物語





    【山姥(やまんば)の歌】前編

        作/奥人




ホームレスというと、どこか神秘的である。私たちは決してそのよ

うになりたいとは思わないし、近くにいられると困ってしまうこと

だってある。

何せ、私たちの生活の尺度とは異なる世界の人たちと思うからだ。



しかし、私たちが同じ価値を持つものどうし集団を作るように、彼

らの間でも、たとえば愛隣地区のように集団を作っている場合、あ

あ彼らは彼らなりの信念や掟を持っていて、異質だが一つの社会を

築いていると思うことができて、一種の安堵感が生ずるのである。



ところが、まったくの一匹オオカミのように、しかもある一定の地

域のみを一定の法則があるかのように徘徊しているホームレスは、

とりわけ謎めいている。



前話(ホームレス讃歌)で紹介したY君は、そういうタイプのホー

ムレスの謎の部分にどうやら牽かれてしまったようである。

今回の話のホームレスは男性で、やや小柄だが中肉中背、髪の毛は

ざんぎりだがぼうぼうというわけではなく、眉は濃く、もしきちん

とすればけっこう男前ではなかっただろうか。

だが、風呂などにここ何年も入ったことのないような黒っぽく赤茶

けた風貌は、いかにもその道一筋という感があった。



しかし、Y君は前話でもお話したように人情家であって、こうした

階層の人にも公平な目を向けることができたから、彼の居住区にお

いて、非常に長い間、

・・・そう、彼がこの異様な存在を初めて見て、初めて違和感を感

じてこの方、すでに二十年は経っていただろうか、・・・

同じ地域をまるで一定の法則でもあるかのように徘徊していたこの

忍耐強い人物に、えもいえぬ畏敬の念を持ってしまったのである。



Y君が、何かの拍子に出くわしても、この男は素知らぬ顔で黙々と

ふらつくように歩いており、Y君もあえて見ぬようにして行き違う

も、しばらく奇妙な思いにとらわれるのだった。

この男がどこに住み、何を食べ、どんな生き方をしているのか、と

いった様々な疑問と憶測である。



ある冬の寒い日、夕方の暗くなろうとするころ、彼は仕事から帰っ

て、近所の貸駐車場に車を置いて、家まで歩く道すがら、あの男が

道ばたのコンクリートの縁石に腰かけているのを見た。

暗くてよくは分からなかったが、男は寒そうに体を震わせているよ

うだった。

夕刻にしてこの寒さであれば、深夜、早朝には行き倒れ、凍死は間

違いないかのように思われた。



そこで、彼は家に着くと、以前買ったには買ったが、キャンプした

ときの二,三度しか使っていないネブクロを物置から引きずり出し

てきた。

そして、畳まれたすき間に、さも置き忘れたかのように、五百円玉

と百円玉を何枚かづつ差し入れて、さっきのところへ引き返した。



二十分ほど経っていたものの、あの男は同じ場所に座っていた。

彼は、あたりに誰もいないのを確かめると、男の近くに歩み寄り、

「これ使ってえな」と言って、ネブクロを手渡した。

男は何か、もごもごと声にならぬ声をもらしたが、彼は長居は無用

と、ただちにとって返したのだった。



それから十日くらい後に、Y君はあの男がいつものコースを歩いて

いるのを見た。

そこにはひとつの期待感があった。

あのネブクロを一つの家宝として、肩に背負っているに違いないと

いう期待感だ。

ところが、男は風呂敷のようなものに包んだ小さな何かを持ってい

るだけで、いつもの汚れた服を着て、よろめき加減に歩いているだ

けであった。



<おかしいじゃないか。あんないいものを路上に置いたままだとし

たら、きっと持っていかれてしまうぞ。

本当はどこかちゃんとしたところに住んでいたりしているんじゃな

いだろうな。>



長い月日は、男を白髪混じりにさせていたし、当然ろくなものを食

べていないのだろうという印象はあった。



<だが待てよ、もしかしたら乞食は三日やったらやめられぬという

ように、ずいぶん儲かっているのかも知れない。

僕のように、表の顔しか見ないうすら馬鹿が、せっせと新品を貢い

でいたりして。

それをどこか契約した質屋などに持っていき、お金に変えたら、段

ボールなど一生懸命集めているよりよほど楽だし、よほど儲かるん

じゃないかな。>



そのような勘ぐりが次々と沸いてきて、Y君はいやな気分になって

くるのだった。

しかし、そのうち持ち前の諦観が出てきて、そんなことはどうでも

いいじゃないか、なんせ僕はあのときあの場で必要なことをしたま

でだ、と自分に言い聞かせて、ことは済むのだった。

それからというもの、間近で見ることもめっきり少なくなり、たと

え車中からふと見えたとしても、あいつはあいつといった感じで無

視を決め込んだ。



それから、五,六年は経っただろうか。

彼はその頃、タクシーの運転手をしていた。前回の話で「たま」を

拾った車で、である。

それにたまたまお客さんを乗せて目的地に向かっていたとき、N保

険所の前のバス停のベンチに、一人腰かけているあの男を発見した。



見ると、男は南の空をじっと見つめて、うれしそうに笑っているで

はないか。



道路は混雑しながらも、やがて車は男のまん前を通る。

しかし、男は車を見ているわけではなく、視線は上空にそれていた。

だが正面から見る笑顔は、赤銅色に神々しく輝いて見えた。



そのとき、後ろに座っていたお客さんが、前の座席を抱えるように

せり出してきて、あの男をしげしげと見つめながら、Y君にこう言

った。


「ああ、俺もあんな心境になってみたいもんやなあ」と。


むろんお客さんにしてみれば、今し方まで、難しい商売で大変なん

だといった会話をしていた折りも折り、とっさに湧いた反語であっ

たに違いないのだが、Y君はこのとき、言葉がストレートに飛び込

んできて、もしかしたらこの男は聖者か修行者なのではないかと思

えたのだった。



たとえば、インドの行者などだが、いかにも東洋風なので、仙人に

なるのを志して修行に出た「方士」というものかも知れないと思っ

た。

そして心の中で、「方士さん」と呼んでみると、決してそうではな

かったにせよ、してきたことが無駄ではない気がした。



方士には、秦の時代に始皇帝の命を受けて、不老長生の薬を求めて

蓬莱島ならぬ日本に渡来した「徐福」が有名である。

彼らは、人並みならぬ鍛練と研究を積み重ねて、この世の限界を超

越しようとしたものらしい。

そのいわれが、知ってこのかた二十年という歳月、毎度同じパター

ンの貧窮生活を繰り返している忍耐力のほどと、ぴったりくるよう

な気がしたのである。

すると、またあの方士の生活が知りたい気持になってくるのであっ

た。



やがて彼は、神戸市N区の古くなった自宅をそのままにして、山向

こうの新興住宅街に移っていった。

小高い山々を切り開き、莫大な土砂を取り去って宅地化したところ

である。

そのときの土砂は海に運ばれ埋立に使われて、これまた広大な土地

を生み出したのである。

わずか十年程度で、地形はずいぶん変貌したであろう。

どちらの土地も、これからの世代にはよくもてて、神戸という響き

とあいまって、外からも内からも人口の流入が盛んであった。



さて、そうしたとき、阪神大震災が起きたのである。

最大震度7という未曾有の地震は、六甲山系の南に位置する旧扇状

地の軟弱地盤を直撃し、中心街のビル群を破壊し、ビルがそうなら

民家という民家も当然のように凪ぎ倒してしまった。(実際はわず

かな場所の違いで、明暗を分けていた。活断層の位置や、地盤の具

合によった)

火災もほうぼうで起こり、Y君の旧宅の近くでも火の手が上がって

いた。



Y君の山向こうの新居も、かなりの揺れであった。

しかし、家具で倒れたものもなく、被害といえば書棚の上の額が床

に落ちて、ガラスが飛び散ったくらいであった。

それでも、おおかた昼前まで停電となり、ラジオがその間、神戸の

被害の程度を、どんどん規模を膨らませながら報じていた。

そして電気がつき、テレビがオンして初めて、事の重大さが目に見

えて分かったのだった。



Y君には妹がいて、やはりN区に単身でマンション住まいしていた

が、安否を気遣うも、電話などかかるわけがない。装置の故障が直

った後は、回線がパンクしてしまったのだ。



テレビを見入るY君には、妹のマンションが煙に包まれているかの

ように思えて、何とか助けにいこうと考えた。

道路は、救出にかけつけようとする車と、逃げだそうとする車であ

ふれかえり、信号は機能しなかったから、交通は完全に麻痺してし

まっていた。



ラジオでその状況を知ったY君は、午後一番に車のトランクに自転

車を積んで出発。このあたりで限界かと思われるところまで行って

車を残し、車道を自転車で駈け下っていった。



見ると、下のほうでは、もうもうと黒煙が上がっており、歩道には

その有様を見ながら進む人の行列が右往左往していた。



彼は途中、消防車が渋滞に巻き込まれて身動きできなくなっている

のを、何台も目撃した。

燃え落ちた民家の瓦礫の間からくすぶった煙が立ち上り、なすすべ

もなく炎が見え隠れしていた。

車道には瓦礫がいたるところはみ出しており、パンクせぬように気

をつけながら、乗ってこぎ、降りて引きを繰り返しながら進んだ。



ようやくマンションに到着し、その巨大な建物が表むき何ともない

のを見た。火災も遠い。

良かったと思い、中に踏み込めば、階段が崩れ落ちていた。

別の階段を使って10階に上がるうちに、何組かの家族の降りてくる

のに出会ったが、無表情で比較的事もなげな様子であった。

だがそれは、茫然自失の状態だったのかも知れなかった。



10階。エレベーターが使えれば楽なのに、これは大変だったろう。

Y君がその後、荷物整理で何往復もしたときには、廊下でしばらく

ぶっ倒れていなくてはならないほど、過酷であったという。

それが15階もあれば、より上の住民の苦労はいかばかりだったろ

うか。

エレベーターはその後9ヶ月の長きに渡って、使い物にならなかっ

たという。



Y君の妹は無事だった。

ただしセパレート式たんすの上が落ちて、額にその角が当たって、

少し血を流していた。あと1センチでもずれていたら、大変だった

ようである。

部屋の中は、まともに立っている家具がないほどで、ほとんど壊れ

ており、壁には暴れまくった家具の爪跡がいくつも無惨に残されて

いた。



とりあえず、妹だけは無事だった。

そこで彼は、もう一つ、絶望的だろうが、旧宅がどうなっているか

見てこようと思い、妹に少し見てくるから待っておれと言って、自

転車を置いたまま、歩いて出かけた。



Y君の旧宅もそうだったが、N区のこのあたりは古い小さな連棟式

の民家が密集していて、八割がたが将棋倒しの格好で全壊していた。

電柱はすべて斜めに倒れ、ちぎれた電線が無残に垂れ下がっていた。



瓦礫また瓦礫。むろんその下には、未だ助け出されずにいる生存者

も、すでに圧死した人もたくさんいたのである。

それはさながら空襲直後か、市街戦の激戦地跡のようで、どこを見

回しても元の形をとどめているものは見当たらなかった。

後に、空襲以上にひどいものだったと、年輩の両経験者は比較して

語っている。



その辺ではメインであるはずの八メートル道路ですらも、両側から

つぶれた家屋がはみ出して積み重なっている箇所がたくさんあり、

それを越えていくのに、いちいち足場を確かめなくてはならなかっ

た。

彼は、累々と道路をふさぐ家屋を、他の人がうまく乗り越えるのを

確かめながら、後に続いていった。



ふとそのとき、周りを見回す視野の隅っこで、妙なものを捉えた。

あのホームレスの男が、倒壊家屋の陰に見え隠れしながらひとつ隔

てた道路を歩いているのを見たたような気がしたのだ。



おやっと思い、どうせのことだから確かめてみようと、向こうの道

まで足下に注意しながら出ると、そこには似ても似つかぬ別人が歩

いているだけであった。



そのとき、元の道の方で、「バリッ」という音と同時に、「あたー

っ」という男性のかん高い声が聞こえてきた。

何事かと戻ってみると、先ほど越そうとしていた瓦礫に、中年男性

が落ち込んでおり、それを連れらしい男性が抱え上げていた。


「足をやられた」


見ると、がっちりしているように見えた横だおしの壁が、人の体重

を支えきれずにつぶれ落ち、穴にはまった男性の右足には、靴を通

して、板付きの五寸釘が甲を貫通してくっついていた。



やがてどこからともなく、人が集まってきて、ああだこうだと意見

が飛び交う中で、応急の抜き取り作業が行われた。



大変なことだと思いながらも、Y君は先を急がねばと、別の迂回路

に向かった。

あのとき、あの男が見えなかったら、きっと自分がああなっていた

かも知れない。

感謝とも不思議ともつかぬ思いを抱きながら歩いた。



彼は通れる道を選び選びしてようやく旧宅の前に着いて、二階建の

一階部分がほとんどなくなっている無惨な光景を見た。(たまはこ

こで育てられた)

もし、未だここに住んでいたなら、下にいたはずの親は亡くなり、

二階にいた自分の身もどうなっていたか分からないと思った。



このとき、真向かいの家では、Sさんのおばあさんが下敷きになっ

て亡くなっていたとは、知る由もなかった。

この惨状を後に、兄弟二人はそれぞれの自転車で遠い坂道を引いて

上り、暗くなってようやく車にたどり着いて、ほっとしたのであっ

た。



さて、それからが大変であったろう。Y君は、多くの運転手が収入

にならないなどのいろんな理由でやめていく中で、がんばったのだ

から。

自宅に被害がなかったために、それができたのだが、瓦礫と大渋滞

の中での仕事は過酷を極めた。それでも旧宅の損害だけですんで、

他の人と比較するとはるかにましであることに、幸運であったと思

うのであった。



彼はその後、幸運への少しもの感謝として、仕事に出たついでに、

かつて近所であった人たちが身を寄せる彼の母校のH小学校に、水

や乾パンを差し入れた。そこは、この国のM首相が唯一立ち寄られ

た避難所として有名となった。



多くの救援物資が続々と送られてきていた。水と食料はじめ、毛布

布団や衣類などに至るまで、当初は別としても不足することはなか

っただろう。

これらすべて、日本国中の心ある人々の温情のたまものであった。

それを可能にした、この国と国民性の偉大さ。



全国から警官が大量に応援に来た。

彼らは機動車に寝泊まりしながら、主に交通整理に当たっていた。

排気ガスとアスベスト粉塵の中の獅子奮迅。本当にご苦労さん。

大きな道路の主要な交差点という交差点に、1人以上が配置され、

当初は救援と緊急物資輸送の車だけを通し、やや後には復興車両や

代替バスなどを専用に通すようにしたのである。

その他の車両はみな枝道に排除されたから、Y君も大変だっただろ

うし、かなりの要領の良さが要求されたことであろう。



また、犯罪防止のための巡回も盛んに行われていた。

つぶれて無防備になった家屋には、どんな私財が埋もれているや知

れず、それを狙う略奪を防止したり、あるいはまだ搬出できるかも

知れぬ私財を焼き尽くしてしまう放火を防止するためであった。

その一環で、たぶん市民が自暴自棄になって起こす騒動などに備え

る意味もあったのだろう。



だが、市民がそうした短絡的な行動に出ることはなかった。

それは、必ずしも警官が見張っていたからだけではない。

実は、全国から集まったボランティアの人たちが、被災民の末端に

まで行き渡って、崩れ落ちそうになる人々の心を励まし支えていた

のである。



そのボランティアには、医療の専門家もたくさん来られていたが、

一般人の多くは比較的自由な時間があって活力のある若い人たちだ

った。

中年以降の市民達は、よもや若者たちがここまでやるとは思っても

みず、考えを改めさせられたと誰もが述懐している。



末端の問題を行政に反映する事までは困難であったろうが、適時の

情報を取ってくるための伝令や、よりよいシステムを工夫し運用す

るなど、被災者の立場に立った素晴らしい連携システムがそこに存

在していた。

国や行政が不得意とするところを、すべてカバーしていたと言って

も良いだろう。

でも、この地の行政に限っては、難しい問題の数々を抱えて、連日

連夜の奮闘努力をしていたのであった。



また、市民は市民で、降ってわいたような学校での集団被災生活を

余儀なくされ、なじめない人がたくさんいたが、互いに助け合って

絆を深めていった。

そこにまた、普段つっこまれ役の先生方が、生徒たちの学業を見た

後は、昼に夜を接いで指導力を発揮し、避難生活者の面倒を見てい

たのであった。



復興と救済という理念のために、全体が一丸となって進んでいたの

だ。

そこでは正義感、責任感、利他主義、思いやりといった美徳が支配

的であった。それゆえ、美談もあちこちで生まれたことだろう。

ボランティアの無私の努力を目の前にして、誰が抗えようか。

互いに励まし合う関係の中で、誰が非行を起こそうか。



一年、二年が経ち、彼らが撤退していった後に、心の空洞を覚えた

人が多くいてか、あるいは先行きの見通しをなくしてか、酒乱者や

孤独死が仮設住宅であい継ぎ騒ぎとなった。



いま、ボランティアで長きに渡って苦労した人たちは、感謝状一つ

受けることなく、地元に戻られた。だが、少なくとも阪神の被災者

たちは、彼らの将来に心からエールと無形の勲章を贈るであろう。

彼らがやがて、本物の政治や行政というものを担ってくれることを、

期待してやまないはずである。



さて、話を戻し、

その後、Y君は半年、一年と、旧宅の解体撤去や事務手続きやらで

仕事とは別にてんやわんやのありさまであった。

そしてようやく気持ちが落ち着いたのが、二年目になってからであ

った。

気がついてみれば、直接的な被害に遭わなかったにせよ、体中にガ

タを覚えていたという。



そして、あのとき助けてくれたのかも知れないホームレスの男が、

今どうしているかについて考えが及ぶまでには、さらに半年が必要

だった。

彼はやはり神戸市内で車を走らせていた。市内一円に行くことがし

ばしばだったが、一度も男の姿を見かけることはなかった。



また妙な考えが浮かんでは消えた。

仮説住宅に入って、普通の人と肩をならべて食事をもらい、寝起き

しているのだろうかとか、飯のねたがなくなって、実家にでも帰っ

たのだろうかとか、もしかしたらすでに死んだのかも知れない、と

か。



休みの日に、あのあたりを歩いてみようと考えた。

町は未だ戻ってはいないが、販売店の数も増えており、一つは買い

物に、もう一つは、あのホームレスの探索という目的で。



ある非番の日、いたるところ更地になった旧宅周辺を歩いてみた。

だが男はいなかった。

あのネブクロを手渡したあたりは更地が続いているばかりであった。

ぐるっとひと回りするように、ほとんど更地になったケミカル靴の

工場地帯を歩いてみたが、やはりいない。



もう買い物にとりかかろうかと、N駅の地下道の入り口にいたった

そのときだ。

地下道の暗がりの中から、突然あの男が顔をのぞかせたのだ。

しかも、あろうことか、Y君の顔をまともに見ているのである。

お互い見て見ぬ状態だったのに、このときはまったく違っていた。

そして、またあろうことか、男はよどみない普通の言葉で語りかけ

てきた。

「こっちにくるか」と。



彼は、ことの成り行きのあまりもの意外性に、驚きを通り越して、

茫然自失してしまったようだ。

素直にうなづいて、後に従った。

地下道は、薄暗く、長く続いているようだった。



「私はこの奥にいて、気が向いたら表を歩くようにしてきた。

そういう暮らしをしてもうどれほど経ったか分からない」


「あなたは方士?・・あ、いや、修行者ですか?」


「そんなもんじゃない。ただのルンペンだ」


そうした会話を交わすうちに、向こうの出口が見えてきた。

彼はまさか人ごみの中に出てまで、ともに話しながら歩く気にはな

れなかった。



だが、出たとたんに驚いた。そこは大きくはないが、ほかに誰一人

いない草原だったのだ。

町はどこかと、後ろの眼下を見れば、それらしい景色がスモッグに

霞んで見えていた。

山のほうが近くに見えるので、地下道をそうとう歩いてきたものら

しい。

上気しながら歩いたから、時間の経つのを忘れた感もあって、それ

もいたしかたないかと思われた。


「この山を見てみなさい」


どこかで見たような山だった。

これは形からいって、何山だったかな、と考えようとする前に、男

が言った。


「この山の樹木は、八割が病気で、

そのうち三割はすでに死んでいる。

全山枯れ山水になるのはあと五年というところかな」



確かに、秋が深まっていたとはいえ、木々は紅葉しているのではな

く、枯れ葉をつけているだけのようだった。

常緑樹の緑の色も、黒っぽく沈んでいた。

雲が出ているからではなかった。



見ると、男は山を見上げて、にこやかにしている。

その表情は、N保険所の前で見たのと同じだった。

そして、時折うなづいている。

男には、まさに見えない何かが見えている感じだった。

ほどなく、男は彼のほうに向き直った。


「大丈夫だ。山は問題ない。

山には山姥(やまんば)さんがいて、

ちゃんと守ってくれているからな」


「山姥さん?」と、山の方を見ると、その瞬間、山の緑のトーンが

明るいものに変わったのだ。

鳥たちの声もにぎやかになったようだった。それは顕著だった。

さらに山を見ていると、なぜか心が和んでくるのを覚えた。

そして、心の底から嬉しくなってきた。


「山は生きかえったみたいです」


「山はずっと生きている。山姥さんと共に生きている。

山は山姥さんの顔なんだ。

山姥さんが笑えば、生き物はみな幸せだ。

山姥さんがしょげれば、みな生気をなくす。

泣いてしまえば、水が出る。怒れば、大嵐だ、山崩れだ」



Y君は、これはひょっとして催眠術にでもかけられているのではな

いかと思い、自分の頬を平手でたたいてみたが、痛かった。


「僕はどうなったんですか」


「何も心配することはない。

変なところにきたわけではないし、夢幻の世界でもない。

ただ、ありのままが少し見えるようになったのかも知れないな。

どれ、もとのところへ帰ろうか」



そう言って、またさっきの通路に入っていった。Y君もそれに続い

た。



「さっき、山姥さんと話をした。この人に、山の神様の話をしても

いいだろうかと。

すると、いいと言われた」


「山の神様?いったいそれは何ですか?」


「すでに会ってきたじゃないか」


「え?でも分からなかった」


「そんなはずはない。ちゃんと君は見ていたし、

山姥さんも君を見ていた。

私には、君が気に入られていると思ったな」


「でもねえ」



さっきの山の光景を思い浮かべてみても、何の姿らしい姿もなかっ

たように思った。


「そのとき、どんな気分がした?」


「はじめ山を見たときは、気味が悪かったけど、

色相が明るくなったんで気分良くなって、楽しくなったです」



そうしているうちに、地下道の入り口にたどり着いた。

Y君は、暗い中から明るいところに出て、まぶしさを感じたが、す

ぐに収まった。

男は、入り口横のビルとビルの間の一畳くらいのスペースに腰を下

ろした。

Y君もそれに続いた。



「山を見て、楽しくなったか。そうだろう。そうだろう。

では、そのわけを話してやろう。

これは山の神と、娘さんの山姥さんにまつわる話だ」



前編/終わり


後編へ






comment


私の知り合いには、今回の阪神大震災を寸出のところで
切り抜けてきた好運者が二人います。
一人はK君といい、震災当日のわずか十一日前に、
二十年も勤続していた会社を、あらぬことか粗相をして
クビになったために、激震地の住処を離れ、
実家にいて助かっているのです。
もう一人は、ホームレスに温情的なY君で、震災当日の一年前に、
無難な山向こうに移っていました。田舎で暮らしていたおばあちゃ
んに終の棲家を用意してあげようとして家を建てたというのです。
そのおばあちゃんは震災前になくなりましたが、
結果的にそれがみんなの命を救ったことになりました。
K君とY君、どっちもいい奴です。









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