログラムは相違してもいい

プログラムは、同じ方式を採用したCPUなら、どんなものでも同じ結果が得られます。ここに複数のプロセッサがあったとして、それが同じ方式なら、どれで 演算しても結果は同じになるということです。それが一物多観測の同一性です。ある人が同じりんごを見て赤いなら、その他の人も同じ観測結果になります。人 類に共通して同じプログラムが与えられているから、同じ観測結果を得るようになっているのです。

しかし、それぞれのプロセッササイドで、個々別々の固有で可変可能なプログラムを保有し二次演算処理するから、他人とは違った印象や思いを拾うことになり ます。それは広義の個性とも言うべきものです。そして、結果がフィードバックされて次のルート選択に反映されます。個性の違いによって、選び取る未来が異 なってきます。

(五) リエントラント構造プログラムの性質から驚くような話も出てくる

いっぽう、ホログラムメモリに書かれたプログラムは、それぞれがリエントラント(再入可能)構造になっているだろうことが言えます。これによって、パラレ ルワールドの未経験の領域が、自分のPCによらずとも別のPCによって、実行されてもいいようになっていると予見されます。PCの数が無限数あるなら、 パラレルワールドが無限通りあるとしても、すべて精査し尽くされることも可能になる仕組みです。

たとえば、誰か任意の超有名人を、誰か別人が体験したいというなら、それが可能になるという不思議なこともありえます。私はクレオパトラの過去世があると いう人が、あっちにもこっちにもいても不思議ではないのです。もしこの世に霊能者がいっぱいいたら、彼らに見てもらった多くの人々の中から、きっと怒号が 上がるかもしれないですね。いったい誰がほんとうなんだ、と。が、正視できる霊能者にかかった場合、それはみんな正解ということになるのです。

またリエントラント構造であることから、自分のPCにおいて時間を逆に辿ることも可能になるのです。つまりタイムマシンが原理的に可能になります。ただ し、PCは命令語群を逆順に実 行することはできませんから、ある過去にジャンプしたなら、そこを新たな開始点として自己のベースレジスタに登録し、そこから実行を始 めることになります。

ビデオを逆回し再生するようなことが不可能なのは、ノイマン型PCの宿命です。(ソフト的に工夫すればできますが) 死後に経験するという生前記憶のフ ラッシュバック再生も、写真モードであるか、動画でも小刻みに過去時間にジャンプさせているかのどちらかです。写真を逆順に並べてパラパラ漫画的に再生す ることで逆回しも可能にはなりますが、本人にとって意味不明なものになるでしょう。 因果律は、命令語の実行順序によって担保されているものだからで、我 々のPCには非因果律性のものを分析し認識するルーチンが備わっていないからです。

(六) タイムマシンの概念

タイムマシンによって起きる事象はこうなります。PCの中では、環境を記述した未来時空のプログラムがスワップアウトされて消滅し、過去時空プログラムが ローディングされて、再開始されるわけですが、本人の身体は保全されていますから、彼の経験してきたことの記憶も保全されたままです。

こうして彼は、自分の脳あるいはマシンに組み込まれた記憶を頼りに、時空航行していくことになるのです。それがタイムマシンの姿です。脳は経験された内容 を連合して記憶し、経験的に一連のものとして理解します。いっぽうマシンの記憶は、元に戻るときのためのチェックポイント座標位置と変位時間です。それが さらに進歩すると、連続的なルート座標情報として記憶します。UFOは時空間両用のジャンプマシンであり、正確なルート情報を確保します。

ジョン・タイターは、1980年代にやってきて、1975年製のIBM5100を入手して去っていったとされていますが、このコンピューターもノイマン型 です。だから、拙モデルが有効であるというわけが後でわかってきます。