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  • 一般的な超 常体験(1)・・・OOB、霊験、奇跡など

    ここでは巷に言われる奇跡や自分で体験した非日常的感 覚体験について取り上げます。



  • 金縛り、OOB、夢見の体験が頻発したころ のこと

    1990年のほぼ年内 金縛り、幽体離脱 幽体離脱、夢見 寝ているときに夢と現の 意識のまどろみの中で 下に掲げます。


    マンション 住まいをしていたころのこと。当時していた仕事の不規則性によるところもあろう。
    ある期間、二日に一度くらいのペースで、入眠時に意識が覚醒し、異質の意識体験をした。最初は「くるぞ」という初動的意図によって頭の中に爆音(すさまじ い電磁音)がして金縛り状態となった。目は見えても体が動かせない。が、力をこめていると、腕がいちばん抜けやすく、すっと抜ける。が、肉体の腕ではな く、どうやら幽体の腕である。
    というのも、目の前に晒しても見えないからだ。しかし、目の視野の周辺部(外辺部)でうっすらした影のような輪郭(シルエット)を捉えることができる。掌 を目の前に持ってくると、視野の外辺部で指の半透明な輪郭が見える。掌や腕の運動中の肉体的感覚が等しいのである。
    この部分的幽体離脱を繰り返すうちに、幽体の性能をテストするようになった。腕をゴームズの如く天井まで伸ばしてみたり、スーパーマンの如く壁を抜けさせ て、そのときの向こう側の触感を得てくる。まさに現実での感覚と等しいものが得られるのだが、壁を突き抜けるときは、豆腐に手を突っ込む程度の抵抗感を伴 うが、電灯の裏や畳のざらつき感は現実と等しい。
    いろいろ試すうちに、脚をはじめ全身を抜いてみるようになった。
    全身を抜くときは目を閉じてのときに限った。やはり怖かったからだ。このとき、身体からゴムのりをはがすときのような感覚とバリバリという音さえ聞こえた ように思う。その後は、ただちに超鮮明な夢見に入り、夢のコントロールも可能になるが、すぐにノーコン状態になり、荒唐無稽な明晰夢に陥っていき、やがて そのまま寝てしまうことになる。
    当時はマンション住まいで、住環境によったところも大きいだろう。木造家屋のときは滅多に起きなかったからだ。マンションの建っていた場所は、戦争で瓦礫 と化した神戸大学学舎跡であった。
    癖のようにして二日おきぐらいに入眠後金縛りは起きた。しかし、よく言われるような、他者の霊の存在は確認できなかった。独自能力の発現のようだった。い や、いちど、幽体離脱後の夢見の中で、坊主頭の仙人のような人物に指差して術を試したことがある。その人物、別の夢の中で、新神話協力者のイナンナが裏切 ろうとしていることを知らせに、自転車で彼女の密会の現場に連れて行ってくれた人物のようだ。(密会は後に事実であったことがわかることになる) この人 物は私の霊的導師なのかも知れない。




  • 一 般的な超常体験(2)・・・厄神さんの霊験

  • 1990年〜 交通事故激減軽減 厄神さんの霊験体験 営業車での交通事故が激 減し軽微化、仕事を辞めて後もマイカー事故および違反皆無化、現在まで続く 下に掲げます。


    前厄の年から元旦午前0時に多井の畑の厄神さん詣でを毎年するようになり、その年から交通事故がほとんど起きなくなった。 当時はタクシー営業をしていたので、事故違反とは切り離せない環境にあり、とばっちり的なよそからの事故が多かった。軽微な事故でも、会社側の事故係がヤ クザ検察官さながらで、ドライバーはみな困っていた。が、その年以降、事故がほとんど起きなくなり、あったとしても極端に軽微化した。
    競争に明け暮れる日々ゆえ、事故がないわけではない。よその会社のタクシーに後ろから激しく追突したものの、相手のドライバーが善良で、物損事故にとどめ てくれたり(ふつうのタクシードライバーなら病院で寝込むところ)、阪神大震災下の瓦礫の神戸を走行しているときに自転車がぶつかってきて倒れこみ、人身 事故になりかけたものが、被害者が逃げてしまい、営業車に受けた傷も二時間ほど後の停車中に、受けた傷の付近に他車が衝突して、先の事故自体が雲夢消散し てしまうということもあった(奇跡というしかない)。
    前厄年以後15年(通算20年)のタクシードライバーをしていて、ほとんどの期で無事故賞を受けた。


    付記
    ふつう、人は神 頼みすると、ぜんぶお任せして、安気に車を走らせるらしい。私は逆に注意と感覚を運転に集中するようになった。というのも、神様に頼んでおいて、もし事故 でも起きたら、神様に申し訳ないからだ。もしかすると、それ以後、お参りしたくなくなる原因にさえなってしまうだろう。
    私は厄神さん詣でするのは年一回元旦だけである。そのときにお札とお守りをいただいて一年を過ごす。最近はあちらまで行く元気がないので行っていないが、 お札は古くなったとはいえずっと神棚に祭ってあって、毎朝お祈りしている。






  • 一 般的な超常体験(3)・・・サイババ体験

  • 1995年〜 危難時に幾度も救われる サイババ体験 人生の危機に際して手紙 を書いた 下に掲げます。


    神としてのサイババに傾倒したことがあった。書物もいろいろ読み、ムーの付録にサイババのポスター写真がついていたのを部 屋のドアにセロテープで隅4箇所を簡単に貼り付けて以来、私が自分の意志ではがすまで奇跡的に10年近く貼り付いたままであった。
    その間に少なくとも四回、これが起これば人生が転覆すると危ぶまれるほど窮迫したことがあったときに、サイババに手紙を書いて願い事をすると叶うという話 を聞いて実際に書き、バンガロールあて郵送し、そのすべてにおいて事なきを得て、この神の力を知ったようなことだった。
    彼に会いにインドまで行ってきた人を身近に幾人か知っているが、ほぼみんなサイババの力も威光も感じなかったと言い、さらにはあれは贋物だとまで言う者も 最近出会ったが、サイババは自分にわざわざ会いに来る必要はないと言っていたではないか。それをあえて行くことで、何らかの徳が積まれたとでも言うのか。 結果、己の傲慢さだけが表に出たのではなかったか。私は遠隔にいて、彼のすごさをまざまざと味わった。
    サイババに会いに行った名古屋の知人が、何気なくくれた黄金の 宇宙卵の写真は、当時拙宇宙論を創案していた私に大きな自信を与えてくれた。これはサイババからの私への激励であ り、プレゼントであると思えたことか。

  • 奇跡と言ってもいいほどのこともあった。前に書いた、交通事故で人身事故になるはずのとき、被害者が医者に行くことを怖がって逃げてしまったりするだろう か。さらにそのとき車についた傷が、二時間後、停めていた最中に走ってきた車に傷の付近をちょうど当てられてしまい、先の事故すらも消えたりするだろう か。そして、次に書く阪神大震災の直害の回避。とにかく、危難も大小さまざまに降りかかったが、ぜんぶ事なきを得たのは、サイババと厄神さんのお蔭と思っ たことか。
    そのサイババは川の神サラスワティー、ガヤトリー、サヴィトリーの三女神を敬っていた。私もいま弁天様をお慕いする身である。


    付記
    サ イババについて幼児性愛者の噂が流れ、物品の取り出しがトリックとされて、名声も落とされた感がある。が、私に言わせてもらうなら、人間は神の器なので あって、その器に神がシェアーしているかどうかが神人といわれるゆえんであり、シェアーされていなければただの人間でしかない。所詮は灰でしかないものが 神の息吹を吹き込まれて人間になるのである。その意味で、私も神の雛形を演ずるときにのみ神の力がいただけるのだ。そ れは誰しも同じである。
    よく宗教の教祖の中に、とんでもない不義を働く者がいるが、教祖となるきっかけとしての神がシェアーして神人となった時間がやはりあったには違いあるま い。それを常時の神として崇めた信徒のほうは、理解不足のゆえに被害に遭っているのだ。人は不完全な存在に作られている。6の数のあてがわれた存在。どの ような教祖とて欲望を抱く揺らぎある存在でしかない。


  • 阪神大震災の回避

    • これは超常的な奇跡とは言えないかも知れません。誰でも悪運が強いと言われる人は体験済みのことでしょうから。
    • 私は、阪神大震災の直撃地に長らくいたものの、気分的に急かれるよ うにして 郊外に居住地を探し、まず土地を買い、その上に自分のプランで家を建てるなどし て、震災の起きる一年半前に、山を越えた三木市に在住していたのです。そこでもかなり揺れましたが、被害といえば額が落ちてガラスが割れたことくらいで しょうか。
      ところが、当時の仕事場は神戸であり、古屋になった実家も神戸に依然ありました。実家は全壊で、二階建てが、くの字に折れ曲がってひしゃげておりました。 もしもその家にいたなら、母も私も重症以上の深手を負っていたことでしょう。

      ただ私は、それ以後も神戸で無理に仕事を続けていたため、また実家の解体撤去の始末と、土地区画整理区域にかかったため、手続きに奔走などで体調に変調を きたしました。
      胃・十二指腸潰瘍がまず最初。仕事中に腹痛に見舞われることしきり。これを良医に恵まれヘリコバクターの抗生剤連続投与で治したものの、今度は心房細動を 発症。これがどれほど自分のパワーを損ねることに なったか。持続力がなくなりました。夜は早々に血圧低下で眠くなり、深夜労働の帰路には、センターラインオーバーを何度もやってしまう始末。当然、仕事へ の熱意がなくなりますし、命の危険を感じて辞めることに。
      経済的な損害はそれほどなかったものの、身体的損失は計り知れないものとなったのです。


  • 死にかけて、母に助けられたこと

    心房細動をすでに発症していた私は、2002年11月20日〜21日の深夜に、就寝しようとしてセーターを脱ごうとした時点で心停止し意識不明になったよ うです。
    幸い、家の中(2F)だったために、倒れた時に大きな音がして、1Fで寝ていた母に気づいてもらえました。
    母は、私の首にセーターが絡まり絞めている格好だったのでそれをほどき、息を吹き返したのを見て、私を起こさずに30cmも上にあるベッドに引き上げて寝 かせてくれたといいます。
    翌朝、私は周りの状態がいつもとは少しおかしかったものの、平気で仕事に出かけて、帰ってきてとった夕食時に、深夜にあった出来事を母から聞いたわけでし た。
    ちなみに、営業車のラジオニュースで高円宮が心停止で亡くなった(21日午後)ことを聞いた直後だったので、関連して記憶しているわけなのです。
    また、そんな重篤だったのに、そのまま何も言わずに仕事に出す母の"がばい母"ぶりを見せられた思いでした。
  • (昔からこうだったのです。私がずるけてるのではないかという思いが多少はあったのかも知れません)

    このときというのは、新神話的にはイナンナの離脱直後(裏切りのあった直後)で、私の役割が消滅しかけたのかも知れません。
  • が、さらに役割の継続が賜与されたことを物語る出来事だったかも知れない。
    初めに現れ、イナンナに恋人を取られたカンナオビが、苦しみつつも彼(私)の帰還を待っていてくれたからであろうと思います。

    ダイハードではないが、私はそこで死んでしまう時空もあったに違いないと思っています。それを死の瞬間にジャンプして、今の時空に乗っかり、現在に至って い るように思うのです。(拙宇宙論を 基にすれば十 分に可能。すでに2014年時点で、もっとも少なくとも3回、私は死んでいる) そこに 神の援助があったとすれば・・・やはり母とカンナオビの想いが生存へと引き上げて くれたに違いないと思う。
    それに対して、私は何をしてあげられたのだろう。



  • 一般的な超常体験(通算)・・・生い立ちから最近まで

    時期 テーマ イベント 概要
    1949年 誕生
     

     
    〜1959年 普通の神経質な子供だった
    主体性なく理解力乏しいいじめられっ子だった
     

    いまにいうアスペルガーだったのではないか。
     
    1960年〜1962年 創造主を模倣していたような感あり 家に籠もっての遊びに興じる
    客観的に見れば自閉症だったかもしれない
    盲腸炎の手術後、治癒までの経過が思わしくなく、家に閉じこもる生 活であったとき、登場人物に玉(如意珠)=魂を付与して物語を演じさせる展開をしていた。この頃からちょっとしたことで三昧境に浸るようになった。
    1960年〜 頻繁に三昧境に浸るようになる 授業中など、ちょっとしたはずみに幸福感がして三昧に入る 別世界に遊行していたような。分析しようとすると三昧は消滅。夢に 似たるか。そのときどこに行ったか、何をしていたかは皆目不明。しかし、この世のものでない絶妙な霊妙音楽を聴き、しばらく憶えていたのだが、いまや忘 却。
    1961年 両掌中央にますかけ神秘十字線ができる 神秘や超常に憧れる下地が形成されたか 両掌中央にますかけ神秘十字線ができてきて、定着したため、その左 右対称性を当時から不思議がっていた。
    1964年 母の幼時体験の謎を解く ぬえを確認する
    回想記
    母の不思議
    母からたびたび聞いていた謎の生物について、私が高校の古典の授業 で初めて知った"鵺(ぬえ)”と印象が合うので、いろいろと調べて断定した。私が中学の頃には、エジプトのスフィンクスの顔や姿に似ているという話も受け ていた。
    1969年以降 三昧境体験がなくなる
     
    三昧は右脳体験のようだ。論理思考が主体的になっていくに従い、三 昧にシェアーされる回数は減り、仕事に入って以降はまったくなくなった。代わりに、質問を持つと自分の中だけで情報の閃きが来て即座に答えがわかったり、 必要な図書を偶然見つけたり、もらったりといった不思議経験となった。つまり、必要な答えはこちらから求めていかずとも、あちらから急加速でやってくると いう感じであった。

     
    学校、社会とも、全般的に怯弱な人生を歩む 現実は皆目さっぱり。内面は充実感あり。
     
    現実のことについてなんら意欲的でなかった。世間知はなく、金銭、 生活スタイル、恋愛含め、仕事と形而上関連のこと以外あらゆる面で無知だった。心はいつも雲水。オートバイや車は早期から入手し、自然を見て回るドライブ をしていた。SEの仕事は能力的に劣る事態を続けていて、やがて干されて辞職。以後はトラック乗りやタクシー乗りをして天職を見つけた感があった。運気も 上向きとなる。
    1965年〜 宇宙創造物語をメモ的に執筆 閃くようにしてやってきた SEをしていた当時、文化に住まいしていたが、部屋が狭かったた め、布団を敷きっぱなし。その下にはメモ書きが埋まり、寝床はさながらメモの海に浮かぶ筏のようだった。仕事の最中にも閃きが来るので、仕事より優先して メモをしたのが普通ではなかったところだろう。当時は閃きのほうが宝であり、仕事や収入はどうでもよかったのだ。しかし、そのメモ書き、いつかは長編小説 にとも思っていたが、結局、ゴミになってしまった。基地外は今始まったのではなく、若いころから基地外だったということだ。
     1979年〜  宇宙の仕組みを推敲する  閃きと予備知識の整合をとる  超宇宙の仕組みに関するモデル概念を構築し、サイ科学 会から発表する。
     1976年〜  古事記神話の暗号解読をする  閃くようにして解読できた  古事記神話には超古代からの歴史が書かれると解釈し 「古事記と超古代史」なる書物にする。
    1985年〜 瞑想をするようになる
    応用的に上位の運転免許取得に生かす
    大型、牽引、大型二種を1ヶ月半かけて、それぞれ2回ずつ計6回の 実技試験で獲得する。それも仕事の合間に。 一般的に大型以上の免許は免許試験場で実技を試験官に披露しなくて はならず、一桁回数で合格することは難しいとされる。が、私はみんなが受験料を支払い、コースを走って練習するようなことはしていない。一回目は不合格が 当然として、そのときに走った光景とコースの下見をして、あとはイメージの中でトレーニングする。つまり無料で何度でも問題箇所を重点的に、繰り返し練習 をしているわけだ。そして、何度もコースをイメージで走りとおしておく。そして実技試験に臨むと、横に試験官、後ろに次の被験者がいることも忘れて、イ メージどおりに走りとおすことができる。
    これは超常的でもなんでもないが、一般的には超常と思われる話である。
     1987年〜  西日本一帯に超古代からの超巨大幾何学遺構を発見する  閃きと推敲によりカバラの伝播を認める  1989年に学研ムーミステリー大賞へ応募し優秀賞を 受ける。1990年ムーに掲載。1995年に改訂増補して流通出版。2000年から自炊版をホームページにして公開。
     1995年  阪神大震災の回避  1993年に神戸市郊外に移り住んでいて直接の難を逃 れる  1992年に矢も楯もたまらず、郊外に転居したいとい う内なる欲求が顕著となり、郊外にまず土地を購入し、すぐに自家設計による建物を建てて1993年に転居。大震災の1年半前に移り住んでいた。元の神戸の 実家は、くの字に曲がって崩壊していた。そのままなら、母も私も死んでいたかも知れない。
    1996年 このまま人生が無意味なら寿命を50までにしてもらう。そして再び 誕生させないでほしいと。 その後行った淡路の平和観音で弁天様のお姿に恋し、結婚を申し込 む。
     
    自分に自信がなく人との付き合いが下手だったのを棚に上げてという のもほんとうだが、この一連の人生に目的らしいものが感じられず、意味のないものだったという絶望と嘆きのゆえに、このような無謀に見える注文を神様にし たようなことだった。そして、それは約束事として神に要求していた。すると・・・。
    1999年 約束事をしたのもわすれ、漫然と50の壁を越していた 満50になる直前日に、カンナオビから初めてメールが届く。新神話 プロジェクトのボンドガールだった 新神話創作はここに始まったと言ってもいい。50以降の寿命は新神 話プロジェクトの仕事遂行のために与えられたのだ。この見事なまでの約束の果たし方はただものではない。なぜなら、カンナオビは後に奥津嶋弁財天だったと 判明するからである。これ以後は、新神話の不思議となる。
     2000年〜  新神話により励起された不思議人生となる  カンナオビに始まり、イナンナ、シノ、日の出嬢、そし てカンナオビに戻る協力者との行程。その後は猫がこれを引き継ぐ。森野劇団スタッフ総出の新神話劇がここに。  新神話をご覧になるのが最善です。細大漏らさず書いて おります。
    2014年現在までで、この世界と私(および協力者)に関するほとんどの真実が明らかになりました。
    この劇団の演出題目は、自分発見の旅、深奥の謎解きと岩戸開け、世界の救済、といったことになりましょう。