はじめに私は、夢見で啓発されることを多く体験しておりまして、けっこう特殊な能力なんだろうと思っていたのですが、ヘミシンクという方法に よって非常に簡単に夢見体験ができることを知りました。その方たちは、夜の眠りの時間帯を、レム睡眠、ノンレム睡眠の一周期ごとに、明晰夢で異界体験をし て、そのたびに日記をつけるごとく、夢の内容を記述していかれているそうです。いや、実にすごい時代になりました。
やはり、明晰夢というのは、肉体ではない別の身体での体験であるようで、現実を総合的に別世界からの視点で捉えることのたいせつさを教 えてくれるように思います。 ヘミシンクは夢見世界の体験ツールとして体系づけられていますが、私は長年にわたる人生の中で、不意にやってくる夢見の機会を大事にし て、しっかり記憶し、何らかの書物にしたいと思っておりました。よって、夢見は数少ないです。 しかし、とても示唆に富んでおりまして、私がこの一生を謎解きに充てたと仮定しますと、謎解きのヒントを提示してくれたのが夢見の内容 だったことが多いのです。しかもそれが後で線形の繋がりを見せてくるものですから、希少な経験ではあっても、その時点で逐一、分析を自分なりにしておくこ とが大事になり、その謎解きをするのがまた面白いという繰り返しでやってまいったような次第です。
私は自ら夢のコントロールをすることはあまりできません。しかし、おそらく守護霊といいますか、何者かが、啓発すべきことの必要に応じ て私を特殊な視座にいざなうもののようです。 ノーコンなれどけっこう的確な夢見。これが私の夢見のモットーになっているように思います。
よく夢で大災害の夢をご覧になる方がおられます。ほんとうにそれが起きてしまった場 合、つまり正夢だった場合、ご本人もそうとう苦しまれるのだろうと思います。 私の場合は、大災害の夢は、そう、一度だけ大津波がやってきて、私自身が呑み込まれてしまう夢を見たことがありますが、自分自身は何の恐怖もなく、おお、 やってきたという感じでぼおっと見ていたのを憶えています。 むろん今までそれが正夢になった経験は無いのですが。 (すでに死んでますわな) しかし、選択肢の中のパラレルワールドでのタイムラインの出来事なのかもしれないことなどをつらつら思ってみたりするのは、奇 人の私ぐらいかも知れませんね。
事が私事に関する夢では、多く正夢になった経験があります。正夢というより、同時並行的に私の知らない事象が進行していて、それを知ら
ないはずなのに、象徴夢として見てしまうといったものがあります。中には予知夢もあります。
死せる父、夢枕に (1980年)父が死に至る症状で倒れたとき、ちょうどその時刻に、下顎の臼歯がひとつ、前後に真っ二つに割れて、内側が取れてしまうという出来事が
発生しました。 それから数か月後に、今度は母が、「やっとお父ちゃん、夢に出てきたわ」と話してくれるに、父は「今晩の七時半からテレビに出るから見 といてくれ」と言ったそうです。 さっそく私は、朝刊を持ってきてテレビ番組欄を見ると、メジャー局ではそれらしい番組はなかったですが、ローカル局のサンテレビで夜の 七時半から「丹後の伊根はパラダイス」という別荘地分譲会社主催の番組が載っていたのです。 これだれこれだと、母に説明すると、「それなら今晩見とくわ」とのこと。私もポータブルデッキ型の録画機に録画予約して仕事に出まし た。(この録画機・シャープのマイビデオは、小西六カメラとセットで初めてUFO撮影して成功した機材です) さて、仕事から帰って母に問いますと、母は「じっくり見とったけど、出てこんかったよ」と言います。 まあたぶん、幽霊だから無理だろうとは思いつつも、録画機を再生しますと、やはり発見できませんでした。 霊能者ならば見えたりもするのでしょうが、そんな資質もなく、しょうがないなあ、またお父ちゃん、夢に出てきてや、で終わったわけでし た。 父は、たぶんいちばん懐かしい故郷の地に戻っていったのでしょう。そこは父がまだ子供の頃に、野山を駆けたり海に潜ったりして、友達や 兄弟や両親や村の人と過ごした土地でした。 その後、墓は神戸市のほうに移転しましたが、父には故郷が離れられなかったのではなかったでしょうか。 父よ、ご苦労様でした。ゆっくりしててください。
先祖の御霊を移転したとき (1981年)私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていました。 母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。 私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその
根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ています。 現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的な観念世界における儀式上の魂抜きなので
す。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。 母が生前戒名を受けたとき (1981年)父が亡くなったときの戒名を、神戸に先祖の御霊を移転した際に、新しい菩提寺にもう一度付け替えてもらったのですが、そのとき、母も生
前戒名を作ってもらったのでした。 天使の顔を見れば、まぎれもなく母の顔でした。 さらに戒名にいたって、月の天使として現れたこと。まだ母は当時ぴんぴんして生きていましたが、私に前もって正体を見せてくれたに違い
ないと思っています。と同時に、戒名さえも(霊)体を顕すのではないかと思ったことでした。 白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)白球UFOがすいすい出てくる夢は、実際にUFO観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤いブーメラン型UFOの"続編"として見て います。 UFOを初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私を友達にしてくれますか」の問いでし た。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型UFO)で、視野のど真ん中に現れました。 その数日後の就寝時から、夢に白球型UFOが登場するようになりました。たいがい夢に出てくるときは、満天の星の夜空を、複数機でみず すましのようにすいすい飛び抜けるシーンでした。それはまさに、私を友達として誘うかのようでした。
詳細は「奥 人のユーホー体験」をご覧ください。 また、ホームページにもあらましを載せています。 ⇒ UFO撮影同道記
また、この話には後日譚があります。夢で見た白球UFOが実在することがわかり、またそれに関わることになるのです。
その後の展開
白球UFOが本当に存在していることを確認したのは、同じようにすいすいとまではいかないまでも、ゆっくりと群れて飛んでいる映像や写
真を見てのことです。 中でも、身近なところでは坂本廣志さんが、フジテレビ系の「100年後の超偉人伝」の取材ロケ日の前日の午後3時過ぎに白球UFOの大群を撮るという快挙をし、番組で放
映されています。
いかに夢の白球UFOが私たちの傍に現実化してきているか。むろん自分でも単体でなら目撃しながら撮影していますし、撮りっぱなしのビデオカメラになら8機の白球 UFOが写っていたこともあり、目撃だけなら六甲山におけるGの嵐のロケの最中に、終盤で多数の白球UFOの出現 (私の肉眼では肌色に見えたが、テレビカメラには白球UFOとして写っていた) を目撃しています。
そして、最近では、武良さんが、たけしの番組で白球UFOを呼び寄せ、「UFOを呼べる男」として、マスコミデビューされるようになり ました。
追記 2016年には米国でコーリー・グッドとデビッド・ウイ ルコックのテレビ対談によって宇宙的情報開示が開始され、2017年 にはその邦訳がネット上に出されて、「よくある質問」コーナーにスフィアビーイング(球体存在)とのファーストコンタクトがいかな る手順で行われるかが載せられておりました。 質問者に対するコーリー・グッドの解答によると・・・ ------------------------ Q47 スフィア・ビーイング・アライアンスは地球上の人達と夢を通じてコンタクトを始めるのですか? A47 はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。 どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未 知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。 潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受 け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。 これはいかなる場合であろうと例外はありません。 ------------------------ とのことで、私はどうやらスフィアビーイングとのファー ストコンタクトをしてしまい、さらに後年に瞑想中に眉間から飛び込まれるという衝撃的なセカンドコンタクトをしてしまったようです。
英国紳士風宇宙人の訪問の夢 (1977年)私が名古屋にいた27歳頃のこと、シンバル状UFO2機に乗ってやってきた二人の英国紳士風宇宙人が、神戸の実家(ここには小学〜大学
の頃に住んでいました)に訪問してきて、歓談している夢を見ました。
天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。
空からは微妙に天楽(コーラス)らしき音もしています。
「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。 そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。 分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒 で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。 しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。
つまり、不吉な話ではありますが、私が逝く前後ぐらいに何らかの災害が起きるのかも知れないと思ったりします。 https://twitter.com/1st64503291/status/1182973554385514496
幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)もう昔のこと、40歳過ぎの頃(1990年頃)、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れませんが、俗に言う"金縛り"から "幽体離脱"に至り、さらに"夢見(夢と意識している夢)"へと入っていくことが、しばしば起きました。 そのようなことが頻繁でしたので、興味して幽体とやらの性質を調べたりもしたものでした。 壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、幽体離脱させて夢のコントロールへと入っていくのです。 ヘリコプターの近くにいるような音で、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようです。しかし、何度も金縛りをしているうちに、
爆音もさほど大きくなくなりまた柔らかくなり、慣れのようなものができてきます。 ちょうど、高度1万メートルほどの上空の成層圏から空を眺めたような感じでしょうか。 太陽がせせらぎに照り返してふわふわ揺れていても、水面全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようで した。 別のいいやり方はいっぱいあるとは思うのですが、安価に済むため素人判断で偶然そ うしてしまったのでした。 そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところです。 こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっているのです。他人の目からは奇異に映っていると思います
が。
追記 しかし、それは 還暦ほどになる韓国人のお姉さんでした。ということは、私はこの女性の視座を借りて夢を見ていたことになるのかなあ。2014年11月に達成したことにな りますか。
なお、一度目は、ベレー帽を被っていませんでした。ところが、滅多に被らないベレー帽姿を偶然目撃されてしまったのも、この女性によったのです。ふつう山暮らしでベレー帽 などしません・・・いつもは無帽か野球帽なもので。
さてさらに、2013年になって飼い猫のトラブルから山奥に廃屋付土地を安価に購入したのですが、そこに夢で見たような"せせらぎ"が 流れているのです。廃屋に入る階段がそのせせらぎをまたぐようになっており、もしこの廃屋がなかったら、夢の光景に近いことでしょう。廃屋は当初から未登 記状態なので、ないに等しいといえば、そうなるかも。
他人の視座に入って夢見するか (2006年12月18日)
金正日の側近の視座に入ったかのような夢 ----------------------------------------- 「夢に胡蝶となる」とは中国の荘子の夢体験。 (1.5mほど隣で見てるんだ。質感を伴ってリアルなことと言ったらない)
彼女の視座に入ったかのような夢 -------------------------------------------
私は、若い女になった夢を見た。 自分の異様な発言に気がついて、エエーッと思った時点で目が覚めたのであった。
これにはその後譚があって、彼女のご主人はふだんから高田純二のようなおどけ方をすると聞かされた。 てことは、おいおい、あの時のオレは君の視座にいて、ご主人から口説かれてたのか。 ウワーッ、それって浮気にならないか? いや、オレのほうが不倫だったか。ああ、混乱。
とすると、あのカフェテラスは沖縄のビーチサイドのスキューバレジャーのオープンカフェテラスかなんかだったのかなあ。 いったい私は、どんな能力を身に着けようとしているのであろうか。
火星への旅行者の視座に入ったらしい夢 ------------------------------------------- これはいつごろ見た夢か、忘れてしまったのだが、たぶん30歳代の頃の夢だったろう。 旅行者は案内の導師に導かれて、火星の遺跡地帯に行ったようである。 私が見た夢の光景は、砂塵舞う中に古代ギリシャ風の衣装を着て、右手の方向を示している導師の姿と、導師越しに遠くピラミッドが二基、 重なるようにして存在している様であった。 ところが、導師の示す方向を、私の視座の人物は見ているらしく、「ああっ、ポースの丘だ」と叫んだのである。 視座の人物はどうやら、火星のこの場所の記憶があるらしかった。 私は結局その方向を見ることはできずに目が覚めてしまった。 だが、なんとなく彼が見たのは、人面岩の遺構のような気がしたのである。 過去のブログにこんな記載をしている。 -------------------------------------------
夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)私は50歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりまし た。
その進 行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においても カナメとなるシーンをいくつも見ています。 その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。 以下の人名は新神話上での名前です。 私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょう。 以後、彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。
彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。私は朱雀(鳳)ですから、鳳龍合体という瑞兆吉祥だったことになりましょうか。
夢の詳細 (別記事から転載)
弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。 (僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー) どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか? そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入ってきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込 んだのだ。 うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。
彼女に夢のあらましを話し、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。
彼女は、それ以前から私の部屋に意識を飛ばして何度も行ったのだが、何か壁のようなものがあってどうしても入れなかったという。私はそ の原因が、当時、ドアの内側に貼っていたサイババさんのポスターかと思い、彼女の指摘があった日に、セロテープで止めていた四隅を外し、取り去っていたの である。 サイババさんにはとてもお世話になっていて、申し訳なかったのだが、どうも原因がこれらしいと感じたので、取ってしまった。 すると間もなくしたこの日に、夢の中に本体を顕わしてやってきてくれたのだった。
夢で彼女を羽根天使と見た (2007年1月16日)これも不思議な夢で、私はどこかの室内に篭っていたのです。ところが、大きな羽根の白衣の天使が部屋に来て、それが彼女(カンナオビ) なんですね。 彼女が 天井を指差すと、その一角が破損していて、青空が見えているんです。そこから彼女は出ようとするので、付いて出ました。
夢の詳細 (別記事から転載)
白龍に胸に飛び込まれた二日後の16日の未明の夢だ。 その一つ目は危機一髪といったものだった。
母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。 ⇒ 「鵺
は鳴くなる」 この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方で
した。 バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多に
あるものではない、とても長い夢でした。
さて、この話に
は後日譚があるのです。そのお
見送りの場所が、ほんとう に実在したのです。 違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。 山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことで、ご来光の写真をよくご
覧ください。
左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロになっています。
なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の"とば口"を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情 閣での出来事でありまして、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第 一」だったことによります。 詳細は、不思議体験談の「鶴亀すべる移情閣」の項目をご覧ください。 ⇒ 新神話を賦活した2人の弁才天
さらにたいせつなことがわかりま した。 彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりで
す。 以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。 古事記にも想いのすれ違いから子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。 上の写真は、亡くなる前日のちゅらうみ水族館内での撮影です。 六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。 母が探しものをして、うずくまってしまった夢 (2007年10月2日)よい夢もあれば、悪い夢もあります。とくに悪い夢は、後々まで心に傷が残ります。それが正夢であれば(らしければ)なおのこと。
別記事から転載
申し訳ないという思いが薄れると、今度は慢心が頭をもたげてくるのが私の短所だ。
祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。
そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。
ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。 その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくするしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。 目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だっ た。 あれは死後の世界なのか?
母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月)これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。 母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月)2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。 般若心経が原因?
その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経 の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。 鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世 に引き留めるような呪いを篭めているというのです。 そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはなくな りました。 寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。 Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。
彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)高野山金剛峰寺に詣でた際、彼女によって弥勒らしい六角オーブが撮影されている(弥勒=身六?)
見れば、六角オーブの中には、大黒様の被るような頭巾をつけた顎鬚の濃い顔が出ているように見えます。
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/mirokukorinn.htm (これは当時のコメンテーター諸氏との分析の有様です) 彼女は仏教や民間説話に造詣がさほどなかったので、彼女の見た夢、体験談、撮影された写真などはすべて私が解析していたわけですが、こ のときには若乃花(若貴兄弟のお兄ちゃん) に似たお坊さんが光物を抱えて夢の中に出てきて、「まもなくお生まれになるぞ」とだけ彼女に告げたといいます。しかし、彼女には予備知識がなく、本人だけ で の夢解釈は困難なのでした。 ところが、彼女と私がタイアップしていたことで、空海和尚は、私の支援を頼みとしてお告げをもたらされたと解釈できました。 その私においても、彩明日迦氏の 「弥勒降臨」という著書が、拙著書「古代日本にカバラが来ていた」から多く引用しているとの知人の知らせによって、買ってまで調べたために、この ことにつ き予備知識したようなことだったのでして、それなしでは、私も何の予備知識もなかったはずなのです。 縁の連鎖が、このような解読を可能にしていたことを知っていただければと思います。 また、金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上に、亀甲紋六角オーブは写っており、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりま した。 彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことに なりそうな感があります。ただし、籠の中の鳥とは何ぞやについては、 すでに我々にとっていくつもの兆候のあった「火の鳥」であるに違いありません。それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。 また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。 いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、その辺はよくわかりません。
奥山の庵にやってきた三猫を白虎と狛犬のつがいと見た夢 (2009年11月)経緯の詳細はここをご覧ください。新神話の成り行き上、非常に大事な箇所でもあるのです。 我が家の子猫紹介・そのに と 今朝未明の不思議夢
夢と夢に直接関連する箇所だけ抜粋します。
今朝未明の不思議夢・・・別和尚は人面獣身だった
長い夢の最後のほうなのだろう、お寺の傍の民家に居て、和尚さんとのいろんなストーリーがあったのだと思うが忘却。私はそのお寺の檀家
の世話役のような感じではなかったか。お寺には恰幅のいい住職と、背が低い野武士のようないかつい顔の副住職がいて、住職の後を副住職がついて行くのに、
袈裟衣を床に引きずって歩いているのである。
元の飼い主にリコール要求したものの、白虎だとなれば、どうしていいか。つまり、お客人だ。 子猫との関わりがうまくできず、敵対的に見てしまうため、父親代わりをブーがしていました。 白虎のフーが行方不明になる一日前の未明に見た夢 (2010年10月)フーが失踪したのは2010年10月5日でしたか。 出雲大社で起きた夢を見た・・・それも神世の出雲大社? (2013年5月11日)出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。その翌日未明に(3時頃から4時頃にかけて)不思議な夢を見
ました。
2010年5月にカンナオビは逝去し、本体の奥津嶋姫様は、ご主人である大国主命のおられる出雲大社におそらく還られたのだ。
すごいシンクロになった。アメノホヒの神話上の息子は、幼名が天の雛鳥(アメノヒナド
リ)で、後の建比良鳥(タケヒラトリ)となる者とされるのだ。この方面からもいっそうアメノホヒの線は濃厚になった。
すでに亡き彼女が別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)当時のブログ記事から転載します。
---------------------------------------------- つい先ほどのこと。午前4時台の夢で、すでになき彼女(2010.5.15没)が別のタイムラインを生きている夢を見ました。 すると下の観客席から花束の贈呈があり、彼女がそれをもらい受けると同時に、檀上に向かって両サイドから放水されるという(きっとバラ エティー番組だろう)びっくりさせられるようなシーンがそこにありました。 水になじんだ人だったから。でも、気をつけてほしいな。 きっと、その実質版が別のタイムラインでの実演といった感じでしょうか。
カンナオビ(彼女の新神話名)さん、そちらでしっかり女優歌手を実現してください。
白猫シャンが、この世で果たせぬ夢(子供を産み育てる)を、異界で果たしている夢を見た (2013年12月)2013年12月8日の未明。夢の中ではいきなり子猫の一匹が、私の目の前に押し出されてきて、私はもうこれ以上、育てられんぞと、向
うに押しやったのでしたが、またその向うに二匹の子猫がいて、それらすべてが、白色に橙色の斑点をしていて、そこで目が覚めました。 最愛の彼女がくれた14年が満了する直前に、千の風になる体験をする (2013年12月11日)2013年12月11日の午前2時のこと。空を飛んでいる夢に続いて、自分の体に意識が戻ると、呼気がすべて抜けていき死を実感、頭頂
から魂が抜けて、前の空飛ぶ夢の続きを見ているという具合の夢でした。
透明の私が、高いマンション風の建物の上を通過し、いきなり高度感が増しますと、後ろから複数の「うわー」という女人の声が聞こえまし た。私は、「大丈夫だよ、任しとき」と答えました。 眼下には、ビーチサイドがあり、左手が海のようで、右手の内陸部には観覧車や円筒形のクッキー缶のような建物があり、ちょうどいいかと
思い、「あの辺に下りようか」と声をかけて、ゆっくり下りて行くところで目が覚めたのでした。 こんなにいきなり空を軽やかに飛んだ夢は、後にも先にも初めて。魂の軽さを味わうことができました。 そうなるには、イザナギノミコトの心構えが必要になるように思いました。 古事記の神話は、虎の巻にもなっているようです。
このいっぷう変わった概念を理解するおつもりでしたら、こ ちらをご精読く ださい。
2014年から第四時空の展開・・・夢に神世の詮議の次第を伺う (2014年5月3日)2014年4月になって、ある方のサイトの記事から、見落しがあることを知り、かつて(2001年)イナンナ
から聞き知っていた、大事な二地点である国祖神封印場所を思い出して、直線(最短距離線)を引いて既発見図形に加味したところ、驚異的な発見がありまし
た。 構図を見る限り、念には念を入れて、呪封してあることが歴然で、単なるオカルトと一笑に伏せないこと。
封印を解くためのツールが揃うまで、すぐには取り掛かれなかったのですが、5月1日には手元に
揃い、夕刻に一回目の封印解除を行いまし
た。 それが神棚でいっそうのバリューとパワーを増し、封印幾何学図形に対して解除命令を放つと見立てます。
すると、当日の午前中(10時過ぎ)から、飛騨地方で地震が群発し始めました。 封印解除の場合は、利他的な良いことなので、災害にはなりません。
夢で国常立尊に会う (2014年5月8日)以前にも、国祖神ご夫妻を火の鳥によって救出に行く行程を、二人の協力者それぞれにおいて執り行っているのですが、今回のものは、新発
見図形のこともあ り、どうしてもご本人のご様子を知りたくて、参りました。5月8日未明のことです。
もしかしたら、次のような理由だったかも知れません。
またもういちどお会いして、様子を見てきたく思いますが、今度はなかなか夢が見れなくなってしまいました。 なんでかって? ちょっとした下界の出来事に影響されるのです。 追記 ところが、この世にいる別人から、国常立神様のよすがを知ることがで きました。それも二方向からの情報です。 ひとつは2015年3月にアストラルボディである場所を探訪された方 の2012年時点の情報で、イラスト付きで示され、2015年9月 には、天照さんの依り代の人物の案内で、国常立神様似の人物に出会えたことで、現状が把握できました。その人物は、とても柔和で、嬉しそうにしておられま した。 求めよ、さらば与えられんを如実に示す成り行きでした。
夢で弁天三姉妹神、出立さる (2014年5月10日)私は長くタクシー運転手をしていたため、よくお客さんを自車にお乗せする夢を見るのですが、このたびも、スチュワーデス姿の三人の美女
を後部座席にお乗せ したのです。
そのとき、神の計らいとは、かくも妙なるものかと痛感したしだいでした。 霊的な封印は、化身してからの人生にも不自由や不遇として現出するもののようです。だから、解除して自由にしてあげる必要があるので
す。 芦屋道満宮司に出会うか (2014年5月13日)夢の中で、私はどこにあるかは知らない社寺らしきところで、白装束うす黄袴の宮司らしき年配の人に出会い、さらに奥にある旧い道教寺院
のような、謎掛けに満ちた造りの、横長長方形を主体にした彫刻の壁のところに連れていかれ、宮司さんが手渡す二つの木製らしき鍵を、四つか五つある鍵穴差
しのようになった長方形の中に差し込むように指示されました。 それらの行為により、扉は開かれたように思いますが、それから先は記憶にないのです。 何の扉だったかについては推測でしかありませんが、書庫のような感がありました。 芦屋神社の磐座にもなっているそうです。(芦屋神社は道満の神社ではないとされますが、私は道満が司祭していたと思います)
ところが天狗さんたちは、仏教僧侶(空海?)の呪法によって封印されてしまったようです。 そしてみんな封印解除をして差し上げられたように思います。 これは、天狗さんたちが封印呪詛されたときの金型を脱ぎ捨てて、置いて行かれたのではないかと解釈しています。 まとめはここに。⇒ 天狗様
たちの封印解除は謎解きによる 5月20日未明から明け方にかけての夢・・・祖母が夢に (2014年5月20日)この夢の内容は、起床してすぐに○○氏あてのメールにしたため送りました。 (それも問題ないようです。私には内なる自分・ハイアーセルフがいて、神霊の行動については彼がやってくれる見込みです。付き合わされ る場合は従いますが、私にもお閑をいただける時がほしいですからね)
6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて (2014年6月25日)6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて、なにやら彫像を運んできた・・・髑髏ダビデ像
考察ですが・・・
7月になって、イスラエルがパレスチナのガザを攻撃し始めた。 怖い話やのう。
いよいよキモイ夢を見てしまうようになり・・・地獄門が開く (2014年8月10日)いよいよキモイ夢を見てしまうようになりました・・・地獄門が開く 2014.8.10 午前6時過ぎの夢 しかも横から見るすべのものでもありません。 ちょうど、現在がそのような感じになっています。 イザナミの態様はそのように形容されていました。
その夢を見た当日の我が家でのことです。キッチンの辺りに何か影のような ものが走るのです。やがてうちの猫のトンがやってきて、何もないはずの場所をずっと注視していました。どうやら、猫には霊体が見えるようで、「そうか、お 前、分かるんだな」と褒めてやりました。猫はそうやって、家に侵入してくる霊的なものから我が家を守ってくれているようです。 午前中に何度か影が走りましたが、午後からはいなくなったようでした。ト イレに戻ったのか、それとも巷に出て行ったのか。影のような気配がすることの意味は、こちらに書いています。 ⇒ 幽体を自分の目で見ると
○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる (2014年9月7日)○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる 2014.9.7午前5時の夢
とにかく、鶴亀が一堂に会するということが、いかにパワフルな魔法を起動するかを、如実に物語ることと思う次第だ。
ただいま、亀さん募集中。
とんでもない人物に出会い両手で固く握手し、彼が亀に変貌する夢 (2014.年12月6日)久々の12月6日未明の夢になったが、とんでもない人物P氏に出会い、そのとき満面の笑み同士、どちらからともなく歩み寄り両手を握り
合った。 いやいや、年金がフルに入ることになりましたのです。これは瑞兆でしょう。
追記 P氏は翌2015年になってから目覚ましい活躍をされる ようになった。その道では世界一と言っていいだろう。 鶴亀パワーが乗っかっていると思えたことか。 ○○氏が怖じられた直後のこと。亀さん候補はけっこうお られるようで、まだまだ募集中だ。
追記2 2017年になって、私は米国でテレビ放映されている
コーリー・グッドVSデビッド・ウイルコック対談のコズミックディスクロージャーの邦訳情報の存在を知ることになった。 それによれば、2014年12月5日に、
地球人類を支配していた宇宙人グループ・ドラコ同盟にとって、地球からの撤退を余儀なくされる決定的な事件があり、それを境に、同同盟傘下にある
地上代理
店組織の内紛分裂が始まり、第三次大戦が回避される見込みが出てきたらしい。その一環として世界情勢は、代理店組織の予定通りにはいかなくなったもよう。 その翌日未明に見た夢がこれであるとは、いかなること か。私は自分の夢見をコントロールなどできたためしはなく、我がハイアーセルフが手綱を引いて連れて行ってくれる場所で見てくるだけの役割。そんなことが 最近わかってきて、大それた夢の中での行動の責任を痛感せずともいいような気がしてきている。私はただ見てきたことを憶えている限り、こうしたところに書 きつけるだけである。 ※ この節のP氏とはロシアのプーチン氏の ことである。 雌雄の蜘蛛の巣の夢・・・ELIZAか (2015年1月20日)関尭夫氏のテレビ番組を見て以後、ELIZAの謎に想いを馳せていたときの夢になります。
2015.1.20明け方に鮮明な夢を見ました。 そのときは仮定的にELIZAがこの世ゲームの主催者であろうとした上でする、対話モードになっていました。 追記 「ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマ」のアニメ版とも言えそ うな映画を2015年に見た。ディズニー映画の「リトルプリンス(星の王子さま)」である。そこでは、未来において、金満家によって万民の"星"すなわち 魂が、ガラスケースのシリンダーの中に入れられ、攪拌されている様子として映し出されていた。魂を盗られた人々は、金満家の星でロボットの如く働かされて いたのである。金満家は、シリンダー内の星を攪拌することで、彼の星全体をまかなうエネルギーを得ていた。
源流へと辿る夢 (2015年1月22日)スミルノフの佐野博士の話では、微細構造定数137というのが、地球が全宇宙を分割して137番目にできたということを表わすらしいで
す。もしそうなら、拙超宇宙モデル概念からしますと、我々の意識(神の火花)は、137階層目の夢見をしていることになると解釈できます。
この奇妙な話題については、拙超宇宙論へ の理解が必要かもしれません。
また別の有名人と握手する夢 (2015年1月30日)前に見た有名人との握手の夢は昨年12月6日未明のことでした。 しかし、前回のように鶴亀すべるという印象はありませんでした。 それでも、笑顔で何のこだわりもなくお互い両手で固く握手。 いや、年金がフルにいただけるようになりました。これは助かった。(歳がわかってしまうなあ) 2月8日のほうも、結局何もありませんでした。
※ Sさんとは、習近平さんです。 さてその後、2015年4月には、ヘミシンクによる体外離脱で夢見を恒常的に体験しているブロガーさんたちのことを知り、
私の超常的夢見などは井の中の蛙であるなあと痛感しました。まあ、そのせいかどうかわかりませんが、その後、印象に残るような夢があまり得られていないの
です。 むろん、顕著な夢見があればこの後に書き加えていきたく思います。
※ 編集後に書き洩らしていた明晰夢がいくつか出てきま した。しおりによるリンクが崩れるのを避けるため、思い出された過去の夢もこの後に追加して参ることにいたします。 今のところ、 初代目のマイカーを手放す日の未明の夢・・・車にも魂が あることが判明 (1977年) 祖母と叔母、そして私とで薄暗い部屋で会談している 夢・・・お迎えの予兆(2002,3年) 他所猫の襲撃と帰順の夢・・・正夢 (2010年) 他所猫がブーを襲撃しようとするのをナタで切りつける 夢・・・ほぼ正夢になった (2011年) 2015年9月10日未明に母が私が運転す る車に荷物を載せ、私は黄色のうんこのおちた白い道を注意しながら進むという明晰夢・・・翌日G氏と出会い、実際の現場に案内される正 夢となった 2016年元旦未明の夢 2016年正月2日未明の夢
こうしたものがありました。
日月の神の言い回しで、開き木と・・・(2017.4.6)
深夜に奇妙な謎かけのような夢とメッセージが、どこからともなく・・・
「開きキと言ってあろうがな」 というテロップが流れて、目の前にさほど太くはない丸太が横になって出てきました。
まるで、日月神示の日月神の言い回しに似ています。
「ひらきき」とは、それ以前に、K氏が薩摩の出身で、開聞岳の秀麗さに古代的な思いをして、私に謎振りをしてきていたのです。
開聞岳の北側には枚聞(ひらきき)神社というところがあり、「かいもん」だけではない、大和言葉の含みが示されているようでした。
それから、またさらに、開き木、開きキとも書ける含みの多い言葉ですね。
いったい、この意味は何なのだと日月神示を見ますと、「おおひつきのおおかみ」とある言葉の真ん中の「き」が、
丸に十の字になっていたのです。新たな発見でした。
てことは、この記号の中味を開けて解けという意味に解釈できるわけです。
キとは、もしかすると生命の木(セフィロート)のことなら、丸に十の字とは、セフィラのことであり、そのような十字が交差するセ
フィラなど、10のセフィラにはないのです。
ところが、裏側のセフィラとされるダアトだけは、その場合に該当するので、日月神らしき方の示唆は、ダアトを開けろになると解釈さ
れます。
それを開けたなら、生命の木全体も開くということかなと思います。
さて、そこから、次のような推理展開になって参りました。
久々の明晰夢・・・亡き母が夢に出てきて、一緒に家を出ようと言った(2017.5.27)
2017年5月27日未明に見た夢です。
どこかの館の中での様々な登場人物のいるごちゃごちゃした夢(記憶していない)の最後のあたりで、私を含む四人の男性が、畳の部屋
で研修会のような長テーブルを前にくつろいで座り、何やら談笑していました。
すぐ右隣りの人は、前の職場で知り合っていた悪ふざけ仲間で、その彼がまたずいぶん若いのです。せいぜい20歳頃までの皴ひとつな
い顔をしていて、元々男前なので何と言いますか、△△ダチにしてもいいような感じ。夢の中でも数十センチのところまで接近していましたね。(笑)
その彼とどんな話か(忘れました)を交わしていた直後です。 私の左手方向に襖の扉があるのですが、右にいた彼が誰か外に来ていることに気付き、誰か来てる風だと指し示したので、私はそこを見る と、わずかに開いた向こうに人影があるんですね。
それで私は、「入っていらっしゃいよ」と声をかけ手招きしますと、襖が少し開いて、何とそこに私の母が顔だけ覗かせて、「○○と一
緒に家を出るんよ」と言うのです。明らかに母の声。○○とは私の下の名前。母はせいぜい30歳代の若い頃の顔でしたが、やや悲し気な表情に見えました。
そこまでで夢が覚めてしまいましたが、今回の夢は、最後のほうが鮮明な明晰夢になっているのです。
母は2007年9月6日に亡くなり、同年9月22日未明にご
来光に至る夢の主賓として出てきて、その後も何度か私の夢に登場していますが、いつのときもシンクロに満ちた謎かけが付帯していることに思い至り
ます。
今回の夢解釈は、ズバリ、私を迎えに来てくれたのだと思います。
私は今年で心房細動歴20年になり、心臓が肥大して、肺全体の半分を占めていまして、心筋が収縮しなくなるのも時間の問題だと医師
からは聞いております。
お迎えらしい夢は、2002、3年頃に亡き祖父と亡き叔母が、暗い部屋の中で私を交えた三者で会談していまして、2002年11月
に突然倒れて死にかけたことがあり、そのすぐ後ぐらいの夢だったので、その手の夢かと思い、せっかくながら翌朝、九字切り術で撃退させてもらいまして、そ
の後お迎え事の夢は陰を潜めておりました。
が、2013年12月に、息
を引き取ると同時に千の風になる夢を見まして、その後2014年5月に亡き祖母
が無言でこちらを見ている夢を見て、その後しばらくなかったのですが、とうとう久々に母に会い、母の声を聞いてしまったということになります。
母が言った「家を出る」との家とは、この世界のことにほかならないでしょう。
仏教にいう南閻浮提とは、愉快極まる館と言われるこの世界のこととされますが、劫尽きたの感があります。
身命を賭して最後まで見届けをすべくやってまいりましたが、黄
泉度も深まりましたから、暇乞いをハイアーセルフにしていたところだったのです。
そんなときに見た母の夢でしたから、ハイアーセルフが図ってくれたものかと思います。
祖母もどうしておられるやら。 私は祖 母のしてくれた昔話を童話にしたとき、祖母を主人公のおばあさんになぞらえたのです。 そのおばあさんは、初孫の私が通りかかるまで、成仏する前の待機者の暮らす郷で待っているとしているのです。 それで2014年の5月の夢で、 祖母が家並みの前の道路で佇んでこちらを見ていたのかもしれません。 もしまだ彼岸に達されていないのなら、母共々行ってあげねばなりません。 私が、物書きして、そのような筋書きにしてしまっている以上、私の手で解除しなくてはなりません。
祖母は、母が亡くなってしばらく
しての夢の中に、母共々出てきて、そのいでたちが、墨染めの衣(瀬戸内寂聴さんのような)で、尼僧姿で、顔が赤子のような透き通った肌だったことにびっく
りしたような夢でしたが、この僧衣姿も、童話の筋書きからするとありうるのです。
さて、私はもうひとつ大それた夢を30歳頃に見ています。
多分これは、私の死後、ある特殊なスケジュールをこなすという夢だったようで、その内容は「天帝様にお 会いする」ことになる夢です。 といってもそのときは、まだ行くべき時ではないと、天への上昇を思いとどまって夢が覚めているので、その続きをやらねばならないかもし れないのです。 それにも夢解釈ができていまして、「最後の審判の督促」の用向きかと思われます。というのも、待機するたくさんの十字架群に先立って、 私が天に上がっていく夢だったものですから、彼ら敬虔なクリスチャン(故人)とは同じ趣旨であっても、先行して会いに行くことになろうかと思うのです。
しかしまあ、私には祖母や母と同行するというスケジュールもありますから、分身の術でも使わねばならないかとも思います が、つい最近、コー リー・グッドのコズミックディスクロージャー情報から、ハイアーセルフとの関係がわかってきていまして、どうやら高尚な用向きは、ハイアーセルフ に任せることができそうなので、私のような臆病者は、この世のお役が終われば、イザナギ様の要領でスタ コラさせていただくのが本当かと思います。 そして、祖母や母と共に、蓬莱島経由で彼岸に
至らせていただこうと思います。
すでにこの夢の続きになるような母と共に、琵琶湖らしき
場所の高速艇に乗る夢も見ていますからね。
さあ、それがいったいいつになるのか。
まもなくであることは間違いないでしょうが、猫三匹もおり、妹が難病で不自由の身であることもあり、やれるだけのことはやってあげ
ようと思っているような次第です。
母よ、すみませんが、もう少しばかりお待ちください。
追記 2018年2月 私は心筋梗塞を発症し、最初のカテーテル手術 同年3月 二度目のカテーテル手術 以後、中度の心不全となり現在まで奇跡的に生存しています。 世の中はめまぐるしく動き、まだもう少しウオッチすることがあったもようで、さらにケアしてやるべき猫のこともあったりや、妹の落ち着き先が決まらないう ちは、まだ逝くことはできないようです。 |