物語







ももたろう伝説ことなり記

              作/奥人



前話> テイタは思わぬ勇み足から、ノボに素性がばれ、信仰の根底を覆すほどの改心を遂げることになる。ノボもミユの思わぬ来訪に端を発した露見事により、窮地に立つことになった。




第六章  露床




テイタは、言いかけたものの、いったんやめて喘ぎます。

テイタの膝の震え、青ざめた頬と唇の震えが、感情の激変のあったことを表わしていました。
ノボは、昨晩のテイタの変化にただならぬものがあったことを知る立場から、それも覚めやらぬ内に捕縛されてここに引き立てられてきたことに、衝撃の程を察することができ、彼女の人格の崩壊を見てしまう思いです。

<もしかすると、テイタはこのおれが注進したと思っていないか。
ならばテイタは永久に救われない。
それならもはや・・・>

もういちどテイタが、『わたしは・・』と言いかけたとき、
咄嗟に右手を差し出したのはノボでした。

ノボ:『待つんだ』

ノボはもはやはっきりとした口調で言い継ぎます。

ノボ:『私がすべてやらせたことです。芥子の種は、ヤマトの属国セッツの小国から取り寄せました』

セッツの小国。それは以前にテイタから聞いていたありのままです。

第四長老は、それならと、鹿皮の男に顔で指示を出しますと、
鹿皮の男は懐から赤い布を取り出して、みなに見せました。
偵察担当がそれを手にとり、これはヤマトの絹に間違いないと言います。

ノボ:『それは、ヤマトの意向を汲む記し。
いずれ私が副首長となれば、芥子を国中に広めて、戦う意欲を喪失させるつもりでした。
私は、テイタを自分の女として手なずけました。
そのゆえにテイタの家にも同じものがあるでしょうが、私が日々の遊戯のために渡したものです』

第四長老:『テイタはことの張本人ではないというのか』

ノボ:『そのとおりです』

第四長老:『いいや、そんなはずはない。では、この事実はどう説明する・・・』

第四長老とノボとのやり取りは、しばらく続きました。
しかし、ノボは、テイタの非をいっさい語りません。

やがて、そのやり取りに終止符を打つべく、ウラが口を出します。

ウラ:『ノボよ。おまえがなるほど、ヤマトの密偵であったことがよく分かった。
よくも今までみなを騙してくれたものだ。一つ聞いておこう。
今までのおまえの作った作戦の資料や、おまえが出した作戦の提案は、みな偽りか?』

ノボ:『いえ。資料はすべて本当のことです。
提案はすべて私が心づくしでしたことです。
ヤマトには、敵がある程度強くなくては、面白くないという考えがあります。
相手をある程度強くしておいて根こそぎ退治すれば、反感分子がより減るというもの』

その話も、吉備の周りがヤマトに浸潤されている最中、風の便りにも知らされていることです。

ウラ:『うーん。なんといやらしい話ぞ。おまえの今までの話に、嘘偽りはないか?』

ノボ:『はい』

ウラ:『ならば聞くぞ。おまえを訪ねてきたこの娘も、ヤマトの密偵か?』

ノボ:『い、いや。この子は、私の許婚で、あまりに私が長い密偵生活をしているので、思い余ってここまで放浪して参ったのです。私も、この子の命知らずには呆れました』

ウラ:『うーむ。では、おまえはなぜ、この子を大事にしてやれなかったのか?』

ノボ:『まだ、子供ですゆえ、話にもならず』

ウラ:『ケッ。おのれという奴は、見下げ果てた奴だな。
ならば、俺が首長の名のもとに裁定を下す。ノボを死刑に処すよう』

あたりは、いっしゅん静まり返ったかと思うと、次のしゅんかんにはごうごうとざわめき立ちました。
この国で初めての死刑裁定が出されたからです。

そのとき、テイタが、その場に崩れながら言いました。

テイタ:『待ってください。私がすべてをしたのです。私こそが・・』

ノボ:『なにを言う。私が自分の罪を恥じて、すべてを話したのではないか。
せめて最後だけは勇者らしくさせてくれ』

テイタは、床の上で泣き崩れ、その場を濡らしています。
それをマトゥ爺が、不憫に思ったか、それとも事情を察したか、ウラに小声でこう言いました。

マトゥ爺:『のう、ウラよ。お前はどう思う。ノボの資料と、作戦提案を信じることができるか?』

ウラ:『ああ。ノボの出した資料は今まで正しかった。作戦もなかなか先を読んでいる』

マトゥ爺:『まだ使ってみる気はないか?』

ウラ:『うーむ。もしもすべてヤマトに筒抜けていたとなれば問題があろうが・・』

マトゥ爺:『わしらの監視下で協力させれば、その懸念はなかろう?』

ウラ:『うーむ』

マトゥ爺の提案に、ウラは考え込みます。
ウラも、察してはいるのです。
長い間、テイタに養育された経緯、それは恩義の程が測れるものではないと。
助けたいが、ここまでノボが言い張るなら、それもできないでいるのでした。

マトゥ爺が、見かねて直接ノボの近くに行き、小声で訊ねました。

マトゥ爺:『お前は、牢獄に入れられても、わしらの作戦に協力する意志はあるか?』

ノボ:『は、はい』

マトゥ爺:『牢獄住まいの過酷さに、わしらを恨むかもしれんぞ』

ノボ:『私は、この国を歯ごたえあるものにすべく働くつもりです』

マトゥ爺:『う、うむ』

マトゥ爺は、席に戻り、このことをウラに伝えました。
そこで少し話が行なわれたようです。
新たな裁定が出されることはありませんでしたが、
それでも、ウラの表情にやや明るさが戻った感じでした。

こうして、詮議は終わり、ノボは数人の屈強な男に引き立てられるように、合議の館から、ここからさほど遠くない北山の中程にあるヤスデ洞窟に作られた死刑囚用の牢屋に入れられました。

そこはじめじめと水滴が垂れており、洞窟の一室が強竹を格子状に組み合わせたもので仕切られ、どんな強者の力でもびくともせぬようにしてありました。
かつて、ここに入れられた者がいました。
熊です。
人里に現れ、十人もの死者を出し、ここに入れられても狂ったように暴れて、ついに命果てました。
今に言う狂犬病のようなものに罹っていたようです。

扉も、錆びない真金で作られた重いかんぬき錠によって閉められ、この後は一日一回朝だけの粗末な食事が、死刑の日まで格子のあわさいから差し入れられるのです。
表は、刑務担当の門衛が代わる代わる見張ります。

いっぽう、テイタには、いぜん疑惑の目が向けられておりました。
しかし、ノボの徹底的な否定によって、ノボが刑に服す以上、テイタの追求はできない規則です。
それは、ミユについても同じことでした。

それでも監視は必要という長老衆の評議により、マトゥ爺の計らいで、テイタとミユをいっしょにしてマトゥ爺の館の近くの小屋に住まわせることに決まりました。

第四長老は、いぜん甘い甘いと、マトゥ爺はじめ長老衆を非難しておりました。


それから、ひと月が経ちました。

ノボの入れられた牢獄は、昼間は外からの間接的な光がぼんやり射しています。

暗い中の生活ばかりのノボにとっては、十分に明るい光となっておりました。
そこに、橙色のちろちろとした揺らめきが見えました。

<ウラが来たか>

四、五日に一度くらいの割合で、ウラと作戦担当が、ノボの作った資料を持って、ここを訪れておりました。

『どうだ、元気にしているか』と入ってくるのが常でした。
米とあわを練りあわせた吉備団子を手土産にぶらさげて。

格子戸のかんぬきをあけて中に入り、およそ一時ばかり、松明の照らす中で、地図を見ながら作戦に関する助言をノボに求めます。そして終わりに、ミユがいまどうしているかとか、テイタが別人と思えるほど慎ましくなったとかいう話を少しばかりして帰っていくのです。

ところが、その日は、足音からして違いました。
おぼつかない足音です。しかも、息を切らす音の間に、やや高いかすれ声が入ります。

<ひょっとすると>

そうでした。松明の明かりに照らされて、格子の向こうに現れたのは、テイタとミユでした。

やがて、竹格子を間にして、向かい合います。
ミユたちには、ノボが赤い光りに揺れて見えます。
髭がかなりのびています。

ノボも、久しぶりの再会に、驚きが隠せません。

<ミユは、まだいたのか>

まずミユを見ると、ミユの表情は明るく笑っています。
次にテイタを見ます。すると微笑みが明かりに照らされて、神々しくさえ見えました。

二人とも、息を切らし気味です。
ノボは、ミユに聞きます。

「元気にしていたか。もう向こうに帰ったものだとばかり思っていた」

もとの現代の言葉で言うものですから、ミユは首を横になんどか振ります。

ミユ:『ノボも、元気? わたし・・ここに・・いることにした』

片言ながら、吉備の言葉を話しているのです。

「そうか。言葉が話せるようになったのか」

ミユは、うなずきます。

ミユ:『テイタ・・姉さんに教えてもらった』

ノボ:『そうか。なかなかうまいぞ』

ノボは、テイタを見ます。
微笑みに、どこか哀しさが漂っているのは、揺らぐ明かりのせいでしょうか。

ノボ:『よく彼女に言葉を教えてくれたね』

テイタ:『いいえ。命の御恩に対して、当然です』

ノボ:『しかし、こんなところによく来てくれた』

テイタ:『首長のお許しを得てまいりました。でも、たいへんなお暮らしを。すべてわたしのせいです』

ノボ:『君がすべてを打ち明けてくれたからだ。でも、君の親戚にはなにもしてやれない』

テイタ:『お気遣いなく。あなたはわたしの心の支えです』

ノボ:『なにを言うんだ』

ミユ:『マトゥ爺さん・・言ってた。ノボは、死なないって』

ノボ:『ほう。それならありがたいんだが』

ミユ:『わたし・・それで残ることにしたんだよ。だから、早く出てきてね。
ミユは今でもお嫁さんなんだから』

ノボは久しぶりに頬を緩め、『うん』と言いました。

テイタが両手を、ミユの肩にかけました。

テイタ:『わたしが、お育て申し上げます』

ノボの心に、喜びがわきあがります。

ノボ:『よろしく頼みます』

テイタたちは、小半時ほどの許された会話をして、そこを後にしました。

ノボにも、生きる希望がわいてきました。

しかし、壁を見れば、ヤスデが無数に這っています。
周りのじめじめとして、陰湿なこと。

夜はとくにそうで、なにもほとんど見えない中、乾いたところを探して寝転ぶのがやっと。

<本当にここを出られるのだろうか>

ひんぱんに襲い来る孤独感と戦いながら、ノボは真っ暗な空間に、ミユやテイタとの幸せな光景を思い浮かべて過ごすことにしたのです。


さて、さらにひと月ほど経ったころの、テイタとミユの住む小屋での話です。

小屋は十畳ほどの広さでしょうか。寝室と土間が明確な区切りなくありました。
板葺き屋根の小屋の作りは頑丈で、ときおりある山の強風などにもびくともしません。
吉備の建築技術の優秀さを物語ります。

テイタは、菜園の端下女として働いており、ミユもいっしょに仕事をするようになっておりました。

朝早くから出かけるので、まだ暗いうちから朝食の用意をし、明るくなるころ、ミユを起こして、その日もともに食事をしています。

テイタ:『ミユ。今日は仕事場に行かずに、首長の所に行って、ノボとの面会の許可をとってきてもらえる?』

ミユ:『はい』

テイタ:『できることなら、小さなお弁当を持参したいことも、言っておいてもらえたら』

ミユ:『それに、もう少し長い時間、いさせてもらえるようにも言ってみる』

テイタ:『そうねえ』

テイタは食事を済ますと、いつものように鎌と鍬をズダ袋に入れて、出かけようとしました。
ところが突然吐き気がして、土間の柱に寄りかかるようにして止まりました。

ミユ:『どうしたの?テイタ姉さん』

テイタ:『ううん、なんでもない』

ミユ:『おなかの具合が悪いんじゃない?』

テイタ:『だいじょうぶ。ときおりこう言いうことがあるの』

ミユ:『ふうん』

テイタの後姿を見送るミユは、やや心配です。
ここのところ、テイタがどこか具合悪そうにすることが多くなったからでした。
菜園作業の途中で吐いてみたりしたこともありました。
そして体がだるそうです。
しかし、菜園場でも二人だけのことがほとんどなので、誰も気付いてくれません。

ミユは、思いました。
ウラのところには、後でも行ける。まず、おばあちゃんのところに行って聞いてみよう・・と。

こうして、ミユは、まずコカドばあさんのところに行きました。

もう、なれてきた道ですから、小半時もあれば着きました。
おばあさんは、縁側で坐って、まるでミユを待っていたかのようで、笑顔で迎え、こう言いました。

コカド:『おお、来るのをまっとったよ。一度ノボにおうたとみえるな。顔に書いてある』

ミユ:『よく分かるんだね。おばあちゃん。でも、今日はねえ、テイタ姉さんの具合のことで聞きにきたんだ』

コカド『久々に来たと思えば、そんなことだろうて。テイタはな、心配ない』

ミユ:『見なくても、分かるの?』

コカド『ふっはっは。人はな、自分のお役目が終わるまでは、なかなか死んだりはせん』

ミユ:『じゃあ、テイタ姉さんは、死んだりするような病気じゃないわけ?』

コカド『ああ、そうじゃ。それより、ミユよ。
お前の目の前に、もうすぐお役目を終えようとする者がおるのだが、分かるか?』

ミユ:『えっ?』

おばあさんは、ミユをしばらく鋭い眼光で見据えておりましたが、やがて眼差しは微笑みに変わりました。

コカド『はははは。まだまだ未熟じゃのう。まあ、ええ。
明後日の晩に、この婆の家の方角を見とってくれ。さあ、もうお帰り』

ミユ:『おばあちゃん・・』

ミユは、いきなり心配になりましたが、おばあさんはまた部屋に引き込んで瞑想です。
こうなれば、取り付く島はありません。

ミユは、引き返す途中で思いました。きっと、おばあさんは死ぬんじゃないかと。
でも、表向き元気な人のところに医者を来させるわけにもいかず、そのままウラの館へと行きました。

ウラの館では、前の庭を通る水路で、見るからによく肥えた奥様が洗い物をしていました。

ミユが声をかけます。

ミユ:『あのう。首長はおいででしょうか?』

奥様:『ああ、ミユじやないか。どうしたの』

ミユ:『ノボに面会する許可をいただきたくて来たのですが』

奥様:『ああ、うちの人は、今いないよ。最近忙しくてね。朝から出かけたよ。
じゃあね、わたしが伝えておこう。許可の報せはまた誰かをやるようにするからね』

ミユ:『そうですか。こんどテイタ姉さんの休みが四日後なもので、その日でお願いします。
それから、お弁当を持っていっていいかということと、面会時間を延ばしていただきたいということも、お願いします』

奥様:『ああ、分かったよ。たいてい、許可してくれるよ。
どうだい。ちゃんとやってるかい。人が何と言おうと、わたしは味方だからね。
ウラも決して悪くは思っていないよ』

ミユ:『ありがとうございます』

そうなのです。ここに来る道すがら、村人がミユの通るのを見ると、ひそひそ話したり、知らん振りをしているのです。まあこのころから、いかにも日本人的な風土と申しましょうか。

ミユ:『それと、もうひとつあるのですが』

奥様:『なに?』

ミユ:『テイタ姉さんの具合が悪いんです。
死ぬような病気ではないと、コカドおばあさんは言うんですが』

ミユは、さっきまであったことを話しました。

奥様:『ミユ。それはもしかしたら、おめでたかもしれないね。でも、誰の子・・・?』

奥様は、急に怪訝そうな顔になり、またすぐに笑顔に戻りました。

奥様:『まあ、いいじゃないか。あのおばあさんはね、最近ちょっと変なんだよ。
言うことがいちいちおかしいんだ。
はじめウラは、よく相談に行ってたんだけど、もう行かなくなってさあ・・』

とまあ、話を核心からそらすのが、ミユにも見え見えです。
ミユには、ぼんやりと、テイタが身ごもったことが理解できたのでした。

帰り道、ふつうなら、ミユは結果の報告と作業の手伝いに、テイタの仕事場にいそいそと向かうのでしょうが、どうも足が進みません。

テイタとの生活をするうちに、テイタからミユにお詫びしたいという話の中で、ミユから取り上げるようにして、ノボとしばらく同棲していたということも聞いておりましたから、子供心にも分かるものがあります。

<もしそうなら、どういうふうに考えたらいいんだろ。二人ともお嫁さん? そんなの良いんだろうか>

そのような、とりとめのないことを考えて、ぶらぶら歩いているのを、村の悪ガキが見つけました。
五つ六つ年上の殻の大きい奴で、ミユの行く手を塞ぎます。

悪ガキ:『おい、おまえ。テイタの養女だってなあ。テイタは、俺の親父が言っていたが、誰とでも寝ていたそうだぞ。おまえもいずれそうなるんだろ』

ミユ:『そんなの、知らないよ』

悪ガキ:『俺が最初に可愛がってやる。こっちこい』

悪ガキは、ミユの腕をつかむと、無理やり草むらのほうへ連れていこうとしました。

ミユ:『いやっ。いやー』

悪ガキといっても、当時でいえばもう成人間近。嫁取り前に経験をすませてしまおうという不心得者は、ここにもいくらかはおりました。

が、そのとき一陣の風とともに、どこからともなく現れた鹿皮の男が、悪ガキの腕をつかみ、その場にねじ伏せてしまったのです。

悪ガキ:『いでででー』

鹿皮の男は、ミユに顔で行くように合図を送りましたので、ミユはその場を走り去りました。

たいへんショックなことでした。いまの子は、なにをするつもりだったのか。
彼の話していたことは、どう言う意味なのか。
また、鹿皮の男は、たまに見かけるとはいえ、まったく予期しないところで出てきたものです。
これらの出来事は鮮烈な印象を、ミユに残しました。

鹿皮の男は、長老衆の任を受け、テイタとミユの監視の任に当たっていたのです。


ミユは、テイタのところに行っても、なにも話す気になれません。
ただ、テイタのすることをまねて、そばで同じことを単調にやっているだけです。

テイタ:『どうだった。首長の許可は出た?』

ミユ:『うん。あ、まだ。今日は留守だったから、奥様に言っておいたよ。許可されたら、知らせるって』

テイタ:『そうか。首長も、忙しいんだね。きっと、ヤマトの攻めてくるのが近いんでしょう』

テイタは、忌まわしい過去を思い浮かべて、表情を暗くします。
テイタは、自分が捕まらなかったことによって、むしろ吉備にヤマトの情報が伝わらず、良くないのではないかと思いました。

また、自分からの情報が、ヤマトの伝令密偵に届かなくなったことによって、ヤマトは異変に気付き、より偵察を細かくしていることでしょう。

その間に立って走り使いをしていた犬皮の男。この男は吉備の者でしたが、テイタに惚れて片棒を担がされていたままで、いまはどうなっているのか、あれ以来姿が見えません。

ミユは、相変わらずそんなことはどうでも良いといった風で、ひとりで作業を続けています。
いままでなら、なんでも質問したことでしようが、どこかよそよそしくなりました。

そのころ、ウラは、作戦担当を二人連れて、ノボの牢屋に来ておりました。

ウラ:『ハリマにあったヤマトの軍が、タシマの征伐に出ていて、満足な数だけ結集していない。
タシマの次は、おそらくここだ。俺は、タシマに援軍を送ろうと思うが、どう思う』

ノボ:『ここからタシマまでの道程には、ハリマからタシマに至るよりも険しい山々があります。
軍は疲弊するでしょう。それより、どこか近くにタシマを助けることのできる国はありませんか』

偵察担当:『イヅシの小国があるだけです。そこは我々にむかしから好意的です。
ただ、平和を尊ぶあまり、参戦することができるかどうか』

ウラ:『説き伏せてでも、と言うわけにもいくまい。戦うすべもしらんだろうし』

作戦担当:『いろいろ考えていたのですが、いま機を見て、ハリマの宿陣を叩くというのはどうでしょう』

ウラ:『うーむ。手薄になったところを叩けば壊滅しような。
しかし、もしも宿陣にあるものが、ハリマ諸国から徴兵された者ばかりであれば、
我々は昔からの親交を損なう恐れがある。
偵察のほうで、その辺を見極めることはできるか』

偵察担当:『可能です』

ウラ:『ノボよ。おまえはどう思うか』

ノボ:『ヤマトがどこまで先を読んでいるかでしょう。ヤマトはかなり狡猾です。
慎重になさるが良いかと思います』

作戦担当:『聞いていれば何かと消極的。
ヤマトに不利ゆえ、思いとどまらせようとしているのではないのか?』

ウラ:『うーむ。ノボの意見は参考以上のものではない。
もし偵察が正しい話を持ちかえることさえできるなら、成功するに違いない。
うまくいけば、どれほど反ヤマトの国々の士気を鼓舞することだろう。
やってみようではないか』


こうして、千人の軍が、このために密かに結成されることになります。
迅速性を要求されるため、兵の移動は海路となり、吉備の持つ船の半分がこの輸送に投入される予定となりました。

偵察担当は、さっそく密偵を飛ばします。五日の後には、かなり正確な報告が入るでしょう。なぜなら、彼らは煙のろしによる伝達法を使っていましたから。

国々の山間のきこり小屋や、洞窟などに伝達の密偵は潜み、また偵察活動する密偵は、すでに現地にあって、その指示に従うのです。

さて、次の日の朝も、ミユはテイタと、どうもしっくりいきません。菜園には、夕方に用事があるからと、自分から行くのを断る始末です。

テイタ:『昨日、何かあったの?』

ミユ:『ううん』
目を伏せて、否定します。

テイタは、ミユにも反抗期が来たのかなと思いながら、仕事に出かけました。

さて、昼頃、菜園に出ていたテイタのもとに、ウラからの許可の通知が届きました。
ノボに良いものを食べさせ、ねんごろにしてやってくれとの伝言もありました。

嬉しい話です。
夕方には早々に帰って、ミユを喜ばせてやらねばと思います。

ミユは、いぜんぼおっとして、小屋の外を眺めておりました。
なぜか分からないけど、投げやりな気持ちになってしまうのです。

ただ、おばあさんの言っていたことだけは、はっきりとしており、まだ昼過ぎというのに、おばあさんの家の方向を眺めていました。

そのとき、「ミユ、ミユ」という声が、どこからともなく聞こえたように思いました。

<おばあちゃんだ>

この囁きが聞こえると、教わったようにするミユです。
目を半分に瞑ると、吸い込まれるようにしてその場にぺたんと坐りこんでしまいました。

いつのまにか夕暮れになりました。時間を忘れて、ミユは瞑想しているのです。

おばあさんの住む東の空は、群青色に深まっていきます。
ミユは、目を瞑りながら、西の夕焼けも、東の空も同時に見ています。
不思議な複眼視ができるのです。

<きれい>

いつしか、上空高くに舞い上がっており、おばあさんの家がそこから見えたようでした。

<おばあちゃんの家だ>

しばらくすると、なんとその家の屋根から、ぼわーっと白く光る玉が現れたではありませんか。

<あれは、おばあちゃんの玉だ>

すごく懐かしい気持ちになります。
ミユはその行方を追いました。
それは、二人の住む小屋のほうに飛んでいくではありませんか。

<わたしの家のほうに行くみたい>

ミユは、そのときふと我に返り、目を少し開けました。そこからは、深まった群青の東の空が見えます。
自分が地面に坐っているのにも気が付きます。

ところが、空の群青色に映えて、白い光がこちらに近づいてきたのにも気がつきました。

<あ・・やっぱり来た>

その光は、ゆっくりと高度を落とすと、小屋の南へと降りていきます。
ミユは、それを目で追います。

すると、玉が降りようとする先には、今まさに仕事を終えて、小屋に近づいたテイタがいました。
そして、なんと光る玉は、いっしゅん強く光ったかと思うと、テイタのおなかの中に入ってしまったのです。

<ああーっ>

テイタは、なにも気付いていません。
でも、ミユが小屋の前で坐りこんでいるのには気付き、道具をその場に捨てて、どうしたことかと走って来ました。

テイタ:『はあはあ。どうしたの?だいじょうぶ?』

ミユの体を揺すろうと手を肩にかけたとき、ミユは元気良く起きあがりました。

ミユ:『だいじょうぶだよ。ごめんね。これからわたしが夕飯のしたくするから、中で休んでて』

テイタは微笑んで、どうしたのいきなり、と言いました。
テイタにとっては、二度の驚きだったようです。
ミユが、食事を率先して作ったことは、未だかつてなかったからです。

その日の夜、ミユは、テイタに寄り添うようにして休みました。
テイタも、ミユが母親に甘えているつもりなんだと思い、ミユをそっと抱き寄せます。
ミユは、二人のお母さんに抱かれているような、幸せな気持ちになりました。

そのとき、ミユの玉が光りました。

<おばあちゃん。ここに来たんだよね>

すると、テイタのおなかも、それに呼応して光りました。
それとともに、懐かしい声が聞こえます。

<お婆は、もう眠ることにするよ。
ミユや。人にはいろんなことがある。
おまえもそうだし、どんな人でもそうだ。
くじけないで、これがいちばん良いと思うことをなさい。
おばあは、もう休むよ。ではね>

<おばあちゃん。ここにいるんだよね>

もう、応答はありません。
ミユも、いつしか眠っておりました。




第七章








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