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須佐の男の命の系譜(治山) オミヅヌの神‥八束水臣津野(書紀) 各地からマウンド造りの材料となる土砂を運んできたプロジェクトのこと。特に平地を堀り起して後の農業用濯漑池としたので、水に関係した名がつき、山神、土木神であると共に農耕神の性格をもつ。 フノヅノ神 威力ある角型のマウンド、すなわちピラミッドもしくはそれを造ったプロジェクトのこと。 フテミミの神(太耳) エネルギーを蓄える巨大なマウンドもしくはそれを造ったプロジェクトのこと。エネルギー変換量は恐らく、マウンドの大きい方が多く、形は平山よりは方錘型の方が効率が良いのだろう。 (潅漑) 日河姫 川の水が干上っている様子を示す。 深淵のミヅヤレハナの神 深く水をたたえ、必要な時に放水する漕漑池すなわちダムである。 (農耕) 大年の神 長い年月をかけて植物が成育していくことを示す。 刺国大、刺国若姫 狭い耕地をしだいに開拓し広げていくことを示す。多い段々畑。 大国主の神、オホチムヂの神 広い農耕地を得た古代人を示す。 アシハラシコヲの神 地上(葦原)を仕切る力をもった古代人の形容。 ヤチホコの神 大量の銅鉾、銅剣のこと。時として戦闘用に、主として祭祀用に使われた。 ウツシクニタマの神 銅鐸のこと。祭祀に使われた。「フテミミ」ゃ「フノヅノ」がその形の中に込められている。 超古代の志を縮図化した銅器 鋼は古来より、物事を映す鏡と考えられた。銅鏡は、物の実像を映すものと、物の精神(理念)を映すものがあり、主として、後者の役割が大であった。 鋼器のことを古代人は「ウツシ」と表現していたのだろう。その意味は「理念が反映して現実の姿を取ってあらわれたもの」であり、その指す対象は非常に広範囲かつ不特定である。たとえば「ウツシクニタマ」とは「大地の精神を反映した実物」であり、農耕民族そのもの(オホクニヌシ)をみたててあり、かつ(大地の工作者スサノヲの造らせた)神体山をみたててあるわけで、それを縮図化した銅鐸が見立ての祭器として作られたのである。 また、オホクニヌシの別名、ヤチホコは確かに諸説でいうところの幾多の戦闘をあらわしている。だがそれがみたてられた仮物として鋼鉾が造られている。この鋼鉾は実際に斬り合いには使われず、祭器であった。 鋼剣、銅鉾は、統治力の精神を反映するとされた。それを適当な土地に埋めて、平治、戦勝、豊穣の祈りを涌出するエネルギーに託すわけである。銅器は不可見な領域と古代人の精神をつなぐ「みたて」のシンボルであったのだ。そしてこの種の「みたて」がいかに理念の領域に影響をもつものであるかは、種々の宗教で取り扱われていることである。 銅鐸は農耕の原点である秀麗な山容を型取り、同時に既述の一定の機能を満たすべく設計された利器であった。そこに描かれる流水紋、渦水紋は、不可見なエネルギーの効果的な流れを意図するものであり、それが現象上の水の流れにみたてられ、どちらも共に重要視されたわけである。狩猟、農耕関連の図柄は、やはりエネルギーの流れに託して豊穣を祈願するものである。また、時折男女二神が流水紋の起点に描かれているが、これは八重垣システムを見守るスサノヲ、櫛名田姫であると同時に、後述する大国主の命、スセリ姫でもある。そしてまた、水源の神としてもみたてられている。 銅器は以上のように超古代の表わし難い事実をなぞらえて表現する手段として古代人の間で用いられている、いわば一種の縮図化された事物なのである。それは、はとんどの場合祭祀という形態でのみ用いられた。その祭祀というのも、エネルギーをコントロールするという実際上の効果を併ったものである以上、この民族(弥生民族)にとって銅器信仰がすたれることはなかったはずである。
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