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少名毘古那の神


 
地球外知性の支援


 大国主の時代に地球外知性が訪れ国造りの援助をして去っていったことを語る。

―――――原文 少名毘古那の神―――――
かれ大国主の神、出雲の御大の御前にいます時に、波の穂より天の輝身の船に乗りて、ヒムシの皮を内はぎにはぎて衣服にして、寄り来る神あり。ここにその名を間はせども答へず、また所従の神たちに問はせども、みな知らずとまをしき。ここにタニグク白してまをさく、「こはクエビコぞかならず知りたらむ」と白ししかば、すなはちクエビコを召して問ひたまふ時に答へて白さく、「ここは神産巣日の神の御子スクナビコナの神なり」と白しき。
 かれここに神産巣日御祖の命に白し上げしかば、「こはまことに我が子なり。子の中に、我が手俣より漏きし子なり。かれ汝アシハラシコヲの命と兄弟となりて、その国作り堅めよ」とのりたまひき。かれそれより、オホチムヂとスクナビコナと二柱の神相並びて、この国作り堅めたまひき。然ありて後には、そのスクナビコナの神は、常世の国に渡りましき。かれそのスクナビコナの神を顕し白しし、いはゆるクエビコは、今には山田のソホドといふものなり。この神は、足は歩かねども、天の下の事をことごとに知れる神なり。
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農耕文化時代の宇宙人との連携による国づくり

 スサノヲより国造りの手ほどきを受けてから後も、他系世界から協力の手がさしのべられた。
 スクナビコナは、天のカガミ船すなわち光輝やく船でやってきたということと、蛾の皮を思わせる衣服を着ており、背丈が小さかったという姿からスサノヲとはまた違うタイプの宇宙人であったと考えられる。名を問うて答えられなかったのは言語の違いによるのだろう。そこでタニグク(谷潜)という峡谷に住む知識者に問うたところ、クエビコ(朽壊日子)なら知っているという。これはやはり老境の賢者であろう。恐らく古い過去の知識を扱い、長い歴史の変転を知っていた者と思われる。彼は友好を示して来た宇宙人と農耕民族の橋渡しをしたに違いない。
 ここでいう「神産巣日」は地上からみると隠れた世界である宇宙文明を示し、スクナビコナはその一組織であることを物語っている。そしてしばらく協同作業をして、役割が終ると、彼は再び宇宙(常世の国)に帰っていったというわけである。
 この結果、前述の「大年の神の系譜」にあるように、霊妙な総合的科学のもとに堅固な叡智の統治体制が確立したわけであろう。





 御諸の山の神へ 

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