原文対訳は省く。
「国譲り」の段では、国つ神の領土に対する天つ神の征服計画とその実施方法について語られる。まず、神々の作戦会議の中で、イツノ
ヲハバリ(威力ある凍結の意味)に示される糧道、補給路の凍結案が出される。だが、それよりも効果的として、タケミカヅチノヲに天の鳥船を副えて行かせる
ことにした。 そこでタケミカヅチノヲは出雲国のイナサの浜辺で、十ツカの剣を剣先を上にして立てて、その切っ先にあぐらをかいて大国主命を威嚇し、国譲
りを迫ったという。だが、この表現すらも異様な光景を想ってみたとき、何か連想するものが必ずあるはずだ。
それは、絶対に「キノコ雲の形状を表わすものである!」と断言できる。建(猛)・雷の示す、強烈な光をもよおす雷の意味合いと、天
の鳥船(別名、鳥の石楠船〓空飛ぶ石楠のように堅い船〓飛行機)があいまって、まさに核爆発の光景をイメージさせるに足りている。
そのような歴史を、豊芦原の水穂の国である日本は、どこかで経験しなかっただろうか。半世紀前のこと、B29によって運ばれ、投下
された原子爆弾は、十ツカの剣のごとく、上空はるかにキノコ雲を巻き上げ、その被害の甚大さによって日本は終戦を決意したのではなかったか。ならば、タケ
ミカヅチノヲの前にいる大国主命とは皮肉にも天つ神の国を自負した日本ではなかったか。
抵抗に及んだタケミナカタ(猛・水・方)の話も、不沈艦隊を誇った海軍の顛末を語るようであるし、イツノヲハバリ(凍結)による塞
き上げも、経済封鎖と石油を断つABCD包囲網や南西諸島の米軍蛙飛び作戦として具体化したとみられる。
国譲りをした? 客観的に見て、国については何も譲っていないではないかと言われる向きもあろう。確かにそう見える。だが、本当に
そうなのだろうか。実は、このことさえも預言されているのである。
大国主命は国土を譲渡しはするが、天つ神と同等の宮の甍を賜り、大国主命の側に立つ者(八重事代主)による代理統治を認めるなら、
数多ある神も逆らわず、国は丸く治まるだろうと安堵の条件を提示し、その代わりに今後、配下の料理役の神(水戸の神の孫の櫛八玉神)をして、海の珍味を机
も撓むほど盛り沢山にして、その煮炊きの煙を天高く上げて料理して、天つ神のために立派な御馳走を献上しましょうと約束させているのである。
この場合、天つ神をアメリカを筆頭とする世界列強と捉えれば、確かに現在の日本の置かれている状況を予見していないだろうか。
日本は本来なら戦後、ドイツ同様の二国分裂状態もしくは占領植民地状態で推移していても不思議ではないのに、勝者並みに居所が約束されたばかりか、欧米の
先進工業の移植のおかげで、今や世界列強をしのぐほどの高度経済成長を遂げた。
その代わり、日本は世界の発展に寄与すべく世界の工場となり、公害や環境破壊、世界の悪評を率先して身に引き受け、優秀な工業製品
を大量に世に送り出し、広く国民から収益を吸い上げて、莫大な国際貢献をも行なうに至ったのではなかったか。
八重事代主とは、幾重にも国事、民事を監理し統べる指導者という意味で、ここでは政官界のことに違いなく、水戸の神の孫という櫛八
玉神は、櫛のように多分岐した先に付いた沢山の玉の意であるが、ここではトリー構造にまとめられる産業界、経済界を示していよう。また、二章で述べたよう
に、水戸とは港であり、産業界が貿易によって発展することまで語られているとみてよい。
古事記の予見は、大味ではあるが、正確かつ包み隠すことのないストレートなものである。すると、ここでまた陰謀幻想を催してしまい
そうになる。どうして対米外交が、言いなり追随になってしまうのか、不思議に思ったものだが、国譲りが暗黙のうちに出来上がっているからなのであろう。
ふりかえれば、日本政府は巧妙に国民を納得させ、この計画に従わせているようにみうけられる。豊かさという幻想が誘った経済成長、
誘導された高地価、高物価、極端な内外価格差、その釣り上がった土壌から否応なく吸い上げる税収、その一方で、効果のチェック機能のない大盤振舞の無償援
助や借款、知恵のない高借金国への貸付と被る為替差損等々の垂れ流し的状況、自然の成り行きとするには出来過ぎの感があり、貢ぎ物を献ずる政策の一環と捉
えたほうが理解し易い。
日本の国家安全保障機能の欠如は、戦後占領軍のレール引きによることは紛れもない。議会政治自体、国民不在化制度だった印象を与え
ずにおかないし、外交下手、金権腐敗、次元の低い長期政治不在などの事態が、国民に政治への諦めを持たせるための演出だったかという観測を惹起しないわけ
にはいかない。
歴史上に、国譲りに伴う取引の経緯が出てこないなら、何らかの密約が存在するのか? いや、何の証拠もないのだ。そしてまた、預言
とは歴史の止むを得ぬ流れを前以て語るものであるから、故意性がなくとも、そのように展開してしまうものなのだ。政治家も個々としては一生懸命だろうが、
数が多ければ身動きとれぬことばかりに違いなく、結局衆愚政治となって、成り行きはつまるところ預言どおりに落ち着いてしまうというわけなのだろう。
さらに大きな未来展望の可能性
降る事の事績(預言)も、時代の大きなスパンに関わることになれば、もっとスケールの大きな展開となって現れるかもしれない。
古事記では、国津神の葦原の中つ国は「いたく騒がしい」状態であったから、上位にある神々はこれを平定しなくてはならないとしている。
これを現代の、第三次世界大戦勃発前夜として捉えたとき、地球外からの懸念と救済の動きとして現出してくる可能性がある。
目下、世界各地に出没している様々な形のUFOは、その現れと見ることができる。それに伴い、現代の末法思想とも言える、最後の審判やアセンションの話は
枚挙にいとまがない。人々が理想化し願望すれば、その通りになることもあるだろう。
それはまさに天津神の降臨として認識されるのではあるまいか。ガイドは先んじて出されるものであるからだ。
現存する秘密結社がその秘密を先んじて知っているのなら、現在いくらも出てきているハリウッド映画の未来ものに表現されているだろう。超機械化文明、超テ
クノ文明、完全管理される人類社会といったテーマが映画化されていて、その内容は怖いほどである。
人類の本当の幸せから、乖離しないでほしいと言ったところで、文化の異なる宇宙人のアイデアで先の未来は規定されるだろうから、人類はそれに従うしかなく
なるだろう。
また、映画は必ずと言っていいほど、そのような未来世界は人間にはそぐわないものだから、反抗せよと言っているように見受けられる。それをどう解釈する
か。とはいっても、反抗してもリスキーなだけかもしれない。
劣勢にいつも置かれた地球とそこに住む有情に、素敵な未来がやってくるというのだろうか。
またもアヌンナキに侵略された歴史をぶり返すようなことはやめてもらいたいと思うのは私だけかもしれない。
私は個人的に、この宇宙の外からの(三千世界からの)介入と解放を新神話として願いを籠めて書いている。それほど私にとっては、この宇宙は失望に値する。
それもまた天孫降臨の類義事象になるはずだ。新神話では、今目下が「国譲り」要請の段階にある。それが叶えば天地有情はみんな解放される。