物語





    【山姥(やまんば)の歌】後編

        作/奥人




地下道入り口横の一畳くらいのスペースは、歩道を歩く人には丸見

えだった。

Y君は使い込んだジーンズ姿だったから、もしかして乞食がペアー

で物乞いしていると思われかねないのが辛かった。

知り合いが通りかかりでもすればおお事だ。



だが、道行く人はまったく無関心だった。

これこそが我々が彼らにたいして日頃とっている態度なんだと思えたり、

あるいは本当に見えていないのかも知れないと思ったり、

複雑な思いが交錯した。



そのとき、不思議な芳香がしてきた。

お香の匂いというか、だがそれは隣に座っている男の体臭だった。

注意を向けると、男は笑顔で話し始めた。



「山を見て、楽しくなったか。

では、そのわけを話してやろう。


人が山を見て、心和むのは、知らないだろうけど、

山姥(やまんば)さんが微笑んでいるからなのさ。


皺だらけの顔に、無骨な手、どっぷり太った大きなお腹、

とりわけお乳は山の生き物たちにたっぷり飲ませようと、

特別大きくていらっしゃる。


人は山を見ると、山姥さんの微笑みをじかに感じて、

懐かしい気分になるんだ。


歩いて行っても、車で行っても、どこの山でも見上げれば、

『おう、よう来たな。ゆっくりしておいき』と答えてくれる。


山姥さんは、今でこそ白髪のおばあさんだが、お若いころは、

『岩長姫(いわながひめ)』といって、

はつらつとした働きもののお嬢さんだった。


日本中の山々に、増えよ育てよと木々をお植えなさったのは、この神様だ。

いつもすっぴん、化粧を知らず、顔はいつも土まみれ、手はひびと傷だらけ。


動物や昆虫、鳥類の神々が、一番頼りにされていて、

この種族をどこにどの時間に、どう置くべきか、

どんなもの食べさせようかと相談なさるが、いつも我がことのよう。


この神様には妹がおありになって、妹神様はうってかわってお美しく、

装いも色あでやか。どんな神々からもあこがれの的。


妹神様は、姉神様の育てた木々の上に、芭蕉扇で一掃き、二掃き、

三掃きして、色鮮やかな花をお咲かせになる。

四掃きめの雪の花だってあるんだぞ」



Y君:「一掃き毎が、春夏秋冬を表してるんですね」



「そのとおり。

そして、生き物の種族の神々との全体会議の席に着かれれば、

いつもリード役。

みんなうっとりしてしまうんだ。

姉神様も、話がまとまりよくて、うれしそう。


みんな仲良く、助け合い。だけど、姉神様が一番働かれていたなあ。

地味で、忍耐強く、勤勉で、実直、こうした性格は、

姉神様の特長だったろうか。


お父上である山神様は、姉神様のいずれのお嫁入りのことを考えて、

『妹のように少しは装ったらどうか』とおさとしになるが、

いっこう興味がないようす。


そうするうちに、妹神様に縁談が持ち込まれた。

今の世で一番力を持たれたお家柄の、世の中をにぎわしと繁栄で満

たされるという、実力兼備のハンサムな男神様が、

神々の社交パーティーの会場で、妹神様を一目見て気に入られたのだ。


このとき姉神様は、もちろんパーティーには出ておられず、

せっせと野良仕事をされていた。


父神様は、考えがお古いかたで、姉より先に妹が嫁ぐというのは、

いかにも順序違いで姉神様をふびんに思われた。

かといって、こたびの縁談お断りするには、立場が違いすぎる。


というのも、かつて世界を誰が治めていくかということで、

神々の世界に、関ヶ原の合戦のようなことがあった。

東軍ならぬ『天軍』と、西軍ならぬ『国軍』が戦って、

『天軍』が勝ったんだ。それは、圧倒的な『天軍』の勝利だった。


だが、人間のする戦さと違って、負けても神々は死ぬことがない。

その後の平和な世の中で、『天』の神々は中央に出て政権をにない、

『国軍』の神々は田舎でひっそりと暮らしていたんだ。

そんなとき、降って湧いた話だった。


困った父神様は、考えぬかれた末、姉神様も共にもらっていただこ

うと腹を決められた。

恐る恐るであったが、父の威厳を込めて、そう申し出ると、

男神様からは軽妙なご返事。


『おお、それはよい。予は何ら不足ないぞ』


『姉は献身的で働きものです。絶対にあなた様にご不自由をおかけ

することはありません。ただ、重ね重ね申し上げますが、姉は不器

量ですゆえ』


『重ねて言うではない。予はさほど狭量ではないぞ』


とはおっしゃったものの、すぐさま妹神様のもとへ行っておしゃべり

されていて、それほど父神様の言葉に関心を示されておられぬようす。


父神様は、卑しくも神がする約束ゆえ、違えられることはあるまい

と思うものの、新しい時代となって、『天』の神々とどうおつきあ

いすればよいかよくわかっていたわけではなく、不安であられた。


やがて婚礼のときとなった。にぎわいの男神様は、すでに妹神様と

は深い恋に落ちておられた。これも新しい時代の行動様式というべきか。

これ以上、婚儀など無用のものかと思われたが、儀礼を重んずる

しきたりには古いも新しいも、神も人間も変わりはない。


男神様は、初めてまみえる姉神様について、妹神様に一度も聞くこと

なくこの時にいたり、ただ普通の恋が営めれば申し分なかろうの考え

で臨まれた。


父神様は、この時ばかりは立派に装い、精一杯の化粧をして、

せめて普通の娘と見られるようにして臨もうとする姉神様を伴って

現われられた。姉神様にとっても、幸せなときであられたに違いない。


だが、初めての対面の座で、微笑みのみられた男神様は、一目見て

にわかに面を険しくし、父神にそっと耳うちされた。


『これが岩殿なるか』

『さようです』

『うーむ、どうしたものかの』

『お約束でござります』

『うむ、わかった。婚儀は婚儀じゃ』


こうして、婚儀が終わると男神様と姉妹神は連れだって、牛車に乗っ

て、『天』の館に帰られたのであった。

見送る父神様は、あの先ほどのやりとりに、これで良かったのだろうか、

本当に幸せになってくれるだろうかと、心痛められた。



父神様の心配どおり、男神様は、妹神様を自室に入れても、

姉神様を控えの間に置いたまま。

普段のだんらんは妹神様と共にしても、姉神様はまるで下働きのよう。

だが、姉神様は、不平を言わず、自分の得手とばかり働かれた。

当然、不得手な化粧などすることなしに、すっぴんのままとなる。


ある日、すっぴんの姉神様を見た男神様は、仰天してしまわれた。

そして怒り出され、『おのれ、予を騙したな』と、父神様を呼びつけ、

『この姫は要らぬ。連れもどれ』と命じられた。


妹神様は、『それはあまりに姉様がかわいそう。私は姉様がいてこそ、

きれいに装えるのです。何とかお考え直しくださいな』とおっしゃるも、

男神様は、『そちは黙っておれ。

予がもっと豪奢なもので装ってやるからに』との仰せ。


父神様が、『器量の点はお申しにならぬというお約束では』と言うと、

男神様は、『婚儀で器量悪いを隠して目どおりするとは、

ほかにも隠しごとがあるやに違いない。

よもや予の寝首をかこうとは思っていまいが、いずれ偽り多き者。

同じ屋根の下に棲むわけにはいくまい』とおっしゃる。


こうして、父神様と姉神様は、泣く泣く郷里の家路につかれたのだ。


『わしがおまえをふびんと思い、無理矢理嫁がせようとしたことが

仇になってしまった。すまぬ岩よ』

『いいえ、私がいたらなかったのです』

『いやいや、わしが浅知恵だった』


のちほど、男神様の本家から使者が来て、いかな理由でかかる不祥

事にいたったかを問いただしてきた。


『本家では、どうして偽り者の姉神殿をよこそうとしたのか、

真意が知りたいと申しております』


父神様は、恥ずかしさと怒りと確信を込めてこう申し上げられた。


『にぎわいのお殿様には、桜の木の花の咲くが如く、

絢爛豪華な治世をしていただきたく妹神を、

そのご治世が巌の如く苔生すまで盤石であられますよう姉神を、

二人併せてお出ししようとしたのでございますが、

お気に召さなかったようです。

妹神のみでは、桜の花が咲いて直ちに散ってしまうような

御代になられてしまいましょう』


これは人間の世界でも同じことだが、真っ正直な生きかたをする者

が言う言葉は、正確無比なんじゃ。

それを知っておっしゃったわけではなかろうが、このお言葉は呪い

となって、男神様に降りかかっていったのだ。


むろん、姉神様は知る由もなく、一度嫁いだ身ゆえ、男神様を未だ

夫として慕い続けておられた。いずれ男神様が翻意なされて、再び

呼び戻されることを期待なさっていたのであった。

だが、いつまでたってもそういうことはなかった。


深い嘆きは、年相応もなく、老けさせるものじゃ。

神の御歳八千才というのはまだお若い。

だが、すっかり白髪となられ、皺深くなられた。

そして、なおも意気消沈なされて、山の奥深くにこもられてしまわれた。

時折、ふもとの里に降りてきて、

遊んでいかれる程度となってしまわれたのだ。


実は、わしはよく遊んでもろうた里人の一人なんじゃ。

見てみい。むこう(六甲)の山々を。

色はどす黒く、そのいくぶんかはすでに死んでおる。

山肌は、姉神様のお肌そのものなんじゃ。


いっぽう、男神様のほうは、今を盛りの活躍ぶり。

とったはつったのお忙しさ。でもやや過労ぎみ。

たまに腰痛起こして、困っておられる。


妹神様は、男神様のために今日もパーティー会場を彩ろうと、

お肌の手入れに余念がない。

だが装いにはほころびが、花冠にも衰えが隠せない。

早い老いを起こされねばよいのだが。


山神様に、あのジンクスのことたずねてみれば、

わしが言ったからじゃない、わしにはそう見えた気がしたから、

使者にお伝えしたまでだとおっしゃる。

いつでも姉神を呼びに来て欲しい。姉神はいつまでもお待ちしている。

お呼びがあれば姉神は喜んで、きっと若くはつらつとなるだろうし、

夫を立てて山々を豊かにするだろう。

そうなればわしもまた大働きせねばな、なんせ愛しい娘たちのことじゃから、

とおっしゃっていた。


そして、あらぬことか、久々に踊って見せてくださった。

そのときの歌はこうだった。


『左の峰には桜の木、右の峰には常盤木を、植えて常世の喜びを。

巡らせてみたや、むら雲の、遠き蒼弓の果てまでも、

大盤石の天地の輪・・・・・』


お歳を召した父神様は、ほころびの多い衣装着て、いたむ膝をかば

いながら踊られた。わしら里人は合いの手を打ってさし上げた。


右ひじに空いた大きなほころびは、さきごろ龍神様とやり合ったとき

にできたもの。

旗本である龍神は、天地が暗く濁るのは、義理の息子のせいなると、

諌め申せ、諫め申せの一点ばり。

はては、も一つ戦を構えぬかとまで言い放ち、まあもう少し我慢せよ

との父神様に食ってかかって、思いあまって猛火を吐いたがこの始末。


龍神様の言うのも無理はない。

昼はもうもうたる臭煙に悩まされ、天地に見えぬ騒音がこだまして

おるから、夜も眠れんのだそうな。


私はこのとき、ゴミ箱に捨ててあった新聞を見て、

どこかの国で深刻な山火事が起きていることを知った。


左ひじのかぎ裂きは、魚の神の竜宮に住む乙姫様が、やはり山神様に、

海が汚れて大変なの何とかしてよ、と袖を掴んだは良いが力あまって、

爪が剥き出てできたもの。

なんせ、龍族統ずる金龍様のご令嬢じゃから。


左膝の袴にできたほころびは、さきごろ転んだときにできたもの。

いつも歩いた山々の折りなす石畳、慣れたいつもの足運び。

だが飛び石の一つが欠けていた。

ひっくり返って、したたか膝を打ち、痛む足になられてしまった。

父神様の衣装のたくさんの傷跡は、いろんな問題の跡なのさ。


それもこれも、昔と違ってしまったことによる。

長い月日の中でなら、多少の変化は何でもないが・・・。

だが、目まぐるしいものの続出に、ようついて行けんようになった。

神様がたとて同じことなんだ。


ニューエイジの『天』の神々は、早いし、さといし、なんでもやってしまう。

だが短気でけんかっ早いから、誰もよう諫められないでいる。

板挟みなのは、父神様だ。一人で、重荷を背負われている。


どう諫めたいたいかって?

ゆっくりやろうじゃないか、とか、一歩一歩考えてやろうとかいった

大きな意見から、臭いにおいを出さずにやれないか、とか、

川をきれいにしてやってくれといった個別の意見まで、

単純なことながら種々様々。


それらをとりまとめて、何度か天の館に陳情に行かれたという。

ところが、門前に恐い顔して今にも破裂しそうに膨れあがった雷神様がいて、

何かたて突こうと言うのか、とすごんでくるのだそうな。


とりつく島がなく、かといって努力しようとの回答が何回めかのときに

あったため、じっと待つ以外に方法がなくなった。

だが、賢くさとい神様ゆえに、対策も早かろうとの思いは空振った。


『これも我らが弱いせいであろうかや』とお付きの者にぽつり。

『こうなれば、我らみなを生んでくださった親神様に事と次第をお話しし、

調停していただくことにでもせねばやまりませぬ』との進言も。

『そうじゃ、そうじゃ』


そうした意見がみなの口からもれるほど、困り果てたかたが

多くおられたのも確かじゃ。


だが、難しかろう。

というのは、女の親神様が、ニューエイジの神様がたの振る舞い

すべてに、無条件の許可を与えておられたからだ。

なんせ、お孫さんに当たるから、それはもう、かわいい、かわいい

の可愛がりよう。


『どんどん新しいものを学んでおゆき』と何でもオーケーなんだ。

していることに口だそうものなら、八つ裂きされても不思議でない

ほどのパワーのかただから。


そこで、男の親神様はどうかと見れば、世界の大枠を作られた疲れで、

寝所にてお休みだった。

お起こしするには忍びない。かといって、もう手をこまねいてはおられない。

そこで山神様は、重い腰をあげられて、親神様の寝所に赴かれるこ

とになったのだ。


これは一大事とばかり、その他の山神、龍神、生き物の神様たちが

その場所にわれもわれもと押しかけた。

とんだやじ馬だったかも知れん。地方の守護がすっかり抜けてしまったからな。

どこもかしこも神無月。この事件の前後は、下界で凶事が蔓延だ。


さて、龍神様たちは飛ぶことができるため、父神様より先回りして

飛んで行った。

その途中で、時折遊ぶ小高い山の上に、奇妙な二人の人間がいるの

を見つけられた。


『あれ知ってるか』

『ああ。あれはむららむとおくんど。

わしらの存在を記録しようとしてきているんじゃ。

ほら、あのおかしな箱のようなものがあるじゃろ。あれでな。

子の小龍などは、わざわざ記録されに行ってるらしい。

人間の中にも、少しは理解者がいてもいいからな。

どれ、わしらも一つ記録されてみてやるか。

記念すべき事がおきようとしてるんだから。

人間にも、少しお裾分けだ』


そして、険しい山の間を、びゅーんとすり抜けて、

曲芸飛行して見せた。


『ふう。どんなもんだ。まだまだ若い気分になれる』

『おやおや、玉龍のやつ、まだやろうとしてるぞ』

『いいじゃないか。おれたちもどうだ』

『もういいよ』

などという話しをしながら、あたりを飛んだり跳ねたりして、

時間つぶしをしておられたのだった」



Y君:「どういうことですか。意味がちょっと・・」



「なに。山の上の二人は、UFO撮影してたんだ。

すっかりUFOだと信じ込んでな。確かに、それに違いないもんな。


さてそのころ、山神様は公式の場に臨む晴着をびしっと決めて、

どんな欠点も指摘されることのないよう姿勢をただし、

いざ親神様の寝所へと赴こうとされていた。

たもとには、分厚い陳情書を入れて、もし話しだけでうまく行かぬようなら、

それを親神様のもとに置いて行こうとの考えであられた。


山神様は、伊吹山の住処を出発なさったが、痛む左膝には、

しっかりとさらし木綿が巻かれていたので、

歩みはいっそう遅くなってしまわれた。

目指すは淡路の親神様の寝所。

かつて何度も通いなれた山々の石畳のおりなす道。

よもや年老いたとて、間違うはずのない行程だ。


若い頃なら、三日の道のり。

それを丸三ヶ月かけてようやく六甲の地へと至られたとき、

右の足をいつもの山並みにかけようとなされたが、

親指をかつて支えた山が消えていた。


わずかの事ながら、ご老体の身には、百倍にも当たったろうか。

おまけに陳情のことで頭がいっぱい。目もしょぼしょぼ。

足下を確かめることも満足にされなかった。

山神様は足を掬われたようになり、前につんのめられたのだ。


どうっと倒れ行く先、両の手をつこうとした位置に、

親神様の淡路の寝所のとばりがあったから、さあ大変。

ばさあっと大きな音がして、とばりが落ちて、

ずでーんと地響きがしたものだから、さしもの熟睡の親神様も、

すわ寝込みを襲われたかと、傍らの太刀をとって飛び起きられた。


『おのれ、何ものー』


『あいたたーっ。もうしわけござりませぬ』


見れば、悲痛な顔をこちらに向けて、山神が横たわっておるではないか。

どうしたんじゃ、と直ちに抱えあげて介抱なされた。


『ここで何をしておる』


『実は、かくかくしかじかで、まかり越したのでござります』


悲痛に満ちた声で、皆神の苦しいしだいを、

横たわったまま逐一お話になられたのだった。


『さようか、我が居寝る間に、さようなことになっておったか。

対処を考えねばのう』


山神様は、そのお言葉を聞き、年老いてぶざまな姿を見せることで、

おとがめはおろか、同情をもかち得ることができたことに、

老体をおしてきた甲斐というものをつくづく感じられたのじゃと。


いつしか、くだんの姉神様もそばに来ていて、父神様の容態を気に

かけておられるのだった。

親神様はそれを見て、『おまえもふびんなことだったのう』と仰せられ、

それを聞いていた多くの取り巻きの神々の間から、同情のどよめきがおき

たのだ。


『だが、喜ぶのは早い。よく見るがよい。

山神のそそうは、現(うつ)しき青人草(あおひとくさ)に、

はかり知れぬ悲しみを与えておる』

との親神様の仰せ。


下界を見やれば、山神様の倒れられた跡が大地震で壊滅しておった。


『我が老身のなせるとがなり。

かくなれば、我は不慮にみまかった魂を、ことごとに

我が里に連れかえり、大切に守り育てましょう。

岩よ、手伝うべし』


『心得ました』


『再びこの地に、かかる不幸は及ぼしませぬ』


こういうわけだから、このときこの地で亡くなった者で、

化けて出た者はいなかろう?


龍神様たち取り巻きの神々も、『我らも手伝いまする』と

声をそろえて申し出た。


そこで親神様は、こうおっしゃった。


『わしは、この地に、我が計画の基をおこう。

あらゆるものが崩れ去った廃墟。

その中から燃え上がる新しい命の炎。

新しい炎はそこから出て、全体に広がるのだ。

わしが、この場からすべてを監督いたす。

そこは、山神はじめ神々と、現しき青人草が、

痛みをわかち合った跡。

皆神が協力し合うと約した跡だ。

よってそこを、神の戸口と名付けよう』


『ふさわしかれ。ふさわしかれ』とみなが唱和した。


こうして神戸という地名ができたのだ。

遠い昔の神話に語られる、この地方の由来だよ」


そのときY君は、やっと話に割り込む理由を見いだした。


「でも、神戸というのは、明治時代くらいにできた名前ではないんですか」


「うん?君も難しいことを言うね。

だが、神々の世界では、過去も未来も共にある。

現象には、シンクロするという現れかたになるんだ。

平たく言えば、そうなる宿命だったということになるのかな」


「・・・?」


「まあいいさ。いつどこでシンクロするかわからない。

だがシナリオはあるから、知っておけばためになる。

それが神話というもんだ」


「その神話とは?」


「あらましだったら古事記に書いてあるさ。

ほほっ、乞食が古事記を語るとは、こりゃお笑いぐさだな。

どれ、落ちもついたところで、ちょっと小用に」


そう言うと、方士は地下道の中に消えてしまった。


十分経ち、二十分経ち、Y君、いくら待っても方士が帰ってこないので、

あの草原に行っているのかと、地下道に探しにはいっていくと、

中は照明で明るくて、人がたくさん行き来していた。


そういえば、この下はN駅のはずで、今は通勤帰りの時間じゃないか。

おかしい。ここからこっち向きの暗い通路が続いていたのに。

白昼夢だったのか?それとも、仙術でも?


Y君はよほど気になって、翌日休みを取って、以前方士が歩き回っ

ていたあたりをもう一度歩いてみた。

一通り歩いてみたが、どこにも手がかりはない。


再び地下道の前に立ったとき、ああそうだと気がついた。

保健所の前でよく座っていたのを思い出した。

いつ行き倒れてもいいように合理的な行動をしているなあ、

とかねがね思っていたことだ。


保健所に行き、あのちょっとつかぬ事ですが、

この前によくいたルンペンさんはどこ行きましたかね、

と一人の職員に聞いてみた。

すると、中にいた職員みんなが、きょとんとしてY君の方を見ていたが、

その中の一人がこう言った。


「ああ、あの人なら、震災の時に、ねぐらにしていた歩道橋の下敷き

になって亡くなってるよ。なんせここでたびたび世話してたからね。

後でどうしてるか見に行ったら、あの始末だった。気の毒なことだが」


それを聞いても、Y君、いささかも不思議な気になれない。

なんせあの人は方士だから。何があってもおかしくはない。


「そうでしたか」と言って、Y君は帰ろうとして、ふと立ち止まった。

「あのう、彼の遺留品の中に、ネブクロのようなものはなかったですか」


「ネブクロ、ねえ・・。ああ、そうだ。

すごく汚れたネブクロに入って寝てたんだ。どす黒くなった紺色の」


「あっそう、それ僕が・・」

「あなたが?」

「いや、何でもないんです。どうもありがとう」と言って飛び出した。


そうか、亡くなっていたのか。よかった、ネブクロ使っていてくれたんだ。

さよなら、方士さん。

そのとき、見上げた空の雲の上で、方士がくしゃみし高笑いしたようだった。


数年が経ち、神戸は前にも増して、いっそう緑が豊富な町として

よみがえろうとしている。

京都では、いま地球温暖化防止会議が開かれているが、

ここは伊吹山の山神様が淡路の親神様の方角を望む真下のお膝元だ。

試しに線を引いてみてごらん。

このシンクロは、神々が絶大な関心をお寄せの証拠なのかな?

神話の炎は、もっといろんな意義をはらみながら、

これからいたるところに広がろうとしているようにY君には思えた。



只今の出演


男の親神様・・・・いざなぎのみこと[凪の摂理、計画性、節制、悟性が特長]  

女の親神様・・・・いざなみのみこと[波の摂理、波瀾万丈が特長]

にぎわいの男神・・ににぎのみこと[賑わいの摂理]

雷神様・・・・・・たけみかづちのをのかみ[最強の武力の摂理]

父の山神様・・・・おおやまつみのかみ

娘の姉神様・・・・いわながひめのみこと[盤石の摂理、勤勉、実直が特長]

娘の妹神様・・・・このはなのさくやひめのみこと[華美の摂理]

竜宮の乙姫様・・・とよたまびめのみこと

旗本の龍神様・・・金龍、青龍、黒龍、玉龍、小龍

現しき青人草・・・人間たち

乞食方士・・・・・徐福?

Y君・・・・・・・知人



方士comment


「なに?神々も、仲が悪くてけんかするって?

そんなことはない。

神話をシナリオとして、役者の神々は主人公に成りきって、

能狂言の舞いを舞う。

舞台が終われば、お疲れさんを言いあう世界。

ハンサムな男神様も醜い姉神様も大の仲良しだ。

だが、舞台ではメリハリをつけねばな。

この辺、どこかの話に似ているな。

だが人間と違って、次の役が当たるまでは、至福の宮殿でお休みだ。

人間だって似てないこともないんだが、ねばっこくってアクがある。

それだから良い、わしゃ修行しに行くわという神様だって居るから、

いろいろだわな。

ならば、人間は何かというと、舞台や役者の演技を支える黒子だな。

神々がいくらがんばっても、人類が手足となって動かねば

何にもできんということだ」

(これはY君が方士から聞いた割愛部分でした)




作者comment


この話は事実を元にした部分はあるも、創作物語です。
神話を題材にした物語を一つ作ってみたいと思っておりました。
素材にしたのは、古事記の神話の「木の花の咲くや姫」の段ですが、
この段は文明のありかたの問題や環境問題を先取りしているところが
あるように思います。
また、やまんばは、人を取って食う深山の鬼ばばというのが相場。
その一方で、体がでかくて醜いが、気のいい性格で、郷に下りてき
て郷人を利益するおばあさんとしても描かれています。
そんなとき私は後者の説を支持します。
そして、神話とドッキングさせました。








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