オクトの森の物語
作/奥人
日本のあるところに”オクトの森”と名付けられた森がありました。
その名前の意味は、”良心によって永久に保存された森”だとのことです。
これは、その森にまつわる物語です。
むかしからその森は、手付かずでした。
一世代前の木々が古くなり、その間から出てきた新しい若木たちに、
居場所をゆずるように枯れておりました。
それは、この森で遠い遠い昔から行われてきたことでもありました。
葉は落ち、むき出しの幹と枝さえ白くなり、
いつ倒れてもおかしくない風情で老木の楮立する様は、
森のいたるところで見られる光景でした。
実際、若木たちの周りでは、嵐のたびにどれほどかが倒れ、
嵐の翌朝には、日の光が多くさして、まばゆく感じられるほどでした。
ある若木が言います。
「おじいさん。まだたおれないでね」
老木は、若木を見ながら、言います。
「いいや、もうすぐいなくならんとな」
「いやだよ。おもしろい話を聞けなくなるじゃないか」
そのほかの若木も、みな困ったふうです。
木たちは、大地に根を下ろしているため、どこにも行くことができません。
だから、この近くに立ちよった鳥の話や、
ときおり通る人間の会話などを聞いて、自分なりの知識を得ていたのです。
長年生きてきて蓄えた知識を、新しい若木たちに教えるのが、
老木たちには喜びでした。
若木が質問してきたときには、威厳をもって、快く答えますが、
時にはいじわるっぽく、
「おまえたち、仲良くしないと、この話の続きをしてやらんからな」
と、じっとだまってしまうこともあります。
でも、若木たちが言いつけを守ったと見ると、
「よしよし、では続きを話そう」と、もったいぶって話す老木もいます。
そんなとき、若木たちも、いろいろうわさ話をします。
「この世界で、いちばん物知りなのは、だれだろう?」
「いちばん長老の黄まだらツゲのおじいさんさ」
「うん。このあいだ、いちばん長老だった、
ふたこぶブナのおじいさんが、なくなったもんな」
そんなとき、ケヤキの若木のフタルが、いつものことながら、
少し変わった意見を言います。
「いいや、ぼくのとなりのひげじいさんがいちばんさ。
だって、ほかのおじいさんからの話は、みんな誰かが、
また聞きして伝えているだけだもの。
もしかしたら、そのあいだに、話がまちがって伝わっているかもしれないだろ。
そのてん、ひげじいさんからは、じかに聞けて、間違いないからね」
ツゲの若木のニコロは、フタルの親友です。
「うーん。そうかも知れないな。うーん。
フタルにはなんだか、いつもやり込められてるような気もするけど・・」
「わたしはフタルの言う通りだと思うよ」
スモモのロンちゃんは、利口なフタルに好意を持っています。
というのも、ロンちゃんは、フタルからいろんなことを教わってきたからです。
いつのまにか、昼寝から覚めたひげじいさんが、これを聞いており、
話の輪に加わってきました。
「はっはっは。フタルはものごとをよく考える子だな。
だがな、風が吹けば、風がもっと遠くのおじいさんの話を届けてくれる。
聞こえてきたことがあるだろう」
「あるよ。でも、風のまた聞きといって、よく聞き取れない。
びゅーびゅー、別の音も混じるしさ。
だから、けっきょく、いちばん物知りは、
ぼくのそばにいて直接話してくれるひげじいさんさ」
ひげの枝をたくそん生やした老木は、
ふうん、なるほどと、この子の利発さに感心しました。
<この子なら、なにか違ったことができるかもしれんな>
「そうか、では教えてやろう。
この世界でいちばんの物知りは、人間だ。
彼らは、自分たちの力で、この世界の仕組みを解き明かそうとしているという。
この話は、たまたま二人の人間が、
わしの下で雨宿りして言いあっていたのを、直接に聞いたんだ」
「いままでよく、人間の話をしてたよね。ひげじいさんは」
「そのときのとっておきの話をしよう。
二人のうちのひとりが、空を見上げながら、こう言った。
『あーあ。人類は、空のまた上にある宇宙まで知るようになったというのに、
雨降りをどうにかする方法がわからんとは情けないなあ』とな。
なんでも、宇宙というのは、星たちがいるところだという。
空高く上がれば上がるほど、
いまここにある世界の全体がわかってくるとも言っていたな」
樹木だってそうです。背が高くなればなるほど、遠くが見渡せるため、
背の低いものより多くが見聞きでき、物知りになるというわけです。
逆に、足もとの細かいことについては、うとくなるのが常ではありましたが。
そのとき、はっと気がついたように、フタルは言いました。
「そうだ、ぼく知ってるよ。
ぼくがまだこのへんに小さい葉を出していたとき、
見知らない人間がやってきて、ぼくを踏みつけながら、そんなこと言ってたね」
「おお、そうか。おまえはよく覚えていたなあ」
「そうだよお。とても痛かったんだから。
でも、おじいさんは、空にまたたく星のことは話してくれても、
星が宇宙にいるだとかは、いちども話してくれなかったから、
人間のことだって忘れてたよ」
「そうだな」
ひげじいさんは、あのときのことを思い起こしました。
宇宙。あの話には、まだ続きがあって、
人間のもうひとりが、とても怖いことを言っていたのです。
理解できることで、のちのちにとって良いと思われることを話すというのが、
この森の習わしだったために、話すべきでないこととして、
ひげじいさんひとりの胸の中に収めておこうとしていたのでした。
<だが、この子なら・・>
「フタル。おまえなら、空のまた上にある宇宙というものが
わかるかもしれない。
あの人間たちの話と、わしが伝え聞いた話をまとめて話してやろう」
宇宙は、雲のまたさらに向こうにある青い空の、
まだ向こうにあるというところ。
日が隠れて、青い空が見えなくなったときに、
月や星たちを連れて姿をあらわすところ。
ここまでは、樹木ならおよそ知っていることです。
しかし、人間はその星たちに直接会って、彼らの秘密を聞き出そうと、
ロケットという機械を使って、宇宙を目指して飛んでいこうとしているということ。
これは、人間の話を聞いたひげじいさんが、
これから語ろうとしていることでした。
ところが、話の先には、若木たちに教えるべきではないと
思われる部分がありました。
宇宙に飛んでいくための準備として、近いうちに、
この森を焼き払わねばならなくなるという話が続いていたのです。
宇宙開発。それは、人にとって、限りないロマンがあります。
しかし、その反面、犠牲にするものもたくさんあります。
たとえば、このような開発で失われる森はたくさんあります。
むろん、人が生活しやすくするための街作りなどの開発もあるでしょう。
しかし、逆に、森に住みつく木々、リス、鼠、蛇、カケス、ミミヅク、
その他いくたの生き物が、住みかを追われることになります。
ひげじいさんの下で雨宿りした二人の人間とは、
宇宙開発の準備をする調査員だったのです。
さすがに、そのことばかりは言い出せなくて、
ひげじいさんは口ごもります。
でもそれでは、いままでたびたび言い出しかけては、
やめたことの繰り返しになります。
<こんなことを話せば、フタルにとどまらず、
この森じゅうが騒ぎ出すじゃろう。
だが、いつかはくること。
わしにもよくわからんが、
この子は未だかつてない素質を秘めておるようだ。
もしかすると、宇宙という、雲をつかむようなところといえども、
この子はなにかつかんで、人間よりも早く、その秘密を知るかもしれない。
そうすれば、人間がなにかおかしなことをしはじめる前に、
伝えてやれるではないか。
そうすれば、森も焼かれずにすむ。
・・・ひとつ、意を決して・・・>
こうして、ついに人間の計画について、フタルに話をしました。
むろん、そばにいたロンちゃんやニコロにも聞こえます。
そばのその他の若木ばかりか、老木までも、
理解するしないは別として、聞いてしまいます。
たぶん、この森が近い将来失われると、多くの者が気付いたことでしょう。
ひげじいさんは、ここまで言った限りは、覚悟を決めて、一気に話します。
「わしは、これだけ大きくなってようやく、雲が下まで降りてきたときに、
雲と話ができるようになった。
それまでは風の便りでしかなかったために、まちがいも多かったことを、
雲から知らされたものだ。
いいか。おまえたちも、いろんなことを知りたいと思ううちに、
とても話ができると思えないようなものとも、話ができるようになるものだ。
フタルよ。おまえは、わしよりも、もっともっと大きくなれる。
そういう種族であることは、だれもが知っている。
ただ、我々の掟が、それを許しておらんだけなのだ。
その掟をこの際、曲げることだって、必要なこともある」
ひげじいさんが、みなの反応を見ようと、ひとしきり黙り込みますと、
みなも分かったのか、黙り込んでしまい、あたりは静寂に包まれました。
それからは、ヒソヒソ話のような会話があちこちで聞かえ、
あたりには風もないのに静かなざわめきがいつまでも続いていました。
それは、聞いていなかった多くの者たちへと、どんどん広がっていきました。
時には、枝に止まる鳥が聞いて、別の木の枝に移って話しました。
こうして、森全体の木々が、ただならぬふんいきに包まれたのです。
早々に、森の長老会議が開かれることになりました。
離れた長老同士の間をつなぐ伝令は、二羽のミミヅクが務めます。
何でも知っていそうに見えるミミヅクですが、
森の外のことについてはあんがいうとく、こうしたときには伝令役に徹します。
会議では、初めてのことはするべきではないという意見が多数でした。
「子孫が焼き払われずにすむのなら、
今こそ伝統を破っても良いのではないか」
「外のことをよく知らず、退屈しているものも多いことだから、
新しいことをもっと知ったほうが良い」
このような意見は、はるかに少数でした。
けっきょく、この新しい提案は通らずじまいでした。
そのうちに、十年が経過し、まわりの木々も長老たちから順に
一つへり二つへりしました。
かわりに、若木たちの大きく育って、みずみずしいこと。
老木たちが出した枯れ葉の堆積が栄養になり、
また幹も長い間に朽ちて、豊かな土になり、
また深くどこまでも張った根は、雨の降らない時期でも、
たくさんの水をたたえていましたから、
若木たちはさほど苦労もなく幸せでした。
その光景を見ることは、今まさに死に行こうとする
老木たちにとっても、幸せなことでした。
命が、次の世代へと、バトンタッチされていくわけですから。
ひげじいさんは、まだ健在でした。
いつしか、あまり先のことを思い悩むことを、やめていました。
しかし、ときおり思い出されるのはあの人間のこと。
もうあの話は、立ち消えになったのだろうか、と。
そのようなときでした。
人間たちが大勢で、まっすぐの棒や重そうな機材を持ってやってきたのです。
老木たちは、何ごとかと、警戒しはじめます。
彼らの話をうまく聞きとってくれよと、人間の間近にいる老木に促します。
「よしきた」
ところが人間は、この声が聞こえたかのように、
その老木をまさかりで、いきなり切り倒してしまったのです。
「なんと、ひどいことを。
人間たちは、とうとう我々と戦をしにきたのだろうか?」
木々たちは、ますます恐いほどに警戒し出しました。
こんなことは、今までなかったことでした。
すると人間たちは、倒れた老木ばかりか、まわりの若木さえも切り払い、
土をむき出しにしますと、持参した棒を手で支えたまま立っているのです。
みな同じように切り払われてしまうのではないか。
そんな感じが、森全体に伝わりました。
風が吹いていても、あたりには静けさが漂います。
木々は目くばせして、じっと黙っておくように指示します。
鳥たちも、木々の気持ちを察して、様子をじっと見つめています。
すると、まさかりを持った、いかにも悪そうな人間は、
それ以上を切ろうとはしませんでした。
みなそれで黙って待っていると、何人もの人間がやってきて、
あちこちに棒を立てては、しばらくすると移動したりをくり返しています。
実は、彼らは測量技師だったのです。
このころ、人間たちは宇宙開発のための基地の用地を、
どこに定めるかということで、候補地の調査を行っていたのです。
三人の異なった服をきた人間が、木々のそばで話し合っていました。
森のおい茂ったほうを指さして、ひとりが言います。
「この場所に宇宙行きのロケット発射台をもってこようと思います」
それははっきりと聞き取れました。
「この森を残してくれという地元民も多いのですが、
なんとか私のほうで説得しますので・・」
などと言っています。
木々たちは、何が起ころうとしているかを理解しました。
それでなくとも、じゃまくさそうに森を見つめる
人間のふんいきでわかりましたから。
人間たちは、夕刻に去って行きました。
さっそく、久々ではありますが、森の長老会議が開かれました。
「ツバメやツルの話では、
南の森がひとつまたひとつと消えているそうじゃ。
ここも残された時間は、少ないみたいだのう」
いまでは最長老のブナがきり出します。
みんなの顔に、暗い絶望感が漂っていました。
「ならば、いっそ前に立ち消えになった、
フタルに宇宙と話をさせる案を考え直してみてはどうか。
ひげじい、どう思うね」
「ああ、エヘン。わしは、とても賛成だ。
宇宙や星と話ができれば、彼らの秘密を聞き出すことができる。
それを人間に教えてやれば、
人間はここを切り払うようなむだをしなくてもすむ。
フタルはとても利口な青年になった。
宇宙と話してみたいという夢も持っている。
ここは、彼に託してみてはどうかと思うが」
「うん。そうだ、そうだな」
みなは賛成に回りました。
こうして、森ぜんたいに、
いままでの掟の大規模改革案がふれ回られたのです。
それはフタルに、地面や日差しからのありとあらゆる栄養を
優先的に与えようというものでした。
そうすることによって、フタルは、ぐんぐん背丈を増し、
雲ばかりか、空のかなたにまで枝を伸ばすにちがいありません。
当のフタルも、やりたいと申し出ましたし、
これから伸び盛りの若木たちも、この案に賛成してくれました。
「しかしながら、フタルよ。
お前はみんなの犠牲によって大きくなる以上、
お前が得た知識は、みんなにも教えてやってくれよ。
わしらは、まだ試みたことのない、人間との会話の仕方を考えてみよう。
人間たちに、お前が得た知識を教えてやるためにな」
こうして、フタルは、他の木々たちが食事をひかえる中で、
ぐんぐん大きくなりました。
どれほど時間がたったでしょう。
フタルの幹は太く、枝ぶりはりっぱになり、葉は生い茂り、
フタルの下には日差しのささない大きな場所ができるほどになりました。
背の高さも、なみたいていのものではありません。
何百年かかって大きくなった大木さえしのぐほどです。
フタルは、まず近くに寄ってきた雲と話をしました。
「雲さん。ごきげんさん」
「ああ、ごきげんさん。えらく大きいね」
「そうだよ。遠いところまで見渡せるようになったさ。
でも、それだけがぼくの理想じゃないんだ。
空に伸びて、星のある宇宙にまで行くつもりさ。
君はいつも高いところにいるけど、宇宙について知ってるかい」
「うーん。そんなところは知らないなあ。
昨日生まれて、おれはこの空だけを漂っている。
いつまでこうしておれるのかさえわからないよ」
それから何年かたちました。
空の高みばかり見て、いよいよ大きくなったフタルは、
ついに青空と話をしたのです。
青空と話ができたものなど、いまだかつて、どの森にもいません。
「青空さん。ごきげんさん」
「おお、ごきげんさん。ひときわ目立つようになったね」
「青空さんは高いところにいるけど、宇宙について知ってますか」
「宇宙ねえ。私のさらに高いところにあるんだが、隔たりがあってねえ。
直接話をしたことがないんだよ。
なるほど、雲さんから聞いたが、
君は宇宙まで行くのが希望なんだって?」
「そうです。人間の考えを思いとどまらせるために、
ぼくが先に行って秘密を知って、
人間に教えてやらなくてはならないんです」
「そうか。でも、人間はあてにならないよ。
他のところではもう宇宙に向けて、ロケットを飛ばしている。
宇宙で知った秘密は、みんな自分のものにしてしまって、
他の人間に教えようとしないので、
あちこちで飛ばさねばならないみたいなんだ。
君が秘密を教えたからといって、それで終わるとも思えないがなあ」
「それでもぼくは、この森を守るために、
人間にとって有用な存在にならなくてはならないんだ。
何でも知っているぼくがいることによって、
人間はこの森に悪さをしないだろう」
ふと気がついて、フタルは、自分が守るべき足元の森を見下ろしました。
彼を中心にして、大きな円を描くように、
立ち枯れかけた木々が重なり合っていました。
そこには、ひげじいさんの亡きがらはじめ、
同じころに生まれた友達のやつれた姿がありました。
中には、まだ青い葉をもつものもありましたが、
それとてちぢれて、病気の様相をていしています。
「ああ、たいへんだ。こんなふうになっているとは、
気がつかなかったなあ。
ぼくはまだなんにもできていないよ」
青空は、それを見て事情を察したようです。
「よし。私も君のために手を尽くしてあげよう。
私は、雲や風や鳥と仲良しだ。
彼らが宇宙について知っていることがあれば、聞き出しておこう。
それに、この地域だけは、嵐が来ないように計らってあげるよ。
まだまだ先は長い。思う存分大きくなりなさい」
フタルは、森のみんなに、第一回目の報告をしました。
宇宙のことはまだわからないこと。
高いところから周囲を見渡して、どんなことが分かったか。
雲や青空との話で、どんなことが分かったか、など。
そして、みんなの健康の具合を聞きました。
「みんな、だいじょうぶかい?」
「ああ、心配せんでいい」
「もっとたくさんのことを知って、伝えとくれ」
「おまえの話をこれからも聞くのが、楽しみなんだ」
この森でとうとう長老としては最後となったクヌギは、
泣きながらこう言いました。
「青空と話をしたものは、未だかってなかった。
やはりフタルは、立派なやつだった」
可憐な花をつけるロンチャンも、
にっこり笑って、がんばっています。
みんな手放しで喜んでくれたのでした。
しかし、それからがたいへんです。
さらに何年かが経ちました。
上へ上へと伸びようとも、いっこうに宇宙が近づく気配はありません。
青空も、妙案を考えついて、
宇宙から帰ってきたロケットから、宇宙について聞こうとしましたが、
そんな話に関わっているひまがないと断られたそうです。
また、流星から聞こうとしましたが、
話を切り出す前に燃え尽きてしまったとのこと。
そんなある日、森に良くないふんいきを漂わせる人間が入ってきました。
「見てください。あの大木をのぞいて、この森は全滅に近い状態です。
森を撤去するには好都合かと思いますが」
「だが、村の連中が、あれはご神木だと称して、なかなか承知しない。
迷信ぶかい学のない連中には、ほとほと困る。なんとかならんのか」
「たくさんの金を用意して、説得しているのですが。
まあ、今もう少しというところです」
こうして、去って行きました。
次の日には、また別の人間が森に入ってきました。
「このご神木の幹に、しめ縄を張る。
大きいから、たいへんだが、おまえは縄のそっちを持て。
おまえはこっちだ」
「すごい幹だ。こんなの切り倒したりしたら、ほんまに祟りを受けるだぞ」
こうして縄張りの作業を終えると、去って行きました。
そのまた次の日には、また別の人間が入ってきました。
しかし、たったひとりでした。
これでは会話は聞けないと思いましたが、ところがその人は、
フタルに向かってひとりごとのように語り始めたのです。
「この森は、この木一本によって養分が吸い取られたようになっていて、
まるで瀕死の状態だ。
しかし、ここの植生は、実に多彩で、もったいないくらいだなあ。
なんとか、もとに戻して保存できたら良いのだが。
開発の予定地でもあるし、いずれにしても存続は見こめないか」
フタルは、この人のふんいきの良さに引かれました。
「もとに戻して存続するには、どうしたらいいの?」
と、問い掛けてみたのです。
すると、その人は、何かふと思いついたように、ひとりごとを言いました。
「この木がまず葉を落として、日が差し込むようになれば、
ここらの木の光合成が盛んになって、少しずつ回復してくるだろうな」
それなら、フタルの一存で、どうにでもなります。
しかし、自分の役目はどうなるの?
「ここが人間によって、つぶされたりしないようにするには
どうしたらいいの?」
その人は、あたりを見まわすでもなく、
思いついたように、ふとつぶやきました。
「基地を作ろうとするものが、ここをあきらめて、
別の候補地にしてくれればいいんだがなあ」
その人の漂わせるふんいきは、フタルにとって心地よく、
ほかの人間とはまったく異なったもののように思えるのでした。
フタルは、そのふんいきに、心を任せてみました。
すると、風や、雲や、青空たちと話をするような感じで、
自然に会話が始まったのです。
「人間さん、ごきげんさん」
「ああ、ごきげんさん。君はとても大きくなったね」
「うん。これにはしかたのない理由があるんだ」
「そうだろう。よほどの事情があったにちがいないと思ってるよ」
フタルは、その人の心と、直接に話をしているのでした。
なぜなら、その人は、フタルの幹の下で、
病気で小さくちぢれたブナの葉の具合について、
ノートに書き記していた最中でしたから。
つまり、この人は、植物学者だったのです。
こうして、しばしのときを語らい合いました。
人間が何をしているのかとか、植物全般のこととかです。
しかし、宇宙の秘密について聞こうとしても、この人は、
宇宙は無限に広いとか、星がたくさんあるとかいった
ばくぜんとした返事しか返してくれません。
それはそうでしょう。
心が認識するのは、細かい知識などではないからです。
それよりも、この森の生態系にとって
致命的な存在になっているのが、君だよと指摘されたときには、
いかに事情が事情といえど、フタルには相当こたえました。
みんなに与えられるべきあらゆる養分を
吸い取ってしまったのは、僕なんだから。
「フタル。あなたは、わたしの憧れだった。
わたしはあなたにとくべつに見てもらおうと、一生懸命背伸びしたのよ。
でも、あなたは遠くなるばかり。
それでわたしは、あなたの理想のために、肥やしになることに決めたの」
かつて、そんなふうに言ってくれたロンちゃんも瀕死の状態。
フタルのはるか足元で、茶枯れた葉を無残にさらし、
ただひとつだけ、やせたスモモの実を咲かせていました。
<ロンちゃん。君にまで>
もういちど、この人の心に問い合わせます。
「ここは、まだ、もとのように回復できるでしょうか」
「うーん。まだ、なんとかなるだろう」
やや確信に満ちた答えが返ってきました。
そのとき、フタルの大きく張り出した枝葉が、ざざ、ざざと音をたて、
この人にもなにごとが起きたかと見上げさせるほどでした。
ここにも日が射すようになれば、光合成ができるようになり、
木々は活力を取り戻す。
翌日、今までみずみずしい緑をたたえていたフタルの葉は、
色あせ、ところどころ茶褐色になっていました。
そして、日がたつにつれ、それは広がり、
風が吹くたびに、さらさらと舞い散るようになりました。
風や雲が、最近顔色が良くないが、
どこか具合でも悪いのかとたずねてくれました。
しかし、フタルは返事をしませんでした。
青空が、どうかしたのかと尋ねてきましたが、やはり黙ったままです。
あれほど人なつっこかったのに、どうしたことかと、みんな心配しました。
そして、どれほど経ったことでしょう。
よく晴れたある朝のことです。
たくさんの自動車が、この森のすぐ横までやってきたのは。
朝早くからやってきた人々は、「断固反対」と書かれた
板を手に手に持って、森のまわりに陣取りました。
やや遅れてやってきた車からは、
手に手にチェーンソーを携えた人々が降りてきました。
しばらくその二つの勢力は、押しあいへしあいしていましたが、
やがて三番めの車がやってきて、そこから降りてきたたくさんの人々が、
板を持っていた人々をどこかに追いやってしまいました。
森に向けられたふんいきは悪意に満ちていました。
もう、森の木々たちの押し黙り作戦はききそうにありません。
それでなくとも、活力不足と、ひしひしと押し寄せる絶望感で、
言葉すらも出せないのでした。
まず、チェーンソーが、フタルの立っているところまでの道を開くために、
森の東の端から入れられました。
半ば立ち枯れた木立は、それでも精一杯抵抗しましたが、
どうしようもありません。
倒れ向きざまに、作業員の足を傷つけたものもおりましたが。
そのとき、遅れてもう一台の車が着き、
そこからあの植物学者が降りてきました。
そして、森にそびえるフタルの、あれほど青々とおい茂って
空を一面覆っていた葉が、茶色に変わり、
空を透き通らせるほど乏しくなっている光景に驚きました。
「わずか一月で、このありさまか!!
森の終わりを悟って、自ら滅びようとしているのだろうか?」
初めて目の当たりにした自然の鋭いまでの反応に、
学者はあぜんとしたのでした。
「植物が意識を持っているという説を唱えるものはいたが、よもや」
学者は、初めて立ち入った時に感じた、
不思議な心地よさを思い返しました。
あれは、単なる森林浴の効果ではなかったのかもしれない。
そして、暗に、この大木をなじったことに思い当たり、後悔するのでした。
フタルは、志を達成することができず、
ついに来るべきときがきたことを理解しました。
「けっきょく終わるときは、みないっしょ。
しかし、僕がみんなから受け取った養分は、もう誰にもお返しできない。
僕がいちばんのできそこないだ」
彼は、天を仰ぎました。
そこには、青空がいました。
青空は、じっとフタルを見ていました。
「青空さん。森が失われてしまう。
僕はとうとう、森のみんなに何もしてやれなかった」
「君は、それで死のうと思っていたんだな。
よし、わかった。私も考えていたことがある」
そう言うと、青空は、風を呼び寄せ、耳うちしました。
すると風は、四方八方に飛んでいき、雲を呼び集めてきたのです。
雲は見る見るうちに、森の上空で大きくなり、黒々と固まっていきました。
それがちょうど、フタルまでの道がつき、
いよいよしめ縄を外しにかかろうとしていた矢先だったものですから、
天候のあまりの変わり具合を見て、人々の驚くこと。
さらに強風が吹きよせ始めると、フタルの残された葉が、
なだれのように降り注ぎ、作業員たちの行く手をさえぎりました。
それだけで、作業員の半数は、気味悪がって引き返してしまいました。
しかし、天候回復まで待つという指示が出されただけです。
次は大粒の雨です。
降り出したかと思うと、怒涛の如く、地面にたたきつけます。
「うわっ、これはだめだ。雷が落ちるかも知れんぞ。木のそばから離れろ」
残る作業員もすべて、森の外へと大急ぎで走りました。
空はごうごう唸りをたて、なおも風を吹かせ、雨を降らせます。
やがて雷が一つ、フタルを避けて、森の外に落ちました。
車に乗って、作業監督に当たっていたおえらがたが、
この異様な状況をまぢかに見て、気象関係の専門家に問いあわせます。
しかし、この地域では、最近、ほとんど天候が荒れたことがないという報告。
そうなれば、おえらがたの心中もかなり不安です。
そもそも、この土地が候補地の筆頭にあげられたのは、
ロケット射ち上げに適した、嵐のない気候ということだったのですから。
それもこれも、青空たちのフタルへの
心づかいから発したことではありました。
<これはやはり祟りなのか。
土地の古老の迷信ぶかい話と聞き流していたが、
長い年月を経た木や、これほど短期間に大きくなった木には、
神霊が宿るという。
しめ縄などで、地元民がにわかのカモフラージュなどしおってと
思っていたが、どうも本当だったのではないだろうな>
やがて、もう一発の雷が、このおえらがたの乗った車の付近に、
強烈な火の玉とともに落ちて、すべてが決しました。
車に乗っていたものは、ショックだけですみましたが、
外にいた数人が感電し、重軽傷を負ったのです。
これにより、集まったものすべてが、車で逃げるようにして帰ってしまいました。
学者だけが、ぽつんと残された車の中で、外を見つめていました。
やがて、雨はやみました。
しかし、まだ黒雲は、人間が居残っているため、去ろうとしません。
暗い空に、大木が写し出されたさまは、まるで白い幹と細かい枝が、
ぶ厚い雲の葉っぱを空高く持ち上げているふうでした。
それは、大木が、すべてのもとの葉を落とした姿ではあっても、
異様なほどの美しさであったのです。
学者は、心の中で、大木に話しかけました。
「もう、人間はここをあきらめるだろう。ほぼ確信をもってそう言える。
私は初めて知った。植物にも魂があることを・・。君の勝利だ」
フタルの心に、その思いは飛び込んできました。
この森は、守られたのか?
彼は、足元を見ました。
森の中に、まだいくらかの緑が残っています。
よく見ると、朽ちはてた木々の間から、新芽さえも出ています。
ひげじいさんの言葉が思い出されます。
フタルが、まだ新芽のころから聞かされていた話。
<葉は土にかえって豊かな栄養になり、
次の世代、また次の世代を育むのだ。
堅い我々の体とて同じだ。
長い年月の後、土にかえる。
燃えれば燃えたで、灰になって、
これは直ちに豊かな土になる。
見なさい、この自然の妙を。
だからわしらは、誇りをもって生きている>
フタルは、雲に話しかけました。
「僕はもう宇宙を目指す必要がなくなったよ。
森は助かったから。これも、みんなのおかげだ。ありがとう。
僕は、これから森を元どおりにしなくてはならない。
その僕のために、最後の力を貸してよ。
僕に大きな雷を当てて、燃やして欲しいんだ」
雲は、ええっと、たじろぎましたが、裏で聞いていた青空が、
「君の志のすべてがわかった。君の希望を叶えてあげよう」
と言いました。
風は方々から、雲を集め、電気を集めました。
そして、彼のために、十分に貯えたエネルギーをいっきに放出しました。
バシィーッ。
閃光とともに、大木の上端に巨大な煙が上がり、
その直後に炎が吹きあがりました。
枝から燃え広がった炎は、長い時間をかけて、
木の上部から順に下部へと移り、炎の先からは煙とともに、
おびただしい灰が吹き出て、地面へと降り注ぎました。
学者は、夜になっても続くこの光景を、微動だにせず、見つめていました。
そして、なにかを心に誓うのでした。
それから一年ほど経ったでしょうか。
あのフタルの巨木の植わっていたところには、
立派な木の祠が、地元民の手で建てられていました。
そして、あの学者が、ボランティアチームを率いて、
密生した枯れ木を整理し、土慣らしをし、
森に元あった植物の苗木をせっせと植樹している光景がそこにありました。
そこは学者の名を取って、オクトの森と名付けられ、
2020年のいまもなお保存されているのです。
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あるところで、息を飲むような樹の写真を目にしました。
それはこの物語の構想と適切にマッチしており、
お陰様で一気に書き上げることができました。
この物語を、自らの手の届く範囲のものを使って自然保護を進めるありとあらゆる者に奉げます。
Story
& Comment by Okund