ももたろう伝説ことなり記
作/奥人
前話>テイタをかばいノボは罪を背負って、死刑囚収監牢に入れられる。テイタはノボへの恩からミユに言葉の教育をし、ウラもノボの知恵を今までのように頼りにする。 |
第七章 春嵐
翌朝から、ミユの早く起きること。テイタよりも早いくらいです。
テイタ:『ミユ、今日はどうしたの?』
ミユ:『寝てて。わたしが食事作るから』
テイタ:『だめだめ。わたしの仕事だから』
ミユ:『いいんよ。テイタ姉さん、赤ちゃんができたんだから』
テイタ:『ええっ? どうして? 』
ミユは笑っています。
テイタ:『実はそうかなとは思ってたんだ。どうしてミユにわかったの?』
ミユ:『おばあちゃんが、ここに来たんよ』
テイタ:『あのおばあさんが、ここまで伝えに来たの?』
ミユ:『なーいしょ』
テイタ:『コカドさんは見通す力がすごいという話だけど、やはりそうなんだね』
ミユ:『おばあちゃんは、もう死んでるよ』
テイタ:『えっ? あなたも、またおかしなことを言って』
ミユは、台所に居るときも、食事中も、ことあるつどテイタのおなかをしげしげと見つめることが増えました。
テイタにとっては、嬉しくはあっても、このおなかの子が、誰の子であるか考えるとき、気が重くなります。
どうやら、ノボとの間にできた子のようなのです。
ミユを裏切っているという思いがします。
それでも、ミユが嬉しそうにしているのを見て、まだ子供だから分からないからだと思ったりします。
テイタは、その日もミユと菜園に出ましたが、昼過ぎにいきなりおばあさんが死んでいるという、ミユの話を思い出して、気になりました。
ひとり暮しのはずなので、誰かが訪れない限り、誰も気がつかないでしょう。
しかし、その問題はすぐに確かなこととして解消してしまいました。
ウラの奥様が菜園にやって来て、テイタにミユがどこかにいるかと訊ねてきたのです。
奥様:『コカド婆さんがゆうべ亡くなったんだよ。だけど、驚いちゃいけないよ。枕もとの遺書にさあ、ミユを後継者にしたいと書いてあったんで、ミユに葬儀に立ち会ってもらおうと、連れに来たんだよ』
テイタ:『ええっ。そうですか。いま、かぶらの種をとりにやっていますから、すぐに戻りますけど』
奥様:『ああそう。ああ、あんたも来てもらったほうがいい。亭主がそう言っていた』
テイタ:『はあ。分かりました』
テイタはこのときはじめてミユの霊能力を知りました。
それから小半時ほど後には、テイタとミユは連れ立って、おばあさんの家に来ておりました。
ウラとマトゥ爺、それから数人の長老がすでに集まり、十人ばかりの若い手伝いが、家の中を整えていました。
おばあさんの亡き骸は、きめの粗い白木綿に包まれて、板間の真中に置かれています。
整理が終わると同時に、ウラはおばあさんの亡き骸の横に坐ります。他の参列者が板間の任意の場所に坐りますと、みなで古来から伝わる昇霊歌というものを謡うのが習わしでした。
奥様はじめ女性たちは、土間に立って謡います。
その後、ウラのもとに、整理担当の者から、木箱に入った遺品が手渡されました。
ウラがそれを開けると、キセルや真金の塊などの他に、ひときわ目を引く水晶の玉がありました。
ウラは、それを取り出して、右の掌に載せてみなの前に披露します。
そして、ウラ自らが袋に入れて持参した、ほぼ同じ大きさの二つの水晶玉を膝の上に並べますと、
一同は感嘆の声を上げました。
ウラ:『いまのお婆の遺品のこの玉が、"なりなりの玉"というものだ。俺は、首長として、このお婆の先代の持っていた"ありありの玉"を先代の首長から授け渡され、同じく首長の印である"ことなりの玉"を授け渡され、いまこの玉を手にした。
これで、吉備に伝わる伝統の三つの宝がひとつに集まったことになる。いまこの国の行く末に助力ありとすれば、この神宝のご加護であろうかと思われる。それゆえ、首長が預かりおくこととしたい』
マトゥ爺:『首長。その神宝のいわれを皆に語ってはもらえんだろうか』
ウラ:『うむ。この俺も、定かには知らぬが、このお婆の話によるとだ。この三つの宝は、人をあらわすという。またあるときは、世界をあらわすともいう。何にも増して貴いものの象徴として、大昔から伝えられているとのことだ』
マトゥ爺:『わしも先代のお婆から聞いたことがある。"ありあり"は初めから終わりまで変わることなくある性質のことを言い、"なりなり"はどのようなものにも成りうる性質のことを言い、"ことなり"は世界の万象を次々と成立させていく性質を言うということじゃ。人には、その三つの資質が一体として備わっておるので、そのゆえに貴いという。よって、人こそは至高の宝であるとの象徴として伝えられてきたと思ってもらえばよかろうか』
ウラ:『まあ、おれは精神論はよく分からんが、このお婆の話を幼くして聞き、人こそが宝という思いでいままできたし、その思いはこれからも変わることはない。これが、先代、先々代、またその遥か前から続いてきた首長、及びいまの俺のこの国と国民に対する指導原理なのだ』
マトゥ爺:『だが、ウラもこの度は悩んだのう。ヤマトという敵方にも人はおる。人がヤマトを動かして、戦をしておる。この人をも尊んで、戦をやめるかどうかと、なあ』
ウラ:『ところが、お婆は言った。戦はやれと。おのれの正義と信念に基づいて戦わずしてどうすると。このお婆に眼光鋭く言われると、鬼神にそそのかされたような気がしたものだ。ならば俺が勝てる見込みがあるのかと問えば、勝ち負けは問題ではない、ここにおのれと、おのれに賛同して従った者たちが、歴史の中に信念を刻み込めば良いのじゃと言いおった。それが不滅の成果になるであろうとな』
マトゥ爺:『まるで鬼神じゃのう。平和を好む我々に、未だかってないような考えを出してくるんじゃからのう。先代のお婆なら、こんなことはいわなんだ』
ウラ:『そこで俺はじっくり考えてみた。ヤマトの軍門に下って、生き延びる道を見つけたとしても、人を人とも思わぬ過酷な仕打ちを受け続けるであろう。我々は、人を尊ぶことを伝統としてきた民族だ。その理想が削がれることは、人からの死を意味する。ならば戦って死を選ぶもやむをえないと考えたのだ。どれほどの者が命を落とすやも知れぬ。だが、この国と、国の理想を守ろうと決意したのだ』
マトゥ爺:『お婆は何を言い出すやら分からぬほど恐い。ウラはそれでお婆を疎遠にした。代わりにわしが、お婆のもとをときおり訪れておったというわけじゃ。
ところで、このお婆の後継者のことだ。これについても、コカド婆よ、おまえはいったい後継ぎをどうするんじゃと前々から聞いておったのだが、だいじょうぶ、だいじょうぶが口癖で、取り合わんかった。
だが、どうやら決まっているらしいな』
ウラ:『そうだ。お婆も近頃では宿命めいた呆気たことばかり言うものだから、もうこれで跡は途絶えても仕方ないと放っておいたのだが、遺書があってな。後継ぎを紹介しよう。・・・ミユ、ここへ来い』
ミユ:『はあい』
一同は、思わぬことに、ざわめきます。
ウラ:『ミユよ。おまえはこの玉を祭儀に使うか?』
ミユ:『祭儀? 分かりません』
ウラ:『これを使ってする祭りの仕方は学ばなかったのか?』
ミユ:『うん』
ウラ:『そうか。では俺が預かっておくぞ。祭りに必要なときは、そのつど申せ』
ミユ:『はあい』
そのとき、遅れて着いたため、土間のところにいた第四長老が、声を張り上げました。
第四長老:『異議がある。その子は、まだ白黒決したわけではない。そのような者に祭儀を任せるとならば、この国の先行きはどうなることか分かったものではない。この国を呪詛するかもしれんのだぞ』
マトゥ爺:『おまえは何かと奇妙なことを言うが、呪詛などという祭儀は、このお婆にも、先代のお婆にもありはせん。この子が知っているはずもなかろう。しかも、呪詛などという言葉自体、ヤマトの言葉であろうが』
第四長老:『わしは敵方の研究に余念がないだけだ。この子がもしヤマトの回し者なら、呪詛の仕方を知っとるだろうよ』
ウラ:『この子は俺が下の別宅に留め置いてじきじきに厳しく監視しよう。もし呪詛と見られる行為があったなら、ノボともども、即刻・・』
第四長老:『首長がそう言うなら、分かり申した。首長に任せよう。だが、おかしなことあらば、直ちにそうなされ』
そう言うと、第四長老は、さっさと帰ってしまいました。
ミユは、自分がどこから来たかということで、未だにもめていることに、失望の色が隠せません。
ウラは、その表情から思い測って、なだめます。
ウラ:『ミユよ。俺の別宅は、前のところに比べて広いぞ。そこで祭り事をしてくれ』
ミユ:『あのう。わたし、祭り事なんて教えられていないです』
いったいお婆はなにを教えたのだと、ウラは心の中で憤りながらも、こんなことを言います。
ウラ:『ああ、おまえがいちばん良いと思うようにすればいいんだ』
どこかで、ミユが聞いた言葉です。そう。おばあさんの心のささやきもこうでした。
ミユ:『はあい』
ウラ:『よし、それでは、まずこのお婆の弔いの祭りをやってくれるか』
いきなりのお役割、ミユに分かるはずもありませんが、祭りという言葉からとっさに、その場の空き間を使って、もとの世界で習いかけていた日本舞踊を踊り始めたのでした。
おおっと、一同はどよめきます。今まで誰も見たことがない祭儀となりました。
しかも、不思議なことに、どこからともなく春蘭の香りがしてきたのです。部屋の中の人たちは芳しい心地よさに浸りました。
ウラもそれに気付き、不思議なものだと感心するとともに、舞を舞うミユの大人びた美しさにしばし見とれました。
ミユが担当したはじめての不思議な葬儀は無事すみました。
コカドの亡き骸は、北山に運ばれ、焼かれて土にかえりました。
ウラは、三つの玉が手に入ったことで、ヤマト大王の三種の神器に匹敵することのような気がして、心騒ぐものがあります。またいっぽう脳裏には、ミユのなまめかしく踊る様が、芳しい香りの記憶とともに焼き付いて離れません。
明日には、おそらく戦いの火蓋を切るような決定もしなくてはならないというこのようなときに、いささか心が浮ついているのです。
ウラは、そのような思いを振り払おうとしてなのか、葬儀が終わっての合議の館に向かう道すがら、ウラはマトゥ爺に言います。
ウラ:『マトゥ。今日ミユの舞ったのは、なんだと思う』
マトゥ爺:『いや、わしには分からん。初めて見た』
ウラ:『あれこそ、ヤマトの舞ではないのか』
マトゥ爺:『さあ、な』
ウラ:『それに、ミユは先ごろ十一才になったと申しているのだが、見ろマトゥ。あそこを行くのはカシの娘だが、いま十四才。ミユよりも小さいだろう』
それもそうかもしれません。栄養状態の良い中で育った現代っ子が、古代に現れたとすれば。加えて、ミユは元の世界でなじまされてきた満年齢で答えてしまっているのです。
マトゥ爺:『うーん。個人差はあろうが、ミユは大きいほうかもしれんな』
ウラ:『年令について、嘘を申したとは思えんか?十分に工作できる知識もあるとさえ思えるが』
マトゥ爺:『わしは、そうは思えん。そこまで勘ぐってやるな』
ウラ:『うーむ。もしものこともある。とにかく今日から別宅に住まわせて監視することにしよう。
テイタとも切り離さねば、ハシュト(第四長老)の勘繰りもなお強まろうし』
マトゥ爺:『テイタとともにしてやれ。あの子はテイタを母のように慕っておる。まだあの子には必要だ』
ウラ:『いいや。疑わしい以上、そうはいかん』
こうして、その夕刻、テイタの小屋に、係の者が事情を告げて、ミユだけを連れに来ました。
テイタも、第四長老の意向を汲んだものとして、仕方なく受け入れます。
むろん、祭儀に関わる者は、伝統的に一人身で神聖な館を持ちます。
牢獄にいるとはいえ、ノボという誓い合った人がいるのに、結ばれることのない二人がテイタには哀れに思えてなりません。
そのとき、幼少期なら少なくとも侍女が付くはずであることを思い出しました。
テイタ:『ミユ。私もそっちに行けるように、首長と交渉してみるからね。元気でいるんだよ』
ミユ:『はあい』
送り出したものの、テイタはわけもなく不安です。
身ごもったために、自分に母心がついたのかと思ったりしますが、ウラのもとならだいじょうぶだからと自分に言い聞かせるのです。
ミユは、暗くなる頃、道案内の下女に伴なわれてウラの別宅に着きました。
中に入ると、ウラがいて、にこやかにしています。
ウラ:『ミユ。今日からここに住んでくれるな』
ミユ:『はい』
ウラ:『どうだ。なかなか広くて良いだろう』
ミユ:『はい』
板間だけで、二十畳ほどの広さはあるでしょうか。
土間と台所も八畳ほどの広さがあります。
ウラ:『ここなら、人を集めて祭りもできるし、あのときの舞も舞うことができるぞ』
ミユ:『はい』
ウラ:『ところで、ひとつ聞くが、あの舞の時の花の匂いはどうやって出したのだ?』
ミユ:『花の匂い?』
ウラはミユを見つめ、頷きます。
ミユ:『わたし、分かりません』
ウラ:『おまえは、何も匂わなかったのか?』
ミユ:『はい』
ウラはいっしゅん怪訝そうな表情になりましたが、すぐに笑顔に変えます。
ウラ:『そうか。まあいい。さて、部屋の中のものの説明をしよう。あれは、今晩からおまえが使う布団だ。それから、そこにおまえの生活用具の一式がある。食材は向こうだ。おまえは調理の仕方は知っているか?』
ミユ:『はい』
ウラ:『その竹籠の中は、おまえの着物だ。十一才というおまえの年令に合わせたものが入っている。ひとつは祭祀用の衣装。もうひとつは普段着だ。いま着ているものは、妻に洗わせよう。普段着に着替えなさい』
ミユ:『はあい』
ミユは、竹籠を開けて、何着か入っているうちの一着を取り出しました。
それは木綿でできた子供用ワンピースといったもので、腰のところで紐で縛ります。
しかし、いまミユが着ているテイタの若いころのお古と比べると、かなり小さめです。
それでも、ミユは、いまの着物を脱ごうとしました。
ウラは、これはいけないと思い、後ろを向いてしまいました。
子供ならば、どうということはないのに、ウラは若い娘に対するように意識してしまっているのです。
しばらく経ってウラは言います。
ウラ:『着替えたか?』
ミユ:『はい。でも、紐が短くて結べません』
ウラは振り返って、様子を見ます。
案の定、ミユには着物は小さく、紐は短かすぎるわけではないのですが、余りが少ないため、ミユの力では結べないでいたのです。
ウラ:『よし。ちょっと貸してみろ』
ウラは、引き絞るようにして紐を結んでやりますと、ミユの白くて長い脚がなおさら剥き出しになりました。
ウラ:『よ、よし。紐はまた、長いのを用意しておいてやろう。きつすぎると良くないからな。だが・・着物は当分これになる。せっかく用意したのだからな。これからは暑くなるから、これくらいがいい』
ミユ:『はあい』
ウラ:『ミユ。おまえ本当は何才なんだ?』
ミユ:『十一才です』
ウラはもう一度しげしげと足先から頭のてっぺんまで眺めました。
ウラ:『うーむ。そうか。ま、それもいいだろう。まあ、よろしく頼む』
視線を落し気味にし、意味のよくわからぬ言葉を言い残すと、ウラは鼻歌混じりに別宅を後にしました。
ハリマ攻め
翌朝、ウラのもとにハリマ偵察の報告が入りました。案の定、宿陣に残っているのは、ヤマトの軍で、しかも五百人ほどとのこと。参入した近隣部族でなる軍およそ四千人は、ヤマトの兵五百人ほどに指揮され、タシマ征伐の最前線に行かされているというのです。
宿陣を壊滅させれば、不満を持つセッツやタニハの部族が吉備を頼って寝返ってくる可能性があります。
合議の館は、臨戦体制に突入の様相ゆえに、興奮に包まれています。
作戦担当:『首長。今しかありません。ご決断を』
ウラ:『うむ』
作戦担当:『では、すでに選抜の千名の者に召集をかけるとともに、船の用意をいたします』
ウラ:『ああ、そでいい』
兵器担当:『では、兵器のほうもすでに揃えたものだけで?』
ウラ:『よかろう』
作戦担当:『では、兵が揃えらる四日後に決行ということで・・』
ウラ:『そうだ』
いささか主体性の乏しいウラに、マトゥ爺は文句を言います。
マトゥ爺:『ウラよ。この大事なときに、おまえの心構えひとつ話せんでどうするのだ』
ウラ:『それは以前に話したではないか。いまはもう、前に進むしかないのだ』
マトゥ爺:『おまえがこの戦の指揮を取るのだろうな』
ウラ:『いいや。現地には赴かず、ここに残って戦況を分析し、新たな指示を出すことにする』
マトゥ爺:『戦況は、おまえの熟練されたその目で見て、判断を下すべきなのだぞ』
ウラ:『作戦に当たった各担当者で十分やれる。おにもしものことがあれば、この国はどうなるというのだ』
マトゥ爺:『なんという・・』
ウラ:『ええい。各担当責任者、集まれい。細部に渡る打ち合わせをはじめる』
そのとき、それを遮るように館の外にいた下男が、中にはいってきて言いました。
下男:『外にテイタが来ており、首長に願い事があるそうです』
ウラ:『なに? どういうことだ?』
下男:『ミユとともにいさせて欲しいとのことです』
ウラ:『うーむ。分からぬやつだ。みな、少し待て』
ウラは、座を外して、外にいるテイタのところに行きました。
テイタは、ウラを見るとお辞儀をしました。
テイタ:『あの子はわたしを姉か母のように慕っておりますので、ぜひお願いいたします』
ウラ:『ミユが新たな役目に就くことになったことは、分かっているな。
祭りは昔からそうだが、この国の重要な務めだ』
テイタ:『そうですか。では、ときおりにでも、行動をともにさせてもらえますか』
ウラ:『うーむ。それぐらいなら、許してもよい』
テイタ:『明日は、ノボに会いに参ります。あの子を連れて参りますが、よろしいでしょうか』
ウラ:『あ、そうだったな。いや、待て。明日は、ノボと作戦会議の詰めを行なう予定だ。
この次にしてくれ』
テイタ:『えっ。ああ、でも時が時ゆえ、仕方がありませんね』
ウラ:『そういうことだ』
去って行くテイタの後姿が、ウラの目にも悲しげに映っておりました。
ウラは、中に入って座に着くと、大きくひとつ咳払いをして言いました。
ウラ:『この打ち合わせの結果を持って、明日、ノボのところへ行く。そこで、あいつの意見を述べさせて、最終調整をする』
ウラは、ミユとノボが会うことのほうをを嫌がったのです。
翌日、ウラは、確かに作戦担当と偵察担当の二人を連れて、北山の牢獄に行きました。
ウラ:『いよいよ、明日の未明に、五十艘出帆させ、児島の入り江から兵を乗り組ませることにしている。おまえに聞きたいのは、他でもない。行程に時間的な問題はないかということ、それだけだ』
ノボ:『少し伺いますが、今日、ミユたちは参りますか?』
ウラ:『重要な最終打ち合わせがあるので、俺が急遽、不許可にしている』
ノボは、テイタであれば知っているだろうヤマトの戦法について聞き出し、最も重要なアドバイスがここでできるものと思っていたのですが、テイタがヤマトの間者とは言えませんから、あえて要請するだけの句が継げません。
ノボ:『そうですか。・・・しかし、打ち合わせの後でというわけには』
ウラ:『馬鹿をいうな。おまえがもし、今日決まったことをテイタに漏らしたらどうなる。
テイタの嫌疑はまだ晴れてはいないのだぞ』
ノボ:『分かりました』
ウラ:『もう、おまえに多くは聞かん。ただ、行程に問題がないかどうかだけ答えてくれ。
いいか、千人の精兵は潮に乗って、明るくなるころには小豆島沖に達しているだろう。
日の河の東には、正午上陸。ハリマの宿陣までの行軍は、小半時と踏んでいる。
なにか問題はないか』
ノボ:『潮の変わり目はいつで?』
ウラ:『海事担当によれば、正午になる』
ノボ:『まず、それに間に合うように着けることです。それを過ぎれば、作戦は失敗です。直ちに引き返されますよう。それから、うまく着けたとしても、なるべく早急に上陸を果たしてください。向こうには、強力な弓矢があり、海辺の戦にたけていますから、最も無防備なこの時点に用心することです』
ウラ:『ほかには?』
ノボ:『向こうの諜報活動がどの程度迅速なのかということでしょう。これによっては、先回りされかねません』
偵察担当:『ヤマトは、諜報に関わる人数を増やすことで対応しており、確かに活発ですが、迅速さの点では、こちらのほうが上回ります。煙のろしのことは、ヤマトが気付いている様子はありません』
ノボ:『ならば・・あとは天候です』
ウラ:『空には星が出て、月はおぼろ半月。霞たなびく春の日和になるだろう』
結局ノボの見通しも、海事担当のそれとさほど変わるものではないことをウラは知り、会談はものの半時ほどで終わってしまいました。
ノボにすれば、もはや戦勝を祈るのみです。
四日めの夜から、作業は密かに行なわれ、深夜のうちに、五十艘の戦船は児島の入り江を出ました。
明け方には、予定より早く、小豆島を右に見ながら通過し、途中、船坂山の頂から敵に変化なしを知らせるのろしを見ながら、正午前にはヒノ川の東まで至りました。
順調な運びでした。海岸べりにおいて、ヤマト独特の装束の防人と一戦を交えましたが、圧倒的な数で打ち破り、現地の密偵の案内でハリマの宿陣にまたたく間に至ってしまいます。
宿陣は、質素な作りの木造の館が軒を並べ、数千人の兵力がここで養われるようになっておりましたが、いまは残った数百人が、海辺の異変に気付いて、固まって防備を敷いておりました。
ヤマト側から、矢が勢いよく飛んでくるのを、吉備兵の各自が左手に盾を持って食い止めながら、右手に剣を持ち進みます。そして、やがて、剣による戦いに・・。
ヤマトも精兵であったためか、なかなか手強いものの、吉備も精兵。倍の数を推して、約半時の後には、勝敗が決しておりました。
軒を連ねる館には火がかけられました。
この戦での司令責任者は、ミシラといいましたが、今まで吉備の周辺で起こる様々ないざこざの鎮圧に当たった経験の持ち主でした。
彼は必ず、鎮圧の対象になった相手方の首謀者たちの確認に当たる作業をしておりましたから、このときも倒したヤマト兵の確認に当たりました。
ところが、奇妙なことに、ヤマトの装束を表に着てはいるものの、その下にも衣服を着ており、それが民族服であったりするのです。
不審に思い、死体のおのおのを検分するに、純粋にヤマトの衣服のみという者のほうが圧倒的に少ないことに気付きました。
<これは、どうしたことだ>
ミシラは、まだ息のある敵兵のひとりを揺り起こして問います。
ミシラ:『おまえは、どこの国のものか?』
すると、言葉が分かったとみえ、『ヒカミ・・』と答えますが、すぐに息絶えました。
ハリマの北部にあるヒカミなら、かつて首長国として同盟関係にあったところで、ヤマトの攻撃にあい、降伏した大部族でした。
なにか奇妙なことが隠されている以上、長居はできません。
ミシラ:『すぐに船に戻って、午後の潮に乗り、国に帰る』
ミシラは、総勢を揃えると、味方の死者は頑強な者が背負い、負傷者を間に挟むようにして、直ちに船へと引き返しました。
五十艘の船は、さながら沢蟹が群がるように浅瀬に繋がれていますが、ミシラが持ち場の船に乗ると、見張りで残っていた者が言いました。
見張り:『ミシラさん。沖に船の影が見えるのですが、ヤマトの船ではないでしょうか?』
見ると、二十隻程度の船が、西南の家島方面から近づいているではありませんか。
三日月型に船首と船尾が反り返ったような船は、まさしくヤマトです。
まだ、潮は変わっておらず、急速に近づいています。
潮が変わったら変わったで、向こうの方が先んじた格好で西に向かうことになるでしょう。
洋上の戦いになりそうです。
偵察担当が叫びます。
偵察担当:『高山からのろしが上がっており、四国のほうからも船が多数出ていると知らせています』
ミシラ:『なんと早いことか』
こうして、小半時も経たぬうちに、互いの顔が見えるほどの距離に縮まり、矢合戦が始まりました。
しかし、ヤマトは矢先に油をしませた火矢を用いてきたのです。
あっという間に、十艘ばかりの吉備船が火に包まれました。吉備の兵は、次々と海に飛びこんでいます。火矢の装備は、吉備にはありません。
このままでは、乗り合いして戦う前に、すべて沈まされてしまいそうです。
ミシラ:『再上陸だ』
ミシラは、手振りで各船に合図します。
潮は西に変わっていたといっても、陸に辿り着いたときには、まだヒノ川のやや西という程度でした。
北に、高御位山の連なりが見えます。その向こうには高山がありますが、この地点からではもう見えません。ということは、のろしも見えないということで、状況判断にはきわめて不利です。
やがて燃え残った十艘ばかりが、浅瀬に着きました。
それでも、約五十人ほどを除いて残りは何らかの手負いであり、足の動かない者はやむなく放っておくしかありません。
ミシラ:『おまえたちは、吉備の誉れだ。死んでも必ずや魂魄を吉備に戻せよ。
そして、異界から見届けよ。吉備は手厚く、おまえたちの妻子を守り抜くであろうことを』
なんとか歩けるものばかりで、近くにある岩場を目指し、その上に登りました。
眼下に怒涛おしよせる高台に登ると、あったはずの十艘の船は、みな火矢を射込まれたか燃えあがっており、そこに残された者は絶望的なありさまでした。
ところが、奇妙なことに、ヤマトの船は陸に着けず、沖を西に流れており、追ってくる様子がありません。まるで潮の流れにそのまま流されているかのようでした。
ミシラ:『陸まで追ってこないとは、どうしたことだ。生き残りはないと見たのか?我々は助かったのか?』
松の木の下で、みな疲れを癒します。
ひととおり静まったころ、どこからともなく槌打つ音が聞こえてきました。
しかし、それはけっこう大きい音で、すぐこの近くといった感じです。
案内の密偵は、この裏の竜山という土地の一枚岩から、石棺を作るのに用いる石を切り出している音だと答えました。
ミシラ:『地元の者なら、食と暖を請おう。吉備兵と見て敵とみなすなら、殺さねばなるまいが』
密偵は、そこへ行き、交渉して戻ってきました。
密偵:『どうぞ、来てくださいとのことです』
五人の見張りをそこに残し、ミシラたち一向は、石切り場へと向かいました。
大きなつるつるとした岩肌の小山の中ほどに、一人の男が立って、ふもとの三十人ばかりいる石工たちの作業を見ておりました。大勢のいかめしい武者たちがぞろぞろ来るのに気がつきますが、少しも動じる様子はありません。
主人:『戦さですか。お困りのようですな』
ミシラ:『言葉からして、地元の方のようだな。
食と今夜の暖を請いたいが、我らはあなたがたにとって差し支えはないか』
主人:『我々は、石工技師ゆえ、戦さとは何の関係もありません。
ただこの切り出した石は、ヤマトに運ぶことになっているのですが、これも仕事ですからな』
そのとき、驚きの声が向こうから聞こえました。
ミシラは腰の剣の束に手をやります。
ミシラ:『何かあったのか?』
主人:『ああ、恐らく、あれを見られたのでしょう。どうぞこちらへ』
ミシラは、主人に伴われ、岩山を少し上りますと、なんとすぐ下に四角く見事に切り揃えられた大岩があったのです。そこには何人かの技師が、表面をきれいに研いでおりました。
ミシラ:『おお。これはなんと巨大で、見事な造形だ』
主人:『この岩山をくりぬきながらこの形に作ったのです』
ミシラ:『何なのですか、これは』
主人:『はは。これですか。これは生石(おふしこ)といい、未来の世界で人々の信仰を集めるとされているものです。我々が主といただく神が、直接見てこられたのです』
ミシラ:『こんなものを、どうなさる』
主人:『この面の向きにあるものを利益するのです』
そう言って、主人は海の向こうにうねうねと黒く横たわる山影を指し示しました。
ミシラ:『この方角には、ヤマトがあるのか?』
主人:『さようです』
ミシラ:『あなた方は、石工であろう?』
主人:『さようです。が、いちおうの呪術のすべは心得ておりますのでな』
ミシラ:『こんなもので、呪詛されてはかなわんな』
主人:『呪詛などは存じません。この場合は、加護でしょうな』
ミシラ:『我々は、敵対する吉備の者だぞ』
主人:『おお、それは失礼しました。我々は、報酬をいただいて頼まれれば、なんでもいたしますので』
ミシラ:『いやいや、我々を怖がる必要はない。一般人には、無害だ。不要な戦をするつもりは毛頭ない』
主人:『なら、安心しました。食と暖なら、いかようにもご用意させていただきましょう』
ミシラ:『ありがたい』
兵たちは、切り出された石が、すぐふもとで様々な造形に加工されている様を見物しています。
とくに人が集まっているものに、人物像がありました。
兵士一:『これはこの土地の者の表情ではないな』
兵士二:『俺はこの顔を、アキで見たことがある』
などと、話しております。
そこに主人は、ミシラを伴います。
ミシラ:『これはどこの国人の彫像なのか?』
主人:『これは、我らの祖先トマカクタリフ・ニキハヤヒの彫像です』
ミシラ:『異邦人のように見えるが』
主人:『我々の祖先は、遠い異国の地から、徳の高い指導者に従ってやってきました』
ミシラ:『その指導者とは?』
主人:『イスノカミです。いちど亡くなった後、復活して我らの祖先として蘇えられたのです。あらゆる物の道理をわきまえ、その知識を以て国を富まそうとなさいました。その偉業に習い我々も、役に立つ物の理屈を学んでおります。いまそちらで制作中なのが、イスノカミの神像です』
ミシラ:『このような造形の技術は吉備にも欲しいくらいだ。あるのは何とも似ぬ石の祭器ばかりだからな』
主人:『いずれ、ヒノモトは統一されましょう。そのとき、我々の腕の奮いどころとなるのです』
ミシラは様々なことを見聞きし、異国文化に触れた気がしました。
ミシラ:『明日の未明には、夜陰にまぎれて吉備に向かわねばならん。
何か、良い道をご存知ないか?』
主人:『我々は各地を歩いておりますから、知った道があります。
それはヤマトの息のかかった地元民にも分かりますまい。そこをご案内いたしましょう』
ミシラ:『それはありがたい』
ミシラ一行百人ほどは、この主人の次男と三男の先導で、獣道を通って山岳へと向かい、六日の後に、ミマサカへと落ち延びて、吉備に至る見知った道に出ました。
別れ際、気心知り合った石工の棟梁のせがれたちは、丸い淵をした不思議な造形物を見せます。
次男:『これは鏡というもの。ほれ、こうやってかなり離れた弟に向かって、日の光を照り返します。
すると、それを知った弟は、ほれ、ただちに向こうから照り返しを送り返してきたでしょう』
ミシラ:『おお、確かに。まぶしくて、直ちに分かるというわけか。ん?
そう言えば、山や木がこのように光るというのをよく目にしたが・・。もしかすると、これで・・?』
次男:『さようです。これで居場所を知らせたり、何をして欲しいか知らせることができるのです。
吉備ではご存じなかったのですか?ヤマトの下に入った部族では衆知のことですよ』
ミシラ:『これがあれば、もしかすると知らせはすぐに伝わってしまおうな』
次男:『そのとおりです。ヤマトの技術は、ほとんどが戦のためのもの。
それをご存知なければ、読み取り合戦には負けたも同然です。
お教えしておく甲斐があったというものですね。
しかし、吉備にも不思議はあります。
決まった場所に雷が落ちるところを何気なく見たのですが、どういうことなのか、この鏡と交換にお教えくださいませんか』
次男がミシラに言うには、吉備の南の渓谷に至ったとき、激しい雷を経験したとのこと。
それも、落雷は常にある決まった場所にのみ落ちているが、何ゆえでしょうかと申します。
どこかでミシラも目にはしていたものの、鏡の説明付きの魅力に引かれます。
これを戦利品として持ち帰れば、負け戦の理由も立つというもの。
ミシラは、軍事機密ながら、鏡をくれるというので、話してしまいました。
ミシラ:『うーむ。誰にも言わぬと誓ってくれるか?』
次男:『はい。私らは石工であり、ただ何事にも興味があるだけです。
ひと月もすれば、忘れてしまうでしょう。次々に良い話を仕入れておりますからな。ははは』
ミシラ:『よし、ならば・・。あれはな、驚くな。
黒金を最高の品物である真金に作り上げているところなのだ。
黒金は、精錬すれば得られる。だが真金にするには、それに雷を当てねばならぬ。
こうして、石すらも断ち割り貫く強靭な刀や槍が作れる真金ができるのだ。
雷は、なぜあそこにばかり起きるのかは、さすがのわしにも分からぬ。
一説には、あの谷に、吉備に好意的な竜が住むという。
竜の加護あるゆえ、ヤマトごときにひるんだりするものではないとされておるのだ』
次男:『雷を当てて、真金にする。雷は、竜の仕業。はあー。我々にも想像つかぬお話でした。しかし、紛れもなく真金はあり、不思議な雷も目撃しております以上は、なにか不思議なことがまだまだ世の中にはあるのでしょう。ただ興味を催すばかりです。どうかこれからも、個人的にお付き合い願いたいですね』
ミシラ:『うーむ。こちらとしても、そう願いたいところだ。どうだろう。吉備に商人として来てもらえたら、私が上のほうに紹介しようではないか。ま、これは表立っては言えぬが、真金の取り引きなども、いずれできるようになるかも知れぬ』
次男:『それはありがたいことです。親父殿もお得意様と新しい商材が増えて喜びましょう』
ミシラ一行はミマサカでこの二人に礼を言い、また再会を約して分かれ、それから見知った道を辿り、吉備に二日後に到着したのでした。
第八章(製作中)
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