丹後の元伊勢周辺伝承



写真1
日室岳

天照大神の御陵と伝えられる

この北数百mに、天の真名井伝承の井戸がある

元伊勢内宮の御神体山
写真2
内宮港石(つなぎ石)

舟岡山を繋ぎ留めておくための石と伝承される

この前方数百m四方は、古来、家畜を入れて耕作してはならない禁忌地とされていた
秀真伝に書かれるには、天照大神の神話時代の執政地がこの地である。豊受大神は彼の祖父で、彼の養育全般に関わったとさ れ、このゆえ内宮と外宮に対置して祭られることになったという。出雲の役人が不正を働いたのをきっかけにこの地で執政されるようになり、この時に、世界を 行幸するために使われたのが、天駈ける舟だったという。
”流れる”舟岡山とは、地すべりで流れ出す山のことであろうはずがない。またこのような名前の山は、この近辺にはない。豊受大神の舟岡山とは、”山のよう に大きな豊受大神の天駈ける行幸船”のことであったのだ。
それを少なくとも二箇所で繋ぎ止める仕組みがかつてあったのだろう。そのモニュメントが、このツナギ石ではなかったか。

この地には、UFO目撃者も多い。それも、ハンパなUFOではない。数十mあるいはもっと大きいサーチライトのような球体で、下方に明滅する光を放つとい う。それが、何度の目撃の時も、内宮裏の日室岳周辺から出て、外宮裏の矢部山に入っていくように見えるというのだから、まるで神話時代が目の前にあると いった想像を、私などはついぞしてしまう。
目撃者によれば、矢部山の中に地下基地でもあるのではないかと思うくらいだとのこと。
ただこの目撃も、霊的資質のある人物に限られているようなので、地元民といえども、すべてがすべて話題にしているわけではなさそうだ。

古事記の神話にも、石のモニュメントについて書かれている箇所がある。イザナ ギ神が黄泉の国から帰還直後、御身を洗われた時に、投げ捨てた持ち物から生まれた七通りの神々が、それぞれ巨石遺構を語っている。この中のツキタツフナド ノ神という道祖神が、どうやら、このような港石であると考える次第である。
写真3
矢部山

むかし、神々が矢を射る練習の的にしたとされる山であるため、この名がつくという

実際、落雷時には、この山上のほぼ一定の箇所に決まって落ちるという
写真4
二俣港石(つなぎ石)

内宮つなぎ石とペアーになるつなぎ石とされる

詳細は立て札に
写真5
水戸神のイハクラ 伝舟ツナギ石
二俣港石は、内宮港石と共に豊受大神の舟岡山が流れないようにと の舟ツナギ石だという伝承がある。動かすとタタリがあるといわれる。角柱で三米以上もあるが、河田谷から出る柱状節理の自然石らしい。この石は、昔の宮川 の流れに沿って祭られている。川は湾曲して流れ、東流して碇が淵に出て、磯野を通って由良川に注いでいた。この石も真井の石井の水を守る水戸神のイハクラ と見るべき史蹟である。



風 変り遺跡探訪


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