物語 |
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たまとしてうまれ
「わたしは、もう生まれ出ることはできないのかな」
ひとつの命が悲しそうに、ぶたいの上のできごとを見るように、あの世からこの 世の光景をながめていました。いま、目の前に見ている男の人を、お父さんとし て生まれてくるはずのさだめの命でした。でも、この人はお母さんになる人とう まくめぐり会うことができず、老人になろうとしていました。
「神様。この人に少しでいいから甘えたいんです。どうか見すてないでください」
そうした何十回目かの祈りのときでした。うずまきが近づいてきて、この命をい っしゅんのうちに巻き込んだので、命は気を失いました。
「みゃーみゃー」 「みゃー」
気がつくと、なかまたちがとなりにいました。 自分も「みゃー(おなかすいたよう)」としか言えません。
そこは、高層団地の立ち並ぶところで、その間にできた公園の茂みの中でした。 命は、めすの子猫として生まれたのです。しかし、いきさつを何もかもわすれて おり、ただあたたかい母猫にすり寄って、乳を飲むのがせいいっぱいでした。
でも、そんなおだやかな日は長くありませんでした。ある日、自分の食べものを さがしにいった母猫は、もう帰ってきませんでした。
母猫は、はじめ人にかわれていたのですが、子供がおなかにできたときにすてら れ、公園の茂みの中で、4匹の子猫を生んだのです。少しえいようをつけようと、 えさをあちこちとさがし回るうち、なれない道路に出て車にひかれてしまったの です。
子猫たちは、めいめいで生きていくしかありません。おなかのすいたなかまは、 一匹また一匹と茂みを出ていきました。中には運よく、人にひろわれたものもい たようですが。
「みゃー」<おなかがすいたよ>
めすの子猫もえさをさがしに茂みを出ましたが、ととのった団地のこと、ほとん どえさらしいえさは口にできませんでした。 3日目になると、もうひょろひょろでした。冬がはじまるころで、冷たい風が吹 きつけました。
「みゃー」<さむいよ>
まわりのけしきも人もすべて大きく、恐いもののように見え、ただやみくもに歩 きました。
ふと、道路を横切ったとき、大きなものかげがとてもあたたかいのに気づき、そ こにとどまることにしました。実はそれは、赤信号でとまったタクシーの下だっ たのです。
さすがにタクシー運転手でした。子猫が車の下にもぐったのを見て、それきりな のでしんぱいになり、外へ出て下をのぞくと、あんのじょう、子猫がタイヤにす り寄るようにしているのでした。
「こらこら、あぶないぞ」と、運転手は手を伸ばして子猫をつかんで、そばのう えこみのところにおき、車にもどりますと、また子猫は車の下に走りこみました。
信号も青に変わり、運転手は手ぶりで後ろにきていた車にあやまりながら、また 子猫をつかみだします。するとまたもとにもどってしまいます。 こうしたことを3回もくりかえすと、運転手もわけをさとります。
「そうか、わかった、わかった」と、あたたかい車の中に入れてやり、ミルクを 買ってきて飲ませてやりました。
「ちっちゃいやつやなあ」
子猫はおとなしく、ざせきの上でじっとしてうずくまっていましたので、運転手 はもとのところにもどすのがかわいそうになり、仕事を早く切り上げて、家につ れて帰ることにしました。
車から家まで、運転手の両手にのせられてはこばれるとき、子猫の心になぜかい いあらわせないよろこびがわいてきて、「ごろごろ」とまんぞくそうにのどを鳴 らしました。 そうです。この運転手が、この命にとってお父さんになるはずの人ではなかった でしょうか。ふしぎなめぐりあわせでした。
しかし、この人は、それほどうれしいわけではありませんでした。自分の将来の もんだいが山積みになっていたのです。 おまけにこの人も、この人の家族も、動物を家の中でかうことがきらいでした。
それでしかたなく、家の2階の小さなベランダが子猫にあたえられ、毛布と、ト イレ用の砂場が用意され、またこのときに、「たま」という名前がつけられまし た。
たまは、この人に甘えたくてしかたがありませんでしたが、この人は仕事がら、 あまり帰ってこないし、家にいてもえさをやるときしか来ませんでした。 戸は閉められたままで、たまはさびしくベランダであそんだり、毛布に入って寝 ているのでした。
それでも、ひさびさににこの人が来ると、寝ていてもすぐに起き出してきて、す り寄って、せいいっぱい甘えました。それはもう、犬にもひけを取らないくらい でした。
ところが、やがて良くないことに、この人は、もんだいの解決をあやまり、ひど く落ち込んでしまったのです。
八つ当たりでしょうか。すり寄るたまの手足をせんたくばさみではさむと、たま はあまりのいたみにびっこを引きました。でも、いたがりません。
また、首ねっこをつかまえて、となりの家のやねに放り投げました。 まだやわらかい足のうらは、ひどくいたみました。でも、たまは、いたくないよ と、じょうずに飛んでもどってきました。
<どうしたら、気に入ってもらえるんだろう>
ところが、ある日、こんなことを言われました。
「たまよ。お前が来てからろくなことがないよ。お前はもともとのら猫だったし 、それが猫にとっていちばん幸せだと思う。おれはお前が一人前になるまでえさ だけはやろう。だが、そのうちここを出ていきなさい」
たまは、表には出しませんでしたが、言われたことがよく分かり、すごく悲しく なりました。それからは、同じように甘えてみせても、少しひかえ目にして、こ の人のごきげんをうかがうようになりました。
そんなある日、近くに住んでいるのら猫が、ベランダのすぐ横にやってきました。
「おい、お前。だいぶ前からここにいるようだが、かい猫ならともかくも、のら 猫なら、このへんはおれさまのなわばりだ。出ていってもらわにゃならんな」
「わたしは、かい猫よ」
「だが、お前、家の中に入れてもらえないでいるじゃないか。それでもかい猫と 言えるかよ」
「家の中にも入ってるよ」
「ほーお。だったら、家の中に何があるか言ってみな」 「・・・」
そんなことがあって、この人が来るたびに、開いた戸のすき間からなんどか家の 中に入ろうとしました。
うまくこの人の手をすり抜けて入ると、見たこともない部屋のなかでした。 「こら、待て」と追いかけてくるのを、ものかげにかくれて、やり過ごそうとし ましたが、目につくものをおぼえておこうとする前に、つかまってもとにもどさ れてしまいました。
「こまったやつやなあ」
そのようなおいたをしたぶん、この人が来ることも少なくなりました。
それでも大きくなって、人でいえば、15,6才というところでしょうか。もう 自分だけでやっていけると思うようになったある日、やくそくを守ろうと決心し ました。
ベランダからおりて、1階の窓に面したへいの上から中をのぞくと、あの人の家 族がいました。 あの人がいないときにかわりにえさをくれた人です。
「ニャーン」となくと、その人は気がついて、窓からのぞき、「おや、どうした の」と言いました。
そのとき、3けんとなりの家の犬が、たまに向かってさかんにほえました。
たまは、もういちど、その人をふりかえって見て、「ニャーン」<さようなら> と言いました。 そして、へい伝いにそこを去って行き、再びすがたを見せることはありませんで した。
家族からそのことを知らされた運転手は、言い聞かせておいたこととはいえ、思 ってもみないできごとに、はじめてたまにたいして、もうしわけないことをした と思いました。そして大切な肉親をなくしたような気持ちになりました。
そして、ふとつぶやきました。「いつでも帰ってこいよ」と。
何か目的を持って生まれてくるのかも知れません。 特に人間と関わり合いを持つことになる生き物に対しては、 そうした目を向けてやることが大切かと思います。 そうすれば、何か思い当たる節があるかも・・。
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