[天照らす大御紳と大国主の神]
ここからは宇宙からの介入も侵略的かつ組織的な色彩を帯びてくる。その介入の仕方も非常に巧妙になっているので最も注意を要するところである。原文は長文に及ぶので省き、筋書きの説明を詳細に施していくことにする。
天若日子 宇宙からの侵略的介入(懐柔策)
この節から、突然天神系を主体にした歴史のなりゆきの説明になる。まず、天照らす大御神は実り豊かな農耕文化を築いている地上に最勝の全知識の体系を示す御子マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミを降そうとする。ところが、天の浮橋から地上の有様を眺めると、非常に騒がしかったので、降りるわけにはいかなかった。そこで、タカミムスビの神がアマテラスの意向を何とか実現しようとして、八百萬の神に思ひ金(コンピューター)をまじえて協議して、地上の風俗を柔らげるためにまずアメノホヒの神を平定のために遣わすことにした。
アメノオシホミミとは、既に述べたように「全分野の最高の知識の体系」のことであり、古代世界共通の「知恵の木」でシンポライズされる神聖な知識体系のことである。天の浮橋は、理念の存在する超空間であり、単に宇宙から降りてくるというのではない。これは後程、ニニギの命のところで詳述する。ここまでで重要なのは、地上の生活が荒れていたために所期の最高学問の地上世界確立がすぐには実現できず準備期間が必要となったことを示していることである。
ところが、文明開花の意味をもつアメノホヒ(初火)は大国主の許で帰化してしまった。仕方なく、タカミムスビは再びコンピューターに議って今度ほ天と地の両方の事に精通した宇宙文明の中でも若輩のチーム(アマツタニタマの子アメワカヒコ)にミサイル(アメノハハヤ)などを含む強力な兵器を併わせて送り込むことを決定した。これは恐らくそれまでに地上が啓蒙されて相当な武力を持つに至っていたからであろう。だがこのチームは、大国主の娘シタテルヒメと結婚などをして、地上を自分のものにしようとして、やはり帰化してしまった。ここでシタテルヒメとは、お膳立ての準備段階を示している。
今度は、アマテラスがどうなっているのかを調べるために、やはりコンピューターに議って、キギシナナキメに注告の言葉をそえて送る。だが地上社会も体制が確立しており、様々な逆調査がなされた結果、宇宙文明の直轄支配の意図を察知し、地上政府はこれをミサイル攻撃した。これは、一大戦争の発端である。キギシナナキメの攻撃されたことを知った宇宙文明(タカギの神)は、アメワカヒコの地上勢力に報復攻撃をして禍根を絶ったのである。
懐柔策は裏切り(帰化)によって失敗
既に述べたように、インドの叙事詩ラーマヤーナにはラーマのシータ姫奪回の物語で核弾頭ミサイル使用の描写がある。伝説では、この武器は天空の住民から与えられたものとされている。
また、旧約聖書のソドムとゴモラの話はやはり核兵器使用であり、この場合は席敗怠落した都市人民に対し神が怒っておこなわれている。これらいづれも宇宙文明のした行為の正当化がなされたものである。前者は、文明の利器の偉大さに力を入れ、そのような兵器を英雄伝説に合一させている。後者は神への畏敬と神に忠実でない者に対する戒めに力点を置いている。古事記の場合はこの両方の要素に加え、先制攻撃に対する報復(還り矢)も語られているだけに裏の事情に詳しいと言える。いづれにしても宇宙からの支配権をめぐる干渉を語っているに変りなく、同一事件が様々な伝承に変化していると考えられる。
また、ここでタカミムスピはタカギの神と名を変えて、あらわす実体の内容を刷新している。
ここでは「現象展開の超空間コンピューター」ではなく宇宙文明の組織体制を意味している。これより前「少名毘古那の神」のときに出てきたカミムスビもタカミムスビと陰陽の性格の差こそあれ、同じものを意味している。つまり、スクナビコナもアメワカヒコもその組織から派遣されたユニットなのである。カミムスビは保守的、温情的な性質をもちタカミムスビは進歩的、攻撃的な性質をもつ。これはちょうどギリシャ神話のクロノスとゼウスに相当する。これは、主導的方針あるいは思想の変化が宇宙文明にあったことを物語るのだろう。
大義を生かすために小義を犠牲にする
物語ではこの後、死んだアメワカヒコのために同族の宇宙人達は組織を挙げて喪屋を営み長い間なげき悲しんだが、その葬儀の場に容姿がアメワカヒコに似たアヂシキタカヒコネ(前出のアヂスキタカヒコネとは、「鋤き」と「敷き」の違いのあることに注意。この場合、他・地・征伐を意味する)がやって来たので、家族はまだ彼が生きているものと錯覚する。これにアヂシキタカヒコネは非常に腹を立て、「汚れた死人と一緒にするな」と言って、オホバカリ(大量)という大刀で喪屋を切り伏せてしまった。
この部分は非常に教訓めいているし、宇宙文明の組織内部の裏話も秘められている。つまり、帰化と征服もしくは懐柔と侵略は根本的に似て非なることを述べようとしたのである。それは地上においても複雑な原因で成りゆきが紛糾しがちになるのは歴史の通例でもある。それは宇宙文明の組織内部でもよく意趣の伝わらなかったことであろうと思われる。これゆえ、「大量」の意味する「より大きな計画」をここで示す必要があったというわけだろう。つまり、宇宙文明の方針に変化は特に無く、時に従い様々な方便がありえていたというわけである。
ここまで世の歴史を深く取材できた者とは、かの海洋民族であったと言えるのであろうか。とにかく、連綿とした時代において常に体制に随伴しながら知識の収集に努めてきた一つの役割があったと言えよう。
(この古事記の解釈の当時、私はまだ天神系理念を好ましいものと捉えていた。それは宇宙文明の移殖計画であり、地球にとって進化すべき階梯を上ることと考えたからだ。2007年(1990年でも)の時点なら、今こそ宇宙文明による強制的な国譲りがなされても良いと思われるのに、その気配もなく、むしろ地球自体が滅亡に瀕していることを見ると、いったい天神系とは何なのかを深く考えさせてくれることとなった。その結果、得られた最も分かり易い時代が、現代史によって最良のものになると分かったことだった。いや、神話はものごとの定型パターンであって、どんな時間のスパンであっても適用できるのだ。だが、現在までの歴史をあてはめたとき、天神系理念とは、爆発的な文明開化を進行させる高度物質文明と、その利器の数々のこととなり、その理念が現代に降臨して、賑々しい諸相充足完備の世相を現出していると捉えられたのである。
別の角度からの発見もあり、この時代の歴史に神話を当てはめて推敲を重ねた結果として、「古代日本にカバラが来ていた」(著作品)および「古代日本謎の中東思想渡来考」(ホームページ)をアウトプットしたしだいである。
さらに推敲するなら、スサノヲ/スクナビコナ/御諸の山の神の系統が宇宙人なら、天神系の神々も宇宙人ではあるが、別系統ではないかと思ったりする。それほどに同じ系統とするには思想的な違いがあるからだ。良い宇宙人、悪い宇宙人という分類をする人もいるようだが、地球人類に対して純粋に好意的な側と、非好意的かつ策謀的な側という分け方を取りたい。後者は我々からすれば、警戒すべきものとしておかねばならないのに、どうも無頓着か、もしくは恐怖のあまりだろうか信仰までしてしまっている感がある。古代人はそれらすべてを神々として、その性質ともども神話に織り込んで、処すべき考え方の基本に置いていたのにである。
天神系の神々の影響は、現代文明を見れば一目瞭然だ。だが、それは人類をあるシナリオ(人の啓発のためかも知れないが、人類だけでなく地球の滅亡さえも容認する)に誘導している。かつて黎明のオオクニヌシの時代にあった宇宙的叡智はいっさい発揮されていない現代社会。宇宙人が双方の時点に関わるとするなら、その差はあきらかであろう。これを宇宙の一貫した計画の中の方針転換などという奇麗事にすることはとてもできるものではない。宇宙人と言わず、神としても良い。とならば、邪神と正神の少なくとも二つの勢力があると思ったほうが良い。そして実際、私は、縁に導かれるようにして、邪神大掃討作戦を誘起する残された人生を送ってきた。その詳細は世界救済の新神話に記している。多く想像による肉付けだが、啓発にかかる骨子の出来事は事実である)
国譲りへ
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