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八 俣大蛇(やまたのおろち)

 

火山活動を鎮静させた偉業と安定基盤造りの時代

 

お馴染みの話なので、物語の内容は詳しくしないが、指導的立場の神と恩恵を受けるべき人が地上にともに居た時代のことを語っているとみ られる。

前段までの話のスケールからしても、これは決して出雲地方のタタラの民征服の歴史などを語っているのではない。
ヒッタイトの竜神嵐神の戦いの神話、シュメールのティアマトとマルドゥークの戦闘神話、ギリシァのオリンポス、ティターン神族の戦いの神話と同根、同レベ ルの話なのである。
ギリシァ神話の場合、天地創造の初期にティターン神族である大地(ガイア)が天空や海、噴火山(サイクロプス、ヘカトンケイレス)を産んだが、後に天上の 神々によって強伏されて地下(タルタロス)に幽閉されてしまうが、これらは火山の形容なのだ。

つまり、ここでは、かつての大変災の余波である地殻変動、火山活動激化が大蛇の乱暴で示され、それを守護精神をようやく発揮したスサノ ヲ神が、ある方法によって平らげた事績を語っているのである。
それは、各種のマウンドをわざわざ造り、そのエネルギー変換効果で地殻エネルギーが解放され、暴走しがちな火山活動を和らげ、ひいては生態系に安定基盤が 与えられたという話である。

時折話題になる日本のピラミッドはこの一環で作られており、後の古墳なども多少の意趣を残しているのである。

地殻変動抑制システムを設置した時代の話

 

原文‥八俣の大蛇(前)
かれ遂はえて、出雲の国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。 
この時に、箸その河ゆ流れ下りき。ここにスサノヲの命、その河上に人ありと思はして、求ぎ上り往でまししかば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて 泣く。 
ここに「汝たちは誰そ」と問ひたまひき。 
かれその老夫、答へて言さく「僕は国つ神大山津見の神の子なり。僕が名は足名椎(あしなづち)といひ、妻が名は手名椎(てなづち)といひ、女が名は櫛名田 (くしなだ)姫といふ」とまをしき。 
また「汝の哭く故は何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八推女ありき。ここに高志の八俣の大蛇、年ごとに来て食ふ。今その来べき時な れば泣く」とまをしき。 
ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば「そが目は赤かがちの如くにして身一つに八つの頭八つの尾あり。またその身に蘿また桧杉生ひ、その丈谷八谷尾 八尾を度りて、その腹をとみれば、ことごとに常に血垂りただれたり」とまをしき。 
ここに速須佐の男の命、その老夫にのりたまはく、「これ汝が女ならば吾に奉らむや」===中略=…・ここに足名椎手名椎の神、「然まさば恐し、奉らむ」と まをしき。 
 

 

火山の猛威による良質の土地の減少
 

暴虐な行為を行った結果、天上界を追放されたスサノヲは地上圏に降りてくると、守護者の性格をあらわして大地の工作者となり、民族の英 雄となる。彼はまず地上(出雲の国)に流れ込む理念(ひ)の河の上流に何事かがあることを知る。

河の流れが理念の天下る流路にみたてられている。流れてくる「箸」は「橋」でもあり、理念の原型が現実のものとなる前段階の兆候とか前 兆という意味のことである。

スサノヲが上流に赴くと、そこには苦悩する人類の集合意識(泣く老夫老女およぴ童女)があった。わけをたずねると「八俣の大蛇」という 怪物が来て毎年のように娘を喰っていき、今またその時が来たので悲しんでいるのだという。このため、彼は天から降りてきた者であることを明かして、怪物退 治の一計を案じてやることになる。

「八俣の大蛇」とは、目が赤く輝き(赤輝地:あかかがち)、身一つに多くの山河を被り、腹からはたえず血が流れていた、と形容されるよ うに、多くの火山を抱える火山帯の象徴である。(図2.9)

これに対し、娘の「櫛名田姫」は「奇し、稲田」(書紀)で、良質の耕作に適した土地のことである。

それまでに多くの娘が食われたというのは、火山活動の猛威により良質の土地が多く火山灰や溶岩土の下に埋没したことを示しているのであ る。無機質かつ酸性土である火山灰土では農地として不適であることは言うまでもない。

このような事態を哀れに思った守護者(ここでは天降した地球外知性であろう)が救助するのだがその方法は超現実的なものであった。信じ 難いかも知れないが、この解釈により古代の遺物や宗教思想の謎が氷解してくるのである。
 
 

 
 

原文‥八俣の大蛇(中)
ここに速須佐の男の命、その童女を湯津爪櫛に取らして、御髪に刺して、その足名椎、手名椎の神に告りたまはく、「汝等、 八塩折の酒を醸み、また垣を作り廻し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つのサズキを結ひ、そのサズキごとに酒船を置きて、船ごとにその八塩折の酒を盛 りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく設け備へて待つ時に、その八俣の大蛇、まことに言ひしがごと来つ。すなはち船ごとに己 が頭を集り入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔ひて留まり伏し寝たり。ここに速須佐の男の命、その御佩の十挙の剣を抜きて、その蛇を切り放りたまひしか ば、肥の河血になりて流れき。 
かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃欠けき。ここに怪しとおもはして、御刀の前もちて刺し割きて見そなはししかば、ツムハの大刀あり。かれこの太刀 を取らして、異しき物ぞと思はして、天照らす大御神に白し上げたまひき。こは草薙の大刀なり。 
 

 

火山活動を鎮めるシステムの創り方
 

宇宙から釆た知識者は、ある種の火山活動を鎮静する具体的な方法を地上の人々に教えてやる。

それは、「汝等、ヤシホリの酒を・・・盛りて待たさね」に語られている。ヤシホリは「八締火離」と分解でき、(火山エネルギーを)多く の部分で仕切って火勢を和らげる方法。

この部分の意味は、「お前達、火山帯の活動を鎮めようと思うなら、垣根を張りめぐらし、その垣根にたくさんの門(かど(角こを設け、そ の門ごとに供物台を組み、その上に酒船(逆船)を置いて、ヤシホリの仕組みを仕掛けて待っていればよろしい」ということになる。

そこで足名椎たちはその通りにして待っていたら、確かにオロチはやって来て、酒船に頭をつっ込んで酒を飲み、酔っ払って寝てしまった。 これは、オロチの動き(火山活動)が活発になると、この仕組みが自ずと作用して弱らせてしまう働きをしてくれるというのである。

この後、スサノヲが大蛇を切り殺し、体内からツムハの大刀をとり出すが、ここにも重要な意味がある。ツムハは「摘む歯」で去勢の意、こ の別名クサナギは「隠騒凪」で隠れた暴動の鎮圧の意、さらに別名ムラクモは、次のように火山鎮静の原理を如実に示す。

つまり、雲塊の群らがる様子のことなのであるが、古代の「雲」という言葉にはただならぬ意味がある。クモのモは、形をとる基になる要素 のことで、今様に言えばエネルギーのこと、これに具体を意味する「ノ」がつくと物体(もの)を示すと同様に、潜在を意味する「ク」がつくと不可見のエネル ギーを示すものとなる。(ちなみに古事記では、空中に水滴によってできる雲を「アメシルカルミヅ」と呼びその成因を明らかにして使い分けている)

古事記に影響を与えていると思われるゾロアスター教では、これをメーノーグ相にある不可見な物質状態として、形を併うゲーティーグ的な ものとは区別している。これは非物質というのではないが、可見な物質状態よりもより繊細であるために不可見な、いわゆる霊質とか「気」を意味するという。 この種のエネルギー状態は古代において世界共通に知られたことであったようだ。

また、大蛇(火山活動)を切り殺す筋書は先程のヤシホリの説明を再びくり返している。このことから、スサノヲが造らせた仕組みそのもの が大蛇退治を直接おこなうためのものと考えることができる。
まとめると、火山活動鎮静の原理は、「地エネルギーを細断して無形のエネルギーの群塊にして取り出す」ということになる。
 
 

 
現存する大蛇退治の驚異的な仕組み
 

その仕組みが具体的にどのようなものであるかは、言葉を丹念に見ていけば分る。加えて、実物が存在していれば分り易いことはない。

筆者は、これより前に日本列島上におびただしく存在する規則的な不可視のライン群を発見している。これは、古来より信仰を集めた神体 山、神社、巨石モニュメント、古来から残る特別な地名、門前町的都市などを結んで得られるもので、特に出雲地方を中心に調べたためか、この辺りに密度が高 いように思った。(図2・10)


このライン群に関する意義は後程述べることになるが、このライン群と前述の「垣根」とが同じものを意味するのではないかと思うのであ る。

「酒船」は「逆船」でありちょうど船を逆さにしたような秀麗な山のことであり、古来より信仰の篤かった神体山は汎そ「逆船型」である。

神体山には後世になって対置するように神社や仏閣が造られたが、もとはといえば「サズキ」たる神体山を介して高みにおわす神を祭るとい うものであった。それが形式化と「みたて」の後退によって、社殿式へと遷移したのである。だが基準となる法則は、余程後世のものでない限り、遵守されてい ると考えられる。

また「門」というのは、「角」であり、線描の交差点のことではないか。それも形の良い直角というのが本当であろう。つまり、「垣根」も 「門」も、このライン群の外観を大局的にあらわしたものというわけだ。スサノヲが提示した火山鎮静システムの設計図面の特徴を身近な言葉に言い直したもの と理解できるのである。

図2・10はそのうちのごく一部分にしろ言い表わせていると思われる。だが実物はもっと計算し尽くされた精致かつ細密なものであろう し、「出雲」自体西日本の地域にとどまらぬ世界のことを述べたものであるから、全貌を把むことなど途方もないことである。
 
 
 

 
重大発見の裏には重大な裏付けあり
 

このライン群に関する重大発見は、次の六点であるが、これを応用して引ける多数の平行なラインにもやはり重大な符合が見出せる。

一、大和の南北のライン山上には、名所旧跡が、ちょうど緯度十分の等間隔で並ぶ。

二、その地点から東西に引いたラインに太陽の道と言われた北緯342'を含む(6)から(14)がある。中でも(6)は出雲、大山、元 伊勢など神体山や神社の集中したラインである。

三、九州斜断のライン(2)は(1)と類似パターンのうえ、地名が等間隔である。(図2・11参照)

四、ライン(2)および これと直交するライン(5)は古事記 の「天孫降臨」で裏付けられた確実な証拠がある。その上、重要な地点が九州上で巨大な直角二等辺三角形の幾何学図形を示している。

ニニギの命が筑紫の日向の高千穂の霊峰に降臨したときの言葉、「此地は韓国に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直射す・・・」に韓 国、日向、笠紗の三地点が示され、前後併せると筑紫(福岡)、高千穂もこのライン上の拠点となっている。そればかりか、筑紫−日向と日向−笠紗が日向で直 交して等距離となっているのである。(図2・12参照)

 

ここで「ま来通り」が直交を意味し、(「巻き」か「真切」か「曲ぎ」)
重要な測量概念であったことを物語っている。

五、「ま来通り」を応用して、ライン(2)と志賀島で直交するライン(3)は穂志倭人伝の地名、恰土(伊都)、松浦(末廬)、そして、 須佐の男系の祭社、宗像、出雲を通り、山陰の海岸線を奇麗になでて、東北方へは十和田湖南の環状列石付近にまで至っている。同時にこれは大和朝廷が征服を 目録んだ北限を意味していもする。

六、ライン(2)上の志賀−高千穂の線分を7対6の比でとった日向神で(2)と直交する(4)は「神武天皇の東征」で示される地名を通 り、同時にやや小さめの直角二等辺三角形を形成する。(図2・12参照)そこには、東征に関する「計画の高千穂」、「起点の日向(神)」、「筑紫」、そし て「宇沙(今の宇佐)」が二つの三角形で与えられている。

これらは、決して偶然のものではなく、航空写真でも用意しなければ分らない程の地点の設定をやってのけているのである。通常の測量術で も、山岳の多いこの地方でこのスケールで距離を出そうとするのは無理と言ってもいい。ちなみに、7対6というのは、この緯度帯における緯度一度と経度一度 の距離の比であり、ライン(2)の角度もこれに一致している。

その他のラインについても意義を揚げればきりがないはどに重要なものが多い。
筆者が明らかにしたのは、ラインの角度であり、これに二種類あることと、これに直交する二種類のあることであり、これにどのような意味があるのか、これ以 外の角度があるのか、日本以外あるいは緯度帯によって異なるのかといったことに尽きぬ疑問が残る。

ただ、等緯度帯のオリエント地方では、ライン(2)と一致する角度のラインがシユメールの古代都市の並びにはぼ一致している。これは、 歴史的に旧い物を尊ぶ考え方が日本民族渡来の時の九州の地理確定に影響したとも考えられる。
 
 
 
 
 

大蛇退治の遺構、築山らしい山は西日本の各地にみられる

次に神体山のような山が人工築山なのかどうかという疑問がある。西日本地方は河川の侵食でできた隆起準平原であり、まろやかな山容がも とより在ったとするのが適切かも知れない。筆者が地元から兵庫県の中部を調べてみたところでは、この地方にピラミッド群がおぴただしく存在することが分っ ている。それだけに、神社の数も多く、過去に都が置かれたとしてもおかしくない風土である。(図2.13参照)

兵庫県氷上郡を中心にして、小高い山波が臨まれるが、この中に意図的に方錘型を目ざしたと思われる陵線の張り出しのある小山が多く含ま れている。エジプトやアンデスのものと基本的に異なるのは、もとあった平担な山に手を加えて形を整えたとみられることである。

高さは二十m〜二百mはどであり、最多は四十m級である。数は正確には把めないが、県内だけでも百体を下るまいと思われる。

形態は単独であるもの(最も少ない)、山並添いに東西または南北に連なるもの(多い)、大小順に階段状に連なるもの(最も多い)、山嶺 をふもとでとりまく格好のもの、元の素材が長円型のためか二段階に構えたらしいものなどがある。(写真1図2・14参照)
 

ただこれらが本当にピラミッドと呼べるかどうかであるが、サンプリングして調べたところ、地面と陵線のなす角度は、三十五度がほとんど で、側面の表出しているものは、ほぼ東西または南北の方向に沿っていることが分かった。

また、そのうちの階段状の一例に登ってみたところ頂上に方位石とみられる岩の一角が見つかっている。現地の山は杉の植林か自然林で立入 り難く、一例に滞まったが、その他のものについても同様であろうと思われる。

角度三十五度が本来のピラミッドの条件に適わないとされるむきもあろうが、エジプトの五十二度は測量の技法に車輪が使われたためとする 説もあるわけで、方錘型が重要であるのみならより安定な三十五度の方が地震国日本にとっては、また砂山だけでも事足りる簡易さから言っても、本物であるよ うな気がするのである。

ゆるやかな起伏に富み柔軟な砂岩質のこの地方の山岳は加工し易く目的の形にするには都合が良かったと思われる。この一帯では加工物と非 加工物の差がはっきりと分かるので、多くの人が作為性を覚えていることと思う。そして、秀麗な山には多く、神社が対置するように設けられ、古来より神体山 であったことを窺わせている。

また、氷上を中心とするマウンド群は既述の南北に引かれるべきラインに沿って帯状に広がっている。(ラインとは言っても厳密なものでは なく、或る幅をもった帯域であることに注意)

この真南には神戸市垂水区の雌岡山、雄岡山の夫婦マウンドがあり、この帯域への飛行艇の進入灯を思わせるような神体山である。しかもこ の地には須佐の男の命が櫛名田姫と連れだって降臨し、土地の人々に農耕を教えたという伝説があり、(写真2)このラインが、より一層大蛇退治と結びつくこ とがお分かりになるだろう。

また、地名の類似性についてみると、氷上(ひかみ)は日向神(ひうかみ)に相当し、中(なか)は郡河川(福岡)、春日や三和は九州、奈 良とも同じである。また、青垣は古事記で三輪山と結びつけられて、山に重点の置かれていたことが分るのである。

さてライン群の関係からすると、このマウンド群の存在は西日本、さらには日本全土に広がっていると思われる。車窓から気付いた個所とし て、琵琶湖南近江地方にそれらしさを見出している。
 
 
 

 
 
 

原文‥八俣の大蛇(後)
かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき地を出雲の国に求ぎたまひき。ここに須賀の地に到りましてのりたまは く、「吾ここに来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、そこに宮作りてましましき。かれそこをば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らしし時 に、そこより雲立ちのぼりき。ここに御歌よみしたまひき。 
その歌、 
や雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を (歌謡番号一) 
ここにその足名椎の神を召して告りたまはく、「汝をば我が宮の道に任けむ」と告りたまひ、また名を稲田の宮主須賀の八耳の神と負せたまひき。 
 
 

 

火山活動鎮静システムのその後

原文では、スサノヲの命は大蛇退治の後、めでたく櫛名田姫と結婚して出雲の須賀という所に出雲八重垣なる宮殿を造り、その景観を愛でて 歌を詠む。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」

古事記の歌謡の一番目にあるこの歌は、全文が易しい暗号で成り立っている。それは語られていることの重要さを繰り返し強調すると共に、 古事記自体が一連の暗号化文献であることをほのめかしているのである。

「やくもたつ」は「たくさんの雲が立ち登る」の意で、単に枕詞ではない。(雲はもちろん空
の雲ではない!)

「出雲八重垣」は、忠実に訳すと「雲を生成する多重の垣根」ということになり、先述の大蛇退治の垣根と無関係ではない。さらに「妻隠み に」が「妻を守るために」の意で、良質の農耕地(櫛名田姫)を保全する意味となるので、かつての垣根と出雲八重垣は同じものを示していることになる。

つまり、この物語は、筋書きを基にしつつも筋書きを超えて、出雲八重垣の存在により、大蛇のスタミナが奪われ八雲として立ち登り、その おかげで妻が守られているという関係を二回以上繰り返して強調しているのである。

このような角度を少しづつ変えながらおこなう繰り返し強調法は、「身禊」〜「天の岩戸」を通じて再生の過程を示したり、「神々の生成・ 後段」〜「黄泉の国」で終末的世界の有様を示したりするのに用いられている。

さて、歌の解釈を通しておこなうと、「大量の不可視なエネルギーを立ち登らせているエネルギー涌出の八重垣は良質の土地を守るために幾 重にも垣根をめぐらせて作ったのだ。どんなものだ、八重垣の威力は」となる。ちなみに歌末の「を」は、古典字引きに載らない「力」を示す接尾語である。

結論として、出雲八重垣とはマウンドを基調とした線描であり、客観的に垣根に見えるもののことである。これが地エネルギーを無作用なも のに変える大域的なエネルギー変換綱を形成しているというわけである。

要所(門)に置かれた山やマウンドを個別にみれば、エネルギーを変換し、分散する極ということになるが、それは山の名前に顕著に表現さ れている。三輪山は、「倭青垣の東の山」とされる八重垣の重要拠点であり、別名、御諸山というが、「みわ」は充足するパワーのこと、「みもろ」は相を変転 するの意があり、エネルギーコンバーターというわけである。

兵庫県の三室山も同義である。古代人は決して思いつきや勝手気ままでなく、機能するところに応じて適わしい名前を付けているのである。 (みわ=満・力、みもろ=身・面・転)

こうして、先述のライン群にも、「出雲八重垣」と命名できそうである。また、「出雲の国」とは、エネルギッシュな国ということになり、 島根県にとどまらない不特定な大域を示していることがお分りになろう。

出雲八重垣は、大蛇退治をおこなうシステムであり、基盤になるマウンド群が破壊されない限り半永久的に動作し続けるはずのものである。 古代知識人の努力は、これが破壊されないことのためにも払われた。

一つは神体山として祭り、禁忌の場としたことであり、いま一つはそれ自体墳墓化して慰霊の場とし、後世の人々の良識に委ねたのである。

だが現代ではそのようなことも忘れ去られて、かってのスサノヲがしたように、田や畔を壊し、溝を埋めるような行為を繰り返している。そ れを「より良いことをしているのだろう」と決め込んで黙認した結果、大異変が起こっていることも既に述べた。システムがどこまで持ちこたえるか、心配なこ とではないか。(写真3)

 

 
人類は地球の主人ではなく番人であった
 

さて、八重垣システムの製作に関して、スサノヲは計画立案し、製作は主として足名椎手名椎たちにやらせている。だが彼等の関係は、為政 者と民のそれではない。

なぜなら、この後にスサノヲは足名椎を召して宮殿の管理人(宮の首)に任命しているからである。つまり、スサノヲは、文明のれい明期に 世界の各地に突然人々の前に現われて有用な知識を授けて後を託して立去った賢者に相当し、足名椎たちはそれ以降「みたて」に秀でることになった古代人なの である。

先述の雌岡山のスサノヲ降臨伝説ともこうして符合するわけである。
ちなみに、「足名椎、手名椎」とは「土ならし」の意味であり、機能するところに応じて付けられたプロジェクトチームの名称であったことが分る。また、「八 耳(やつみみ)」とは、たくさんのマウンドや巨石碑のことである。

ところでいま一つ、スサノヲはもはや居ないのかどうかということにも、触れておこう。スサノヲは表向きの支配権を譲ったのであり、彼自 身は櫛名田姫すなわち有用な大地と共に居て、システムの効果的な動作をみそなわしているはずなのである。

ずばり言うと、スサノヲは国神かつ地神であるが、ここでは天降した者すなわち宇宙人かも知れない。スサノヲの経歴からすると、かつて地 球に居て、宇宙に往き、そして戻ってきたとするのが適切かも知れない。すると、かのイザナギの脱出の時に救済された人々が温情的に戻ってきて啓蒙活動をし たのかも知れないわけだ。

とにかく私達は私達人類だけで地球を牛耳っていると考えるのは大間違いである。私達は未だに大地の管理人(番人)の末えいであるにすぎ ないことに注意したいものである。
 
 
 

 
火山鎮静システムの活在を示す証拠
 

現在でも判別がつくスサノヲの企画、これはその遺構の存在と共に火山活動鎮静が今なお行なわれていることを示すものである。

このシステムの効果、実在牲は、一方で火山活動抑制の効果に加え、もう一方で涌出してくるエネルギーの作用の痕跡を調べることによって 分かるだろう。

前者はスサノヲ以前のデーターが無いと比較できないし、後者も不可見であるというのでは手の施しようがないという感がある。だが、いさ さか気味の悪い話かも知れないが、前者は自然破壊が促進された結果として、近未来に効果の中断としてあらわれてくる可能性がある。

また後者も、従来の科学では説明できないようなところに現象が吐出している可能性がある。
まず、効果の面からすると、日本の全域、特に西日本に多く火山活動の抑制がなされていることになるが、中国、四国、近畿に著しい動きがなく、白山火山帯が 存在しているとはいえ、大人しいのはこの理由によりはしないか。日本の他の地方も決して著しくはない。

しかし、近頃、山野は宅地造成や海岸埋立ての名目で乱開発を受け、古代智に基づく多くの有用なマウンドが破壊されている。これが原因と なり地殻変動期が再来する可能性が増大しているはずである。最近、地震学者により日本の火山帯が活発期に入ったと報告されているのも、決して無関係ではあ るまい。

数年前から、有珠、御岳と噴火し、つい一年前には兵庫県北部の神鍋山で地熱上昇による避難騒ぎがあったが、この辺りはシステムの心臓部 なのであり、八重垣が衰えをみせている証拠と考えられないか。

次に、不可見なエネルギーによると考えられる現象を揚げると、第一にUFO現象がある。
目撃されるUFOの多くは宇宙人の乗物ではなく、放出エネルギーの光物質化現象であろう。地球外知性は確かに居るが、人間の願望、偶然、過剰エネルギー放 出などで引き起こされるものも多いのではなかろうか。

例えば元伊勢の外宮には節分の夜毎に青白い光塊が立ち登るので、「龍燈の杉」と名けられた神木があり、ここから南の神戸市の丹生山に は、瀬戸内海をゆく船が暗夜で航路を見失ったときに丹生明神に祈ると灯明をともすと言い伝える「灯明杉」なる神木があった。これらは、システムのラインに 沿って起るエネルギー放出によるものだろう。それも地震の場合に似た周期性を伝承のうちに伺い知ることができる。地エネルギーとしての元の性質を端的にあ らわしているのだ。

また、地震の予兆として起ることのある山の発光現象や稲光りなども同様の理由であろう。
ちなみに火山エネルギー等に関して次の等式が成立つと思われる。

地の歪エネルギー=システム変換エネルギー(無形)+地震・火山エネルギー
システム放出エネルギー=不可見なエネルギー+光物質化エネルギー

このエネルギーは、最もオーソドックスな電磁エネルギーに変化し易いのである。

また、放出エネルギーは、ライヒのいうオルゴンやヨガでいうプラナと同じものかも知れない。
ライヒは、オルゴンを雲に照射して穴を開ける実験結果を得ているというが、規則正しい網目模様や平行線を描くという地震雲は、システムのラインのパターン の反映と考えられなくもない。

また、日本上空の雲の出来具合いが図2・10のラインに平行した格好になり易いことが「ひまわり」の高空写真を調べると分る。図2・ 15右は冬に多いパターンであり、季節風の吹き出しによるとされているが、天気図の等圧線との関係がほとんど無いから奇妙である。
また、図2・15左は偏西風によるとされているが、この角度より乎担なものが少ないのはなぜだろう。

また、オルゴンも、プラナも生命体に有用であり、特に意思力に反応してその実現を助ける役割をもつと言われている。これを肯定するよう に、垣根の節目には神社、霊峰、都市などがある。

神懸りのし易さ、超能力開発、精神修養のために有用な霊気が豊富であることから神社造営の地が選ばれ、修験者の行場となったのではない か。また、動植物の生育の良さや思考活動のし易さ、ひいては住み易さのゆえに人々が本能的に集まり、都市を形成するに至ったとも考えられる。

ところで、古代人はこれ程のエネルギーを利用しなかったであろうか。
ヨーロッパのメガリスには神秘的な力が認められるため異様な名前をもつ巨石が多く、触れると痛みを覚えたり、治病力をもつものもあるといい、石の形質、配 置などにより様々な形態でのエネルギーの取り出し方が可能となっていたようである。

巨石建造物は巨石の組合せにより、マウンド等から放出されるエネルギーを目的に応じて導き、流動せしめる機能を持つと考えられる。石土 造のマウンドなどがシステムを担っている以上、同類の巨石碑も何らかの効果を持っていなくてはなるまい。

さて、人工であるか天然であるかは別として、先程(28)のラインに沿ってある恵那峡および上流の苗木城はメガリスである。このライン は、実は地元のUFO研究家によって、UFOの通り路と言われたはどの発光体の出没ラインなのである。

これは、かの三輪山に接続している。筆者の考えでは、これは線上の各拠点がちょうど真空管のカソード、グリッド、プレートのような機能 を相補し合い、地表上でのエネルギー的均衡を保ち、この結果、地殻内部をなおも安定にしていると思われる。

それはあたかも針灸により表皮に刺激を与えて、内臓の具合いを良くする方法に似た効果なのではないか。これは、古代人の利用というより は地球的規模の大目的利用であるが、似たような方法が農耕のために用意されていたようである。

西日本各地から大量に出土している銅鐸は、巨石と同様に補助的役割を果していたと考えられる。土地は外観的に同じでも場所によって耕作 に適不適のあること(イヤシロチとケガレチ)は知られている。この原因はこのシステムのもたらす波状的なエネルギー過不足により、その局地的是正に用いら れていたのが銅鐸、鋼剣などでありはしなかったか。

こうすれば銅器がなぜ土中に埋められる筋合いのものであったか、その謎の一半は解明できるものと思う。もしそうなら、銅鐸は掘り出した ままにせず、元あった場所に埋めておくのが本当であろう。

まだまだ、我々の知らないエネルギー理論はあるに違いない。古代人は石土造建造物に感覚以上のものを見出していたことは確かであり、さ もなくば世界各地に残されたマウンドやメガリスに対して情熱をかけた古代人の努力が何の意味もなさないばかりか、永久的に未知の扉に閉ざされてしまうだろ う。

古代人は共通して「みたて」の民族であった。しかし、「みたて」の基になった知識あるいは超感覚は本物であったと思うのである。

無形なエネルギーは有形な資源へと変換されれば、地球が保証する無尽蔵なものとなりうるが、我々の科学がその域に達することはまだまだ 難かしいと言わねばならない。
 
 
 

 
古代山城は超古代マウンド造営の模範例
 

ところでその後このマウンド造営を物語る証拠が、NHK総合TVの「知られざる古代」という番組で放送された。主題は古代山域として採 り上げられた西日本に散在するマウンドのことである。

それらはいづれも山の頂上付近に神籠石(こうごいし)なる摩かれた石材を列石に組み、その上に土を盛って、これを隠すという(図2・ 16)いわゆる版築という方法で土塁が築かれていて、山の名も、鬼の城(きのじょう)とか石城山(いわきさん)とか「キ」という音を含む特徴をもつとい う。

またこれらの山は古来より信仰を集めた磐座を頂上にいただく神体山であったことも知られている。
筆者の考えでは、この神籠石なる石垣こそ、スサノヲの発言にあった「サズキ」(供物台)を意味すると思われる。石垣に組むことを「サズキを結ふ」と言った のだ。そして、これは逆船形に土盛りがされて隠されたのである。丹念に磨いて作られた石がどうして最初から土中に埋められる筋合いのものであったか、その 一見不合理にみえる築山法の真相こそ、八重垣という大目的のためにあったことを証し、我々の知り得ないエネルギー理論に根拠されたものであることを示して いるようだ。

また、山名に「キ」のつく理由は、「サズキ」が「捧げる城」(授城)を意味することからきているようである。

ところで、筆者は、この例として岡山県総社市にある「鬼ノ城」に行き、いま一つ異なった発見をした。

筆者の考えでは、「鬼ノ域」の構造は、土台をなす三メートル以上の巨石が土中深く塁々として築かれていて、その上に土砂が盛られ、なお も一メートル以下の小さな石が石組みとして山項をとりまくような格好で築かれ、なおもそれに砂がかぷせられたという感がした。つまり、時間とスケールを異 として二世代のものが同居しているという具合いなのである。(図2・17)

 

これと良く似た例で、小岩の方が無いものを、中部地方、恵那峡上流にある苗木城(なえき)にみることができる。

ここも「キ」が付く名であるが、戦国時代に地の利を生かして山城として利用されていたという記録はあっても、古代山城が最初ではないよ うだ。
つまり、日本古代のれい明期に築かれたものこそ、第二世代の小岩群であって、第一世代のものは、もっと前に存在したのではないかということだ。

そもそも苗木域の場合の大岩は、直径四〜五メートルもある巨岩であり、運搬できる筋合いのものではない。これこそ、スサノヲが為した功 業というべきではなかろうか。

また、苗木城がもと神体山であったことは、この真北にある丸山神社が物語っている。境内には蛙や恐竜を型どった奇岩がみられる異様な辺 つ磐座をかもしている。(ゾ教との関係もある⇒苗 木はゾロアスター教遺跡か?

このような、巨石組みの山は、日本の随所に存在すると思われる。これに対し、小岩組みは民族の伝搬に併う後世のものだから、西日本に限 られると考えても良いだろう。

また、いま一つ、スサノヲの言葉は、小岩群にも生きているのである。巨石群でみた言葉の意味づけと小岩群のそれの関係は図2・18のよ うに示せる。

これは一種の縮図化現象である。「垣」を石垣としたなら、「サズキ」に相当するものも現地に存在していて、山頂に向けて設置されてい る。「酒船」もかつてその上に置かれていたものかも知れない。

だがこれは後世のものであり、周りにはそれより以前のものが土台を形成しているのであり、時間的に大きく二段階にくびれさせて、相似形 に縮図化されているのである。(それがなおも後世には神道で用いられる木で結った「サズキ」へと転進している)

それはまるでギリシャ神話でいえば、チターン時代から現時代に移った同一思想のものをスケールを縮めて重ねているといった具合いであ る。我々の時代の古代は、より古代のスケールの巨大さに圧倒されて縮図化してしまっているのである。

ここに次表のような世代的変遷をみるのである。

 


 
 
 地球的規模の大改造事業

ブルース・キャシーによると、不可視なエネルギー綱がある種の数学式に従って地球上をとりまいているという。披は、ヨーロッパのメガリ スや、バミューダの謎の海域の位置などがこの計算によって割出せるといい、UFOの出現が綱の交点に集中することから、UFOのエネルギー補給網の可能性 を説いている。筆者はその計算式が未だによく分らないが、もしかしたら、例のライン群との一致が見出せるに違いないと思っている。そればかりでなく、八重 垣の設計原図により近いものが期待できるだろう。

古事記に書かれる限りでは、出雲八重垣なるエネルギー網は、地殻のエネルギーを柔らげるべく、須佐の男に象徴される宇宙人乃至は賢者が 企画し、足名椎手名椎という優れた造成プロジェクトチームを古代人の間で組織して、八耳なるたくさんのマウンドを築いたというのである。西日本各地に残る 「鬼の塚造り」伝説は、この事実が素材になっているとみられる。
 
 

「八俣の大蛇」の段は、続く「須佐之男命の系譜」の段以降の、人類(大国主命)への大地の管理権の委譲へと繋がっていく。

そして、大国主命に示される農耕人類の時代となる。
それは黎明のシュメールに始まる非常に長い忍耐と質素な豊かさの歴史であり、時として異星人との協力関係や漂泊の歴史(大国主命の漂泊の歴史)をも中に含 みつつ、華美で賑やかで短命を宿命とした天神系の時代の到来に至るまでのあいだ続くのである。
日本では、天つ神の系統の大和朝廷にとって、先住民である縄文、弥生人の時代が大国主の時代と捉えられたであろうし、また別の解釈によれば近世までをも指 すと考えられる非常に長い基礎充実の時代であった。



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