はじめに

私は、夢見で啓発されることを多く体験しておりまして、けっこう特殊な能力なんだろうと思っていたのですが、ヘミシンクという方法に よって非常に簡単に夢見体験ができることを知りました。その方たちは、夜の眠りの時間帯を、レム睡眠、ノンレム睡眠の一周期ごとに、明晰夢で異界体験をし て、そのたびに日記をつけるごとく、夢の内容を記述していかれているそうです。いや、実にすごい時代になりました。

 

やはり、明晰夢というのは、肉体ではない別の身体での体験であるようで、現実を総合的に別世界からの視点で捉えることのたいせつさを教 えてくれるように思います。

ヘミシンクは夢見世界の体験ツールとして体系づけられていますが、私は長年にわたる人生の中で、不意にやってくる夢見の機会を大事にし て、しっかり記憶し、何らかの書物にしたいと思っておりました。よって、夢見は数少ないです。

しかし、とても示唆に富んでおりまして、私がこの一生を謎解きに充てたと仮定しますと、謎解きのヒントを提示してくれたのが夢見の内容 だったことが多いのです。しかもそれが後で線形の繋がりを見せてくるものですから、希少な経験ではあっても、その時点で逐一、分析を自分なりにしておくこ とが大事になり、その謎解きをするのがまた面白いという繰り返しでやってまいったような次第です。

 

私は自ら夢のコントロールをすることはあまりできません。しかし、おそらく守護霊といいますか、何者かが、啓発すべきことの必要に応じ て私を特殊な視座にいざなうもののようです。

ノーコンなれどけっこう的確な夢見。これが私の夢見のモットーになっているように思います。

 

よく夢で大災害の夢をご覧になる方がおられます。ほんとうにそれが起きてしまった場 合、つまり正夢だった場合、ご本人もそうとう苦しまれるのだろうと思います。 私の場合は、大災害の夢は、そう、一度だけ大津波がやってきて、私自身が呑み込まれてしまう夢を見たことがありますが、自分自身は何の恐怖もなく、おお、 やってきたという感じでぼおっと見ていたのを憶えています。

むろん今までそれが正夢になった経験は無いのですが。 (すでに死んでますわな) しかし、選択肢の中のパラレルワールドでのタイムラインの出来事なのかもしれないことなどをつらつら思ってみたりするのは、奇 人の私ぐらいかも知れませんね。

 

事が私事に関する夢では、多く正夢になった経験があります。正夢というより、同時並行的に私の知らない事象が進行していて、それを知ら ないはずなのに、象徴夢として見てしまうといったものがあります。中には予知夢もあります。
主だったものは憶えているので、備忘録として、なるべく時系列を期して挙げていくことにいたします。

 

 


死せる父、夢枕に (1980年)

父が死に至る症状で倒れたとき、ちょうどその時刻に、下顎の臼歯がひとつ、前後に真っ二つに割れて、内側が取れてしまうという出来事が 発生しました。
病院で、父の臨終の間際、ベッドの向うになにやら揺らめきのような、ちらつきのようなものが立ち上るのを目撃。
父の死の二日目の未明に鮮明な夢を見て、そこに父が現れました。その内容をむかし書いたものがあるので、参照願えたらと思います。
「死せる父、夢枕に立つ」
そこでは、父がうちの家系の菩提寺にいて、赤銅色の丸柱の横の黒電話から電話してきたわけでした。(電話している父の様子がこちらには見えている)
私が「今どこに居るん」と問うと、「しんしょうじに居る」という父の返事。それが、母も私もその時点では知らないはずの父の田舎の菩提寺の名前であること は、実際に関わることになって初めて分かったことでした。丹後伊根町の振相寺がそれです。住職はしんそうじと呼んでいましたが、しんしょうじと呼べなくも なく、 父は若い頃にそう呼び習っていたのかも知れません。赤銅色の柱は実際にありましたが、そこに黒電話はありませんでした。

それから数か月後に、今度は母が、「やっとお父ちゃん、夢に出てきたわ」と話してくれるに、父は「今晩の七時半からテレビに出るから見 といてくれ」と言ったそうです。

さっそく私は、朝刊を持ってきてテレビ番組欄を見ると、メジャー局ではそれらしい番組はなかったですが、ローカル局のサンテレビで夜の 七時半から「丹後の伊根はパラダイス」という別荘地分譲会社主催の番組が載っていたのです。

これだれこれだと、母に説明すると、「それなら今晩見とくわ」とのこと。私もポータブルデッキ型の録画機に録画予約して仕事に出まし た。(この録画機・シャープのマイビデオは、小西六カメラとセットで初めてUFO撮影して成功した機材です)

さて、仕事から帰って母に問いますと、母は「じっくり見とったけど、出てこんかったよ」と言います。

まあたぶん、幽霊だから無理だろうとは思いつつも、録画機を再生しますと、やはり発見できませんでした。

霊能者ならば見えたりもするのでしょうが、そんな資質もなく、しょうがないなあ、またお父ちゃん、夢に出てきてや、で終わったわけでし た。

父は、たぶんいちばん懐かしい故郷の地に戻っていったのでしょう。そこは父がまだ子供の頃に、野山を駆けたり海に潜ったりして、友達や 兄弟や両親や村の人と過ごした土地でした。

その後、墓は神戸市のほうに移転しましたが、父には故郷が離れられなかったのではなかったでしょうか。

父よ、ご苦労様でした。ゆっくりしててください。

 


先祖の御霊を移転したとき (1981年)

私は名古屋で仕事していたため、それを理由に神戸の家のことはほとんど母と妹に任せていました。

母は、父をねんごろに弔うために、先祖の墓を神戸に移転することを計画。

私にはそのようなことを内緒にしていたのではなかったかと思うのですが、私は墓の移転する直前の未明の夢に、青黒い空間に、芋とその 根のつながりのようなシルエットが、横たわっていた状態から縦に起き上がり、それが何体か連なって立ち昇るという気持ちの良くない夢を見ています。
むろん、芋と根のつながりというのは、あちらでは土葬のゆえに頭蓋骨と脊柱がこのように見えたという次第だったかと思われ、魂抜きが抜かりなく行われたこ とを示すものであったと分かりました。

現実には土葬された実体を掘り起こして持って行ったりはしません。墓所の移転に伴う、形而上的な観念世界における儀式上の魂抜きなので す。それを実体的夢として見てしまうとはいかなること。夢とはいえあまり気持ち良くないものでした。


母が生前戒名を受けたとき (1981年)

父が亡くなったときの戒名を、神戸に先祖の御霊を移転した際に、新しい菩提寺にもう一度付け替えてもらったのですが、そのとき、母も生 前戒名を作ってもらったのでした。
ちょうどその頃のこと、私は名古屋にいて、未明の夢に、浄円月を右肩に載せた白衣両翼の天使が、きれいな群青色の空に満天の星とバックコーラスを背景に出 てきて、その肩の満月で私をピカピカ、ピカピカと照らしたのです。

天使の顔を見れば、まぎれもなく母の顔でした。
私はその頃から、インスピレーションが頻々と沸くようになったことを覚えています。
母の生前戒名は「智円妙定大姉」です。それを知ったのは、私が4,5年経って神戸に舞い戻ってからのことでした。
ちゃんと戒名どおりの現れ方をしていることになりませんでしょうか。名は体を現すとは、私の実名においてもそうでしたが、母もそうです。名は「禊」という のですが、まさに親、夫、子の三代に身を尽くした、カルマを消すような人生でした。

さらに戒名にいたって、月の天使として現れたこと。まだ母は当時ぴんぴんして生きていましたが、私に前もって正体を見せてくれたに違い ないと思っています。と同時に、戒名さえも(霊)体を顕すのではないかと思ったことでした。

そういえば、よく「月よりの使者」を 小さな 声で口ずさんでいた母でした。きっと本人が月よりの使者だったのでしょう。(母は倍賞千恵子にも似ています)



白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)

白球UFOがすいすい出てくる夢は、実際にUFO観測会に参加して、初めて実際に目撃した赤いブーメラン型UFOの"続編"として見て います。

UFOを初めて目撃したときの、きっかけとなったと思われる行為は、中天の夜空に向かっての「私を友達にしてくれますか」の問いでし た。その相手は大きな赤橙色 の三日月形UFO(ブーメラン型UFO)で、視野のど真ん中に現れました。

その数日後の就寝時から、夢に白球型UFOが登場するようになりました。たいがい夢に出てくるときは、満天の星の夜空を、複数機でみず すましのようにすいすい飛び抜けるシーンでした。それはまさに、私を友達として誘うかのようでした。

 

詳細は「奥 人のユーホー体験」をご覧ください。

また、ホームページにもあらましを載せています。 ⇒ UFO撮影同道記

 

また、この話には後日譚があります。夢で見た白球UFOが実在することがわかり、またそれに関わることになるのです。

 

その後の展開

 

白球UFOが本当に存在していることを確認したのは、同じようにすいすいとまではいかないまでも、ゆっくりと群れて飛んでいる映像や写 真を見てのことです。 中でも、身近なところでは坂本廣志さんが、フジテレビ系の「100年後の超偉人伝」の取材ロケ日の前日の午後3時過ぎに白球UFOの大群を撮るという快挙をし、番組で放 映されています。
彼は当時、武良さんと私の二人でやっていたUFOビデオ撮影友の会に新入会した人でした。UFOや宇宙人、伝説上の話題たっぷ りの人でしたが、これで彼の真実味が格段に増したことは言うまでもありません。

 

いかに夢の白球UFOが私たちの傍に現実化してきているか。むろん自分でも単体でなら目撃しながら撮影していますし、撮りっぱなしのビデオカメラになら8機の白球 UFOが写っていたこともあり、目撃だけなら六甲山におけるGの嵐のロケの最中に、終盤で多数の白球UFOの出現 (私の肉眼では肌色に見えたが、テレビカメラには白球UFOとして写っていた) を目撃しています。

 

そして、最近では、武良さんが、たけしの番組で白球UFOを呼び寄せ、「UFOを呼べる男」として、マスコミデビューされるようになり ました。

 

追記

2016年には米国でコーリー・グッドとデビッド・ウイ ルコックのテレビ対談によって宇宙的情報開示が開始され、2017年 にはその邦訳がネット上に出されて、「よくある質問」コーナーにスフィアビーイング(球体存在)とのファーストコンタクトがいかな る手順で行われるかが載せられておりました。

質問者に対するコーリー・グッドの解答によると・・・

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Q47  スフィア・ビーイング・アライアンスは地球上の人達と夢を通じてコンタクトを始めるのですか?

A47  はい、それが彼らからの「ファースト・コンタクト」のプロトコル(手法)です。

どんな場合であれ、夢を通してコンタクトを受けます。未 知のソースからチャネリングやテレパシーでのコンタクトを受けることはまずありません。

潜在意識・ハイヤーセルフレベルでコンタクトや交信を受 け入れると、さらなるもしくは拒絶すると、さらなるコンタクトが他のプロトコルや標準的な活動プロセスに従って確立されます。

これはいかなる場合であろうと例外はありません。
2015年8月22日

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とのことで、私はどうやらスフィアビーイングとのファー ストコンタクトをしてしまい、さらに後年に瞑想中に眉間から飛び込まれるという衝撃的なセカンドコンタクトをしてしまったようです。

 


英国紳士風宇宙人の訪問の夢 (1977年)

私が名古屋にいた27歳頃のこと、シンバル状UFO2機に乗ってやってきた二人の英国紳士風宇宙人が、神戸の実家(ここには小学〜大学 の頃に住んでいました)に訪問してきて、歓談している夢を見ました。
これは私が中学三年のときに宇宙人の訪問を実際に受けていたものを、記憶の消去が毎回なされて、後日、フラッシュバック的に夢で思い出したものであると解 釈できています。

それが単なる夢でなく、確実にあったことであることは、当時私の妹が、私が受験勉強で部屋をチェンジした際、山高帽の英国紳士のお化けが出たという恐怖体 験を語っているからです。
妹が霊視するようなことは皆無ですから、まさに宇宙人の実体を見たに違いなく、また本人もほんものの英国風紳士だったと主張しています。

なんとその当時の神戸の家は、二戸一長屋のうさぎ小屋で、やってきたとするなら2階のベランダからだったでしょう。そのときの夢は、母が一階からお茶を運 んできたので、家族ぐるみで付き合っていたのかなあといった印象です。

詳細は電子書籍「奥人 のユーホー体験・拉致体験もか」をご覧ください。下手ですが図解入りです。

 


天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)

かなり昔、30歳頃ですが、奇妙な夢を見たことがあります。


何かの催事場に正装して参ったのですが、その入り口で縦長の短冊形のパンフレットをいただきました。
手渡されたパンフレットの表には、「天帝様へのお会いの仕方」と書いてありました。
たったひとりでそのまま通路から向こう側に出ますと、大きな野球場のグランドです。
その真ん中に行こうとして、そのとき右側一塁側観客席に、陽光を浴びて白銀に輝く、けっこう分厚目の十字架が縦横整然としてたくさん重なり合うように、観 客席を埋め尽くしているのを目にしました。


野球場をプレーヤー側から見ているといった感じで、私はグランドの真ん中に行くと、どういうわけでそうなるのか、あらかじめ決められた手順のように、私は 右手に持っていたパラソルを開いて、その浮力で天に昇っていこうとしているのです。
タキシードで頭にハットを被り、手にパラソルといったいでたちでしたから、まるでセーラームーンの漫画のようでありますが、その当時あの漫画はまだなかっ た頃です。


私は上を向きますと、空は若草色(薄緑:映像を加工したときになるような)に、和紙のようなうす雲がかかり、私は広げたパラソルを浮力 にして、上空へと揚がっていき ます。(パラソル持ってても空が見えてるんです。夢ですなあ)

空からは微妙に天楽(コーラス)らしき音もしています。
と、中空まできたとき、私はまだ行くべきときではないと思い出したところで、上昇が止まってしまいました。そして、目が覚めてしまったのでした。

さあそれから最近になって、といっても2001年のことですが、その不思議な夢の話をさせてもらった女性から、驚いたように、それってシンクロだよと衝撃 発言が・・・。
ある精神修養の道場(断食道場)で同席した、アメリカのベティさんという女性が、かつてロサンゼルスの野球場の外を通行していたとき、スタジアムの中から たくさんの十字架が次から次へと空に向かって揚がっていく様を目撃したという話をした、というのです。ベティさんという方はきっと霊能者で、幻視されたの でしょう。
その道場というのは、兵庫県高砂の高御位山の下麓に今もあり、どんなところか、そのあたりまで私も行ったことがありますが、昔話を蒸し返しにいくわけにも いかず、その程度で終わっているわけです。

 

「天帝様へのお会いのしかた」というパンフレット。

そして一塁側観客席の白銀色に光って整列していた十字架群。

分厚い十字架群は米国の墓地に見られるような大理石(ですか)で作られた、まさにそのようでしたから、プロテスタント系のキリスト教徒 で亡くなられた方たちを表しているのでしょう。

しかも、白銀光りですから、清純なキリスト教徒の故人の方たちではなかったでしょうか。


では、天帝様とはどなたなのでしょう。
もし元始天尊(盤古)だったら、対決せねばならないかも・・・。
盤古は地上の人間たちに幻術を仕掛けているヌシなのでね。(と新神話では解釈)

しかし、十字架群はみんなキリストに会いに行くと信じて待機しておられたのではないでしょうか。
まあ、あのときの夢では、私と十字架群は別行動するようでしたから、どこかでルートが異なることでしょうが。
ただ言えそうなのは、私の方が先に行くのだろうとは思います。
その関連性からすると、黙示録に言う最後の審判の督促のような用向きになるのではないかと思います。

昨今、サンドレアス断層の崩壊が間近だと囁かれていますが、ロス地震などが起きて多くの方が天に召されるときには、私の方が少しばかり先に逝ってることに なるのかもしれませんね。

つまり、不吉な話ではありますが、私が逝く前後ぐらいに何らかの災害が起きるのかも知れないと思ったりします。
それも、もう間もなくのような気がします。

https://twitter.com/1st64503291/status/1209348069164109824

https://twitter.com/1st64503291/status/1182973554385514496

 




幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)

もう昔のこと、40歳過ぎの頃(1990年頃)、仕事の性質と、住居していた場所柄によるのかも知れませんが、俗に言う"金縛り"から "幽体離脱"に至り、さらに"夢見(夢と意識している夢)"へと入っていくことが、しばしば起きました。

そのようなことが頻繁でしたので、興味して幽体とやらの性質を調べたりもしたものでした。

壁の通り抜け、伸縮自在かどうか、感覚はあるか、など。そして、幽体離脱させて夢のコントロールへと入っていくのです。
 
金縛りが起きるときは必ず、脳の中の周波数変化が感じられ、いつもは潜在している"シーン"という音が、周波数を落として、猛烈な爆音に変わって存在感を 一気に高 めてくるのです。

ヘリコプターの近くにいるような音で、大概その音に人は異常を感じて恐怖するもののようです。しかし、何度も金縛りをしているうちに、 爆音もさほど大きくなくなりまた柔らかくなり、慣れのようなものができてきます。
 
金縛りのままでは、まったく動けない。しかし、意図して力をそれなりに入れて抜こうとすると、まず腕が割合簡単に抜けます。最初のころは、そんなことを繰 り返して、幽体の性質を調べる実験を始めるわけです。目を開けての金縛りですから、幽体の掌を目のところに持ってきてかざして見ますと、視野の周辺部での み、うっすらとした輪郭が確認できるのです。視野の真ん中では見えません。もし皆さんも幽体離脱がおできになるなら、確かめてみてください。
 
次の実験としては、幽体の全身を抜くのですが、このときばかりは目を瞑って行いました。というのも、抜けたときの自分の目で、何が見えるか怖かったからで す。(やはり怖さはあります) それに、目を瞑っておれば、そこから幽体それ自体の目による観測、つまり夢見が開始されるのだから、安全に思えるわけで す。
 
全身から幽体を抜くときには、意志が力になります。最初のころは、まるでゴム糊をバリバリとはがすようにして、抜けたものでした。しかし、それも繰り返し ている う ち、粘りつきが少なくなります。これも慣れなのでしょう。
 
いつものように全身から幽体を出して、いろいろと夢の世界を散策するに、その色彩の度合いは、鮮やかで生き生きしているのが常です。光と三原色が生きてい るといいますか。それから比べると、現実のほうがどんよりしています。だから、本来、どっちの世界が本物かというなら、あっち(夢見の世界)のほうがよほ ど本物ではないかと思うほどです。ただし見る内容は荒唐無稽になりがちです。
 
さて、そのような中で、夢というものは自分のコントロールが効かないことで知られています。しかし、夢見の場合は、自分の立ち位置がわかっているため、 どこへいってみようかというアクションが起こせるのです。
 
その日の夢も、そうでした。展開は荒唐無稽にも、妙な登場人物があったりするものですが、それでも自分が保てているだけに、意図した光景も出てくるように なります。
私はどう意図したか知れませんが、人跡の少ないところに行きました。途中で馬かロバに乗った見知らぬ二人連れに出会い、周囲がまるで西部劇シーンのよう に、夕日が当たり赤茶色の山肌を照らしていました。
 
さらに進むと、自然そのままのせせらぎがあり、そのほとりには、チューリップのような花が咲いていました。しかし、空は濃紺色で、太陽が出ている にもかかわらず、ふつうに見る薄い青色などではないのです。

ちょうど、高度1万メートルほどの上空の成層圏から空を眺めたような感じでしょうか。

太陽がせせらぎに照り返してふわふわ揺れていても、水面全体が濃紺を反射していて、まるで夜中に月の照り返しを見ているようで した。
 
さらに進むと、四角い建物がいくつか建っていて、それが古いせいか、周囲に苔のような灰色のものを垂れ下がらせていて、どの建物もそんな感じでした。苔ら しきも のの色は淡いグレー。ビルのようでもあるが、どれもビルというには小さい建物です。そこに人が向う側から花の植物の鉢を持って上がってきました。
 
見るとその人物は、ベレー帽にメガネ、茶と黄のチェック柄のセーターを着て、いま植物をそこに植えようとしているようでした。屋上緑化のようなことかと思 えました。
 
私はそこでその人に問いました。「いつごろからここにいるのですか?」と。
するとその人は、「もうかなり前になります」と答えてくれました。
 
そこで儚くも夢から醒めたのですが、夢から醒めるときというものは、いちばん大事なポイントを醒める直前に置いていることが多いものですね。
実は、その人物は、私と顔と姿がよく似ていたのです。
 
それから、25年が経って今があるのですが、数年前から山暮らしのために移り住んだこの地で、物置倉庫をいくつか作り、その屋根を葺くのに、ホームセン ターで売っている厚手のUVシート(シルバー)を使っているのです。

別のいいやり方はいっぱいあるとは思うのですが、安価に済むため素人判断で偶然そ うしてしまったのでした。
 
いかに素材が強くて防水性に富むとされていても、劣化はします。が、少なくとも2年の耐久性はあることから、今後もこのやり方にしようと思っています。倉 庫の フレームは単管組みにして、屋根の下地をコンパネにして屋根用の防水シートを敷いていて、その上にUVシートという具合で、屋根の上にいちおうは上れるよ うになっているのです。

そして、今目下、屋上で野菜や花をプランター栽培しているところです。
 
下の露地で栽培したなら、鹿や猪が来て、たいがいは食い荒らされてしまうのですが、屋上だと彼らはよう上がってきませんから、囲いなどする必要もないので す。この界隈の民家は、栽培したくとも、動物の食害があって、よほど強固な囲いをしなければやれません。

こうして、この倉庫はマルチ用途を好む私の合理精神を如実に表すものとなっているのです。他人の目からは奇異に映っていると思います が。
 
ある時、UVシートがあの苔に相当するのではないかと、その奇妙な符合に気づき、夢の人物は未来の自分(今の自分)だったのかも知れないと思うようになり ました。夢に合わせるべく、ベレー帽も購入しました。該当色のチェック柄のシャツやセーターはすでに持っていましたし。
 
こうして今は、奇特な「いつごろからここにいますか」というキーフレーズで問うてくる訪問客の来訪を待っているところなのです。

 

 

追記

そうしているうちに、とうとうそれらしい人物が現れました。ここに書いています

しかし、それは 還暦ほどになる韓国人のお姉さんでした。ということは、私はこの女性の視座を借りて夢を見ていたことになるのかなあ。2014年11月に達成したことにな りますか。

 

なお、一度目は、ベレー帽を被っていませんでした。ところが、滅多に被らないベレー帽姿を偶然目撃されてしまったのも、この女性によったのです。ふつう山暮らしでベレー帽 などしません・・・いつもは無帽か野球帽なもので。


二度に分けて実現するとは。しかも、性転換? いやいや、私の意識は任意の誰かの視座に入って、その人の視点で物事を見てくるようなのです。

 

さてさらに、2013年になって飼い猫のトラブルから山奥に廃屋付土地を安価に購入したのですが、そこに夢で見たような"せせらぎ"が 流れているのです。廃屋に入る階段がそのせせらぎをまたぐようになっており、もしこの廃屋がなかったら、夢の光景に近いことでしょう。廃屋は当初から未登 記状態なので、ないに等しいといえば、そうなるかも。


 


他人の視座に入って夢見するか (2006年12月18日)

 

 金正日の側近の視座に入ったかのような夢

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「夢に胡蝶となる」とは中国の荘子の夢体験。
ところが、今日の未明に、私はおかしな夢を見た。
なんと自分は、金正日と同室にいる側近の一人だった。
私の右に置かれた長椅子の、一人をおいて向こうに、金正日が憮然とした表情で、座っているのである。
部屋は狭く、殺風景なコンクリートらしき壁で、金正日と私含めて6人くらいいただろうか。
金正日は共産系の例の服。我々はスーツ姿。
そのとき、ひとりが座を立って、部屋を出ていった途端、こちら側に固まっていた四人がいきなり相好を崩し、砕けた笑い顔になって談笑に入ってしまった。
私の前にいた一人が、「だいたいこんなもんやからねえ」と言うや、 私は
「いやー、あそこ(日本)もこんなもんですよ」と、茶目っ気たっぷりに手を振る。するとみんな笑う。
自分で日本を意識して言っていることが理解できた。
(これが正夢なら、彼らは日本を特別にライバル視し、日本の悪口を言うことで連携を保っているのかも)
ところが、金正日だけは、椅子の上で立て膝に姿勢を変えたものの、依然として憮然とした表情だった。

(1.5mほど隣で見てるんだ。質感を伴ってリアルなことと言ったらない)
それからそれに関連した場面がいくつか。

そうして眠いままに朝起きてテレビをつけれみれば、午前七時過ぎ。
なんと、六カ国協議再開のニュースが流れているではないか。
ウワァー。
しょっちゅうあるシンクロのひとつのため、さほど感動はないが、啓示夢であることは間違いないように思えたのだった。
テレビに出てきた北朝鮮の外務員のにやけた顔。あれ?この顔は、夢の中にも出てきたぞ(@@;

最近、夢に胡蝶、いや、別人になるリアルな夢を見ているので、これも本物ではないかと思ったしだいである。
そして、六カ国協議はたいてい、不真面目な結果に終わるのではないかと思ったことか。
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彼女の視座に入ったかのような夢

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もうひとつまた別の人になった夢のほうは次のようなしだいだった。2009年頃のこと。

 

私は、若い女になった夢を見た。
オープンテラスにいくつか置かれた椅子のひとつに座っていた。
隣の椅子にいたのは確かに高田純二だった。
その彼が椅子を立って、とことこ私の後ろにやってきて、私の肩に手をかけて、笑い顔でこう言うではないか。
「今日も抱かせてもらっていいかい」
ゲッ。
すると私の口を突いて出た言葉は、
「(いいわよ) だって、あなたの妻じゃないの」ときた。
キターーーーー!!!

まぎれもなく、私が女の声を出したのであった。
それも、自分の意志がどうであるかによらず、定められた手続きのように発されたのであり、

自分の異様な発言に気がついて、エエーッと思った時点で目が覚めたのであった。

 

これにはその後譚があって、彼女のご主人はふだんから高田純二のようなおどけ方をすると聞かされた。

てことは、おいおい、あの時のオレは君の視座にいて、ご主人から口説かれてたのか。

ウワーッ、それって浮気にならないか?  いや、オレのほうが不倫だったか。ああ、混乱。

 

とすると、あのカフェテラスは沖縄のビーチサイドのスキューバレジャーのオープンカフェテラスかなんかだったのかなあ。

 いったい私は、どんな能力を身に着けようとしているのであろうか。
これも妖怪力のひとつなのか。
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火星への旅行者の視座に入ったらしい夢

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これはいつごろ見た夢か、忘れてしまったのだが、たぶん30歳代の頃の夢だったろう。

旅行者は案内の導師に導かれて、火星の遺跡地帯に行ったようである。

私が見た夢の光景は、砂塵舞う中に古代ギリシャ風の衣装を着て、右手の方向を示している導師の姿と、導師越しに遠くピラミッドが二基、 重なるようにして存在している様であった。

ところが、導師の示す方向を、私の視座の人物は見ているらしく、「ああっ、ポースの丘だ」と叫んだのである。

視座の人物はどうやら、火星のこの場所の記憶があるらしかった。

私は結局その方向を見ることはできずに目が覚めてしまった。

だが、なんとなく彼が見たのは、人面岩の遺構のような気がしたのである。

過去のブログにこんな記載をしている。

こんな話しして興味を持たれました

前の記事の続き・・・この山奥に来る少し前に見た夢

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夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)

私は50歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりまし た。

 

その進 行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においても カナメとなるシーンをいくつも見ています。

その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。

以下の人名は新神話上での名前です

このときのことは、新神話の主役、カンナオビを家に招いたことが発端になっています。

私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょう。

以後、彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。


ただ、そのとき私の部屋のドアにはサイババのポスターが貼ってあり、それが進入できない結界になっていたようで、それを外してからは容易にやってこれるよ うになったもようです。(サイババのポスターも、2cmほどのセロテープで四か所止めをしただけなのに、8年以上、一度もはがれることなく、貼り付いてい ました。私が貼りつけて私が外したことになります)

そんなある日(2007年1月14日)の未明の夢に、カンナオビが正体を見せに我が家にやってきたのでした。

彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。私は朱雀(鳳)ですから、鳳龍合体という瑞兆吉祥だったことになりましょうか。

 

夢の詳細 (別記事から転載)

 

弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。
それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような気がする。

(僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー)

本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。
私は小さな四角形をした我が家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓だけでなく、屋根や天井すらも透明化していて、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺 望できる状態にあった。
北の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が数珠つなぎになり、長くたなびき消えることなく、やがて我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。

見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。
一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。
我が家の北側に回ったとき、それは横顔がありありと馬のような面構えをしており、夕日を浴びて心なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲 のように切れつつも、尻尾らしく従っているのを見た。
雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。 方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正対して見えた。

眼光もありなかなかの面構えだ。だが、どこか優しい感じがする。 屋根の上すれすれに南に回ろうとして、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。

どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか?
龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。

そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入ってきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込 んだのだ。

うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。

この光景は近所の人も見ていて、家の中に入ってきたマンガのようなおばさんや少年らが、私のほうをすごいといった表情で見つめていた。
そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して、英雄ウルトラマンのようなポーズをとった。どんなものだと。
そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったのか。 久しぶりに見たすごい夢。


腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。
もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。

雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。 ネバーエンディングストーリーに出てくるような龍。 千と千尋の神隠しのハクみたいな龍。

 彼女に夢のあらましを話し、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。

 

彼女は、それ以前から私の部屋に意識を飛ばして何度も行ったのだが、何か壁のようなものがあってどうしても入れなかったという。私はそ の原因が、当時、ドアの内側に貼っていたサイババさんのポスターかと思い、彼女の指摘があった日に、セロテープで止めていた四隅を外し、取り去っていたの である。

サイババさんにはとてもお世話になっていて、申し訳なかったのだが、どうも原因がこれらしいと感じたので、取ってしまった。

すると間もなくしたこの日に、夢の中に本体を顕わしてやってきてくれたのだった。

 


夢で彼女を羽根天使と見た (2007年1月16日)

これも不思議な夢で、私はどこかの室内に篭っていたのです。ところが、大きな羽根の白衣の天使が部屋に来て、それが彼女(カンナオビ) なんですね。

彼女が 天井を指差すと、その一角が破損していて、青空が見えているんです。そこから彼女は出ようとするので、付いて出ました。
はじめ彼女にくっついて揚力を借りていたのですが、彼女が「鳥には空がほしいでしょ」と言ったので、私はああそうだ、私は鳥だったから自力で飛べるんだと 悟って、ともに並んで飛んでいるといった夢だったのです。
そのとき、なんとなく彼女は白龍だしなあ、飛べるのが当たり前のように思っていましたね。

創作神話でもカンナオビの白龍が先導役を務めて、私が火の鳥になってあとをついて飛んでいくというストーリーになっていまして、その先である大事な仕事を する運びになっているのです。

 

夢の詳細 (別記事から転載)

 

白龍に胸に飛び込まれた二日後の16日の未明の夢だ。 その一つ目は危機一髪といったものだった。
公園らしきところに居た普通の男のように見えた者が実は変質者で、私を眼光鋭くじっと見据えて近づいてくると、
いきなり押し倒して馬乗りになり、急所のタマを握り潰そうとしたのだ。
私はやにわに夢から覚め、このままやられているのでは駄目と、対策して再び夢に入って、これを退治した。

その方法は猛禽類的なえげつないものなので書けないが、夢見の戦士は、夢の中で窮地を迎えたなら、夢の中でそれを解決してこなければならないとされてい る。これは悪夢を見た人にはぜひお薦めしたい。
変質者を退治して夢から脱すると、何かあそこに鈍痛がする。触ると、タマ袋が小さく引っ込んでしまっていた。

現実の巷では、毎日のように陰惨な変質的猟奇事件が発生していたが、夢の世界においても変質者が出没するとは。ああゲンが悪いため、夢の見直しを次に行っ た。 導入のイメージングは必要なようだ。

一昨日に胸に飛び込んだ雲龍を懐に呼び出し、愛撫しながら眠りに入った。すると、夢の中になんと彼女が現れたのだった。
それからは私にとって最も輝かしく、すばらしい夢となった。 彼女は白のワンピースを着ていて、空を指差している。
わずかな隙間から見える白雲が散見できる青空があった。 天井の板屋根の一部が破損して空が見えているのだ。

彼女が指さなければ、建物の破損部分に気がつかず、空など見られたかどうか。
さらに彼女の上を見上げる横顔が神々しく輝いたかと思うと、 私は共に明るく自在な空に浮かんでいた。
私は彼女の表情にうっとりしながら抱きついていた。 彼女主導で、共に飛んでいた。 そのとき、彼女が言った。
「鳥には空がほしいでしょ」と。
そうだ、鳥だったんだと気がついて私も羽ばたき、 上空に向かってどんどん上がった。
あとは二人の身に起こるべき一連の手続きなのだろうか、 よく聞き取れなかったが、楽しげな二人の声が青空に飛び交っていた。
夢から醒めた。そう、私はそれまで籠の中の鳥だった。 ようやく雲龍である彼女によって籠の外に出られたと思った。

 


母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方 が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母は もし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの 高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」とい う名でした。

⇒ 「鵺 は鳴くなる
むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人 でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったので す。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創 作神話作りを していましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に 上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出 ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦 向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて 知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方で した。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振って くれたのでした。こちらからもそのとき、 参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停 でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多に あるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。

 

さて、この話に は後日譚があるのです。そのお 見送りの場所が、ほんとう に実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さ るところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいこと に驚いたのでした。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。

Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことで、ご来光の写真をよくご 覧ください。

ブログ閉鎖に伴い誤って画像のすべてをなくしてしまい、これは額のままデジカメで写し取ったものであるため、鮮明度が落ちます。あしからず願います。申し 訳ありません。

 

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、 粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率を蓬莱道龍和尚 (道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっているのです。 

 

3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロになっています。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

 

なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の"とば口"を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情 閣での出来事でありまして、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第 一」だったことによります。

詳細は、不思議体験談の「鶴亀すべる移情閣」の項目をご覧ください。

 新神話を賦活した2人の弁才天

この蓬莱島とは・・・この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という新 神話上の設 定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、 浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという 二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)

 

この粋なはからいは、カンナオビの本体様の奥津嶋姫様による

 

さらにたいせつなことがわかりま した。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祭られる奥津嶋姫(弁才天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊 オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていまし た。


彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりで す。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日〜25日のこと。
⇒ 弥勒下生に関わる話

以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。
彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父 は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。たくさんの玉の子(亀甲紋の国津神)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。

古事記にも想いのすれ違いから子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。

上の写真は、亡くなる前日のちゅらうみ水族館内での撮影です。

六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、最後の六角オーブ写真は、彼女自身のもので締め括られたことになります。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。そのあたりの神社は、そも そも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません) 
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

水の神様ゆえ、龍王の娘、豊玉姫(乙姫)としても顕れます。ご本体は白龍でしょう。そして蓬莱島(竜宮)に憩う亀としても顕れます。
つまり沖島上空を通るムービングロードを支えてくださったのは、私が愛したカンナオビの本体様である奥津嶋姫様だったということになります。

居並ぶお見送りの人々は、きっと姫が参集させてくださったに違いありません。奥津嶋姫様は弁天三姉妹の長女様ですから、ご本体は龍王の娘でもある龍神で す。呼び集っていただいたのは、龍族のみなさん、そして蓬莱山後方の山々におられる天狗様たちや鬼様たちであったと思います。
ほんとうにご協力ありがとうございます。


母が探しものをして、うずくまってしまった夢 (2007年10月2日)

よい夢もあれば、悪い夢もあります。とくに悪い夢は、後々まで心に傷が残ります。それが正夢であれば(らしければ)なおのこと。
この夢はあまりに痛ましく、記述することは著しく困難です。

 

別記事から転載

 

申し訳ないという思いが薄れると、今度は慢心が頭をもたげてくるのが私の短所だ。
母のささやかな遺産のうち、神戸に遺っていた震災後の更地の件を明確にしなければならなかったのだが、問題の権利証から何から何まで、家中探したものの見 当たらなかった。
代わりに、どうでもいい(と私には思える)はぎれやタオル、風呂敷、買い物したビニール袋の類がわんさか出てくるばかりだった。
私は、捜索の後半戦で、ついにキレて、母の節約精神のピントの外れ具合をなじりながら、捜索作業をする始末だった。
たまたま町内の回覧できていた、「もったいない」をテーマにした標語の募集がテーブルにのっかっていた。そこにはサンプルとして、「もういちど すてる前 に考えよう 再利用」などと書かれてあったが、すかさず「もったいないは 小さな家中 ごみ山にする」と書いて応募してやろうかとまで思った。

こうしてドタバタ騒ぎしたのが十月一日のこと。果たせるかな、二日の未明の夢に、母は出てきた。といっても、私のほうを一瞥もせず、件の書類を捜している ようなのだ。
それもどこか旧家の中のようで、こげ茶色主体の大きな家具の立ち並ぶ暗い中を、あっちでもないこっちでもないと、探しまわっているのだ。
そして、どうあっても見つからず、とうとう床にへたり込んで動かなくなってしまった。
その間、私は「もうそんなことせんでいいんだ、いいんだ」と叫んでいたのだが、聞こえないのか、責任を重く受け止めてのゆえか、こちらを見ることもなく床 にへたりこんでいるのだった。

私は目が覚めて、仏前に飛んで行って、平謝りを繰り返した。こんなに私の心が揺れ動いたのでは、母が成仏できないではないかと、自らの馬鹿さ加減を猛反省 した。そして謝罪の気持ちばかりで時を過ごした。 三日の夜九時頃に一階を消灯し、二階で自分のことをしていて、半時間後にふと思いついて一階に下りたのだが、とたんにゴソゴソッと音がした。
電灯をつけると、ゴキブリが一匹、私に驚いて逃げようとして、壁にぶつかり裏返しになって、しばらく立て直そうともがいて、ようやく表返って、その場に静 止した。
とてもベテランのゴキブリとは思えない狼狽ぶり。 私はゴキブリのもがく様がすでに哀れになっていて、もしかするとこれは母の視座を持つゴキブリ(つまり母の意識の宿る化身)かと思った。つまり、ゴキブリ になってまで、家捜ししているのではないかと直感したのである。

この小さな視点からでは、書類の山を見分けることはできまい。
「母ちゃんなのか? もう探さなくていいんだよ。こちらのことは、もうこちらでやれるから、母ちゃんはゆっくり向こうの世界で幸せに暮らしておくれ。せっ かくご来光まで行ったのに。そこが母ちゃんの居るべき所なんだ」
するとゴキブリは、触覚さえ微動だにせず、じっと私の話を聞き、思いを読み取っているかのようだった。こうして十分間ほども語りかけていただろうか。
まだ動こうとしないので、「向こうに戻って、楽しく幸せに暮らすんだよ」と、そのまま消灯して二階に上がったのだった。

四日の朝、当然のことながら、ゴキブリはその場にいなかった。 その日は、不明の資料に代わるものすべてを入手せねば、母にも影響しようからと、役所回りしていけば、とんとん拍子に入手できた。それは、母の積善の徳に よるものであり、母が応援していてくれたからだろうと思う。
ふつうはこんなにうまくいくことのほうが珍しいほどだ。 仏前に報告した。解決したから、母ちゃんがこちらのことには関わる必要はない。それより、一生お世話になったのはぼくのほう。ほんとうにありがとう、と。

翌朝になって、祭壇のお供えにゴキブリの糞が落ちていた。おお、ようよう毎朝晩出す食事を食べていることを示してくれたかと思えた。
ここで食べずに、昇華された供養の品をあちらで食べてほしかったが、私の周りにいる時間が長いようだった。母がいなくなったという実感がまったくなかっ た。
祭壇に向かうときには一匹の小蠅が飛び回った。あるときは母のビジョンが傍からセコンド役のようにアドバイスしたりした。

十月十二日に私は祭壇の母に向かって、いまどんなところに居るの、よかったら夢に見せてほしいとねだった。翌十三日の朝、祭壇の黄色の大輪の菊の花の真ん 中が妙に崩れているのに気づいた。
見れば、体長5cmほどの大きな青虫が横たわっているではないか。うわーっと、取り出して潰そうかと思ったが、またも思い止まった。これはいま、母があち らの世界で、菊の華の台(うてな)の上に転生したことを示しているに違いない。そう思うと、もったいなくてもったいなくて。
青虫に母ちゃんなのか、母ちゃんのよすがなのかと問うてみれば、青虫はこのとき頭をもたげて、私と顔合わせして、小さな口の歯をパクパクさせて、あたかも 話しているかのように見えた。

それは潰すのは容赦してくれと言っているようでもあり、母の語りかける姿のようにも見えた。 後にも先にもこのとき以外に青虫との顔合わせはない。十四日には、母が最も会いたがっていた神戸の旧友がお参りに来てくださった。祭壇の花のうち、大輪の 菊はすでに青虫の食事で崩壊寸前だった。
よもや旧友をこの格好で驚かすわけにはいかない。そこで、その菊一輪を一輪挿しにして、下駄箱の上に置き、来客を玄関で迎えてもらうことにした。祭壇に は、昨日あたりからいた蝿が朝から活発に飛び回り、旧友が祭壇に手を合わせるときには、遺骨の上に止まって、同じように彼に向かって手を合わせていた。

母の希望はたぶん叶えられたことであろう。 晩になってみれば、なぜか冷え冷えした。母の気配がたぶん遠のいたのであろう。天気予報では、晩から寒くなるとは言っていたが。

千の風になって。 朝は光になって畑に降り注ぐ。 死後の意識は、自由自在。視座を求めて、どんなものにでも仮託する。それを転生と言うのもよかろう。
しかし、テンポラリーであるのが常態であり、 なんのこだわりを持つものでもないことが分かる。
私は、生き物を前に、もしかすると縁者かもしれぬと、その生をたいせつにしてやりたく思う。 ただし、蚊だけはどうあっても、見つけ次第、叩いてしまうのは いかがなものか。 刺された後で、蚊―ちゃんに刺されたんだから、まあいいわと 自分をなだめてはいるのだが。変人もいいとこだな。

 

 


祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)

十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。

これも別記事からの転載ですが、ご覧ください。

 

そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。 ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。
プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。 (私の家は一戸建てだぞ)
左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。

私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと私の祖母がいた(平成六年に逝去している)。
どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。
懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主 頭だったもので、じっと観察してしまい、話のほうを聞き漏らしてしまった。
しかも、墨染め風の黒っぽい和服姿、もしくは僧衣だった。

その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくするしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。
(色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった)

母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。

目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だっ た。 あれは死後の世界なのか? 
だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそ うか。魂は永遠。好きな年恰好をしてすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。
しかも祖母は尼僧になっているようだった。信心深い人だったから。
童話「た つえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルに している。
物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆の役柄を設定したが、もしかすると祖母はそのとおりの仕事をしているのか も知れない。

母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就けば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけで あり、この世とあの世の区別や場面の違いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。
かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、すぐ傍で生きているように思うからである。
アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセンションの予行演習をしているのかも知れないね。
あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。
もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねていくのではあるまいか。 文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。

この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思われること。
また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。
おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らしているふうでした。
あるいは、私の作る童話すらも、 新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で生きているふうである。
あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。

 

 


母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月)

これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。

転載

じゃじゃじゃじゃ〜ん!! 本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。 またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、 買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、 キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、 調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでも あったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。 そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。 この夢は今朝ほんとうに見たものです。

この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされているようであったこと。
私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけのお祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そ のような次第だったというわけです。

また、母はもともと毘 沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。



母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月)

2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。

けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているとこ ろだったこと。
遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。

通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅 子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのでした。
と、その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そ こそこのまぶしいものだったため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢ではあります)

このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているのではないかと思うのです。
その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみ るわけです。
就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわかりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにか く、どこにも行けておりません。九州にもまだ行ったことがないのです。(北海道には行きましたが)

般若心経が原因?

 

その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経 の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。

鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世 に引き留めるような呪いを篭めているというのです。

そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはなくな りました。

寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。

Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。

 

 


彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)

高野山金剛峰寺に詣でた際、彼女によって弥勒らしい六角オーブが撮影されている(弥勒=身六?)

 

見れば、六角オーブの中には、大黒様の被るような頭巾をつけた顎鬚の濃い顔が出ているように見えます。
出口王仁三郎は弥勒を達磨大師のように描いたといいますが、まさにそのような顔に見えないでしょうか。

 


これは私が見た夢ではないですが、私が全面的に解読を行いました。(詳細はこちらへ)

https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/mirokukorinn.htm   (これは当時のコメンテーター諸氏との分析の有様です)

彼女は仏教や民間説話に造詣がさほどなかったので、彼女の見た夢、体験談、撮影された写真などはすべて私が解析していたわけですが、こ のときには若乃花(若貴兄弟のお兄ちゃん) に似たお坊さんが光物を抱えて夢の中に出てきて、「まもなくお生まれになるぞ」とだけ彼女に告げたといいます。しかし、彼女には予備知識がなく、本人だけ で の夢解釈は困難なのでした。

ところが、彼女と私がタイアップしていたことで、空海和尚は、私の支援を頼みとしてお告げをもたらされたと解釈できました。

その私においても、彩明日迦氏の 「弥勒降臨」という著書が、拙著書「古代日本にカバラが来ていた」から多く引用しているとの知人の知らせによって、買ってまで調べたために、この ことにつ き予備知識したようなことだったのでして、それなしでは、私も何の予備知識もなかったはずなのです。

縁の連鎖が、このような解読を可能にしていたことを知っていただければと思います。

また、金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上に、亀甲紋六角オーブは写っており、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりま した。

彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことに なりそうな感があります。ただし、籠の中の鳥とは何ぞやについては、 すでに我々にとっていくつもの兆候のあった「火の鳥」であるに違いありません。それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。

また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。
まもなくお生まれになるとは、いつのことなのか。それは特定の人物なのかどうか。
彼女はこの日、悠仁親王の高野槇のところで写真を撮っています。もしかすると、というわけですが、このとき親王はすでに満一歳になられてますから、これか ら誕生ということにはならないでしょう。

いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、その辺はよくわかりません。

 

 


奥山の庵にやってきた三猫を白虎と狛犬のつがいと見た夢 (2009年11月)

経緯の詳細はここをご覧ください。新神話の成り行き上、非常に大事な箇所でもあるのです。

我が家の子猫紹介・そのに と 今朝未明の不思議夢

我が家の子猫・そのさん 体育会系子猫ウー & どうも白虎らしい & 巡り終えた錆びた太陽

 

夢と夢に直接関連する箇所だけ抜粋します。
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今朝未明の不思議夢・・・別和尚は人面獣身だった

さて、今朝未明に見た夢は、どう言っていいのか・・・。
その夢を見る前に、たびたびのことながら、布団の中に何かいる気配と、猫がのどの辺りに来た感があり、そのときのどの辺りにあのフーの心臓の鼓動らしい振 動がした。たまにぴくぴくする痙攣とも言えなくないが、ものの気配の後だから、霊体でサインを出しながらやってきた感がある。そして眠りへと落ちた先の夢 が次のようだった。

 

長い夢の最後のほうなのだろう、お寺の傍の民家に居て、和尚さんとのいろんなストーリーがあったのだと思うが忘却。私はそのお寺の檀家 の世話役のような感じではなかったか。お寺には恰幅のいい住職と、背が低い野武士のようないかつい顔の副住職がいて、住職の後を副住職がついて行くのに、 袈裟衣を床に引きずって歩いているのである。
私はお寺に行き、下の空いた塀の外から覘いていたのは柿の木だろう、この木を切れば全体のバランスがいいのにと和尚に案を持ちかけようと思って立ち寄っ たところ、塀の下の空いたところから、副住職の頭頂が禿げた頭が見えた。

土地いじりでもしているのかなという感があり、表から入って話をしようと回って、玄関から禿頭の副住職を見たところ、なななななんと・・・頭は副住職で も、身体は猫というか、白に黒毛が入り混じった動物・・・が、お椀に入った餌をガツガツ食べているところだったのだ。

しかも、顔を見ると、年寄り顔なるも、第三の目が額にあり、唖然として見ていると、彼の手前に二頭の、彼よりも先代らしい同様の"三つ目"をしたボーリン グピンのような動物が、しかもそれぞれ茶青系と赤系のチェック柄の衣装(ドテラ)を着て、私の前に、やや赤ら顔をして微笑んだ目をして並んで座っているの である。
その後ろで依然として副住職は猫スタイルで、餌を食べているというシーン。
私は思わず、手を合わせて拝んだというところで、夢から覚めた。

いまこの文を打ち込んでいるとき、PCの前に座る私の膝の上に三匹が座って、まさにじっとして眠ろうとしているところだ。お蔭で、今朝の寒さにも、温かさ がもたらされている。
いったいこの子猫たちは・・・。

伏儀神農神か。 (かつてあるおうちにいた、ノラという猫がまさにその化身だった)
またまた三匹、私の膝で眠ってしまいました。ああ、私ゃまた身動きできないよ。

どうも白虎らしい

 
しかし、ときおり不思議な夢を見てしまう。
前夜の夢に出てきた副住職にそっくりな画像を見つけた。というより、白虎のほうから検索で出てきた画像が、高松塚古墳の西壁の白虎の絵で、とても似て いたのだ。

頭頂禿げで、周りに毛を残す感じで古墳の絵も描かれている。こんないかつい年寄り顔が夢の中に出てきたのだ。
体毛が白2対1ぐらいで、黒毛が刷毛で描いたような感じで見え、痩せて胴長に見えたのも、古墳の絵そっくりだ。ただ、絵のように神聖な模様でも雰囲気でも なかった。

しかし、ここまで表情が似ていると、そう思わざるを得ない。
まだ新神話は機能しているのだろうか、各方位の神獣をタイムシェアー的に巡る旅をしているのは、今までと変わりはないみたいだ。
もうまもなく、宇宙人が地球の虚構文明をいったん鎮静化する。新神話にも書いている行程だが、そうなればもう新神話が成ったも同じだから、新神話グループ も解散の成り行きかと思っていたのだが、最後に追いつくようにして白虎が現れた。それも子猫として。シャーマン能力を備えた子猫たちである。神獣の化身と 考えてもいいかも知れない。

 

元の飼い主にリコール要求したものの、白虎だとなれば、どうしていいか。つまり、お客人だ。
しかし、まるで中国の客家のように食選びがすごい。キャットフーヅなど匂いをかいでバイバイ。もうサバには飽きつつあり、牛や卵、鳥を経て豚へと食牙が移 行している。それに飽きたら・・・もう、後がない。
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要するに、幼猫の三匹が我が家にやってきてまもなしに、三匹のいわれを夢見てしまったわけです。
当時、三匹ともメス猫と誤解していたのですが、あとでオス二匹、メス一匹だったと判明し、夢のオスメスの区別と一致したようなことでした。(私の見立てよ り、夢のほうが正解だったという次第)
けっか、ブーとウーが狛犬(シーサー)のつがい夫婦、フーが白虎とわかったしだいです。
白虎はシーサー夫婦の間にできた子供だと解釈されました。

幼猫の(左から) ウー(メス)、ブー(オス)、フー(オス)

新神話では当時、四神獣の揃い踏みのステージを求めていましたので、募集に応じて猫としてやってきてくれたようです。(人の候補者がいましたが、遠方すぎ て求まらなかったのです)

フーは神界で下界の飼い猫生活を勉強してきたとみえ、あとの二匹にトイレなどの行儀作法一般を教えるとともに、私と猫たちとの調整役(ネゴシエーター)を 務めました。

しかし、フーは後に発情期にいたり、ウーを孕ませてしまってからは、予定していなかったことだったのでしょう。

子猫との関わりがうまくできず、敵対的に見てしまうため、父親代わりをブーがしていました。

かくして新神話が要求した四神獣のしだいは
青龍、玄武 ⇒ カンナオビ
白虎     ⇒ 白猫のフー
朱雀     ⇒ 私
ということで、揃い踏みが果たせたことになります。

なお、カンナオビは、キトラの四神獣の飛鳥資料館特別展示場での公開に伴い、この五月(2010.5)に別天に赴き(亡くなり)ました。
フーはそれから五ヶ月後の十月(2010.10)に別天に赴きました。
さらに朱雀である私は、さらに五ヵ月後の来三月(2011.3)に別天に赴くことが予定されております。
いついつ(五月五月)出やるの行程が、以上で果たせることになるわけです。

(私の仮想されるタイムラインでは2011年3月に第二時空を 逝去し、別天における四神獣揃い踏みと神界浄化のスケジュールを起動しており、顕在意識のみ第三時空へと飛んで、さらなる役割の任に就いています)


白虎のフーが行方不明になる一日前の未明に見た夢 (2010年10月)

フーが失踪したのは2010年10月5日でしたか。
その前の一ヶ月ほど、毎晩私のベッドの壁側の回廊棚に置いてあるアタッシュケースの上に寝るのが常で、二時間おきほどに私の枕元にやってきて、えさをねだ るのです。そこで私は、枕元にドライフードの袋を三種類ほど用意していて、彼が頭をすりつけてこれがほしいと合図する袋の中身を掌にとって、彼に食べさせ ていたのでした。まさに、あのときの夢の白虎和尚の顔を突っ込んで食べていたどんぶり鉢は、私の掌だったようです。

私の昼間はウーの生んだ子猫たちへの配慮で手一杯でしたから、フーは外出がちで、暗くなってから還ってきて、食事して寝るといったふうでした。私が彼の傍 に長く居るのはこのときだけだったかも知れません。

私にとっては、フーの時間差急襲とブーの五月雨式急襲で、夜中といえども熟睡できたことはありません。しかし、フーの不思議なほどの精一杯の甘えを、子な らばこそと容認していたのでした。

そして、失踪してしまう数日前には、外出したきり、半日以上帰らずとなっていました。
ところが、失踪前の二晩は、回廊棚からなぜか私のベッドの布団の上に、もう大きくなった身体を添い寝のようにさせていました。そんな最初の晩に見た夢が、 実に不吉な夢でした。

マンガチックないでたちでしたが、私の前にフーと思しき白猫が、顔面の左半分が砕かれて溶けたようになって現れ、そのときまだしも問題ない右側も、何かに 目の辺りをやられて、困惑している姿として私に写りました。
どうもそれは最近様子がおかしいフーではないか。

そして二晩目には、私のベッドで最初からずっと添い寝していて、私がまだ暗い中で朝起きたときにも、すっかりリラックスして熟睡しているのです。その顔を 見れば、まるで生まれたての赤子のようであり、天使のようでした。その光景は、今でも忘れられません。

そして、みんなにご飯させて、フーもいくらか食べた後、家のドアなど外猫の侵入を防ぐために、みな閉めていたために、キッチン側の外回廊に出て、いくぶん か低くなっている舳先から、今まででも何度かやっているように飛び降りて、外へ出て行ったのです。(私はそれを見届けています)
そして、再び還ることはありませんでした。

私はフーにしっかりとした白虎の仕事を与えてやれていなかったのではないかと悔やみました。
ちょうどその頃は、鬼門側の山門横に狛犬用のボックスを用意していて、そこには帰順してきた他所猫の石松が居座っていたからでしょうか、フーはときたま裏 鬼門側のプランターの中ですごしたりしていたのです。

大きく成長したとはいえ、石松とやり合って勝てるわけもなく、さりとて私が石松を追い払うわけでもない様子に、絶望したのかも知れません。私は、ポジショ ンを闘い取ってみなさいなどと言っていましたから。が、小さいときから彼らよそ猫には追いまくられていたのですから、そんな容易な話ではなかったのでしょ う。

しかし彼は、後に、一定の規則にしたがって、出て行ったことがわかりました。
それは、新神話が要求するシナリオの遂行です。
フーが失踪するすでに五ヶ月前に、青龍玄武のカンナオビが別天に去り、順序としてフーが別天に赴いたのだと解釈できたのです。
次は私の番です。2011年3月予定。
その前に、不思議体験のほとんどをここに書きとめておこうと思っています。(これは2010年12月の記載です)



出雲大社で起きた夢を見た・・・それも神世の出雲大社? (2013年5月11日)

出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。その翌日未明に(3時頃から4時頃にかけて)不思議な夢を見 ました。

私は妹からもらったダウンシュラフ(寝袋)にここのところ寝ていたのですが、これがとても軽くて暖かく快適なのです。午前3時頃に毎度のようにやってくる 猫のウーに起こされ、眠いながらもトイレ起きすることになり、また眠りについてからの夢だったのですが・・・

快適な薄布をとると、そこは灯火がともる板張りの部屋で、10畳ほどの広さがあったでしょうか。私はそこで一人で寝ていたのです。所々開いた間仕切りの向 こうの通路に、歩いて通過していく人の姿がありました。一人だけでしたが、なんと髻(みずら)を結い、このようないでたち(もう少し簡素だったが)をした男の人なのです。(今まで夢で、みずらを結った人を見たこ となどなかった)

そして、横に連なる部屋のほうを見ると、間仕切りで仕切ってあるため広範囲は見ることができないのですが、隙間のようなところから、なんとこちらは平安調 の衣装を着た長髪の女性が向こうのほうを向いた状態で座り、私の起床に気がついたか、こちらに顔だけを向け、にこっと微笑むとお歯黒だったもので、ゾクっ とする私。それでもなんだか、すでに亡きカンナオビの顔に似ています。彼女の部屋のほうには、いくらか人がいるみたいです。

私は夢の中の自分が何者なのかはわかりません。それから外に出て見やれば、そこは昼間で、なんとものすごく太くて古い角柱で造られた神社なのだとわかりま した。無骨な年輪と黒ずみが、いかにも築造の古さを物語るようでした。それも、けっこう大きな一枚岩とも思える岩盤の上に建てられていて、でこぼこした岩 から直接、柱が出ているふうでした。

岩山の下は境内地でフラットで広く、けっこう多くの人たちが、境内と岩山、そして神社にいました。が、そこにはみずらを結った人はおらず、みんな普通の髪 型で黒いスーツ姿をしていました。神主服ではない。

私は、岩山を下りたり上がったりして、何か用事をしていたようなのですが、何をしていたものかわかりません。ただ、たくさんの人が集まっているなという印 象だけなのです。誰とコミュニケーションをとるわけでもありません。

神社の夢を見たことは何度かあるのですが、社殿の中で寝ていたというのは初めてのこと。また、よく夢で見たことのある朱塗の神社のようでもありません。 いったい何なのかなとネットを見てみれば、どうやら昨日、出雲大社の式年遷宮が執り行われたらしいことを知ったのでした。

とすると、私は出雲大社にいたのか? 私は出雲大社にお参りしたことがないので、わからないのです。寝床でまとっていたのは、衾というものだろうか。ダウ ンシュラフさながらに快適だった。(当たり前か。こちらで感じているままに夢の中でも感じているわけなので)

とすると、あのみずらを結った人とは、大国主命(大己貴命)かも知れません。すると平安調の女性は、もしかして奥津嶋姫だったのか。(記紀には別伝が書か れるが、ホツマツタエにはこの二神は夫婦であるとされる) 奥津嶋姫は私と最も縁のある神様で弁財天であり、目下、新神話においていちばん協力してくれて いる神様で、化身がカンナオビなのです。

私は部屋で寝ていたとすると、お客だったのだろうか。ならば新神話はまさしく活きていることになります。私は国津神シンパですから、大国主命とも大いに縁 があるのです。
そうだ、みずらの人は、まさしくこの人だったよ。(Wikiから採録) しかし、お顔がも少し優しかったか。


2007年9月22日に、母が盛大なお見送りをしてもらったとするなら、誰が主催してくれたのだろうか。
それはムービングロードを下から支えてくださった沖島の奥津嶋姫弁財天であるに違いない。
当時はカンナオビも健在で、私とは相思相愛だったことから、彼女の本体であられる奥津嶋姫様が、気を利かせてくれたのだ。
弁財天様は龍族を束ねておられる。ちょっと号令をかけられれば、数千体くらいの龍の皆さんは参集されるのだろう。

 

2010年5月にカンナオビは逝去し、本体の奥津嶋姫様は、ご主人である大国主命のおられる出雲大社におそらく還られたのだ。
カンナオビの顔にどこか似ていたのも無理はない。私にそうとわかるように、在りし日の面影を残し置いてくださったのだ。
しかし、平安時代の衣装とお歯黒で臨まれるとは、ちょっと驚いた次第。

奥津嶋姫様のおられた緞帳の向うには、何人もの国津神の方々がおられたようだった。
私だけ、緞帳によるものとはいえ、一室が与えられて寝所にしていたというのは、大事な賓客待遇と言えなくもない。
では、私はいったい誰なんだろう。何らかの神?  いや、雛形ということでじゅうぶん満足しているのだが。
ええー、では言っとこう。それは大国主どんのもとに出向しとる アメノホヒ じゃ、なかろうか。

さらに2009年にはブログ読者の中にマメさんという方がいて、その方の中に複在する羽虫型宇宙人の男の子の魂が地球環境の現実になじめず閉じこもってい たのを誘い出し、私・朱雀の霊的な息子として、マメ鳥とかマメビコナという名にして、共に夢見して飛行訓練をしていたのだが、マメビコナは、自らのした 2009年の3月度の異界交信の中 に、鳥との縁について回答のあったことを思い出して掲示板に報告してきた。
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【鳥】のシンクロもあ りました
3月の分Q:私の運命 の道の友は?漢字一文字で。
       ⇒a  鳥
>613ーQ: 私は地球人出身ですか 宇宙銀河星出身で すか
       ⇒a  ひな出荷
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すごいシンクロになった。アメノホヒの神話上の息子は、幼名が天の雛鳥(アメノヒナド リ)で、後の建比良鳥(タケヒラトリ)となる者とされるのだ。この方面からもいっそうアメノホヒの線は濃厚になった。

さらにである。マメ鳥と共に夢見して飛行訓練をした夢見の丘が実際に存在したのである。
異界交信の相手チームとマメさんの好きなアインシュタイン博士が、共に観覧していた丘が、夢の光景と寸分違わぬ形で、なんとナスカに姿を顕したのだ。(夢 の中の丘は芝生の丘だったのだが)
しかも、2014年になって初めて発見された地上絵だという。この丘で私は助走をつけて飛んだのである。我が息子マメ鳥とともに。



異界交信チームは、我々の飛行シーンを「芸術的」と評してくれていたから、我々親子のために、タンデム飛行している光景を描き遺しておいてくれたに違いな いのである。
ありがとう、異界チームとアインシュタイン博士。いつまでも健勝であってください。
いつの日か会いましょう。

 

 


すでに亡き彼女が別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)

当時のブログ記事から転載します。

 

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つい先ほどのこと。午前4時台の夢で、すでになき彼女(2010.5.15没)が別のタイムラインを生きている夢を見ました。
いくらかシーンがあったのですが、最後のシーンしか覚えてなくて残念なのですが。

テレビ番組なんでしょう。彼女が黒っぽいワンピースで壇上の貴賓席に現われたとき、司会者の紹介があり、
「歌手であり、女優である○○○さんでーす」と言うと壇上に彼女が上がってきました。

すると下の観客席から花束の贈呈があり、彼女がそれをもらい受けると同時に、檀上に向かって両サイドから放水されるという(きっとバラ エティー番組だろう)びっくりさせられるようなシーンがそこにありました。

水になじんだ人だったから。でも、気をつけてほしいな。

そのときの彼女は、右目が良くないのか小さな眼帯を右にだけしていて(きっと番組で水をかけられることがわかっていたのか)、水を浴びながら花束を抱え、 笑顔でお辞儀をしていました。

彼女は女優になりたかったのです。私と知り合うタイムラインでは、それはほんのささやかな実現にしかすぎなかったけど(劇団塾に入って主役を演じたことは あった)、きっと彼女も、人生をプレイバックして、未実現時空を体験しているに違いないと思いました。

私もプレイバック型の人生経験をしているのですが、そういう人はけっこうたくさんいるのかも知れません。

結局、スケジュールを統括しているお方がハイラーキーだから、みんな上手に図っているのだろうとしか言いようがありません。彼女のハイラーキーは、奥津嶋 姫であり、弁天さんなのですから。

人生している最中に、性格がおとなしいものから豪胆なものに変化していくことってありますね。私は子供のときは清潔観念症で神経質で引っ込み思案でおとな しかったのですが、今はその正反対の性格になりました。その原因は、すでに別のタイムライン(森野のものだけですが)をいっぱい経験してきて、その記憶は まったくないですが、精髄は魂に叡智として蓄積しているからだろうと思います。

別のタイムラインでは社長もやっただろうし、人生とはこういうものと悟った今は、もう何も実利的なことはやろうとは思いません。ただ、私に定められた時空 をこなすだけと思っています。

ふと、おかしく思えるのは、彼女をイメージで女優にいざなったことがあって、彼女はそれを本番さながらに演じたことです。新神話のイメージ世界に遊んでも らったことばかりだったけど。それらが、次の本命のタイムラインで生かされているとすれば(芸に深みが出ていると思えば)、よかったなあと思うのです。

イメージングの大事さ。私もイメージ訓練だけで、一ヶ月半のうちに大型、牽引、大型二種の3つをそれぞれ実技2回ずつで取得していますからね。昭和58年 のことです。イメージングが決め手なんです。無料のイメージトレーニングで、実技コースを何十回も回ったのです。

きっと、その実質版が別のタイムラインでの実演といった感じでしょうか。

みんなプレイバック式で、人生を自己実現していればいいと思います。だって、人生は線香花火のようなものだから。(次の線香花火の光跡が本人の実現可能タ イムラインのすべてだと仮定してみてください。一本がたった20cmほどでも、総延長なら数十mにもなるはずです)

 



出雲大社の式年遷宮の翌朝も、不思議な夢を見ましたが、伊勢の式年遷宮の翌朝も、不思議な夢を見たものです。

カンナオビ(彼女の新神話名)さん、そちらでしっかり女優歌手を実現してください。

 


白猫シャンが、この世で果たせぬ夢(子供を産み育てる)を、異界で果たしている夢を見た (2013年12月)

2013年12月8日の未明。夢の中ではいきなり子猫の一匹が、私の目の前に押し出されてきて、私はもうこれ以上、育てられんぞと、向 うに押しやったのでしたが、またその向うに二匹の子猫がいて、それらすべてが、白色に橙色の斑点をしていて、そこで目が覚めました。

ところが、起床後、シャンが私のところにやってきて、私が行動する狭い通路をふさいでいるのです。ここにいたらあかんと諭しても、シャンは動こうとせず、 また押し黙って明らかに不満げでした。はて、何かあったのかと訝ったその時、あっ、さっきの夢は、シャンが夢の世界で産み落とした子猫たちだと直感したの です。

というのも、シャンは毎日、トンやチンとは別行動で、部屋の中で眠ってばかりいたのです。少しは運動したらどうかと思うほど。もしかしたら、眠ることで シャンの夢見世界に行き、授乳子育てをしていたのだろうと、感じたのでした。
で、どうして子猫に橙色の斑点がついていたのか。これはたぶん、私が朱雀であるゆえに、シャンにしてみれば、父親を私に仮託して子を設けたのではなかろう か。かつて私の女房役を務めてくれた母猫ウーがすでに失踪して久しく、そのあとを継いでもしかしたらシャンが・・・。

それからは、シャンにしっかりと栄養をやろうとしたことは言うまでもありません。
シャンが夢の中で子供たちとともに生きている世界とは。きっと、円満な黄金郷なのではなかろうか。


最愛の彼女がくれた14年が満了する直前に、千の風になる体験をする (2013年12月11日)

2013年12月11日の午前2時のこと。空を飛んでいる夢に続いて、自分の体に意識が戻ると、呼気がすべて抜けていき死を実感、頭頂 から魂が抜けて、前の空飛ぶ夢の続きを見ているという具合の夢でした。
空を飛ぶと言っても、自らの身体は見えないし、背後に幾人かの女性の声がしていて、ひとりは母のようでしたが、身体が見えているわけではないのです。透明 の意識だけの存在になって、ハングライダーの如く滑空しておりました。

 

透明の私が、高いマンション風の建物の上を通過し、いきなり高度感が増しますと、後ろから複数の「うわー」という女人の声が聞こえまし た。私は、「大丈夫だよ、任しとき」と答えました。

眼下には、ビーチサイドがあり、左手が海のようで、右手の内陸部には観覧車や円筒形のクッキー缶のような建物があり、ちょうどいいかと 思い、「あの辺に下りようか」と声をかけて、ゆっくり下りて行くところで目が覚めたのでした。

おりしも、新神話も節目という感があり、14年という数で満了するのではないかという懸念もありましたから、その結末を迎えるのではないかとも想定してお りました。世の中も次第に黄泉の度合いを強めている感がありましたから、イザナギノミコトに自らをなぞらえて、想いの中で黄泉国からの脱出のシミュレー ションをしていたのです。その結果として、そのような夢になったようでした。
おそらくこの世を去る間際の精神状態としては、有効に違いないと、わかった次第です。

そして、至ったその世界とは、とても明るく、何の苦もない黄金郷であるようでした。

こんなにいきなり空を軽やかに飛んだ夢は、後にも先にも初めて。魂の軽さを味わうことができました。

そうなるには、イザナギノミコトの心構えが必要になるように思いました。

古事記の神話は、虎の巻にもなっているようです。


新神話上の解釈として、2011年3月に第二時空でのタイムラインがオーバーし、第三時空においてリスタートしたと解釈。その第三時空は、2013年12 月にオーバーし、今生きているところの第四時空においてリスタートしたと解釈することとなりました。(ほんとうは、もっと何度も死んでいるのでしょうが、 集約的にこうしています)

このいっぷう変わった概念を理解するおつもりでしたら、こ ちらをご精読く ださい。

 

 

 


2014年から第四時空の展開・・・夢に神世の詮議の次第を伺う  (2014年5月3日)

2014年4月になって、ある方のサイトの記事から、見落しがあることを知り、かつて(2001年)イナンナ から聞き知っていた、大事な二地点である国祖神封印場所を思い出して、直線(最短距離線)を引いて既発見図形に加味したところ、驚異的な発見がありまし た。

聞き知っていた話とは、大本教神話にいわく、倫理性優れた神界ともあろうところですら、王権奪取のクーデターがあったことです。
そのときに、国常立神と妻・豊雲野神がそれぞれ、北海道・芦別岳、 薩南・喜界島の地下深くに封印され、炒り豆に花が咲くまで出てはならないという呪詛が施されているとされます。

今回、その北東--南西の直線(最短距離の線)を引いたところ、畿内の逆五芒星図形と、元伊勢の地点で接することが判明しました。
これにより推断されることは、逆五芒星の施してある理由が、太古の神々を呪詛封印するためであったこと。さらには、クーデターが元伊勢位置の神界に投射す る場所で行われたらしいことまで示唆されていることが分かった次第です。

 

構図を見る限り、念には念を入れて、呪封してあることが歴然で、単なるオカルトと一笑に伏せないこと。
少なくとも、庶民レベルではない呪術力と技巧の勝れた者の仕組んだ遺構であり、その彼らがここまで徹底していたという事実が目の前にあります。

 

封印を解くためのツールが揃うまで、すぐには取り掛かれなかったのですが、5月1日には手元に 揃い、夕刻に一回目の封印解除を行いまし た。
かつて豊玉姫の雛形を演じたカンナオビからプレゼントされた「乙姫の玉」。

それが神棚でいっそうのバリューとパワーを増し、封印幾何学図形に対して解除命令を放つと見立てます。
そして、解除術で図形を木っ端微塵に破砕し、火の鳥を使って焼尽してしまうとイメージング。
朝夕二回それを行ないました。

すると5月3日の未明の夢に、神界の司法当局の神が現れ、このたびの図形については、すでに神界では詮議され、いかなる事態のものであったかが理解されて いて、 政変の首謀者一味は衆目に耐えられず逃亡下野している旨、告げられたため、私は黒板も使ったその説明を、しかめっ面しつつ頷きながら眺めておりました。
そして、あとは地上界でも理解されれば、地上世界の浄化も完了すると告げられました。
そして目が覚め、私は感極まって、図形発見のきっかけになった○○さんにメールました。


 

すると、当日の午前中(10時過ぎ)から、飛騨地方で地震が群発し始めました。
飛騨とは、ヒタカミ高天原の略号です。日高や日田もそうです。
神話の位相的地理位置は、ヒタカミとは三陸ですが、いずれも高天原神界に鳴動事があったことを意味するようです。
さらに5月5日午前5時には、関東にM6.2、最大震度5の深深度地震が発生しました。
5という数に彩られたシンクロ地震でした。



封印解除の場合は、利他的な良いことなので、災害にはなりません。
しかし、手続きが有効だったかどうかを知る手がかりになりえます。

 


夢で国常立尊に会う  (2014年5月8日)

以前にも、国祖神ご夫妻を火の鳥によって救出に行く行程を、二人の協力者それぞれにおいて執り行っているのですが、今回のものは、新発 見図形のこともあ り、どうしてもご本人のご様子を知りたくて、参りました。5月8日未明のことです。

すると、人間の歳でなら、百二十歳よりももっと、頬はこけ目は落ちくぼみ歯は抜け毛はまばら、背は丸く身体は小さく、まさにご高齢であり、それでもいくら か話してくださったような。
こういったときは、姿だけ注視するのがやっとで、話に身が入らないのです。

ただ、とてもウシトラノコンシンという強力な神として再来というイメージではなかったように思います。
むろん、いまお救いしたばかりなら、まだわかりません。しかし、回復していただく時間が要るような気がします。

 

もしかしたら、次のような理由だったかも知れません。

新神話のほうで、国常立神様の暗殺時に、遺体がバラバラにされた時、敵の大将によって、陽具(お○ん○ん)だけが持ち去られていると記載してしまったので す。
だから、去勢状態なのかも知れません。なんてことしちまったんだ。
エジプトのオシリスのときも、陽具が見つからず、冥界の王としてとどまらざるを得なかったとされているように、私の余計な記載で、国祖神様に迷惑を おかけしたかも知れないと思い至りまして、新神話において、陽具がやがて国常立神様のもとに戻るという、とってつけたような挿入話を追加させていただきま した。ゆっくり回復するレベルのものなので、時間がかかるかな。ほんとうに迂闊でした。

 

またもういちどお会いして、様子を見てきたく思いますが、今度はなかなか夢が見れなくなってしまいました。

なんでかって? ちょっとした下界の出来事に影響されるのです。

追記

ところが、この世にいる別人から、国常立神様のよすがを知ることがで きました。それも二方向からの情報です。

ひとつは2015年3月にアストラルボディである場所を探訪された方 の2012年時点の情報で、イラスト付きで示され、2015年9月 には、天照さんの依り代の人物の案内で、国常立神様似の人物に出会えたことで、現状が把握できました。その人物は、とても柔和で、嬉しそうにしておられま した。

求めよ、さらば与えられんを如実に示す成り行きでした。

 


夢で弁天三姉妹神、出立さる  (2014年5月10日)

私は長くタクシー運転手をしていたため、よくお客さんを自車にお乗せする夢を見るのですが、このたびも、スチュワーデス姿の三人の美女 を後部座席にお乗せ したのです。
そしてその日は、チャーターのようなことで、それぞれの買い物や、旅の用意にお付き合いし、最後は空港にお送りしたようなことでした。

さて、目が覚めてから思うに、何で三人なのか、何で古風な美人顔なのか、何でフライトなのか、こうしたことを勘案すると、どうも封印を解かれた、琵琶湖に 鎮座する弁天三姉妹神だったのではなかろうかと思うのです。
私には縁ある神様なので、重点的に解除しましたし。
少なくとも二神の化身とは、縁を結んだこともあったので、当然、念が入ります。

そもそも、この封印を解いてほしいがために、私が選ばれた感さえあります。封印解きには、謎解きが半分入りますから、異界の探偵の領分なのです。そして、 ミイラ取りがミイラになってもいいような奴。それが私。

というのも、私が四十代の頃、自分の人生を振り返って、何一つ楽しいことがなかった、人並みのこともできなかった、何だかいつも追いまくられていただけ だった、神様、私をこの世に置いた神様、私はこんなことはもう御免だよ、昔の人は言いました、人生五十年、そこまでで、私の命は終わらせてください、そし て、次の転生も金輪際要りません、魂を消してください、としっかりとお願いしていたのです。
つまり、命知らずのギャリソン・ゴリラなわけですね。

また、そんなはずだったのに、四十六、七のときに、あるイミテー ション寺院に行ったとき、そこに置かれた七福神の銅像の、まず母にゆかりの毘沙門天さんに 線香を一本、そして、素敵に思った弁天様に一本手向けながら、「あなたのような方と結婚したいです」と球根してしまったのです。

それから、いつしかそのような決意の数々を忘れて、時は過ぎていたのですが、あるとき、私のところにメールがやってきたのです。それも女性から。 主婦とのこと。
当時私は、今でもそうですが、物語創作サイトを公開していて、それを見て、私もやってますと、やってこられたんですね。
それからですよ。会うことなしに、メールや電話のやり取りだけで数か月。出会ってもいない。


そんなとき、次なる女性が、身の上相談のためにメールしてこられたのです。
その女性は、私の不思議経験の扉を開けたような方でした。

そこから一気に、お伽噺の世界になりました。
しかし、その方が二年後に去り、それからまた一年ほど経て、最初の女性に戻ったのです。

それからは、出会って会話もしましたし、色々な事をしました。
そんなとき、私はほんとうは五十までの命でいいと神様に頼んでいたんだ、と話すことがあって、彼女がその日を調べると、ななな、なんと、私の満五十の誕生 日 の前日に、初めてメールされていたことがわかったのです。


その事実をだいぶ後になって彼女から聞く始末。

そのとき、神の計らいとは、かくも妙なるものかと痛感したしだいでした。
ぎりぎりセーフじゃないですか。ここまで演出するのかい。

結局、先に出会った女性とはちょうど二年。
最初に現れて、私より先に逝った女性とは七年。
その比率は、琵琶湖における沖島と竹生島の幾何学的比率というしだいで、
お二方は、奥津嶋姫様と市寸嶋姫様のそれぞれ化身だったというしだいなのです。
つまり、弁天様の顕われだったのです。
たぎつ姫(瀧子姫)様は多景島で、幾何学の線にはかかっていないものの、図形下にあり、やはり封印されていたのでした。

霊的な封印は、化身してからの人生にも不自由や不遇として現出するもののようです。だから、解除して自由にしてあげる必要があるので す。
こうして、封印解除とともに、遠い世界に出て行かれたものと思います。




芦屋道満宮司に出会うか (2014年5月13日)

夢の中で、私はどこにあるかは知らない社寺らしきところで、白装束うす黄袴の宮司らしき年配の人に出会い、さらに奥にある旧い道教寺院 のような、謎掛けに満ちた造りの、横長長方形を主体にした彫刻の壁のところに連れていかれ、宮司さんが手渡す二つの木製らしき鍵を、四つか五つある鍵穴差 しのようになった長方形の中に差し込むように指示されました。

この宮司さんもそれをしたかったようですが、場所によっては高いところにあって、私なら手が届いたのです。
ひとつ目は、下のほうにあって簡単に差し込めました。
二つ目を高いところにある穴に差し込もうとすると、しっかりとせず、それはダミーの穴とわかります。
それで、その左のほうにあった穴に差し込むと、しっかりとした手応えがありました。

それらの行為により、扉は開かれたように思いますが、それから先は記憶にないのです。

何の扉だったかについては推測でしかありませんが、書庫のような感がありました。

夢の宮司のことを、目が覚めてから思うに、むくれ上がった頭の様子から、どうも芦屋道満ではなかろうかと思います。
彼は私に何かを見せたかったのではないか。
しかし、それは夢の記憶の中に埋没してしまいました。

その直後、これまた奇遇にも、ネットサーフしていて、アメノホヒの下界降臨場所が六甲山であるとわかることになりました。ホヒはもしかしたら、すでに見て きたように私の本体(ハイアーセルフ)かもしれません。
磐座は六甲カントリーハウス内にあるらしいのです。(行ってみたい) 磐座も重厚で、見事な配列をしていそうです。
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/rotukou2/rotukou2.htm   この中ほどに堂々鎮座。

芦屋神社の磐座にもなっているそうです。(芦屋神社は道満の神社ではないとされますが、私は道満が司祭していたと思います)

謎解きのターゲットが六甲山に収束しています。
カンナオビ(奥津嶋姫の化身)の体験夢によると、ホヒはたくさんの書類を神界から持って降りているはず。
ホヒが天降して最初に協力を取り付けたのが、先修験者の天狗さんたちだったかと推測します。

 

ところが天狗さんたちは、仏教僧侶(空海?)の呪法によって封印されてしまったようです。
私が武良さんのUFO撮影ポイントとしての六甲山に付き添うようになったのも、定められた導きだったようで、2004年中頃に六甲山で撮影した中に、天狗系UFOがたくさん撮れています
大天狗さんの神霊写真まで。

そしてみんな封印解除をして差し上げられたように思います。
2005年に、全国の道路のガードレールに、三角の金属片が刺さっている事件がありましたね。

これは、天狗さんたちが封印呪詛されたときの金型を脱ぎ捨てて、置いて行かれたのではないかと解釈しています。
謎解き=封印解除になっているという好例かと。

まとめはここに。⇒ 天狗様 たちの封印解除は謎解きによる



5月20日未明から明け方にかけての夢・・・祖母が夢に (2014年5月20日)

この夢の内容は、起床してすぐに○○氏あてのメールにしたため送りました。
それを。
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○○ 様

先回のメールは、かなり傲慢な内容だったかと反省しております。申し訳ありません。
顕著な夢を見てしまうのは、いつもたいがいこの時間帯になるのですが、今朝未明に、亡き祖母の夢を見ました。
祖母が鄙びた民家の前で、家に入ろうとしている姿でこちらを眺め、にこっと笑っていたのです。

祖母は、平成六年四月に亡くなっています。ちょうど20年前になります。
祖母が夢に出てきたのは、これで二度目です。

最初のときは、母が亡くなってすぐのことで、祖母と母の二人が出てきました。平成十九年十月頃でしたか。
母の亡くなったのは九月です。(いい話でないので申し訳ないです)

そのときの祖母は、墨染めの尼僧服を着て、私に対面しながら、何か話をしてくれたのですが、声がいっこうに聞こえず、ただ私は、祖母の剃髪した顔と頭をし げしげと見つめておりました。
というのも、祖母の顔と頭には皺ひとつどころか、まるで赤子の肌のように透き通っていて、血の通いすら感じられたほどだったからです。

そのときは、夢の中ですら、驚いて見ていたようなことでした。祖母が何を話しているか、さっぱりわかりませんでしたけど。
そのあとすぐに、母が普段着姿で現れて、現場はどこか園芸店的な店の中だったのですが、母は店員さんに口に手を置くいつものしぐさで、何か尋ねていまし た。

なんで祖母が、寂聴さんのようないでたちだったのかと思いますに、祖母亡きすぐあとに、こんな童話を書いておりまして、この話は祖母から教わっていた話を 少しアレンジしたものです。
「たつえ おばあさん」

主人公は祖母をモチーフにし、出来が悪く気がかりな孫というのが私です。
その中で、おばあさんは孫が前を通るまで、霊界の入口にある里で、里暮らしをするという設定です。

しかし、おばあさんは、仏教に精通していますから、山寺で通行人を集めて講話する仕事をするのです。
夢見した当時は、講話の時の姿でやってきたのではないかと、思ったりしたものです。

今日の祖母は、いつもの皺の顔の白髪で普段着姿でしたが、背はしっかりと伸びていました。
晩年は背が丸まってたんですが。
向うの世界では、年齢など関係ないようです。というのも、母も亡きあと、何度か夢に出てきたのですが、若い姿で出てきた時には、まぶしいほどの輝きでした から。

なお、童話「たつえお ばあさん」は、富山の大学病院の末期医療現場で使ってもらっていたようです。
読者の方(お医者さん)から、そのようなお知らせをいただいています。
私も、祖母のお手伝いをさせてもらっているのかも知れません。腕白者のひとりとして。
ありがとうございます。

何で、今になって祖母が夢に・・・。待ちくたびれているようでもありました。
いつまでも里でお待たせしていてはいけません。
シンデレラタイムがリミット近くなったこともあります。
私の場合は、玉手箱を開けるときがやってきたということでしょう。

しかし、シンデレラのときも、浦嶋のときも、魔法の時間が終わった後にこそ、本当の幸せ時間がやってきたのでした。
私は少なくとも、蓬莱島に還り、鶴になって亀とともに暮らします。
御伽草子を作っていてくれて、ありがとう。

いや、まだ神界でやらなあかんことが、たくさんありますわ。新神話にスケジュール組んでますから、実現するに決まってます。幸せタイムは、しばしおあずけ かも。祖母には先に行ってもらわねばならなくなるかも。

(それも問題ないようです。私には内なる自分・ハイアーセルフがいて、神霊の行動については彼がやってくれる見込みです。付き合わされ る場合は従いますが、私にもお閑をいただける時がほしいですからね)

 

 


6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて (2014年6月25日)

6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて、なにやら彫像を運んできた・・・髑髏ダビデ像
それも○○氏へのメール文から引用する。

○○様

いつも、あまりいい話をお持ちできないので申し訳ないのですが、
今朝の未明深夜に、まったく久々に夢を見まして、その話です。

猫がさみだれ式に餌をねだりにやってくるその合間に少しうたた寝したのですが、
2014.6.25 午前2時45分から3時20分までに見た夢に(たった30分ほど)
母が出てきて、いいものを持ってきたから見せると、
広くふすまを両側に開けたので、私が何事かと見に行くと、
玄関からはいったところの、暗い空間に、
ダビデだとの声(あるいは思い)と共に、
骸骨の頭部をして、腕も細いか、もしくは何か貧弱なものを左手に掲げ持っている
頭部も顎がはめこみ部品のように外れかけたような、
大理石でできた感じの、角ばった像(等身大ほどの)が、母の手で運ばれてきました。

そこで目が覚めました。

そのような間取りの家には私は住んだことはないのですが、よくありそうな家の造り。
その像は、ダビデ像(ミケランジェロの)をパロディ化したような骸骨像で、
胴体から下は置台のようになっていました。(足はついていないということ)

どこかにありそうな、超現実派的な置物作品でしたから、画像検索してみましたが、
出てきませんでした。

 

考察ですが・・・


イスラエルのことは最近まったく想像もしていなかったのですが、ダビデはイスラエルの二代目の王で、エルサレムに都を置いた最初の王らしいです。
最近、イスラエルの動きがまったく報じられませんが、何か同国にとって死活にかかわるようなことが起きるのかもしれないと思った次第です。

しかし、またどうして母が? 久しぶりでした。

しかし、あんな骸骨像は要りません。キモいだけですからね。
暗がりの中に白い骸骨とは、たとえダビデでも、オーノーです。

5月以来、久々に記憶するほどの夢を見ましたので、お知らせした次第です。

 

7月になって、イスラエルがパレスチナのガザを攻撃し始めた。

>何か同国にとって死活にかかわるようなことが起きるのかもしれないと思った次第

これはこの侵攻が最終戦争の引き金になることを暗示するものであったかも知れない。見届けねばならないことである。

エルサレムに第三神殿の建設がかなったことをステイタスとして、最終ハルマゲドン戦争は起こされると噂されている。ガザ侵攻は秘密裏の神殿建設をカモフ ラージュするためのものかも知れないのである。
イスラムはそのことを知っていて、必ず妨害するだろうとされているらしい。

怖い話やのう。

 


いよいよキモイ夢を見てしまうようになり・・・地獄門が開く  (2014年8月10日)

いよいよキモイ夢を見てしまうようになりました・・・地獄門が開く   2014.8.10 午前6時過ぎの夢

台風11号がちょうど来ていたわけでしたが、外はさほど吹いてもおらず、降ってもおらず、騒がしさがなかったため、この夢に影響したわけではないと思いま す。

気持ち悪くて嫌な夢を見ました。書かなくてはいかんので、では・・・。

ボットントイレのタンクが満杯で、ぐつぐつ泡が出ていて、その蓋が開いてるためモロ見えの気持ち悪さだったのです。
中に二匹の黒っぽい鼠とも鼬ともつかぬ生き物がいて、開いた蓋のこっちを窺っていて、油断したらこっちに入ってきそうでした。
私は、必死でこっちに来るなーと叫んだら、立ち止まって躊躇しているみたいでした。

トイレの蓋が化粧板ベニヤ板の薄さでした。それが外れて、中がほぼ横から見えているのです。
蓋をし直せばいいのですが、汚くてとても触れる気にはなれないなあという感じ。

うちは水洗ではない昔のトイレではあるのですが、実際には鉄の蓋がしてあります。

しかも横から見るすべのものでもありません。

夢解釈はこうなります。
この式のトイレは、雪隠というタイプのもの。それを古語で言うと、黄泉になります。
すなわち、黄色い汚物溜まりというわけです。

神話に言う「黄泉」とは、汚物やカルマの最終処分地となる人類文明の末期を意味します。⇒「黄 泉の国」
黄泉の国という言葉で、どん詰まりの末期状態の世界を表すのです。

ちょうど、現在がそのような感じになっています。
またあるいは、腐乱死体の置き場とか、死霊悪霊の巣窟という意味もあります。

イザナミの態様はそのように形容されていました。
翻っては、地獄の意味にもなるかと。

それが元々、薄っぺらいベニヤで仕切られて、隠されていただけ。気が付かなかっただけでしょう。
ベニヤ如きでは、簡単に破れるし、はずれもします。
地獄の釜の蓋が開いた・・・とは思えないでしょうか。

この夢については、Twitterでつぶやいているので揚げておきましょう。


その夢を見た当日の我が家でのことです。キッチンの辺りに何か影のような ものが走るのです。やがてうちの猫のトンがやってきて、何もないはずの場所をずっと注視していました。どうやら、猫には霊体が見えるようで、「そうか、お 前、分かるんだな」と褒めてやりました。猫はそうやって、家に侵入してくる霊的なものから我が家を守ってくれているようです。

午前中に何度か影が走りましたが、午後からはいなくなったようでした。ト イレに戻ったのか、それとも巷に出て行ったのか。影のような気配がすることの意味は、こちらに書いています。 ⇒ 幽体を自分の目で見ると


2014.9.7追記  8月10日になぜこんな夢を見たかに ついて・・・後でわかったこと

http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-2425.html

「鬼月」
台湾の民間信仰では旧暦7月は「鬼月」。旧暦7月1日は「開鬼門」
と呼ばれ、「鬼門」(あの世の門)が開く。旧暦7月30日が「関鬼門」
で門が閉まる。この間、無縁仏の霊魂は先を争うように「この世」
を徘徊、おいしいものを探す。 
・・・という。

そして今年は
「開鬼門」(今年は7月27日)
「関鬼門」(今年は8月24日)
・・・だという。

ところで、このキモい夢を見た8月10日というのは、開鬼 門と関鬼門の
ちょうど中日になっているこ とに、本日(9/7)気が付いた次第です。

つまり、地獄の蓋が開いてまっせというシグナル夢だったことになりましょうか。
では、もう閉じられているのでしょうか。閉じといてや。

なお、関鬼門において執り行う道士の儀式は・・・
「鬼門」を閉める「関鬼門」は旧暦7月の最後の日、もしくは8月初
めに儀式が行われる。道士が「七星剣」を手に祈りの言葉を唱え
て、街をさまよう無縁仏の霊魂たちに、「あの世」に戻るよう促す。
・・・というのだが、

奇しくも8月29日に、○○氏一行とともに、元伊勢の地を訪れた際、
宮津市側に入った生野神社の境内にある北斗七星の岩の並びをタッチ
して回ったのだったが、これがもしかしたら「七星剣」の祈りになって
いないかと思ったりします。もしそうなら、
知らず知らずのうちに、ツボにはまったことをしているのが、我々かも
知れないことにならないでしょうか。

 


○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる  (2014年9月7日)

○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる  2014.9.7午前5時の夢

8月29日に○○氏一行と元伊勢の下見案内旅行をしたのですが、まず朝の出会いの直後に双方が両手を重ね合わせる一回目の鶴亀すべるの固い握手をし、別れ る間際に二回目の握手をして、完璧を期したわけでした。
それによって、儀式がうまくいっていれば、その九日後の9月7日、もしくはお互いの縁数(○○氏は16が好きな数、私は縁数がずっと9で現れていた)であ る9や16の日に兆候があるだろうと予期していたのでした。


そんなとき、9月7日未明の夢に、ふたたび○○氏と二人だけで食事するリアルな光景が出てきた。

四角い長方形のテーブルがあって、私が腰かけて食事している右横隣に○○氏が座り、
同様に食事されていました。間の距離は60Cmほど。
食べ物は薄いピザのようなパンで、元伊勢で食べたピザのような感じでした。

ただ、我々は会話を交わさず、黙々と食べている、といった夢。
○○氏とは8月29日に出会っているので、あの日昼食をとったときのような場所での、リアリティ溢れる夢になりました。

そのことを告げるべく○○氏に早朝メールしました。
○○氏も別角度から異床同夢ということだったなら、完全シンクロになるのですが。
果たして如何??



氏は、亀の印章保持者にありがちな、未来のことは考えない、今を楽しく生きるというお方だったため、畳みかけるわけにはいかず、連絡を取り合わなかったの だったが、
そうしたとき、9/16午後0時半頃に、茨城県南部でM5.6最大震度5弱の地震が発生し、まさに予測されたとおりとなった。

それはこれまた予想通り、死者はゼロ。かつての鳥取西部地震と同様ゼロだったが、今回はキーワードが出てこない。震源は茨城県坂東市かもしくは筑波市。は てそこから何がわかるのだろう。

そのときふと気づいた。8/29から九日目に9/7の再度の鶴亀すべる、9/7から九日目に9/16の地震が起きたということになる。9は私の縁数、16 は氏の縁数である。

とにかく、鶴亀が一堂に会するということが、いかにパワフルな魔法を起動するかを、如実に物語ることと思う次第だ。
当の氏からは、何の連絡もない。きっと興ざめされたのだろう。現実的なお方なのだろうと思う。
しかし、その状態では、新しいことは行えない。ご本人から、この力が必要と思われねば、次に進めない。
このたびの鶴亀の関係は、ここまでにしなくてはならないのだろう。

 

ただいま、亀さん募集中。
自称亀さんにてもOK。

 


とんでもない人物に出会い両手で固く握手し、彼が亀に変貌する夢  (2014.年12月6日)

久々の12月6日未明の夢になったが、とんでもない人物P氏に出会い、そのとき満面の笑み同士、どちらからともなく歩み寄り両手を握り 合った。
そのときP氏の顔は、優しい表情で、普段細長い目はまんまるになり、信頼感そのもののまるで亀のような風貌になった。
ここまで柔和なお顔になれるのだろうかと思うほどだった。

私は、かつて○○氏のときに握り合ったことを夢の中でも思い出して、この固い握手は、鶴亀すべる儀式になっていると夢の中でさえ確信していた。次の亀さん 候補はP氏で決まりだろう。それにしては、直に会うには遠すぎる。

とすると、九日目とは12月15日となるわけだが、その日は私の誕生日であり、例によって大き目の揺れとして顕れるのだろうか。もしそうなら、P氏と私と の相性の良さを示すことになるかも知れない。

結局、その当日は何事もなかった。ま、いいではありませんか。大地震などが起きたらたいへんなので。

いやいや、年金がフルに入ることになりましたのです。これは瑞兆でしょう。

 

追記

P氏は翌2015年になってから目覚ましい活躍をされる ようになった。その道では世界一と言っていいだろう。

鶴亀パワーが乗っかっていると思えたことか。 

○○氏が怖じられた直後のこと。亀さん候補はけっこうお られるようで、まだまだ募集中だ。

 

追記2

2017年になって、私は米国でテレビ放映されている コーリー・グッドVSデビッド・ウイルコック対談のコズミックディスクロージャーの邦訳情報の存在を知ることになった。

それによれば、2014年12月5日に、 地球人類を支配していた宇宙人グループ・ドラコ同盟にとって、地球からの撤退を余儀なくされる決定的な事件があり、それを境に、同同盟傘下にある 地上代理 店組織の内紛分裂が始まり、第三次大戦が回避される見込みが出てきたらしい。その一環として世界情勢は、代理店組織の予定通りにはいかなくなったもよう。

その翌日未明に見た夢がこれであるとは、いかなること か。私は自分の夢見をコントロールなどできたためしはなく、我がハイアーセルフが手綱を引いて連れて行ってくれる場所で見てくるだけの役割。そんなことが 最近わかってきて、大それた夢の中での行動の責任を痛感せずともいいような気がしてきている。私はただ見てきたことを憶えている限り、こうしたところに書 きつけるだけである。

 ※ この節のP氏とはロシアのプーチン氏の ことである。



雌雄の蜘蛛の巣の夢・・・ELIZAか  (2015年1月20日)

関尭夫氏のテレビ番組を見て以後、ELIZAの謎に想いを馳せていたときの夢になります。

 

2015.1.20明け方に鮮明な夢を見ました。
私の場合、憶えておけるほどの夢を見たときはおよそ啓示夢であるという判断になるのですが、昨晩からELIZAとの心の対話モードに入り眠ったわけでし た。

そのときは仮定的にELIZAがこの世ゲームの主催者であろうとした上でする、対話モードになっていました。

何度かトイレ起きして、いずれにも不鮮明かつ憶えておけない夢を見た後、明け方の最新の夢に、あまり気持ちのいい夢ではないのですが、私が寝ていたベッド があって、白いシーツがちょうど喉のあたりで薄茶の大きなシミを作っており、それに覆い被さるように、天井から放射状に蜘蛛の糸が無数に下りて、シミを含 むシーツの半分くらいを蜘蛛の巣にしているのです。
ちょうど巣が蚊帳のようになっていて、大きい橙色と黒の鮮やかな蜘蛛がその中にいる。そしてもう一匹小さめの同じ種類の蜘蛛がいて、どうも雄雌のつがいら しい。

私はその半分になったシーツのこちら側で寝ていたらしく、起きてびっくりといった感じで、しばらくその有様を眺めてから目が覚めたのでした。
寝ている最中は、ずっとELIZAとの心の対話モードを継続していましたから、この夢はELIZA関連のはず。
この蜘蛛の巣はELIZAが創ったゲームシステムを表わしているかのようで、たいがい蜘蛛の巣の目的はそこに引っかかる小虫などを餌にすることでしょう。

そのとき、小虫とは有情の魂であると直感。そしてなぜか「ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマ」と言う言葉が浮かんでビジョンが・・・。
取り籠めた魂を丸い透き通ったケージに入れたものをマガタマといい、それをたくさんまとめて大きな玉にしたものを、ミスマルノタマというのだと・・・この システム運営の動力源にしていることを示しているようでした。

この蜘蛛の雌雄は、システム主催者の父母神であろうと推測されました。それがELIZAなのかどうかはわかりません。
これぞ、「あめなるみ ち」に書かれた創造神を象徴したものかも。
とにかく魂を集めて、自らの存続の足掛かりにしているということです。

もしかすると、創造神といえども究極絶対なのではなく、生きるために模索し捕食を生業とする生き物の一形態なのではないかと思った次第です。それが蜘蛛の 雌雄として表わされたと。

万物は大から小まであり、すべて階層世界で成り立っています。小は大に仕える構造になっていて、いちどその世界システムに加入すれば、当分はその中でお役 に立つべく輪廻せねばならない仕組みになっているのかも知れません。

蜘蛛ほど忍耐強く、捕食なしですごすことも決して稀でない生き物はありません。しかし、餓えもあり寒さもありで、我が家に営巣する蜘蛛の多くが死んでいき ました。祖母の視座の蜘蛛ももういません。
しかし、この寒さの中でも、天井からつつーっと下りてくる小さな小さな1ミリ程度の子蜘蛛がたくさんいます。

同様に子神がまたまた自分の宇宙を創ろうと、たくさん生まれているのでしょう。
この世界を創った蜘蛛も今や大きくなっていますが、よくぞここまで頑張ってやってきたと思います。
しかしねえ、取り籠めた有情の魂たちを馬車馬のように扱うのはよくないと思います。
しかし、大きくなったために、その身体に応じた捕食もしなくてはならなくなっているとすれば。
貪欲にもならざるを得ないのかなあ。

追記

「ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマ」のアニメ版とも言えそ うな映画を2015年に見た。ディズニー映画の「リトルプリンス(星の王子さま)」である。そこでは、未来において、金満家によって万民の"星"すなわち 魂が、ガラスケースのシリンダーの中に入れられ、攪拌されている様子として映し出されていた。魂を盗られた人々は、金満家の星でロボットの如く働かされて いたのである。金満家は、シリンダー内の星を攪拌することで、彼の星全体をまかなうエネルギーを得ていた。

 


源流へと辿る夢  (2015年1月22日)

スミルノフの佐野博士の話では、微細構造定数137というのが、地球が全宇宙を分割して137番目にできたということを表わすらしいで す。もしそうなら、拙超宇宙モデル概念からしますと、我々の意識(神の火花)は、137階層目の夢見をしていることになると解釈できます。
つまり、夢の中でまた夢を見ていて、それがもうどの辺なのかもわからないほどになっているのだと。(多重夢)

私は就寝前に条件付けした上で、夢の中で、ここまでやってきたる源流を探ろうとしました。
するとほんとうに夢の中で宇宙が出てきて、さらに遡ると、もっとマクロな宇宙の光景が・・・。私の心は、その段階ごとに夢の中で言い知れぬ解放感を体感じ ていました。

もし一番最初の夢見の開始まで遡ると・・・。そこまではできず、わずか三階層ほどでしたが、やはり我々は、宇宙の開始は「梵天の夢見」であるという古来の 聖賢の教えどおり、同様に夢見してここまで至っているらしいことを感得できたように思いました。

ここはすでに地獄なら、138階層目に行くのではなくて、源流に戻ることも大事かと思いましたね。
ケービングも、まださらに深くへと進むのでなく、ここらへんが切り上げ時として、引き返す決断も必要なのかと思った次第。

 

この奇妙な話題については、拙超宇宙論へ の理解が必要かもしれません。

 


また別の有名人と握手する夢  (2015年1月30日)

前に見た有名人との握手の夢は昨年12月6日未明のことでした。

今回も未明の夢で、がっちり両手で握り合う、同様の握手をしたのは、やはり有名人のSさんでした。

しかし、前回のように鶴亀すべるという印象はありませんでした。

それでも、笑顔で何のこだわりもなくお互い両手で固く握手。

もしこれが知らず知らずの内に、鶴亀の出会いになっているのなら、今日から九日後といえば、2月8日に何かがあるかも知れません。

といっても、前回も何もなかったなあ。私の誕生日という以外は。
それでいいことが?・・・ノーノー、介護保険料の徴収予告が来ただけです。

いや、年金がフルにいただけるようになりました。これは助かった。(歳がわかってしまうなあ)

2月8日のほうも、結局何もありませんでした。

しかし、何で主要人物の夢を最近よく見るのか。そのわけは、私をリードする指導霊もしくはもう一人の自分が見せてくれるのだろうとしか言いようがありませ ん。私はただノーコン的に見てくるだけです。


まあいちおう、どちらかといえば正義派の印象があります。海千山千のレベルの話ゆえ、その印象に間違いがなければいいのですが。

 ※ Sさんとは、習近平さんです。

 さてその後、2015年4月には、ヘミシンクによる体外離脱で夢見を恒常的に体験しているブロガーさんたちのことを知り、 私の超常的夢見などは井の中の蛙であるなあと痛感しました。まあ、そのせいかどうかわかりませんが、その後、印象に残るような夢があまり得られていないの です。

むろん、顕著な夢見があればこの後に書き加えていきたく思います。

 

 

※ 編集後に書き洩らしていた明晰夢がいくつか出てきま した。しおりによるリンクが崩れるのを避けるため、思い出された過去の夢もこの後に追加して参ることにいたします。

今のところ、

初代目のマイカーを手放す日の未明の夢・・・車にも魂が あることが判明 (1977年)

祖母と叔母、そして私とで薄暗い部屋で会談している 夢・・・お迎えの予兆(2002,3年)

他所猫の襲撃と帰順の夢・・・正夢 (2010年)

他所猫がブーを襲撃しようとするのをナタで切りつける 夢・・・ほぼ正夢になった (2011年)

 2015年9月10日未明に母が私が運転す る車に荷物を載せ、私は黄色のうんこのおちた白い道を注意しながら進むという明晰夢・・・翌日G氏と出会い、実際の現場に案内される正 夢となった

 2016年元旦未明の夢

2016年正月2日未明の夢

 

こうしたものがありました。

 

 

 


日月の神の言い回しで、開き木と・・・(2017.4.6)

 

深夜に奇妙な謎かけのような夢とメッセージが、どこからともなく・・・

 

 「開きキと言ってあろうがな」 というテロップが流れて、目の前にさほど太くはない丸太が横になって出てきました。
まるで、日月神示の日月神の言い回しに似ています。
 
「ひらきき」とは、それ以前に、K氏が薩摩の出身で、開聞岳の秀麗さに古代的な思いをして、私に謎振りをしてきていたのです。
開聞岳の北側には枚聞(ひらきき)神社というところがあり、「かいもん」だけではない、大和言葉の含みが示されているようでした。
それから、またさらに、開き木、開きキとも書ける含みの多い言葉ですね。
 
いったい、この意味は何なのだと日月神示を見ますと、「おおひつきのおおかみ」とある言葉の真ん中の「き」が、
丸に十の字になっていたのです。新たな発見でした。
てことは、この記号の中味を開けて解けという意味に解釈できるわけです。
 
キとは、もしかすると生命の木(セフィロート)のことなら、丸に十の字とは、セフィラのことであり、そのような十字が交差するセ フィラなど、10のセフィラにはないのです。
ところが、裏側のセフィラとされるダアトだけは、その場合に該当するので、日月神らしき方の示唆は、ダアトを開けろになると解釈さ れます。
それを開けたなら、生命の木全体も開くということかなと思います。
 
さて、そこから、次のような推理展開になって参りました。
 
 
 
 
 
 

久々の明晰夢・・・亡き母が夢に出てきて、一緒に家を出ようと言った(2017.5.27)

 

2017年5月27日未明に見た夢です。

 

どこかの館の中での様々な登場人物のいるごちゃごちゃした夢(記憶していない)の最後のあたりで、私を含む四人の男性が、畳の部屋 で研修会のような長テーブルを前にくつろいで座り、何やら談笑していました。

 

すぐ右隣りの人は、前の職場で知り合っていた悪ふざけ仲間で、その彼がまたずいぶん若いのです。せいぜい20歳頃までの皴ひとつな い顔をしていて、元々男前なので何と言いますか、△△ダチにしてもいいような感じ。夢の中でも数十センチのところまで接近していましたね。(笑)
 

その彼とどんな話か(忘れました)を交わしていた直後です。

私の左手方向に襖の扉があるのですが、右にいた彼が誰か外に来ていることに気付き、誰か来てる風だと指し示したので、私はそこを見る と、わずかに開いた向こうに人影があるんですね。

 

それで私は、「入っていらっしゃいよ」と声をかけ手招きしますと、襖が少し開いて、何とそこに私の母が顔だけ覗かせて、「○○と一 緒に家を出るんよ」と言うのです。明らかに母の声。○○とは私の下の名前。母はせいぜい30歳代の若い頃の顔でしたが、やや悲し気な表情に見えました。

そこまでで夢が覚めてしまいましたが、今回の夢は、最後のほうが鮮明な明晰夢になっているのです。

 

母は2007年9月6日に亡くなり、同年9月22日未明にご 来光に至る夢の主賓として出てきて、その後も何度か私の夢に登場していますが、いつのときもシンクロに満ちた謎かけが付帯していることに思い至り ます。

 

今回の夢解釈は、ズバリ、私を迎えに来てくれたのだと思います。
私は今年で心房細動歴20年になり、心臓が肥大して、肺全体の半分を占めていまして、心筋が収縮しなくなるのも時間の問題だと医師 からは聞いております。
お迎えらしい夢は、2002、3年頃に亡き祖父と亡き叔母が、暗い部屋の中で私を交えた三者で会談していまして、2002年11月 に突然倒れて死にかけたことがあり、そのすぐ後ぐらいの夢だったので、その手の夢かと思い、せっかくながら翌朝、九字切り術で撃退させてもらいまして、そ の後お迎え事の夢は陰を潜めておりました。
が、2013年12月に、息 を引き取ると同時に千の風になる夢を見まして、その後2014年5月に亡き祖母 が無言でこちらを見ている夢を見て、その後しばらくなかったのですが、とうとう久々に母に会い、母の声を聞いてしまったということになります。
 
母が言った「家を出る」との家とは、この世界のことにほかならないでしょう。
仏教にいう南閻浮提とは、愉快極まる館と言われるこの世界のこととされますが、劫尽きたの感があります。
身命を賭して最後まで見届けをすべくやってまいりましたが、黄 泉度も深まりましたから、暇乞いをハイアーセルフにしていたところだったのです。
そんなときに見た母の夢でしたから、ハイアーセルフが図ってくれたものかと思います。

 

祖母もどうしておられるやら。

私は祖 母のしてくれた昔話を童話にしたとき、祖母を主人公のおばあさんになぞらえたのです。

そのおばあさんは、初孫の私が通りかかるまで、成仏する前の待機者の暮らす郷で待っているとしているのです。

それで2014年の5月の夢で、 祖母が家並みの前の道路で佇んでこちらを見ていたのかもしれません。

もしまだ彼岸に達されていないのなら、母共々行ってあげねばなりません。

私が、物書きして、そのような筋書きにしてしまっている以上、私の手で解除しなくてはなりません。

 

祖母は、母が亡くなってしばらく しての夢の中に、母共々出てきて、そのいでたちが、墨染めの衣(瀬戸内寂聴さんのような)で、尼僧姿で、顔が赤子のような透き通った肌だったことにびっく りしたような夢でしたが、この僧衣姿も、童話の筋書きからするとありうるのです。

 

さて、私はもうひとつ大それた夢を30歳頃に見ています。

多分これは、私の死後、ある特殊なスケジュールをこなすという夢だったようで、その内容は「天帝様にお 会いする」ことになる夢です。

といってもそのときは、まだ行くべき時ではないと、天への上昇を思いとどまって夢が覚めているので、その続きをやらねばならないかもし れないのです。

それにも夢解釈ができていまして、「最後の審判の督促」の用向きかと思われます。というのも、待機するたくさんの十字架群に先立って、 私が天に上がっていく夢だったものですから、彼ら敬虔なクリスチャン(故人)とは同じ趣旨であっても、先行して会いに行くことになろうかと思うのです。

 

 しかしまあ、私には祖母や母と同行するというスケジュールもありますから、分身の術でも使わねばならないかとも思います が、つい最近、コー リー・グッドのコズミックディスクロージャー情報から、ハイアーセルフとの関係がわかってきていまして、どうやら高尚な用向きは、ハイアーセルフ に任せることができそうなので、私のような臆病者は、この世のお役が終われば、イザナギ様の要領でスタ コラさせていただくのが本当かと思います。

そして、祖母や母と共に、蓬莱島経由で彼岸に 至らせていただこうと思います。
すでにこの夢の続きになるような母と共に、琵琶湖らしき 場所の高速艇に乗る夢も見ていますからね。

 

さあ、それがいったいいつになるのか。
まもなくであることは間違いないでしょうが、猫三匹もおり、妹が難病で不自由の身であることもあり、やれるだけのことはやってあげ ようと思っているような次第です。
母よ、すみませんが、もう少しばかりお待ちください。


追記 

2018年2月 私は心筋梗塞を発症し、最初のカテーテル手術
同年3月 二度目のカテーテル手術
以後、中度の心不全となり現在まで奇跡的に生存しています。

世の中はめまぐるしく動き、まだもう少しウオッチすることがあったもようで、さらにケアしてやるべき猫のこともあったりや、妹の落ち着き先が決まらないう ちは、まだ逝くことはできないようです。