物語






      異聞・酒呑童子伝[前編]

                   作/奥人




平安時代も後半に入った頃のことです。

元伊勢神宮という由緒ある霊場のある丹波(丹後)の比沼の土地は、

都のある貴族の荘園で、この地の小豪族、

杉五郎忠光(すぎのごろうただみつ)が地頭として管理を任されておりました。  


さて、この元伊勢の霊場には、昔から、

祭り事を行なうために異形のまれ人が出入りしており、

里人はいつしか、「おにふ」(発音:おにゅう)様と申しておりました。  


ある秋の日、内宮の社務所に、あわてたようにして入る忠光の姿がありました。

雨戸はすべて閉じられ、中ではなにか大事なことが話し合われているようでした。  


座した忠光の前には、白装束の人物が二人座っておりました。

一人は小柄で、鳥帽子を被った初老の内外宮を司る宮司でした。

もう一人は、まれ人で、体格は忠光よりかなり大柄でしたが、

顔は揺れる蝋燭の火に照らされて妖しく美しく映え、

目元涼しく、髪の毛を長く豊かに背中まで垂らした青年でした。


宮司:「お二方に急ぎのご足労を願ったのは、昨日、

都の権中納言様からの使いが来て、一つの大事を伝えてまいったことです。

それによれば、都を安んずる役割の儀、もはや用がなくなったゆえ、

「おにふ」を執り行う者はみな隠棲するようにとのことです。

都から、祭儀の後継者がやがて来るので、

それまでに出ていかねばならぬとの一方的な仰せです」


忠光:「わが杉家は長らくシッテム殿のお家柄とは、

「おにふ」の神事を介して昵懇にさせていただいており、

身の回りのお世話などするよう都から仰せつかってまいりました。

このたびの都からの命令とはどういう意味でしょう」


宮司:「都の方針の変化は、かなり以前から始まっておりました。

地方でどれほど重要であっても、都での人気しだいで、

それが新しいものにとって代わってしまうのです。

これは都が不安定な証拠ですが、どうしようもありません。

私どもは中央から地方の末端に至るまで根拠を保っており、

中央が仏教に取って代わったといえ、まだしもましですが、

シッテム殿の場合は、公認のものとは言えぬため危ういものを感じます」


シッテム:「しかし我らは、もともと根拠地を持たぬ山岳の求道者です。

その方向は変える訳にはまいりません。

今回の原因は、都に何らかの異変があって、大王様の国の管理の

在り方に転機が生じたのかも知れません。

私どもは、過去の大王様のお申しつけどおり、祭り事を行なって

まいりましたが、その際ひとつ聞かされていたことがあります。

それは、将来、国の経営が人任せにされるような事態になったなら、

その時私どもの続けてきた役割は終わることに

なるかも知れぬというものです。

その時がついにきたのかも知れません」


忠光:「しかし、その場合、大王様直々の仰せがあっても良いはず。

それに関しては、いかがだったのでしょう」


宮司:「これは右大臣様の命令であると、使いの者が話しておりました」


忠光:「右大臣様といえば、陰陽道に傾倒されているかたと聞き及びます。

ならば、宮司様のおっしやるようなことが考えられますまいか」


宮司:「定かにはわかりねることですが、そうかも知れません」


忠光:「しかも、今は摂政関白様の政治。

大王様の意向が通らぬことも多いとか」


シッテム:「時至れりの感を深めます」


忠光:「では、隠棲をなさるおつもりですか」

シッテム:「・・・・・」


宮司:「使いの話では、蝦夷地に下る便宜を図る用意があるとのことでした。

しかし、それでは冷遇も甚だしい」


シッテム:「蝦夷地には我らの同族があまた住んでおります。

それゆえ、我らにとって余生を送るにはもっとも適しておると存ずるのです。

しかし、大王様の政治が、もし危機を迎えているなら、

それは畿内の衰えを意味します。

ここで我らが祭り事をやめれば、

衰えが加速されないではいますまい。

たとえ諸行事は取りやめたとしても、

毎年恒例の「おにふ」の神事だけは欠かさず行ないたいのです。

都が何といおうと、それが都の寿命を永らえさせ、

ひいては民人のためになるのです」


宮司:「節分の神事のことですな」


忠光:「高邁なお考えなので、何とか協力いたしたいのですが」


シッテム:「如何でしょう。

我らをこの裏の大江山の山深くに置いていただけないでしょうか。

年一度、元伊勢に参集する以外は、山奥に隠棲し、

元の求道者として余生を送ることに心がけ、

里には姿を見せぬようにしますので」


宮司:「何もそこまでなさらなくとも善いかとは思いますが」


忠光:「私にお任せください。

大江山に、皆さんが住めるだけの庵をお作りしましょう。

ここは誰の所領でもなく、また山は険しく、

里人との接触を避けようとする方々には好ましいかも知れません。

私が、今後ともお世話申し上げましょう。

そこでまず、庵造りですが、早速、里の大工を十名ばかり、

人足を二十名ばかり集めようと思います」


シッテム:「いや、山のことは我らや我らの仲間がよく存じております。

庵造りは我らで十分にて、里の衆の手を煩わすことはいたしますまい。

ただ、お二方にお願いしたいのは、年一回の神事が

執り行えるよう計らっていただけること、それだけです」


それから一月の後、、各地から山岳修験者が来て大江山に入り、

丹波の里を見下ろす山の中腹に質素で大きな庵を作り上げました。

内宮裏手の真名井の地にあった館から荷駄がぞろぞろと運び出され、

新たな館に半日かけて到着し、まれ人やそれに準ずる姿形、

習俗をした人々三十名ばかりがそこで暮らすことになりました。

婦女子も七,八人含まれておりました。  


それと前後して、元伊勢に、都から陰陽に通じた新神職がやってきました。

忠光は、新神職へのあいさつの際、

まれ人の神事を今後とも続けさせてくれるよう頼みました。


新神職:「おお、そんなことですか。

まれ人たちも山に隠られたことでもあり、

その程度のことなら構わないでしょう。

・・えー、とは言っても、なるべく目立つことのないよう計らってください。

妙なうわさが立って都に知られでもすると、

私も困りますからな。ははは」


このように新神職は新参の手前もあって、気軽に承知してくれたのでした。


シッテム:「五郎殿、まことにかたじけない。

ところで、ずっと考えていたことですが、我らの役目も終わるとなら、

もはや守りぬいてきた神事の秘儀を保っておくこともありません。

新神職様に、とも思いましたが、門外のこと、おそらく受けられますまい。

あなた様にお聞かせしようと思います。

時移り改まり、あらゆる考えが受容される頃、

あなた様があるいはご子孫が、

神職様などの理解者にお伝え願えれば、

我らの家柄にとって光栄というものです」


忠光:「しかし、私などに。

・・なにかシッテム殿は気弱すぎるのではありませんか。

ご自身、多くの子孫を設けられ、

伝えるべきかたに伝えるが良かろうかと思うのですが」


シッテム:「決して負担に思わないでください。

知られなければ知られずで、成り行き次第で良いのです。

我らが大和のために捧げてきたことは、大王様から、

この地の宮司様に至るまで、ご理解いただいていることです。

そして、我らの神が最もよくご存じです。

ただ、あなたには、何もお返しできなかった。このような負担事でしか、

お返しできないことをお許し願いたいのです」  


忠光は承知して、さっそく翌朝から、庵に、筆、硯、巻紙を持って入りました。


シッテム:「我らの執り行ってきた「おにふ」とは、こういうことなのです」  


シッテムは、なにかが書かれた鹿皮を忠光の前に広げました。

そこには、たくさんの絵図がかかれておりました。


「これは古くから伝わる、この国の絵図です。ここが元伊勢、これが伊吹山、

そのちょうど中間のやや上にあるのが、

「おにふ」(遠敷)の土地なのです。

その真南はるかに、都があり、・・・そして、「おにふ」とは、

「生・新・降」の意味で、生命力の更新を司る儀式、

つまり都に新しい活力を吹き込む儀式のことなのです」  

忠光は巻紙に絵図を書き写していきました。  


あらましを簡単に説明しましょう。  


最古の祭祀霊場の元伊勢内宮、伊吹山頂、伊勢内宮、熊野本宮、

淡路いざなぎ神宮は、幾何学的にほぼ正五角形の頂に位置します。

これに対角線を引いて五芒星としたとき、

内五角形の底辺に明日香、心央に奈良、頂上に京都が位置します。



  


シッテムたちの行なっていたのは、その図式の幾何学的な結界の力

を用いて、中心に位置する都市部あるいは畿内全域に対して、

新生の生命力の恒常的な流れを作り出そうとするものでした。

お水送り、お水取りのように仏教流の儀式によって

執り行われる部分もありましたが、それを補佐すべく

人出を若狭に遣ったり、人の立ち入りにくい元伊勢や伊吹山で

補助的な儀式を執り行っていたりした、と想像するわけです。  


つまり、旧い大王様たちは、国全体を生命体とみなし、

その中核としての畿内や都の健全な発達と繁栄を、

壮大な回生の祭りによって図ろうとしていた可能性があるわけです。(私仮説)


ただ、歴代の大王様は、この方法が最も良いと決められたわけではなく、

大陸から入ってくる思想で良いものがあれば取り入れ、

それらをミックスして新しい文化をも創出しようとされました。

これを「習合」といい、その過程で、いろんな勢力の凌ぎあいがあったようです。


その凌ぎあいは、熾烈なものでした。

中央にうまく取り入ることが、勢力の伸長につながりました。

そんなとき、孤高に行動するシッテムたちは、たとえ当初、都の

命令で動いていたものだとしても、次第に孤立していったのです。  


シッテムたちのやっていたことは、

当時古くからあった山岳仏教の修験道と似ておりました。

修験道は、役行者が開いたとされますが、前身は古く、

里人からは遠くかけ離れた存在で、神通力を持った天狗や鬼神として

恐れられ、古くから中央に従わぬものとして、弾圧されていました。

それを役行者が仏教の形に整えて、中央の矛先をかわしたもののようです。  


その中には、遠く中近東から渡来した人々もおりました。

シッテムは、未だに純粋を保っていた渡来人の子孫だったと想像されます。

彼は、遠く中東のシッテムの地から来た者の子孫の意味で、

自らシッテムと称し、二十人ほどのグループを束ねておりました。

だから、人々と打ち解けにくい事情が二重にあっわけですが、

彼らの祖先がこの地に定住してこのかた、

司祭者や地元の豪族の助けをえて、里人とは仲良くやっておりました。

この頃には地頭職にあった杉家の助けがあったのです。


忠光:「では、もはやこのような業は、誰も行なわなくなるのでしょうか」


シッテム:「それはわかりません。

また、大和で行なわれたといっても、世界はまだはるかに広いのです。

大和だけで足るものでなく、

またどんな経緯で世界で執り行われるようになるやも知れぬ業なのです」  


それから、数年の間、例年どおり、節分の数日前からのお篭もり

に続き、深夜に内外宮から聖霊送りの儀式が行なわれました。

そのつど、霊気は青白い炎となっていくつも立ち上り、

都をめざして飛んでいきました。

元伊勢の境内には、現在でもそのときの御神木と伝えられる「龍灯の杉」があります。

また伊吹山でも、時を同じくして、赤い炎が飛び立ちました。  


ところが、ある暑い夏の日、都から帰った新神職は、

忠光の館にやってくると、こう言いました。


新神職:「忠光殿。もうこれ以上まれ人たちに関わることはおやめなさい。

さもなくば、荘園主の在原・・殿は、杉家を解任なさると言っておられる」


忠光:「いきなり、それはまたどうしてですか」


新神職:「そなたはまだご存じないのか。

都では、彼らのことを「鬼」と称して久しいことを。

先年には大地震、前年、前々年にはひどい疫病や暴風雨が都に

起きたことは存じておられようが、それらすべて年の変わり目に

鬼が執り行っている呪咀に原因があるのだと言っておるのです」


忠光:「しかし、そのようなことは、誰かが儀式の事実を言いだされなければ、

噂になりますまい。よもやあなたがそのようなことを・・」


新神職:「な、何をおっしゃる。その呪咀の儀式は、ここの里人もよく知っておって、

都に行商に出掛ける里人が言いふらしておるのではないのかな。

私は知りませんぞ」


忠光:「呪詛ですと?そのような事実はありません。

それはあまりにも不当な偏見です」


新神職:「うーん、そなたにはまったく飲み込めておらんようだな。

どんな加持祈祷も、効ないばかりか災いがあったなら、

呪咀とみなされることを。

あれから何年たっておる。

この度、都に赴いた折にうかがうと、宮中では左大臣様以下、

口をそろえて、まれ人はもう畿内一円には居ないはずだとおっしゃってな。

ただ、鬼は未だ居て、悪さを働いておるので、

いずれ成敗せねばならんという話じゃ」


忠光:「それは誤解というものです。長く功労のあったものに対して、

手のひらを返したような扱いをしていいものでしょうか。

都は外来の考え方に取って代られてしまっているのです。

「鬼」とて、「おにふ」者に当てなぞらえた不当な漢語であることぐらい、

私にもわかっております」


新神職:「なんとおっしゃる。私とて、唐の陰陽を修めて、

この階職を得ておるのです。

一塊の田舎地頭殿が都の裁定に不服を唱えられたりすると、

とんでもない目にあいますぞ」  


そのうち、都では鬼門などにおける鬼達の不可解な儀式が都に

災いを呼ぶ呪詛に他ならないという理論づけが、もっともらしく広まり、

いよいよシッテムたちの行動が矢面に立たされる頃、

丹波では里人に対して内外宮の境内地に自由に出入りしてよしという

都の威を借りた新神職の沙汰が出されました。  


こうして、たまに大江山から下りてくるまれ人たちの隠密裏の行動が、

人目につきやすくなり、時折里人たちを驚かすことになりました。  


節分の夜の重要な儀式は、忠光の手の者たちが手分けして

里人を締め出し、なんとか執り行われましたが、

「恐ろしい形相をした鬼が夜陰に紛れて走るのを見た」

といった噂がたちまち広まりました。


都の宣伝攻勢もさることながら、人と人のつきあいも疎遠になると、

こうまでなるのでしょうか。

とうとう、ある年の節分には、儀式を終えて退場しようとするまれ人たちを、

里人たちが石つぶてを投げて追い払うという一幕もありました。

その中に何人かの煽り立て役の都人も混じっていたようですが。

しかし、古老の中には、「あれはシッテム様のご一行じゃに」

と非力ながらつぶやく人もまだ数多いたのでした。  


また、折しも丹波から京口にかけて、旅の婦女子を襲ったり、

荷駄を奪う野盗のたぐいが出没しました。

それも、シッテムの名をもじったか酒飲みの放蕩者をさす

酒呑(しゅてん)と変えた、大江山の酒呑童子と名乗る強盗団が

略奪や殺しを重ねるようになりました。


都人の間に大江山の酒呑童子の悪行の噂は広まり、

荘園主もこの騒ぎを耳にして、いたたまれない気持ちになりました。


「よもや杉殿までが、野盗に組みすることはあるまいが」  


その頃、都には市中警護の武人が数多くおり、

やはりこの噂は聞いておりました。

西国の平家然り、東人の源氏然り、

そしてその下に付き従う武将や家人がたくさんおりました。


公家は生まれながらに地位が保証されていましたが、

一般人の場合は努力が要りました。

その一番見込みある方法が、武人として大成することでした。


強い武将の下につき、「我こそはどこの某、我と思わん者は勝負せよ」と、

武勇を以て名を馳せることができれば、血筋によらずとも、

都人に重宝され、地位や名誉が得られる。

また、そうに違いないと思う者が少なくありませんでした。  


そんなとき、ある陰陽院の門前に、

「都に対し悪業と呪詛をなす大江山の酒呑童子を退治した者には

賞金百貫をとらす、仔細は奥にて」

という高札が立ちました。  


多くの武人が目にしましたが、相手が祟りをなすやも知れぬ怪異かと思うと、

とても申し込む気にはなれません。

当時は、都中といえども、怪奇な現象が数多起きておりましたから。


ところが、そこに、理由さえ付けば人も造作なく斬るという、

「斬鬼」という者を頭目に五人の賞金稼ぎをなりわいとする武人崩れが、

高札の前を通り掛かり、「おおこれぞ」と目を輝かせました。  


板東者で、源氏に従いこの地にきて、警備に当たっていたものの、

気性の荒さから暴虐を働き、主人から縁切りされてこのかた、

当初は要人の用心棒をしたものの、

逆に暴力を奮って暇を出されたといういわく付きの輩でした。  


その後、強盗どもをやっつけたついでに家来にしてしまい、

悪党不正を懲らす側に回って一発仕事をこなす賞金稼ぎの一味となり、

時には検非違使(けびいし:当時の警察)のお株を奪う働きをしてのけて、

市中を「どんなもんだ」と、にやけて闊歩したりする日々で、

いつでも機会あらば有名を馳せようと目論んでおりました。  


高札を見た斬鬼は、

「わしは斬鬼という名前もあって、鬼退治がいかにも得意そうに聞こえよう。

やってのければ武勇ばかりか、胆力も剛の者なりと、

一気呵成に評価が上がるに違いない」と、さっそく陰陽院の門を叩きました。  


陰陽師が応対するに、意外な答え。


陰陽師:「おお、やっと応募がありましたか。見るからにお強そうですな。

なに、相手は鬼とはいえ、人間でしてな。

お手前がたならきっと大丈夫じゃ」


斬鬼:「え?・・なんだって?・・相手は人間かよ」


内心安堵したものの、いささかがっかりしたふうを見せて、強がってみせます。


陰陽師:「いや、そうではなく、普段は山伏の格好をしておりましてな、

妖術を用いて鬼に化けると急に強くなりますから、

やはりよほど剛の者でなくては務まらんのです」  


陰陽師にすれば、人間離れした鬼の噂を立てた手前、

こうでも言わねば仕方ありません。

そして当然、退治が首尾良くいかねばならぬということで、

知っていることを洗いざらいという感じの説明になりました。


斬鬼:「相手が二十匹もいるなら、たった五人でやれるものか」


陰陽師:「うまく取り入り、酒と偽って痺れ薬を飲ませることができればできましょう」


斬鬼:「なるほど。しかし、相手は何に気を許すか。やはり女か。酒か」


陰陽師:「酒も良いと思いますが、むしろ人の血のほうが良いかも知れませんな。

それゆえ得体が知れんのです」

と、ぞっとさせることも忘れていません。


斬鬼:「ほうほう、これは面白い」

ぞっとしながらも、そう答える斬鬼。

手下の四人は、堅くなっておりました。震える者も一人。  


そこに、また別の陰陽師が来て、一つ質問をしました。


別の陰陽師:「元の名はなんと申される」


斬鬼:「ヽヽ三郎甫綱。板東での俺の名だが、今ではそんな名は捨てた。

斬鬼と呼んでくれ」  


陰陽師は、その名を紙に書いて、しばし覗き込んだ上で、こう言いました。


別の陰陽師:「この名は吉い。この件に関し、適当な方のようですな」


斬鬼:「そんなことで何が分かるかわからんが、勝つも負けるも作戦次第だ。

知っていることを洗いざらい話してもらわねばな」


別の陰陽師:「心得ました。奴らは、山伏と同じ格好をしていけば、まず気を許します。

そして、奴らと同じ呪文を唱えていれば、仲間と思います。

たとえば、山に入って道すがら唱える呪文は、「・・・・・」ですゆえ、

覚えておいてくだされ」と、簡単な文字で紙に書いて渡しました。


斬鬼:「ほお、・・・・・とかや」


別の陰陽師:「そうです。実は私はもと山伏でしてな。

が、それでは正式な僧職階級も得られんので、

ここに転がり込んだというわけです」


斬鬼:「なんと、お主らも地位や名誉が要るんだの」


別の陰陽師:「ご同様。ただ非力なもので、頭をつこうてな」


斬鬼:「ははは、この狐めが」


別の陰陽師:「ひひひ、いたち殿」  


そうして鬼の居場所だけでなく、退治のコツまで教え込まれたのでした。  


そして、五人は十分な前金をもらい、

痺れ薬入りの酒の入った瓶を代わる代わる背負い、

都はずれから山伏の装束に身を変えて丹波路を辿ったのでした。  


五人が大江山に分け入る際に、出会ったのが杉家の家人(けにん)でした。


斬鬼:「こちらを訪ねれば、山に入る道を案内してもらえるとか」


家人:「ああ、シッテム殿のお仲間ですか。只今主人が不在のため、

私が案内いたしましょう。おや、その瓶はなんですか」


斬鬼:「ああ、これは土産の酒じゃ」


家人:「酒?はて、たしなまれるかどうか」  


それを聞いてややあわてたが、教えられたとおり、

「なに、これは力の源でな。

修業の効果がすぐ得られる般若糖という薬じゃ」

と切り返します。


家人:「は、そうでしたか。なら、もう少し人を集めて運ぶのを手伝わせましょう。

途中、険しいですからな」  


見るからに険しげで大きな山。労力が要らず、願ったりかなったりの成り行きに、

舌打ちする斬鬼たちでした。こうして、半日かけて庵に到着しました。  


庵を出入りする山伏が気付き、

「おお、これはどちらのご一行か」と問えば、

仕込まれたとおり、「大峰・・岳の法玄坊でござる」と応える。


「ほお、それはようこそお越し下された。ささ、こちらへ」

と、扉のうちの土間に通されました。


応対に出た山伏が「しばしお待ちを」と、奥に去ると、

やがて修業中の座を立って出てきたシッテムが、

額につけた角を取り外しながら姿を現しました。


シッテム:「ようこそお越しになりました」


日本人離れした美しい顔立ちに、一行は驚きました。

何かの間違いではないのか、の思いにみな包まれたのでしたが、

斬鬼は顔を強ばらせて、これだから妖怪なんじゃ、

と思いを込めて四人を睨みつけました。


シッテム:「さあ、中にどうぞ。今し方・・明王法を行じていたところです。

遠路大儀でした。しばらく中でくつろいでください」


斬鬼:「我ら一行は、この大江山を皮切りに、三国連山をはじめとする

修験の霊場を巡り、もとに戻ろうと思っております。

その開始の祝いとして、一献傾けたく、薬酒をお持ちしました」


シッテム:「薬酒ですと?」


斬鬼:「いやこれは、飲すればたちまち法悦境に入るとして、

近ごろ重用されている般若糖でござる。

こたびは我らを祝して、飲んでくだされ。

どれ、瓶の中を見せてしんぜよう」

と、瓶の蓋をとると、ほのかな香りがしました。


シッテム:「おや、これは」  


中には、赤紫色の液が入っておりました。


シッテム:「ぶどうざけですな。これはみなが喜ぶやも知れませぬ。

我らが先祖の故郷では、重宝されていた飲み物です」  


こうして、その夜は、遠来の客人のために久々の祝宴が開かれたのです。

よもや、このあと、殺戮の場に変じようとは、鬼達は誰一人として思わず、

遠い故郷にまつわる昔話を語り合うのでした。


シッテム:「そうそう、我らが先祖の遠い故郷の土地は、

ここのような生きものの豊富な土地と違って、

荒涼坊獏としたところと聞いております。

我らは血脈が純粋であれと先祖から申し送られており、

妻は裏にいますが、遠い蝦夷地よりはるばる来てもらっております」


手下その一:「シッテムとは鬼の棲み家のことか?」


手下その二:「蝦夷地も鬼の巣窟ぞ」

と、座の隅ではひそひそ話。


「しかし、このぶどうざけは、また見事なばら色に作ってありますな。

この色といい、味といい」と、酒を愛でる鬼。


鬼の三郎坊:「苦みの少しあるのがまたいい。

やや、お手前たちは、飲んでおられんようじゃが、どうされたか」


斬鬼:「いや、それはここの皆さんがたのためのもので、

我らのはここに小さいのを持参しておりますので」

と、色付き水を瓢箪から杯に手じゃくしてすすってみせた。


シッテム:「では、いま大峰では、このようなものをどこでもお作りなのですか」


鬼の三郎坊:「仕方のないお仲間様たちじゃの」


鬼の先角坊:「先祖帰りも、質を落としてのことではこの先思いやられますな」

「はははは」と、無邪気な談議。  


肴も尽きる頃、奥から婦人方が何人か、器に草餅を盛って入ってきました。


手下一:「おおこれは美しい」


手下二:「この世のものとも思えぬが、やはり妖怪ゆえか」


手下三:「切らねばならんのは口惜しいが、妖怪ではのう」

などと座敷の隅ではまたもひそひそ話。


時がたち、手下の間から、


「もうそろそろではないのか」


「まだ、ろれつが回っておるから少し待て」


などの声も囁かれるほどに宴も進んだ頃、


鬼の一人が回りにくくなった舌を回しながら問います。


「こ、こと、今年の・・・・の儀式はもう行なわれたかなあ」


斬鬼:「ん、なんの儀式とな?」


「・・・・の儀式でございますよ」と婦人がはっきりと言いなおします。

すると、五人は顔を見合わせ、窮した表情。


斬鬼:「ははは。我らまだ新米でな。そこまではやっとらんのじゃ」


鬼の三郎坊:「霊場巡りのほうが早いとは、これまた何かの特例ですかな?」  


返答に窮し、座がしばし白けたとき、

鬼の一人が水を汲もうと座を立とうとしてよろけ、

へたへたと腰が抜けたようにその場に座り込みました。


鬼その一:「ど、どうしたことだ」


鬼その二:「酒が回ったか」


鬼その一:「いや、これしきで酔ったりはせん」


鬼その二:「そういえばわしも体がいうことをきかん。

・・お客人。酒に何か入っているのか?」  


ばれたと察した五人は互いに目くばせし、

今とばかり、錫杖の仕込み杖を取ると、刃を抜き放ちました。



前編/終わり


後編へ






comment


私の生まれ故郷は京都府宮津市です。

神戸方面から出向くときは大江町から県道9号線を通るわけですが、

その道すがらに元伊勢の外宮、内宮が順次たち現れてきます。

なぜこの地に伊勢があるのか。

・・・・・我が故郷は神仙のロマンを抱かせるものとなりました。


いや、元伊勢は結構いたるところにあることが後で分かったのですが、

ところが図らずも、正史外典の中でも有名な「秀真伝(ほつまつたえ)」に、

神世の時代には、現在の伊勢よりも丹波の元伊勢が格段に

由緒あるように書かれていたことによって、

ロマンもにわかに現実味を帯びてきたのです。


その元伊勢を見下ろすかのように、あの鬼の酒呑童子で有名な

大江山が、その北西にそびえています。

といっても、大江山頂をこの方角から眺望しようと思っても、

小高い山々に遮られて、仰ぐことは難しいのです。

それだけ、元伊勢の土地から山までは近いということなわけです。


この二地点、謎の鬼を介して結びつくかと思われました。



この物語は、フィクションです。

登場する人名、地名、機関名、役職名、習俗には、

時代考証がなされておらず、多くは架空のものです。



Story & Comment by 奥人









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