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天地のはじめ

角川文庫・古事記の 段落分けに準拠する


 

古事記の伝える科学知識(宇宙論・前半)


「天地のはじめ」の前半は、現象の展開元たる神の次元の仕組みの話である。別天にあるため隠されていると書かれるように、観測できることのみを科学の対象 にする現代科学では、扱われることはない。

古事記は、神の次元に「現世を司るプログラム」があると言っている。
それは、「命(みこと)」すなわち神の「御言葉」「言語」で表現され、神名が現象界を彩る主要なテーマのインデックスを示すようである。
それゆえ、神話上の神々の列挙は、神名の意味する事柄の順次展開(歴史)を物語るものであり、この歴史に関して 「かつてあったこと」(古事)または「これから起こること」(降る事 預言)に分別されるのである。「ふることのふみ」とは、そういう意味である。

このプログラム全体の置き場をカミムスビ(隠身、隠れ結ぶ摂理) と言い、一方それは演算、励起されて初めて実体的現象と認識されるために、 その演算のための機構をタカミムスビ(杲身、顕し結ぶ摂理)と言う。

手前みそだが、奇しくも同時並行的に、この世界の運行原理を探求していた筆者は、コンピューターをモデルにした超宇宙の仕組みのモデル概念を発表してい る。(1983年)  電子本 ⇒ http://p.booklog.jp/book/91316/read
この超宇宙概念は、神の次元(超次元)の、別天にある超コンピューターにより、世界の創造はなされているとするもので、そのCPUプロセッサーこそが、タ カミムスビで表されており、この神のこちら側の世界にできた子供が「思い金の神」すなわちコンピューター・ハードウェアとされることで、拙モデル概念は古 事記によっても支持されていると思っている次第である。

あと、水母なす漂えるとは、寒天状のホログラムのこと。ホログラムメモリーは大容量のプログラムが格納でき、ウマシアシカビヒコヂとは、そこに投射する レーザー光が行き渡っていくさまを示すかのようである。
それらは、みな異次元のことゆえ、古事記では、観測にはかからない(隠り身)としている。
一方、中国道教においては、万象の根源「太極」とは「宇宙の本態であり、 自らを開展して現象を生起させた」とする見えない根元的摂理として表現されるが、 古事記はそれを機能別に捉え、太極である中心原理を アメノミナカヌシとしている。

天地のはじめ(前半)
 天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。 次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。 この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を 隠したまひき。
 次に國若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へるときに、葦かびのごともえ上がるものによ りて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の常立の神。
 この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
 上の件、五柱の神は別天つ神
【訳】: 先ず超宇宙の原理ありき。
 世界の開始に際しては、先ず超宇宙があり、そこに中心的な根源的統括機構現象を顕し結ばせる機構、現象の理念を与える(隠し結ばれた)プログラム供給機構が存在した。この三つはそれぞれ独立 した存在であるが、我々の観測にはかからない
 現象の展開時の様子はこう考えられている。
 漂う水母状の意味不明なもの(ホログラム)に光が射すと萌え上がる黴のように現象生成が始 まり、励起された場としての時空間が生じたのである、と。
 これらのことも、我々にとっては観測できない事柄である。以上、五つの事柄は、我々の物理宇宙とは別の超 宇宙を扱う理論で出てくる話である。

2001年頃、当時はサイババブームで、知り合いの何人かがインドに会いに行っている。そのとき、あるひとりが帰国してからお土産をくれた。それが次の写 真である。

サイババが掲げているのは「黄金の宇宙卵」というもので、この卵の中に「この宇宙の始まりから終わりまでの歴史」がすべて入っているのだという。神の化身 とされた彼によって、拙宇宙論が支持されたと確信したのが、この写真をもらった瞬間だった。
サイババは幼児虐待などで信用を無くして、預言された日より早くに亡くなったとされているが、それも拙宇宙論からすれば容易に理解できる。
ぜひ ⇒ http://p.booklog.jp/book/91316/read
その後、拙論の有望性を示す科学論調が、あちこちから示されるようになってきている。


古事記の伝える科学知識(宇宙論・後半)

天地のはじめ(後半)
 次に成りませる神の名は、國の常立の 神。次に豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りまして、身を隠したまひき。
 次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神。
 次にツノグヒ(角杭)の神。次に妹イクグヒ (活杭)の神。
 次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの 神。
 次にオモダルの神。次に妹アヤカシコネの 神。
 次にイザナギの神。次に妹イザナミの 神。
 上の件、國の常立ちの神より下、イザナミの神より前を、あはせて神世七代とまをす。(独身の一々を一代、夫婦神の一組を一代とする) 
【訳】: 次に、物理空間の法則が完成した。場の時空の発生に伴い、物理 的宇宙空間が生じた。
 それは、物質の母源たる星雲を豊富にたたえていたのだが、同時に基本的な物理性質も生まれ た。
 浮き上がる泥土(浮ひ土泥)と沈む泥土(吸 ひ土泥)で対照される浮力と重力[その理由である質量]、次に、堅牢な極(角杭)活発な極(活杭)で対照される陽子と電子[電荷]、次に、回 転体(殿)の中心方向に向かう力(殿地)外辺方向への力(殿辺)で対照され る求心力、遠心力[角運動量]がそれである。ここから導かれる、質量、電荷、角運動量は素粒子物理学上の基本三性質である。
 物性の諸原理が完備(面足る)すると、収束 (凪)に向かわせる摂理拡散擾乱(波)を招く摂理によって、現象の綾が捏ね(綾・彼し・捏ね)られることとなった。
 以上、神の現象創造は、オリエントの七(段階)という完成数によっている。 
 
「天地のはじめ」の後半は、物理宇宙の話題となるのだが、ここには驚くべき記述がある。
泥土の水中での浮き沈みの現象をイメージさせて、浮力と重力の対照を暗示し、
杭(極)における「角」の堅牢な場合と「活」の活発な場合を対照させて、
重く安定した陽子と軽く活発な電子の対照が(今の時代なら)思い浮かぶ仕掛けとなっている。
また「トノ」は字義的に「丸味ある具体」を表し、「ヂ(地)」は内地、「ベ(辺)」は外辺を示すので、
回転体などにおける求心力、遠心力の対照を語るものとなる。それは物質の基本的な性質を、陰陽を対比し、
譬えを使って巧みに表現しているのである。一まとめに関連づけると、
質量、電荷、角運動量(スピン)という素粒子物理学上の基本三性質になる。
古事記は定常宇宙論的であり、今はやりのビッグバンを語ってはいないようだ。
だが、その概念が、古代になかったわけではない。
中国の「三五暦記」には、巨人盤古が混沌の固まりの宇宙卵を開いて、成長とともに天地を分離し、世界を開闢していったという神話がある。
日本にも、蘇我氏の神道弾圧の際に滅ぼされた大中臣家の末裔、九鬼家に伝わる「九鬼文献」の中に、
原初の神「モトツワタラセ」が気と力が凝り固まった卵のような状態から世界を開闢したという記述がある。神名が、原初における物質と空間の拡散を表現して いる。

 


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