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経緯 私は1974年頃に、CFC(宇宙友の会)というUFO観測同好会の男女10名ほどのグループに同道して、湯の山温泉の近くの朝明キャンプ場でUFOを目 撃したことがあ る。 御在所岳の麓のこの場所はUFOの通り道になっているとの噂で、皆してカメラや望遠鏡などを持って夜9時ごろから観測体制に入った。すると程なく、橙色を した流星のような光芒が出現して消えるという現象が夜空のあちこちで見られるようになった。単なる流星ではないのかという疑念が湧いたものの、リーダーは これがUFOなんですよと言われる。 そのうち私は、頭上を見上げる姿勢の持続に無理を感じ、寝袋に入り横たわって中天を見上げることにした。5分もすると、私は星の瞬く夜空に吸い込まれるよ うな気持ちになり、やがて宇宙に投げ出されて漂っているような気分となった。星空が立体的な遠近感さえ醸し出し、その不思議さに浸りつつ言い知れぬ幸福感 を覚えてきたので、思いつくように、テレパシーで今その辺に 来ているであろうところのUFOに向かって、「私を友達にしてくれますか」と語りかけてみた。すると、わずか2秒ほど後のことである。私の視 野のど真ん中 に橙色の三日月状のかなり大きな物体がよぎり、次の瞬間にはあの流星となって、クロスを描くように飛び去った。私は、「あっ」と思ったもの の、騒ぎ 立てる心境にはならなかった。自分だけに確かなメッセージがもたらされた神聖な気分が言い知れぬ感動と共に訪れたからである。 この同好会は、UFOの存在を信じ、友好的にすべき存在として疑っていなかった。メンバーの中には、頻繁にUFOを目撃したり、それらしい光体を写してい る人が何人かいて、その中には自衛官もいて、駐屯地上空にも現れるのでそれを撮影したと、年に何回かその写真資料を基に展示会まで開いていた。私は素直に 彼らの考え方に納得していたから、あのような語りかけもしたのである。むろん、高度文明への憧れもあったからである。 その希望をUFOは認めてくれたのだろうか。それ以降、UFOは夢でいざなうかのようになった。夢の中にたびたび満天の星空があらわれるようになり、そこ にすいすいみずすましのように飛ぶ星たちが立ち現れるようになったのである。いわゆる白球型UFOの群れである。後に「星の子」と名づけている。当時はそ のようなUFOはないもの、夢にしか出てこないと思っていた。しかし、なぜ赤いUFOだったものが白い星に替わったかは不明だった。 そんなある日、夢になんとなく無機質な夜空が現れ、そこに直線的にゆっくり飛んでくる白球UFOが一つあった。おっ、いつもの奴かなと見ていると、ゆっく りと直線的にやってくるではないか。ところが、中央付近で、固定された大き目の星 にぶつかって、ポッと音を立てて反対方向に跳ね返っていくのを見て目が覚めた。この意味をすぐに考えてみた。まるでテレビゲームみたいではないか。このと きUFOには映像で我々の感覚に作用させている場合があることに気付いたのである。つまり、私の視神経にコントロールを与えれば、UFOとして見ることも あると。 ところが、私がこの原理を知った(余計なことに気付いた)せいか、UFOはそれ以来夢に出てこなくなった。 だが、たかが夢にしろ、見せる者がいて、それが誰なのかを考えれば、やはり宇宙人以外に考えられないのである。彼らは見せる相手を選んで見せることができ るから、頻繁に見る人は見て、見ない人はまったく見ないという奇妙なこともありうるのである。単に空を眺める時間に比例したり、確率的にどうこういう問題 ではない。と私は考えている。 私は1975年頃に上司の勧めでヨガ瞑想などをするようになった。お前はちょっと落ち着きがないから、ヨガでもやってみたらどうだといった話で、ヨガの言 葉も知らなかった頃のことである。ところが、社外で知り合う友達がみな奇妙なことに精神世界に通暁していて、ヨガの本をくれたりして、ああこれかと本をも とに呼吸法や瞑想などをして、おちつき安らぐ日々を得ることができた。1980年には埋蔵金伝説民話作家の村上良行氏から、何と畑違いにも、バトラーの 「魔法入門」をプレゼントされ、この中の呼吸法、瞑想法がヨガと同じであることも知り、後のカバラの発見の土台にもなったのだった。村上さんの感化は、歴 史が動く裏には、人が及びもつかぬ動機があることを示してくれたことだ。 そして、ヨガにもいろいろなやり方があることを知り、1981年頃にブームだったピラミッドパワーにあやかろうと、フレームを作って瞑想場の神聖度を高め ようとし たときのことだった。初めてで、しかも最後であろう強烈な神秘体験をしてしまったのである。 園芸用の90cm緑棒四本と接着固定用の粘土でピラミッドを作り、正確に東西南北にあわせて設置し、中心に枕を置き、頭を入れて仰向けに寝て、ちょうどピ ラミッドの中の王の棺室に相当する位置くらいに眉間がくるようにして、ヨガの呼吸法を試みていた。意識がまどろんで無と有の境にくるかといったあたりで、 とつぜん、UFOは映像だから閉じ た目の中にさえ飛び込んでくることもできる!!と観じたその瞬間、目を瞑っているのに、向こうに太陽のように輝く UFOが現れたかと思うと、次の瞬間には赤熱しながら、私が意識を集中している眉間から目の中に飛び込んできた!!のである。 視野の真ん中頂上か ら、太陽光のようなまぶしい光が放射状に視界全体を覆ったので、私はあまりの出来事に驚き、閉じた目を開けざるをえなかった。ところが、目 は開いたのに、視界はすべて真っ白で あった。このため、うわーっ気が狂ったと、首を左右に振ると、しだいに全面の光がちぎれ雲のように雲霧消散 していき、やがて照度の乏しい蛍光灯の部屋の光景がそこに現れたのであった。 空海は瞑想中、口の中に日輪が飛び込んできたというが、私は目の中だった。彼が長い修行を経てそうなったに比して、私はピラミッド瞑想をはじめて3〜4回 目の出来事でしかなかった。ピラミッドの形に絶大な効果があるには違いないが、この出来のよさはどういうことなのだろう。空海はその体験をたいせつにした だろうが、私はキチガイ沙汰のように捉えてしまった。今では、いい体験だったと思い返せるが、神秘も簡単に起きすぎると、その価値がわからず通り過ぎてし まうという弊害がある。 せっかくやってきたUFOをがっかりさせたせいか、あるいは自分の逃げ腰が防衛線を引いたせいか、この時点からUFOとはご無沙汰することとなった。 しかし、蛇の道は蛇というか、少し後に、今度はクラブ活動の中でUFOに遭遇し関心を持つようになる。 1994年に日本UFO研究会の平田会長の仲介で武良さんと知り合い、行動を共にするようになってからUFOの謎解き挑戦が再開された。同年10月9日、 武良さんとの撮影同道2回目にして、我がカメラで2分間のUFO集中出現を捉えて俄然やる気になるも、翌年の震災によりしばし中断。武良さんは地道に撮影 にいそしんでいたが、私もようやく気分の乗ってきた1997年頃に、武良さんのUFOサイトと私の創作サイト、不思議サイトを作り上げて立ち上げる。 2000年には、テレビの特番にはじめて紹介されたホセ・エスカミーラのスカイフィッシュ情報に、武良さんや私の撮影物が酷似していることを知り、ホセに さっそくメールを送ると、ただちに反応をよこしてくれ、こちらのサイトを知ったことを彼のメーリングリストで世界に配信してくれたため、アクセスカウント がわずか一週間で5000以上を記録し、世界レベルというものの迅速さ、物凄さを知らされた思いがした。 それからは、武良さんが本邦でのスカイフィッシュ撮影第一人者の地位?を不動のものにし、テレビ朝日の「これマジ!?」などで多大な成果を収めている。 2002年には、スカイフィッシュ報道により、スカイフィッシュ目撃者でもある坂本さんがメンバーに加わった。 初めての新入会員だった。そのことにより、クラブはとてつもなく強化さ れ、謎解きもいっそう進展することになった。今この2003年9月時点で、クラブメンバーはまだ4人(坂本さんの奥さんも加わり4人)である。が、他者の 情報集 めという方向からまったく独立した情報クリエーターとして最強のコンビネーションを誇っていると思っている。 まったく初対面の頃、坂本さんがいきなり言い出したのが、我々メンバーが遠い過去世(12000年前)の縁でここに集っているという話だった。武良さんが ムーの王だったころ、私はエジプトのファラオであり、坂本さんは私の側にいた神官だったという。神官を何世も勤めた彼は、とてつもない霊能力を蓄えるに至 り、ラスプーチンとして生まれ変わったとも聞いている。とにかく、人の過去世ぐらいは容易に透視してしまう人である。 その理由も、ようやくこの10月になって分かった。彼はヨガ熟達者以上の脳の仕組みをしていることが、何の気なしの会話で分かったのだ。彼は昏睡時の脳波 形でふだんを過ごしているらしい。医師に指摘されているという。 彼の話によると、ムー大陸が壊滅したとき、ムーの神殿も崩壊し、ムーの王だった武良さんが神殿の柱の下敷きになり、いったん絶命したのを、我々エジプトが 救い出し、エジプトにあった生命蘇生機で蘇らせたという。その後、私の娘と武良さんの前身が結婚し、けっきょく私は二人に殺されてしまったという。その経 緯は聞きたくはないから聞かずにいる。坂本さんによれば、あの当時のメンバーが今ここに、奇しくも集まっているのだという。奇妙で複雑な宿縁を思わざるを 得な かった。 2003年になってからであった、早稲田大学のエジプト考古研究で実績をあげている吉村作治氏の仮説がCG映像としてテレビ放映された。エジプトのファ ラオは、大ピラミッドの中で、石棺に横たわり、特定の日に太陽神を体内に受ける儀式を行っていたらしい。太陽神は、ピラミッド内部に入る と、縦長の中央回 廊をうねりながら飛び進む赤熱の火の鳥となり、上下運動を繰り返しながら王の棺室の石棺の中に横たわるファラオの中に飛び込んだというのである。こうして 王は真 に太陽神のパワーに満たされたという。 なんだとお、それなら私がミニチュアピラミッドで体験したことと変わらないではないか。 私がピラミッド瞑想でなぜ容易に太陽のシャワーのような光の体験をしたかを考えてみると、過去世の追体験というものかも知れないと思える。相似形 のピラミッドという形に、過去世の記憶が惹起されたのではないか。このときもまた、太陽神は過去世の私を慕うようにしてやってきてくれたと信じたく思う。 また、私の中に火の鳥が宿っているのだろうか。昨今そのように思うことがある。2000年10月に火の鳥復活の兆 しが見えた。火の鳥は私が起動したに違いないと、ま るでインディー・ジョーンズのようなストーリーを想像している。こんな愚にもつかない自己陶酔ロマンを私なりに持っているのである。 さて、瞑想時の太陽のシャワーの体験をもとに数年前に創作した童話「星の子」とは、まさに幾多ある太陽の子の意味でもある(白馬童子ではないぞ)。彼ら は、私でもあらねばならない。私はこの世を去って、星の子となるのだ。それは、まるでファラオ・ラーの思いと等しいのではないか。だがこれは、魂ある誰も がいつか知る真実であると思う。そう、みんなそうなのだ。 この文を打ち込んでいると、ちょうどテレビでアマゾンの奥深いインカ以前の部族を探訪する仲村トオルのネイチャー番組をやっていた。そこで部族の言い伝え を耳にした。彼らは死ねば宇宙の母の胎内に帰るという話だった。まさに古代人は、宇宙の中で生きていたと同時に、彼らの個々がたとえ現状がどうあれ、ラー と同じ気持ちで心豊かに暮らしていたに違いない。いま私がこの場でとんでもないことを書いていたとしても、彼らは、なんだ当たり前のことじゃないかと言う ことだろう。 希望をだれしもなくしているこの時代ゆえ、こんなロマンぐらいは持っていてもいいのではないか。 2003年4月27日、六甲山の上空に白球型UFOの編隊が現れ、みごとに撮影された。目撃して撮影したわけではないが、坂本さん宅 の屋上で、この方向がUFOの通り道だから構えていればいいとの指示でカメラを回しっ放しにしていた中に写っていたものである。 その悠遊と飛翔していく様は、まさに星の子だった。星の子のカップルも円舞しながら編隊飛行していた。現実の私にいまカップリングの可能性は薄い。だが、 孤独だった分、いずれ向こうではあんなふうにしているに違いない。私の目に、その活在ぶりを届けてくれた彼らに、信頼を寄せたい。彼らは友達なのだ。 2003年9月7日の午後3時10分頃には、坂本さん宅上空に円盤型UFOとおびただしい数の白球型UFOが現われ、屋上でカメラを回していた坂本さんに 航空ショーを披露している。唖然と見とれるだけの坂本さんに、撮影しなさいというテレパシーで催促までして、3時30分から約3分間にわたって撮影させて いる。この話は、坂 本さんのデーター報告を読んでもらいたい。彼は彼なりの自己実現のための解釈を持っていて、すばらしいものだ。それはなんびとにも変えることので きない。それをもとに彼はまた自分の世界を組み立てるだろう。 この間接的なデーターは、私にも強いインパクトをもたらした。 そのちょうど5日前には、”戸の国に日の出を見る”という縁起名の女性とデートしていた。この彼女は、海幸彦を体現した名の職場仲間が紹介してくれたの だった。私が、”高天原の戸を押し開く”という縁起名だから、好取り合わ せであろう。そう、僭越にも、神話の岩戸別けの雛形を演じているつもりなのだ。 またその前日の6日、私は8日に控えているフジテレビの本ロケに備えて、予め坂本さんから忠告を受けていたように、UFO体験談をパソコンに打ち込んでい た。前記した夢の中での体験を打ち込みながら、懐かしい気持ちに浸っていた。満天の星空に、すいすい泳ぐように飛ぶ白球型UFOたちを久々に思い出してい た。画用紙に太ペンでその様子を描いたりしていた。ほのぼのと思い出される良い夢であったなあと思いながら。 それが翌日の午後には、夢で見たほどすいすい軽妙に泳ぐようには現われなかったものの、満天の星空を、昼の日中に星が流れるように演じてくれたのだ。こん なシンクロは滅多にあるものではない。坂本さんに繋がる後ろに控えている私にも、天上の人々は配慮してくれていると思う。私の解釈については、こちらの記事を 読んでもらいたい。これによって私は私の世界を組み立てていくことになる。みんなに利益になれば幸いだ。こうして私の中では、UFO接近遭遇体験はそれだ けにとどまらない現在進行形の事実となっているのである。 拉致体験もか? 前記UFOと脈絡のほどは分からないが、私も坂本さん同様、もしかするとUFO遭遇体験もしくは拉致体験をしているかも知れない。この体験の後に記憶を消 されて、思い出せなくさせられている可能性があるのだ。坂本さんによれば、消された記憶は後になって夢に見ることがあるとのことだが、私が20代後半に なって、まさにそのような夢を見た。 私は当時、名古屋市北区に住んでいた。ところが、その夢の背景は、神戸の実家が舞台になっており、私の学生時代のものだった。 夢の中ではあるのだが、神戸の家のベランダから上空を見上げていると、いきなり二機の黄金色をした空飛ぶ円盤が低空を通過していった。うわっ、UFOが出 た!と思った次の光景は、私がベランダから入ったすぐにある私の部屋にいて、真ん中にコタツを置いて、私がベランダ側に座り、左右両サイドに山高帽もしく はシルクハットをかぶったスーツ姿の英国風紳士が座っていて、私と歓談しているのである。そこに母が、ふすまを開けてお茶を持って入り、どうぞごゆっく り、と言って部屋を出て行き、私は頭を掻くしぐさなどをして、彼らと談笑しているところで目が覚めてしまったのである。私が彼らと何を話していたかはさっ ぱり分からない。 ↓ 私が描いたイラスト (絵
心がなくて申し訳ない)
起きてから、えらく奇抜な夢を見たものだと感心して記憶していたものだが、ところが私が34才のときに、仕事の不振で神戸に出戻ったおり、妹もそろった団 欒のときに、「神戸には帰るまいと思っていたが、里心は出てしまうものだ。名古屋でこんな変な夢を見たぞ」と夢の内容をありのままに語ったところ、妹が、 「実は私も小さいとき山高帽の英国風紳士が、お兄ちゃんの部屋に入ってきていて、ベランダ側のカーテンのところに立っていたもので、怖くて布団をかぶって がたがた震えていた」と言い出した。それは絶対に幽霊などではなかったと言い出す。たまたま私の高校受験のために一時期、妹と私で部屋のチェンジをしてい た頃で、それほど長い期間のことではなかった。部屋の中に変なものが来るから、早く元に戻してほしいという妹の要請ですぐに戻したはずであった。 妹が描いた外人↓ 妹の話をもとに私が描いた↓ クリック拡大可 私は驚いた。私は妹より3つ年上だから、妹は小六のとき夜中に山高帽の怪人と遭遇したことになる。私は中三の頃に遭遇体験をしていたことになろう。たまた ま彼らがいつものように訪問したところ、妹が寝ていたので、何もせずに帰ったらしい。私は何度あったか知れぬ体験の記憶のほとんどを消され、たまたま記憶 の断片を10数年も後に夢で思い出したとすれば、つじつまが合ってくる。 とするなら、私はあの部屋で、けっこう頻繁にスーツ姿の宇宙人の訪問を受けていたのかもしれない。考えてみれば、耳なし芳一みたいなものである。芳一、今 日も来たぞ。おや、ここに寝ているのは芳一ではない。どこへ行った芳一。そのとき、まちがって部屋に踏み込まれた妹は、布団を被ってガタガタ震えていたの だ。 私は妹にそのとき言った。あれは英国人ではない。UFOに乗った宇宙人だったんだ。俺はあいつらと話をしとったんだぞ。お母ちゃんはお茶を運んでくるし、 もしかしたら宇宙人とは家族ぐるみのつきあいをしとったのかもしれんぞ、と。笑い話になってしまった。 妹は、そういえば、とさらに言い添えた。UFOと言えば、夢の中で一人乗りの円盤に乗って、地球上のどこかを飛んだのだけれど、空は青く、赤茶けた砂漠が ずっと広がっていたと言うのだ。それは地球の未来のように思うと言う。今まで見た夢の中では、いちばん鮮やかな夢だったといい、その一人乗りの円盤は、外 観がとても美しく、操縦は自分の意思でできたそうである。坂本さんも最近、拉致体験の数々を思い出せるようになって、この手のUFOは操縦は簡単で、自分 の意志どおりに動くような仕組みだと言っていた。 また私は、自分の前記の夢を織り込んで、1999年〜2000年にSF物語「天上人の宴」を書いているが、不思議なことに一気呵成にアイデアが湧き出してきて、面白いように書き上げて いる。坂本さんによれば、拉致体験なしでは書けるわけがないとのことだ。私も拉致を含む遭遇をしたのだろうか!? 「天上人の宴」の中には、生体のDNA修復と個体の完璧化を図るCT機械のようなものが出てきて、主人公ネアンがそれによって命をとりとめるという筋が出てくる。幾度もの拉 致体験のある坂本さんによれば、実際に宇宙人が使っている装置はCTのような機械だったと後付けだが言ってくれた。 そして、私が過去世にエジプトのファラオであった頃、私は宇宙船、生体修復装置、タイムマシンなどの宇宙装置の多くを実際に作っていて、魂の記憶には刻ま れているはずだと言うのである。その元になるすべての知識をスフィンクスの足元にある地下室に埋設した張本人が、過去世の私だとさえ言う。そこに各種機械 の設計図もあるのだと。本当なのだろうか。彼には、この物語の話などしたことはないし、まだ見せてもいない。ネット環境などおぼつかない人でもある。その 人に突然言われてみれば、シンクロと思うしかない。過去世のぼんやりとした記憶が、物語の描写に繋がったのだろうか。 その記憶を取り戻すには、坂本さんの話によれば、これまた御伽噺か魔法の世界のような話になるが、ある種の果実を食しなければならないという。まるで西王 母の里の播桃園の桃のような話で、荒唐無稽な感じがするが、私には少しも実現の可能性のない話ではない気がするのだからまさしく変人である。 もし記憶がもどったら、まずCTのような機械を作って命を延ばし、あとの機械も時間に任せて順次作ればよい。こうして世間に資する貢献は計り知れないもの となる。大過去のファラオは、自ら太陽神を身に受けると同時に、こうした高度文明の装置を用意して、聖徳の心で人々を慈しんだのであろうと私は思うのであ る。 ずいぶん僭越な話とはなった。あしからず。 平成十五年九月 奥人 |
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