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黄泉の国


 
 イザナギ、イザナミの男女二神により神生みが続けられていたわけだが、火の神の系統をイザナミはミホトから産んで後は、やけどを負い病態となり、ついに神去りたもうた。イザナギは、まだすべてを遣り遂げていない時のパートナーとの離別に嘆き悲しむ。そして、亡き相方を追って黄泉の国へ、というメソポタミア神話にも共通する神話の段がこれとなる。

黄泉の国(前半
 かれここに、イザナギの命ののりたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一木にかへつるかも」とのりたまひて、御枕辺にはらばひ御足辺にはらばひて泣きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾の木のもとにます、名は泣澤女の神。
 かれその神避りたまひしイザナミの神は、出雲の國と伯伎の國との堺なる比婆の山に葬めまつりき。
 ここにイザナギの命、御佩の十拳の剣を抜きて、その子カグツチの神の頸を斬りたまひき。 
【訳】: 今まで積極的に生産に携われなかった精神文明の側では、達成すべき両文化の均衡のとれた発展が、急燃焼関連物の登場で一気に損なわれたために、非常な後悔が生まれた。
 とりわけ悲惨なのは、戦争と環境破壊の間で泣く被災者であった。
 魂の脱け殻となった物質と利益主導型文明は、現実世界と黄泉の世界の境界地(死線)に置かれた。
 このような破滅の原因は、剣のごとき英知に照らすと、燃焼関連の事物が登場したことによると理解できた。
 この時生まれた教訓は、かの破滅の顛末を次のように語り、歴史を引き継ぐ者達に、このような兆候が現れたなら、再び組するなかれと告げる。

一つ前の時代の終焉、超古代核戦争へと

利益主導と競争原理により偉大な繁栄を築いた世界も、その度が過ぎて侵略、争奪競争の激化となって現われ、多くの破壊兵器の使用までが行われていた。
イザナミは擾乱の摂理を物語るものであるから、この段からは計画や抑制が介在する過程を欠いた文明とみる。それは利己主義、利益主義によって主導された盲目的な成り行きであった。
一方、イザナギは平衡の摂理であるから、イザナミと正反対の悟性、良識を主導原理とした文明の在り方のことだ。
だが、現実の歴史の成り行きに対し積極的な関与が遅れていた。
いよいよ文明がイザナミ主導で末期状態となったとき、良識の光を当てて、何が衰亡に導いたかがはっきりしたのであるが、時すでに遅しだったというわけだ。

黄泉に導いた兵器類
神名 中間解釈 結果の解
カグツチ 輝く土 石油、爆薬
[カグツチ神の血から
生まれた神々]
石拆(イハサク) 岩が裂ける 爆裂、炸裂
根拆(ネサク) 根元から裂ける 爆裂の激しい様
石筒の男 堅牢な筒の力 大砲
ミカハヤビ 閃光と素早い火 爆裂と焼夷の様、兵器
ヒハヤビ 素早い火の回り 急燃焼兵器
タケミカヅチノヲ 強力な閃光を発する土の力 強力爆弾、核兵器
(タケフツ) 猛威あるプラズマ 核兵器の効果
(トヨフツ) 多大なプラズマ 核兵器の効果
クラオカミ 暗・竜神 暗く淀んだ天空
クラミツハ 暗・水神 黒く淀んだ水系
殺されたカグツチノ神の体から八種の山の神が生まれたが、何を表すかは不詳
しかし、前出の山野の神が良くないきっかけを作ったことと同じ線上にあるだろう
[刀の神霊]
天の/イツノヲハバリ 尾羽張り、とおせんぼ 凍結、(経済)封鎖
                                  

黄泉の国(中半)
 ここにその妹イザナミの命を相見まくおもほして、黄泉國に追ひいでましき。ここに殿の縢戸より出で向かへたまふ時に、イザナギの命語らひてのりたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、吾と汝と作れる國、未だ作りをへずあれば、還りまさね」とのりたまひき。
 ここにイザナミの命のこたへたまはく、「悔しかも、速くきまさず。吾は黄泉戸喫しつ。然れども愛しき我が汝兄の命、入りきませること恐し。かれ還りなむを、しまらく黄泉神と論はむ。我をな視たまひそ」とかく申して、その殿内に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。
 かれ左の御髻に刺させる湯津爪櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火ともして入り見たまふときに、蛆たかれころろぎて、頭には大雷居り、胸には火の雷居り、腹には黒雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、あはせて八くさの雷神成り居りき。
【訳】: イザナミ文明は、もはや冥界に移行していた。
 その状態から救出すべくイザナギ文明の側から、もう一度やり直せないものかという提案が出された。イザナミ文明は、もう手遅れで後戻りできそうもないが、なんとか努力してみるから、余計な詮索をせずに待っていてくれと言う。
 しかし、いくら待っても努力している気配がないので、知恵の火に照らして中を覗いてみることにした。
 すると、物質文明世界は、いたるところで環境破壊や戦火の度合いを凄まじくしており、ありとあらゆる怒号が充満して、どろどろになるまで腐敗が進んでいた。
 地球文明の様子は、さながら雷の巣窟であったのだ。

超古代のことと考えれば・・・ いいや、現代にあてはまるのでは・・・
核兵器のような最終兵器類が、過去に使われるに至ったらしい。
インドの叙事詩マハーバーラタにはかつて王族の戦争があり、この時に神インドラの兵器が使われたと語っている。
「火の玉のように輝く砲弾が発射されると、濃い霧が軍隊を包み、不吉をもたらす竜巻が起こり、黒雲がうなり、音をたてて空高く昇っていった」とか「その光には、太陽でさえ目を回した」とか「兵器の熱で世界は熱くなった」と書かれる。
それはまさしく核戦争の情景である。
また、その兵器は「巨大な鉄の矢に似る」と書かれるが、それはまさにミサイルである。またこれは別の部分で、爆発すると天心に一万個の太陽があるほどに明るい稲妻とも表現されている。
その譬えが元となり、建御雷男神として表現された故ではないだろうか。
現代人の我々でもまさかと思うようなこの描写は、間違いなく過去のものだ。そうしておきたい
過去にあったこと? 
いいや、そんなわけにはいかなくなった。
地球温暖化が急加速している。それも火の神系の示す燃焼原理の現代への適用の結果なのである。
それがもたらす天候の異変は、水不足や食料危機を招くとされている。
最近になって、ジュセリーノ予言がにわかに脚光を浴びだした。
それによると、生命存続に関わるこうした事情から、資源の争奪を目的とした大規模戦争が行われるというのだ。(第三次大戦だ)
そのとき用いられるのは、攻撃にせよ防衛にせよ、貯めに貯めた核兵器であることは間違いない。
こうしていっそう自然界は破壊され、地球は生命系惑星としての死線をさまようようになる。
まさに現時点は黄泉の国であり、イザナミが帰り支度するので待っていてくれと申し入れている時点なのである。
しかし、この神話によれば、いっこうにその気配がないどころか、よけいに腐敗が進んでいる有様だったことから、イザナギは怖くなって逃げ出すというわけである。
この神話のとおりに進むなら(その可能性が大きいが)、さらに黄泉の国の後半がシナリオとして残されているので参考になろう。


黄泉の国(後半)
 ここにイザナギの命、見畏みて逃げ還りたまふ時に、その妹イザナミの命、「吾に辱見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女を遣して追はしめき。
 ここにイザナギの命、黒御蔓を投げ棄てたまひしかば、すなはちエビカヅラなりき。
 こをひりひ食む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引きかきて投げ棄てたまへば、すなはちタカムナなりき。
 こを抜き食む間に逃げ行でましき。
 また後にはかの八くさの雷神に、五百の黄泉軍を副へて追はしめき。
 ここに御佩の十拳の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げきませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子三つをとりて待ち撃ちたまひしかば、ことごとに逃げ返りき。
 ここにイザナギの命、桃の子にのりたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」とのりたまひて、オホカムヅミの命といふ名をたまひき。
 最後にその妹イザナミの命、身みづから追ひきましき。
 ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、事戸を渡す時に、イザナミの命ののりたまはく、「愛しき我が汝兄の命、かくしたまはば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とのりたまひき。
 ここにイザナギの命、のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝然したまはば、吾は一日に千五百の産屋をたてむ」とのりたまひき。
 ここをもちて一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。
 かれそのイザナミの命になづけて黄泉津大神といふ。またその追ひ及きしをもちて、道敷の大神ともいへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反の大神ともいひ、塞へます黄泉戸の大神ともいふ。
 かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲の國の伊賦夜坂といふ。
【訳】: イザナギはイザナミの方法では建直しは無理と、自分だけでも汚土からの脱出をはかろうとする。
 正体を見破られたイザナミ勢力は、すべてを道連れにすべく、最終戦争を起こした。
 どちらの理念も構成分子たる人類が担う。イザナギ勢力は、黄泉軍の殺戮の手から逃れるべく、核シェルター(軍事施設の象徴)やビル(都市の象徴)をおとりにして、時間かせぎをした。
 それでも幾多の兵器を持って強力な殺戮軍が繰り出してくる。
 そうした殺戮の最中に、時代の境界点(ヒラサカ)である終結の時点を迎えるのだが、その境界の時点(サカモト)に居た桃形の飛行体(UFO、仏教にいう聖衆来迎)が、空に満ちる(モモノミミツ)ほどに飛来して、殺戮軍を撃退したのだ。
 こうして、次の時代を担う人間が、辛うじて橋渡されたのである。
 ここで、地球の将来に渡って、桃の実に一つの委託がなされた。
「理念の顕しに貢献する人類が、今後このような苦境を迎えて難儀するようなときに助けてやってくれ」と。
 この桃の実には「天照大神の現し身」という名が付けられた。
 時代の最後まで、物質文明は地上を蹂躙したが、ある一点を境にそれは完全に消滅し、分子を減らした精神文明が後を継いで、人間は増加の一途を辿ることになったのだ。
 さて、我々の科学観では、存在の状態(相)が隔たる二つの世界の間には、感覚では掴めぬ境界石が置かれ、交通を拒み、互いの秩序を保たせていると考えている。
 たとえば現世と黄泉を往来することは禁忌のことであり、神が許された方法を以てしてもなお難しいものである(イシュタル神話)。
 時間軸上のその開始点に、隔壁の巨大な大岩が仮想されて、「歴史を元に戻す大神(道返し)」とか、「黄泉世界の扉を閉ざす大神」と呼ばれ、過去のイザナミ文明のことは、「世の面を尽きさせた(ヨモツ)大神」とか、「歴史を最後まで蹂躙した(道敷き)大神」と呼ばれた。
 また、時代の接点を、今に「出生(新生)の前夜坂」という。
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  最終局面を飾る代表的な事物
 
 
  エビカヅラ    壊・火・鬘      
    火避けドーム、核シェルター
  タカムナ     高・棟(タケノコ状)     高層ビル
  ヨモツヒラサカ  世の面尽きる時間上の究極地点 時間的な終焉を象徴する地
  オホカムヅミ   大神の実(桃状のもの)    聖衆、UFO
  道敷き、道返し  道=歴史、時間 敷き=仕切る 歴史を仕切り、元に戻す
  塞へます黄泉戸  黄泉の戸を閉ざす       過去の歴史を閉ざす
 
 
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超古代最終戦争の様相

この段に書かれる事柄の中に、聖書に出てくる将来への警告と同様のものが含まれていることに気付く。
まず大都市(バビロン)が危ないということ。地の王の軍が天の軍に滅ぼされ、特定の者が救い上げられるということ。ある時点を境に前の時空は過ぎ去り、新しい時空が用意されるということである。
だが、これらのことは、かつて起こったことと古事記は主張する。今後に約束されたものではない。
 ここで桃の実を形の似るUFOと解釈させてもらった。古代人がUFOを見たときの鮮烈な印象が、世界神話になり、天の軍(ユダヤ)や聖衆(仏教)として後世に残されたものとみる。
この時のイザナギの桃の実に対する要請が、再び人類がかかる危機に直面したときのために用意されているというのが、古事記のこぼれ話だ。(⇒ネイティブアメリカン・ホピ族にも同様の見解のあることが後に分かった)
古事記は現文明が植物、特に穀類の一生と変わるものではないことを語っている。
また、古事記の「古」とは「降る」とも「振る」とも読み替えられる掛詞としての意義を孕んでいる。
つまり、時代はその中に人類の文明を揺籃して、幾度も繰り返すものなのかも知れない。いわば、人類史の転生輪廻である。
そして生物すべての一生(個体の歴史)が生・成・衰・滅を規定するDNAにコントロールされると同様、人類文明の歴史もどこからか一定の傾向を持たされているというのが自然界の相似像というものかも知れない。
とすれば、現代にもその作用は及び、その方向に世の成行がまるで同じ足跡を辿る如く進んでしまいがちになることは否めないであろう。

 



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