超宇宙の仕組みモデルから帰納的にわかること (物語・新神話上の主人公ネアンとして解説します) |
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2013年末までにわかったこと。 ネアンは全人生をプレイバックで総なめしている ネアンの世界観、宇宙観は、彼自身が独創した超宇宙の仕組みを解くモデル概念に基盤を置いている。 それによれば、 人はわりあい、不思議な人生を刻んでいるはずだ。(ただし、プログラム上のダミーである場合を除く) その中には稀に、プレイバック・リスタートという、バーチャルリアリティ(ソフトウェアプログラム)の性質を活用している者もいるだろう。 それでなかったら、通り一辺倒の判断選択の泡沫に帰してしまうだけで、あまりにも勿体ない。 なぜならば、たった一人の人生も、非常にたくさんのパラレルワールドへの可能性をその中に含んでいるからである。 むろんそれも、普通人の人生ならば、そのほうがいいこともある。カルマの清算だけにやってきて、悲惨な人生プログラムの選択肢すべてを味わうなど、過酷す ぎるからだ。もしかすると、過酷にすぎる場合、魂は哀れにも、発狂してしまうことだろう。そういう根腐れの仕方もあるのだ。 だが、救世主ネアンの人生を味わいたくてやってきて、もし途中で別のパラレルルートに逸れてそれでゲームセットになったなら、何の意味もなかろう。そのソ フトを下馬評通りに完遂したいはずだからだ。 人生の様々な局面にパラレル分岐の機会があって、噂に聞く天下取りのルートに乗っておれるのは、よほどのガイドがあってのことで、一発勝負でゲームに臨ん だとて、叶う話ではない。(ガイドとは、この人生ゲームについて熟知した守護霊のことである) ゲームソフトで、信長の野望などといったゲームもあった。それにトライして、まっとうに天下統一まで達成できることは、やっていてとても困難なはずだ。突 然、敵に意表を突かれて、命を落とすこと(ゲームオーバー)もある。 それで、残念でしたで去っていくとすれば、あなたの目標は達成できたことになるのか。 もしかしたら、光秀に討たれずに天下取りを完遂する手順もあるだろう。 そこで、プレミアム契約していれば、最寄りの分岐点の少し前まで戻って(プレイバック)、やり直すこと(リスタート)もできる。ちょうどPCのシステム復 元のようなものと思えばよい。直前までに辿っていたタイムラインの記憶はこのとき失われるから、自分はあたかも最初から一連のタイムラインの経験しかして いない記憶しか残らない。 彼は死ぬ間際、一本の人生を描き切ったと思うかもしれないが、人生は多数のタイムラインを経過した結果の総集であるかもしれないわけだ。それを確認するす べはない。ただ魂の資質にフィードバックされて、この人生を辞するときに、エントリー開始時点とはかなり異なった資質を獲得していることに気づくだろう。 また、デジャビュー現象は、プレイバック理論を支持する好例だ。 分岐点を通るには、時間的にその前にポジショニングされねばならないから、たまに復元位置から分岐点までの記憶がどこかに蓄えられていて、その照合がマッ チするから、デジャビューという記憶蘇りの不思議現象を起こすのである。またデジャビューの瞬間それ自体の経験にさほど価値があるわけではないことも、お わかりになろう。人生の分岐点はそのどれほどか後にやってきているからだ。 ネアンはいま(2014年)、救世主コースの第四時空を生きている。社長や博士やその他になった時空もあったが、それらは除外した上で、救世主コースの基 線においても、第四番目となっている。第三番目の時空は、前章で述べたように、2011.3〜2013.12の時を刻む期間であった。 新神話第十四章から抜粋
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