[大国主の命に関する物語]
前節のスサノヲの系譜のうち最後に登場する大国主の命に関する物語がここから始まる。大国主の命は、スサノヲの築いた偉業を引継ぎ農業を主軸として地上を支配していく新しい民族のことである。かつての大変災で人類は新規巻き直しをはからねばならなかった。今にいう旧石器時代をからくも演出していた人々の前に、かつてあった知識のいく分かをもたらす賢者があらわれ、風俗を正し、秩序を与え、農業の仕方を教えた。それを忠実に守ったのが後の大国主となる民族である。彼等は他部族との闘争や、当時活発であった火山活動に苦労してとても伸長できない状態であったが、賢者や宇宙の知性が援助に訪れ火山鎮静の方法を教え、出雲八重垣を作らせた。これにより安定した基盤が保証され、また戦闘手段も確立し、こうして他の民族を撃ち払い征服し、大地の支配者と言われるに至ったのである。それは実に長い期間存続した。その間に国家の存続が危くなるつど宇宙から援助がさしのべられたからである。
この歴史的事実は今から一万一千年前〜四千年前の出来事であると考えられる。(縮図化は紀元前数世紀から紀元二世紀頃にかけての日本史上の弥生時代にみられる)
(ホピや古事記の語る、人類のこの時代への出現から、世界への拡散、そして拠点した先々での国造り。その頃の清い志に感応して援助を差し伸べた賢者や宇宙の知性のいたことなどが語られる。その国の統治のあり方は霊的文明(奥つ火)と物質文明(辺つ火)の好バランスにより成り立ち、知恵の統治(ひしり、そほり)が行われていた。異界の科学(くまのくすび)を知り、生命科学の応用(いくつひこね)を果していた。それゆえ非常に長い期間の繁栄がありえたはずである。その歴史がなぜ出てこないか。理由は、何者かの命により、その優れた時代のあったことは、それ以後の時代に生きる者に、知らしめてはならないとして、隠蔽されたからなのだ。命に従い、過去の知識は神官層の秘匿するところとなり、彼らの系統をエージェントとする歴史支配は今なお続いている。名残は、ただわずかにエジプトやシュメールなどにおける遺物にそのよすがを見ることができるが、場違いな遺物(オーパーツ)と呼び、一顧だにしないのが今の文明人の作法になっている。だが、人はみなレベルを落とされて在りと知らなくてはならない)
因幡の白兎
農耕民族の台頭
この物語はおなじみであり、原文、対訳、語訳を省略する。大国主の命には兄神が多く居たが、みな土地を大国主に譲っている。これは、農耕を始めたのが特定の部族だけで、外辺部族は個別に共同体を営む狩猟民であったことを示す。そして、これらをやがて統一するのが農耕民族であったというわけである。
兄神たちは、大国主を従僕として扱うが、大人しい農耕部族であればそれも仕方がない。やがて時が進めば、今度は迫害に変わってくるのであるが、それは大国主の力が増大したからと言えよう。
兎は地質の象徴である。当初、土地(兎)は火山など(鰐)によって痛められていた。そこに海水の侵入等があってそれが去った後には岩塩が吹出したりしていた。それが八十神に欺された兎で示されている。そこで、大国主は「蒲の花紛を敷く」に語られる有機的な土質改良方法を施したという過程が示されている。
「いなば」は「稲場」であり水田地帯のことである。また、「八上姫」は、多くの部族の頭という意味で、多数の部族が支配権を争ったことを示している。そしてその頭の位を得たのは、最終的に大国主であった。
きさ貝姫とうむ貝姫へ
Copyright(C)1978-1998 初稿1978.5
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