物 の理 |
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4. モデル概念の原理的検討物理学上のいくつかの根本的問題をモデルによって明らかにし、発展的に超自然現象、超心理現象 の仕組み、その意味あい等を考えてみることにする。 (一)時間 時間は我々が考えているように一定の大きさを持って不変に運行しているというものではな い。自然界は非常に小さいところで切断しているというのが最近の物理学の見方である。そこにはプランク定数が関わっており、それが時空に渡って存在する最 小の現象をつくるエネルギー的基底量と対応していると考えられている。拙モデルから考えれば、現象は情報が励起された結果として生じているとするが、その 最小励起単位エネルギーを与えると考えるものである。 (情報の励起とは情報の実行あるいは演算の結果を空間媒質に出力するという意味であり、今 後この表現を用いることになる) 時間はコンピューターの実行に随伴して発生する。たとえば、参照光により得られる情報 (命令語)を一単位づつ実行するとき、この順序の中に光速や各種の保存則などの相対論的因果律が情報レベルで規定されていると共に、一単位毎に「みかけ の」時間の大きさが与えられると考える。このため我々が円滑と考えがちの時間の流れも実は破断しており、その間には何事も保証できないと言える。 時間経過はプログラム上の二地点間の論理的距離や発生時間の累積値として求められるが現
象上ではこれを観測できず、空間的な測定結果から推量されるだけである。ただ、これは実行者の超空間では観測可能なわけであり、生物時計や発生分化、老衰
プロセス発動の根拠となる観測系の存在を予告するものである。 (二)光子と虚光子、そして量子化現象 我々のいう光子は拙モデルでは情報の演算結果であり、その他の粒子と情報形式の差こそあ れ原理的には同じであると考えられる。情報の演算過程には虚光子が介在しており、すべての現象の陰の担い手は虚光子であるからである。一方、虚光子は超空 間上でコンピューターの実行サイクルに関わる電磁的物質であり、我々の世界に作用するときの現象励起の基エネルギーではあるが、現象上には情報をかぶった 仮面の姿しか観測されない。 光子は虚光子が情報にチャージして表現された量子である。時間も同様に量子である。そし て情報に従い時間と空間は虚光子を介して相互変換しているというわけである。それは相対論に基づく。また、我々がする観測は量子間の相互作用の結果の記憶 を持った量子によっておこなう。 この反応系には相対論的因果律が支配する。一方、虚光子は無限分岐する未確定な時空情報 にチャージして量子を励起させ、次の瞬間ここから放出されると同時に確定された一つの情報(粒子の足跡)を残していくタイプのものである。これには相対論 は適用されない。 電荷やスピンのような量子化は基本最小単位がbitであることによるだろう。(むろん、 この場合のbitというのもさらに明細が下位にブレークダウンしているのであり、ここではある実行者の実行状態における最小の代表情報なのかも知れない) これに基エネルギーがチャージされデジタルな演算の結果、bitを基底とした値が出てくるのである。これは一つの情報単位にかかる下位の情報素量(*5)のレベルで出てくる。これは量子数的量子化(*6)と言われる。 また、場やエネルギーのような量子的量子化(*7)の方は情報単位のレベルで出てくる。つまり、粒子自体励起の一単位であるからだ。その基底には演算 前の基エネルギー(虚光子)があり、その仮面として量子が出てくるのである。そこで粒子と分かるものは、現時点の量子から推測される過去の情報である。 このように量子化現象は潜在したコンピューター性を端的に示している。
(三)プログラムの情報構造 コンビユーターの扱うことのできる命令語の大きさに制限があることは自明である。同様 に、各種の情報単位を構成する情報素量には大きさの粋があることが明らかであり、これが演算後の各種物理量に表現上の限界を与えていることは充分推測でき る。 では情報構造としてどのようなものが仮定できるのであろうか。従来、分子から原子そして 素粒子さらにクォークといった究極的実体を探ることがおこなわれてきた。しかし未だに最終がどこにあるとの解答は無い。また、いくつか考えられている相互 作用が粒子交換モデルにより統一できるのではないかと考えられている。だが、これも重力場を組み入れるに至っていない。重力場には計算の過程で、非線型性 が生じてきて計算上の限界をきたしてしまうというのである。これに対して重力場記述に関しては四次元座標では足りないのだという推測がある。このようなこ とから、拙モデルでは、次のように考えてみる。 プログラムは、ある因果律に従い、予め命令語で記述されている。同様に現象の変化を示し たプログラムもある種の命令語で記述されるが、その構造は図4・6のように階層構造をしていると考えられる。局所的にみれば、下位のボックスは上位に対し 粒子の性質を決める情報素量の役割を果たす。つまり、ゲージの演算子場やクォークのような、さらに細分化できる粒子などを与えるものと考えられる。 図4・6左は、粒子がより下位の粒子で構成されていること、量子場が様々な場の関数とし て出現しているという事実から考えたモデルである。ここでは下位の粒子が上位の粒子の性質を与えると共に、量子化したときの演算子を供出することや、上位 の粒子が下位の粒子の存在の枠を決定することが示されると考えられる。また、下位の構成子を必要なだけ設定すれば何次元の要素でも記述が可能となる。これ はミクロの話においても、マクロでも充分機能するだろう。我々の人体模型や太陽系の構造にも、また観念的な物事の説明にも対応のとれるものである。よっ て、汎ゆる自然現象の根本原理図と言ってもはばかられないであろう。 実際には、このような局面的階層関係が、時間と空間の構造を含んで上位にも、下位にも際 限なく組織されているものが一つのプログラムにまとまっていると考えるものだ。(図4・6右) ここで一つの重要な仮定であるが、このプログラムの情報構造は実行者(コンピューター) が観測のために要求する精度に応じて、可能な限りの無限小から無限大までの仕意の階層、任意のサイズの情報を一情報単位として供給することを可能にするも のになっているということである。 つまり、現象の破断は実行者によって起こされており、それを可とするプログラム構造に なっているというわけである。 不確定性でいう観測時間の長短の問題の実質的意義はここにあらわれている。観測的時間が 長ければ、現象は我々の目で観測するほどのマクロなものとなるし、短かければ素粒子よりもなお下層の領域を調べるものになりうる。その差は時間が量子化し ていることによる。物質界が量子化しているから、時間もそれに対応しなくてはならない。それは観測光のエネルギーとして与えられる。 高エネルギー的光子は、より下位の粒子を探るであろうが、その場合、いったん相互作用の
時間を限定する中間子に変化していると考えればよい。この量子化したものこそ、その精神体としての実行者と対応がとれるものである。よって、情報の規模に
応じて実行者もとびとびのスケールをもっているし、とびとびに定在し、受け持ち範囲を勤めているというわけである。 (四)情報上に記述された変化と保存別 量子論では、素粒子のできたところと消えるところといった観測点には、汎ゆる可能性が あって、時空の連続性の概念さえも、いかなる基礎もないとされている。この中には二つの問題が提起されている。一つは変化の究極的な時点(地点)が定まら ないこと、二つは、観測およびそれから導かれる推測に限界があることである。これらは、従来のモデルが表面的追求に終っていたために起きている。 情報構造からすると変化は分明(デジタル)に記載されている決定事項であり、不可知性は 一切無い。問題は、やはり量子化過程にあるのである。虚光子が投入されてできている過程には、そこで形成される時間においてのみ、時空の連続性は保たれる がそれ以外は全く保証されない。 つまり潜在した領域の話なので語りようがない。変化の究極点も、最初から破断しているも のであり、この境界を考えること自体ナンセンスである。実行は明滅的になされ、観測はその「明」のときだけなされるのであり、マクロな観測者はただ、量子 の点燈した時の結果の集合をもとに、連合させて隔った時間と空間の間がなめらかにつながっていることを感じているだけなのである。
変化の過程を示すために図4・7を掲げる。 図は粒子の崩壊の例であり、一粒子が分裂し二つの同じ粒子に変化する様を示している。現
象的にはa粒子は次の瞬間bとCの粒子に分裂している。だがこのとき、実行者も含めた上で考えており、E1系実行者の時間軸に繋がっていた情報がツリーの
或る個所で二つに分解されその一つはE2系に引継がれていく方法をとる。 その間には各階層に応じた情報量保存則が成立している。これから分かるように粒子は時間 の刹那というボックスの下に記述された情報であると言え、これを統合するのが超空間の実行者であるということになる。 図4・7はコンピューター技法中、データーベース手法の一般的なものを流用している。要
は実行者が何をデータの索引キーにしているかによって、みかけの時間軸が生じているというわけである。実行はこのように特定の索引キーによって実行者毎に
ユニークになされる。このように実行者個有に系を形成しているという概念により、物理学が現在当面している多くの問題に客観的な説明を施せるようになると
思われる。相対論的因果律は起源ではなく、より起源的なものの派生物にすぎないことも言える。ただ、それをマクロな事象に結びつけていくとき、かなり飛躍
した考え方を呼び込まねばならないのであるが、幸い、古代科学がガイドをつとめてくれることになると思われる。 (五)情報構造とマクロな現象 では、このような情報構造と現象が一体どのような関係にあるのかをもう少しみてみよう。 ありうる限りの無限小から無限大までがそのまま現象上に投影されているとすれば、いかにも簡単であるが、それでは始めから情報を現象と区別して考えなくて も済むことである。ところが実際に現象はそれはど簡単なものではない。まず、観測者に基準が起かれるとする相対論が扱えない。また、量子化する理由が説明 つかない。ニュートン絶対系とは実験的に異なるのである。 今の物理学でも存在の態様がどのようなものであるかは、実験的に、数理的に導き出せた が、その理由となると分かっていない。そのようなことは考えなくても良い、また納得できる説明のつくものではないというのが信条なのかも知れないがそれで は大きな未知を残すことになる。 筆者は図4・6をもとに、次のようなことを考える。実行者は少なくとも一つのボックス乃 至は一つのボックスを頂点とした複数階層を同時に一情報単位として実行する。ミクロの場合、その階層は少ないがマクロなレベルでは多階層もありえるだろ う。そしてミクロ、マクロがどのようにして秩序立って統合され、あたかも一通りであるかのように運行されているかについては次のように考えられる。 観測の側から考えたとき、ある観測者にとっては極ミクロのことまでを感知する必要はな く、必要とあらば別の観測者をたててそこから情報収集すればよい。それと同様に、実行者も細部まで関知する必要はなく、別の実行者をたてて、下位の現象を 運行させているのであろう。 だが、我々の世界をみれば分かるように、観測者のレベルでは観測は全く独立し、排他的に なされる。そして意図して結びつけられることがなければ有機的なものになりえない。しかし、実行者のレベルでは実行すべきプログラムや下位の観測結果等の 受け渡しがたえずおこなわれており、それが緊密であるため現象上には矛循が生じてこないと考えられる。これは精神界と物質界の大きな相異と言えよう。精神 界でのふるまいは波動的であり、物事はミックスされて出てくる。だが物質界は全てが自己の殻を持ち妥協を許し難い形態をしている。 ベアデンは、巨視的世界は点滅する光点から成るテレビ画面のようなものと言ったが、巨視
的世界は実行者ごとにユニークな情報処理がおこなわれている集積場のようなものと言い替えることができる。巨視的世界に矛盾のないまとまりがみられるの
は、プログラムの階層構造に対応して、実行者が階層構造的に組織的な情報処理をおこなっているからというわけだ。 (六)プログラムは観測者を基点にして実行される さらにもう一つ重要な問題がある。観測はなぜ特殊相対論に従うのであろうか。通常のノイ マン型コンピューターでは一般的にベースアドレス方式が採られている。これは、同じプログラムが異なったメモリ空間に置かれ別々に実行されても同じ結果が 得られるように、ハードウェアー的にアドレス修飾ができるように工夫されているやり方である。若干ニュアンスが違うが、実行者はプログラムをメモリ空間に 導いた時点あるいは実行時に観測者を基点に時空を扱えるようにプログラム情報を修飾していると考えられる。つまり、汎ゆる相対的な場の量は、観測者に基準 が置かれるのである。これは実行者から現象を励起する光が発せられ、観測光が観測者に帰せられるとすれば至極当り前のことかも知れない。 こうすると観測者個有の現象があたかも彼の周りをとりまいているようなものであるが、そ
うではなく、現象は超空間上の実行者の「心の面」に生起する出来事であるにすぎない。このように現象は、実行者に併い発生するゆえに、個我は他と区別され
て意識される。そして、現象はあたかも他の個我の領分と不可分に透け込んでいるが、トップダウンされたプログラムを観測点を違えて共有しているのであり、
一時点一観測の原則は守られる。 (七)異なる時空の間の相互作用 べアデンによると、全系時間を与えた超座標系内で、実験室空間、超空間、物質、精神と いったものの空間的な相互関係が認められるという。その中で、実験室空間の位相を変え、一直交回転で、光子、二直交回転でニュートリノ、三以上で精神物体 がそれぞれ存在しうる超空間であるとしている。そして、各空間の間の物質は、虚状態で充満的な無を媒介して干渉し合っているとしている。たとえば精神物体 が凝集し、臨界に達すれば空間を超えて物質状態が変化し、我々の世界に物質化現象としてあらわれたりする。その例として、UFOや幽霊、あるいはファチマ の聖母のタルポイドなどを携げ、人類の集合無意識が引き起こすキンドリング現象であると解釈している。 拙論でも方法は違うが似通った考え方となる。まず、位相的な階層的超空間の概念は、階層 的励起モデルを基本的に支持してくれることを述べておく。 次に、精神物体が凝集し、下位時空に作用を及ぼす過程、すなわち、階層の上下空間間の相
互作用の形態は、コンピューターの実行の過程への変化介入という方法で実現できる。実行の過程には、量子状態を実現すると共に、無限通りの進路から一通り
を確定するという演算がおこなわれていると考えられるが、ここで変化介入は、通常なら状態変化を示す情報素量について慣性的な進路がとられるのに対し、慣
性を情報的に破ることである。(図4・8) といってもプログラム情報の実行直前の値を変えるというのではなく、参照光の方向乃至は 波長を計算で意図された分だけずらせばよい。すると慣性方向とはちがった地点から実行が継続される格好になる。この瞬間、現象的には基本定数の変化が起こ り、短時的な超自然現象が実現していることになる。 既にお分りと思うが、制御された参照光こそが励起される現象時空の存在の根底をつくって いるのであり、これが物理学上の第四軸、時間を与え、我々の世界を電磁波動的なものにしている理由である。この中で波長は通常、一定に保たれているもので あるが、必要に応じて変動し、新局面を開く自由度を与える。(この機能は図4・5の操作部が主制御部の指示を受けておこなうものである。) これは現代物理学が目指す四次元時空のみで現象を記述できるとすることと何ら矛盾しな い。五次元的変化は時間次元を通してやってくるからである。五次元的事象は超空間の実行者を介して時たま出現するにとどまっている。特にミクロでは実行者 が機能的に単純なので汎そ統計的にふるまう。よって統計的観測である限り全て統計的誤差に含められてしまうだろう。 かえって、この現象の多くは定量観測の困難な生命体の中で起きていると考えられる。(一
つの試みとして、超能力者を素粒子物理の実験室に連れて行けばかなり面白い観測が期待できるように思われる。) (八)精神作用と現象への関わり方 変化介入は特に精神作用と関わりが深いことが考えられる。これは超心理学分野の問題でも ある。実行結果の観測結果情報は現象と独立したところでどのように演算加工されても構わない。 それは図4・5から分かるコンピューターの機能として自明である。むろんこの演算加工処 理のためには実行者の中に処理プログラムが存在していることはもちろんであり、ミクロな実行者ではそれは先述したように単純であると考えられる。しかし人 間の場合、それはどうやら霊系からの付与物であるらしい。ここに心霊学とのつながりが出てくる。 入力情報は現象からのフィードバックのみならず、他の情報系からの入力もあり、現象上の 一励起単位に対して演算加工に無限の奥行きを容認できることになる。そしてこの演算結果が、実行中の時空に影響を与えるか否か、与えるとすればどのように しておこなわれるかは、実行者の意思決定に委ねられる。この演算加工と意思決定処理を併せて(超意識的な)精神作用という。(ここで言う精神作用とは大脳 内の思考過程、すなわち現象上の作用を含まないことに注意) では、人間の場合の精神作用の現象界へのあらわれ方はどうなのか。既に述べたように、三
種類の入力情報は、何らかの規則をもつ処理プログラムで処理され必要と意思決定されたとき適当な強度、形態で情報が介入して慣性的実行順序を変化するので
ある。変化の強度は時間、空間の広がりとして反映するようであり、そのうち軽度のものは最も脳の近傍で作用し、人の行動を潜在意識的なバーストを介してコ
ントロールするようである。これが「衝動」の本質である。この形而上との接点は脳梁であるといわれ、そこから高次元情報が右脳に送られ、それがさらに左脳
で線形に分析を受け、肉体側の精神過程にゆだねられると考えられる。その次は錯覚や幻覚などで観測結果に直接働きかける。ここまでで充分慣性方向から運命
修正とも言える進路変更は果たせる。さらに強度な場合は実行者の直轄する領域全ての存在状態を変え、あたかもトンネル効果的に進路変更することもありうる
だろう。超能力者のPK現象はこのことを言う。 (九)高密度記録ホログラムから生ずる雑書 ベアデンは時間の一単位には、虚の物体や精神物体がサブ量子的であり続けるはど充分に非 凝集性なら、無限に含むことができると言っている。この「サブ量子的」というのは観測界面上に登らぬはどに繊細であるの意味であるが、拙論では時間軸を見 かけのものとして複数用意することにより階層別に全く独立した形で精神作用については無限の容量を認めることができる。 なお、「サブ量子的」なものの存在も、ホログラム模型の挙証として必須のものとなる。す なわち、ある時点の主流プログラム以外に支流的プログラムが無限通り分、ホログラムからハレーションとして出現してくるのである。これは理念の幻影ともい うべきものであるが多重記録されるホログラフィとしては仕方のないことである。 つまり情報としての意味はもたないが、〃基エネルギー〃のいく分かをもらって、潜在した エネルギーとして存在することになる。物体の周り、特にエネルギー的に活発なプラズマ状態にある物質の周りには顕著にあらわれるだろう。「オーラ」はこの 潜在エネルギーの偶ま検知されたものであると考えられる。 霊能者にこれが顕著に観測できるというのは、この霊能者をあらしめている実行者が照見の ために用いる光の波長が多少通常よりずれているためと言うことができる。彼の現象空間では多くハレーションが生じ、通常無い成分が意味をもち、逆に通常の ものがぼやけてくるのである。それだけ実行者(彼の精神体)がユニークであるからと言えるだろう。 これらハレーションの物質状態は、物理学的な一定の組み上がり規則を何らかの形で付与し
てやることによって、わずかな波動的ずれのために不完全である状態を、あるものは脱し組織化を果し、観測可能なものとして浮上してくることになる。このた
めに高周波電磁場が有効であることをキルリアン写真は物語っている。このハレーションの部分は、実行のなりゆきによっては具体化の自由が与えられていた範
囲を意味していることになる。 (十)無限階層宇宙と光子、時間、空間、物質の階層的関係 いままで、超空間とそこから励起される現象空間という二階層の世界を前提として話をして きた。だが、現象励起する実行者の存在する超空間も一定の時間の流れをもつ一つの現象世界であるに違いない。すると、この超空間を励起するさらに上位のコ ンピューターがありえ、そこにも時空があるだろう。こうすると、上位に関して推測する限り、際限ない時空の階層的励起構造が成立っていることが考えられ る。 超意識的な精神作用は超空間コンピューターの動作の中にあり、これは虚光子のサイクルと n対1で対応する。しかも虚光子と超空間時間はさらに上位からみれば同じものの異形態であるのみだから、よって、精神と超空間時間は虚光子に担われ、その 微分型として物質、現象上時間、光子があらわれていることになる。それは隣接する上、下位の関係にあるどのような時空でも同じであると考えられる。そこで は全系時間が連綿として流れている中で、多種多様な見かけの時間と空間がありえていることになる。 上位については、際限ない宇宙構造が可能と考えられる。では、下位に対してはどうだろ う。 さしずめ、我々の現象世界の下にコンピューターによって励起されているものは無く、ここ が下限かと思われる。ところがミクロの世界にそれは続いているのである。既にみたように量子現象の過程の中に、知られざるコンピューター的な照合と実行の メカニズムがありえているのである。 量子は粒子がとるべき一つの行程をはっきりさせるための演算がなされている過渡状態であ る。情報構造は、下位に際限なく情報素量を階層的に展開しているが、量子状態とは、この無窮の階程の情報群の階層的実行を含んでいると考えられる。下位階 層の実行ほど、我々の時間から比較して、短時間に終了することが分っているから、下位階層全体の実行の終了を待って次の刹那に至るといっても、その時間は 大きいものではない。量子時間は収束の無限級数で与えられることになる。その大きさは決してゼロではなく、それがなおも、現象に時空の厚みを持たせている と考えられるのである。 粒子のコンプトン波長以下の内部構造を調べる試みは、観測光に高エネルギーの量子を投入 し、観測時間を短時間に局限しておこなわれるわけであるが、これは情報の下位の構成子の演算過程をのぞくことに相当する。たとえば中性子に高エネルギー光 子を投入して中の構造を観るとき、光子は量子時間の中における相互作用のための情報構造を予め創り上げている。その中には中性子との交流に関わる位相情報 をもっており、その対応の如何によっては、クォークの演算子場と相互作用したり、あるいはグルーオン・あるいは全くダミーな演算子場との相互作用の形態が ありえ、散乱結果は多様性をもつと考えられる。 また、様々な研究から、自然界の極小限界が提案されている。それはブランクの長さ(10-33p)であり、少くとも我々の知る限りの宇宙ではこの長さ程度で切断していると考えられている。これは情報構造 の最小限界とも考えられるが、後程出てくる図4・10上にあるよう、まだ、無限の一部なのかも知れない。いづれにしても、これが(ある実行者にとっての) bitに対応するに違いない。 これから逆に、情報の一単位(実行の一励起単位)に投入される基エネルギー量にも推測が つく。 それは、ブランク質量(〜1019Gev)
で表現されるものになるだろう。またそれは、極ミクロから大宇宙、さらに超空間に関するいかなるスケールの実行者でも同じだけ必要であろう。 |
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(十一)プログラムを索引してくる意識体「索引念体」 図4・9の繋ぎのラインはもっと複雑に錯綜するうちの基幹的なものをあらわしたにすぎな い。というのは、中には例外的な索引形態(時空を生成するための時間軸に沿わない)をもつものがある。 たとえば思考活動や精神作用の過程で随時発生して観測データをもたらして適当な寿命で消 滅するような、いわゆる一定の目標に指向したベクトルプロセッサである。それ自体、局限的な意識体なのであろうが、そこまで高度な情報処理能力を有しない ものをここでは「索引念体(あるいは単に念体)」と呼ぷことにする。というのは念いの作用によって不完全な形態で生じることが多いと考えられるからであ る。 念体の機能はデーターバンクにある仕意のプログラムを主体的実行者の実行のために準備す ることである。一般的にコンピューターは実行に際して共用データーバンクからプログラムを自己のメモリ空間に導入しておいて、その先頭番地から実行を開始 するのであるが、それと同様に念体は、必要となった時点でこのようなことをおこなうと考える。つまり、念体の機能はデーターバンクにある任意のプログラム を索き、実行者のメモリ空間上の発生点のプログラムに繋げることであると仮定する。これによりコンピューターモデルのもつ全ての機能が満足することにな る。 ホログラムの参照とプログラムの入手は、参照光に一定のマッチトフィルター(*8)をもたせた念体による。マッチトフィルターは、やはり一種の高次元情報 であるが、それは割合大雑把な形で精神作用によって創られる。それがホログラムの記録と近似の照合をみせたものを索いてくることになり、そのもたらされる 内容は、主体的情報だけでなくハレーション的情報およびそれらの下位につながる情報の全てである。 念体は実行の動機づけをおこなうものということもできる。通常の実行が順次おこなわれる に対して、念体はダイナミックにプログラム自体を操作することがある。 念体は実行者の中の一つの機能と考えても良い。この二者の動きが備わっていて始めて一つ の柔軟性ある意識体として機能することができるのである。 索引念体の意義として次の三つのものが考えられる。一つとして、実行者が自己のメモリ空 間に処理を必要とするプログラムを導入したり一部入れ替えをしたりする、いわゆる基幹的プログラムのメンテナンスの役割を果たすものである。 二つとして、定石的プログラムの呼出しである。これは、発生点が情報上のミスの少ない情 報素量の中に経験的に築かれているもので、相互作用や有機物の組織化規則などの法則の定型演算子のキャリアーとして確実に作用するものだ。 三つとして、未開拓または頻度の少ないプログラムの偶発的呼出しがある。これは発生点が 不完全な思考活動や偶然などで生じ、半試行錯誤的なマッチトフィルターをもつために、発想とか、原始生命の誕生や偶発的進化のプロセスの担い手である。 このような念体生起のプロセスが、それ自体情報素量として情報構造の随所に組み込まれて
おり、実行者による時間の展開に併い順次発現するのである。DNAは高次元なプログラムのミニチュア版である。A・G・C・Tの各基の組合せで成る情報群
は、これだけで生物個体の発生から消滅までに関する出来事を秩序づけているはずはない。この一連の符号の中には体内電流と作用して超空間に念体を生起する
タイプのものが充満していると考えられる。 (十二)我々の宇宙史の展開に関わる起空間生命体の発生と分化 我々の宇宙を運行する超空間の意識生命体(実行者)の活動は次のように考えられる。 我々の含まれる四次元宇宙は「宇宙意識」(仮定)というコンピューターに励起されてい る。実際には、まだ間に数段階の集合意識をおいて、我々をはじめ様々な意識形態を備えたコンピューターと連絡し、たえず情報交換をおこなっていると考えら れる。たとえば、超銀河、銀河、太陽系、地球を創造する意識とブレークダウンし、さらに人類、国家、専門分野と多種多様な意識形態がありえていて、我々の 個我意識にあたかも干渉縞のようにふりかかっていると。(図4・10a)だから図4・9は基幹的な繋ぎを示したにすぎず、本質的には大脳神経系を書きあら わしたように複雑であると考えられる。 |
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ここでは宇宙意識がプログラムバンクからプログラム塊を自己の実メモリに呼び込み、それ をサブプロセッサである下位意識(我々も含む)に役割分担しているわけである。逆に言えば、下位意識が自己の実メモリ上に分担されたプログラムを導入し、 それをもとにして局部的実行を始め、その結果、個我の認識領域が発生していると考える。(図4・10C) これを意識の時空において時系列的にみれば次のようになる。 まず宇宙意識がメモリ上のプログラムの実行を始める。現象宇宙が開闢し、しばらく経つと 宇宙意識の中に細部を扱う意識が萌芽し、それに細部的なプログラムの実行と観測の役割が分担される。このようにして、時間経過のうちにプログラムの複雑な 局面になるに従い、より多くの多段階のコンピューターがあたかも人間の脳神経系のように増殖して、プログラムの微細に至るまでが取り扱われるようになる。 これは全プログラム消化というテーマに対して発生する超意識レベルの生命現象と言ってもよい。宇宙意識を母体とした発生と分化の仕組みがここにあるのであ る。(図4・10b) この仕組みは、上位時空のメカニズムから下位時空が生起される要領でおこなわれる階層構 造的な超空間の励起においても同じことが言えるものと思われる。理念(プログラム)は全宇宙の有機的運行と共に上位から下位へと運ばれる。そして現象の観 測結果が実行理念に関与する時は逆に下位から上位へとフィードバックされて大域的な理念を渇望し、その傾向を決定する。 下位の意識体の要求する理念の質(直接的にはマッチトフィルターの質)が総合的に向上す
ることは、これを抱える局部意識系からより大域系へと理念の相対的な質的向上に寄与することになるはずである。このことから、「宇宙構造は、精神物体(物
質を含む)の分布状況で決まる」という拡張マッハ原理を提言するしだいである。 (十三)UFOのメカニズムと意識体の力関係 ここで、UFOとはどのようなメカニズムのものなのかを考えてみよう。 UFOが異空間航法を用いていることが真実であるなら、UFOは現象を独自に励起してい くだけの「宇宙意識に準じたメカニズム」を備えていることになる。つまり、一種の意識体(実行者)である。それは単一目的を持たされたメカニズムであるだ けに、安定し強力であるに違いない。 それは非稼動状態では宇宙意識の傘下にある無能力なコンピューターであるにすぎない。だ が稼動中には宇宙意識とUFO内部の個我意識の間に割ってはいる新たな意識体として一段階増結されることになるものである。はじめは宇宙意識の提示する法 則に従い、プログラムをもらっているが、やがてその範囲内で不確定性をマクロ化したようなジグザグ運動をおこない、さらにすすめばそれ自体で宇宙意識のも つプログラムの別の部分を奪ってきて、時空の乗り替えをおこなったりするだろう。 その傘下にある個我は以前の宇宙意識から受けていたものとは異る新しいプログラムをここ から受けて、UFOで実現されているのと等しい状態を認識するのである。それはたとえUFOが飛ぶための機能を備えていなくとも、新たなプログラムを供給 するというだけのことで観測者(宇宙人)は新局面を観測することが可能となる大変な装置である。 アメリカで調査された墜落UFOにはこれといった推進機構が積まれていなかったというの もこの辺に理由が見出せるだろう。 既に冒頭でみたように、五次元的現象を考えるとき、もはや従来の物理観に基づく四次元的 メカニズムでは解決がつかないことが分るだろう。確かにメカニズム部分は持つに違いないが、単なる機械でなく、超次元意識体と適確に連動し合う仕組みに なっているだけでよい。(その仕組みと類似したものが人体であると考えれば分り易い。ヨガでは人体は一種の宇宙機と言われている) ここで重要なことに気付かれることと思う。人の個我意識は上位意識体が与える情報をうの みにして実行し、観測しているわけである。もしここに霊力並みならぬヒマラヤ聖者がいて、ある人の意識を故意に支配下に置いたとしよう。すると、この人は 聖者が無言であったとしても催眠術的な制御を受け、実際には単なる棒切れも蛇に観測してしまうようなことが起こりうるのである。 同様のことが、すでに我々が宇宙意識から地域的集合意識に至るまでの多段階の意識体の傘 下に置かれることによって発生している。それはほとんど「うのみ」の状態である。 また意識体は、たとえ突然発生したものといえども、重層する様々な意識体の任意の位置に 割り込みをおこなうことができるに加え、かつて従属していたものでも、その発達によって勢いが逆転することもありうることが理解されよう。 超能力者は短時的ではあるが宇宙意識もしくは少なくとも地球人類意識を超えることができ
ている。そこには、ある種の力関係が明らかに存在しており、その力の規模は可変であることを物語っている。古代の求道者の多くは、この力の獲得のために訓
練を重ね、ちょうどUFOがそうであるように不思議を実行したものではなかっただろうか。 (十四)ホログラフィー的現実世界の臨場感の理由 では、なぜ我々は映像的世界に対して現実的すぎるほどに臨場感をいだくのであろう。
催眠術の場合、やや複雑であるが、術者の言葉を被術者が自らの考えの中で元なる言葉に翻 訳して、自らの意識の中で照会用マッチトフィルターをつくり索引念体を介してデーターバンクから類似プログラムを入手し、彼の意識の場の中で実行して現実 を経験するものであると考えられる。この催眠効果は非常に強力である。 ところが現実では、集合意識が与える意識場の中に個々の意識が浴しており、直接的に個我 は暗示を「元の言葉」で受けとることになる。これはど簡便で強力な暗示はない。個我の意識状態は様々な形態をとりうるが、顕在思考に同調しているときに は、その集合意識と同調せざるを得なくなり、定在的な実現象として認知せざるを得なくなる。 逆に、睡眠に入り意識状態が大脳皮質的思考から外れてくるなら、個我は異なる集合意識、
すなわち旧脳的なものと同調し、なおも進めば意識体が観測器である肉体から分離して、いわゆる意識レベルの先祖がえりと言うべきものになる。ここでは「認
識する意識」は、別の記憶と思考中枢を備えた意識体へと移行し、それが入手するプログラムを実行することによって、ここでも意識は与えられた場に臨場感を
以て臨むことになる。 (十五)意識体(霊、幽、肉体)と意識場 心霊学的な分類では肉体に重層するようにして存在する幽体(アストラル体)そして霊体 (スピリッツ)を想定している。これらは客観的にみて人の意識体が何重層もなしていることに対し、異なった人格を一個のものに認めるかわりに人格の媒体と しての意識体を多数仮定したものと考えてもよい。 自我から主観的にみれば、意識体は本来一つであって、このメモリ上には特定の期間内に演 ずべきプログラムが現実時空を与えるものから異時空を与えるものまでつめこまれていて、それらが幾つかの分離される状態を形成しており、意識原理はその状 態(すなわち異なるプログラム)間をただサイクリックに飛び回っているのであると言い換えることができる。 また、それぞれの状態は他の状態から侵犯を受けぬよう、記憶域の保護をおこなっていると すれば意識状態が変わる毎にその前の記憶が薄れてしまうことも言いあらわしうる。 夢の経験を忘れてしまうこと、前世の記憶をもちこせないことなどはこの事情を説明するも のだ。意識がある状態を経験した記憶は、その状態における記憶領域にストアされ、他の状態における経験によってできる限り壊されないようになっている。こ のため、他の状態に移るとき、それまでの記憶は遷移時に(バースト的に)転送されない限り失なわれてしまう。しかしまた元の状態に戻れば(夢の)記憶をと りもどし、逆にその前(現実)を忘れてしまうというようなことになる。 記憶領域はその状態のプログラムに対して(あるいは意識体に対して)割りつけられる。こ のため、プログラム(あるいは意識体)の消滅の直前に、もしそれまでの記憶が必要ならば次の状態に移る直前に次の状態の側に情報をバースト的に一括転送し て記憶の存続をおこなう。 ここで記憶に二種類あることに注意が要る。一つは宇宙的な記憶であり、無限分岐時空を一 意にたどる過程の中に自動的に形成される。二つは、自我のためにする記憶であり、夢の内容の記憶や、ニアデス体験者の語る「生前の記憶の巻き戻し的展開」 の過程はこれである。その仕組みは現在のオーソドックスなコンピューターが十年も前から採っている方法と何ら変わりないのである。(図4・11) 意識体の存在空間は階層構造をしていること、それらは全て現象界と同様の仕組みで段階的 に生成されていることを扱ってきた。これから宇宙構造に普遍して考えられることは階層的宇宙のそれぞれが量子的にとびとびの状態で存在していることであ る。特に個我を中心にして考えたとき、霊界、幽界などの考え方をとることを別として、これらの概念は薄れて一つの「意識場」とも言える量子場が、個我(意 識原理)を中心にして発生していると考えられる。 その中には、基底からとびとびに「意識原理」の定在すべき状態が存在し、そこには、それ ぞれに適合したプログラムがあり、意識的経験の素地が与えられていると考えられる。 現象は全て量子化していることの関連事項をまとめると次のようになる。 1. 全宇宙は最も根元的な量子である。階層型宇宙はとびとびの状態で存在している。
3. 意識の状態毎に(あるいは意識体毎に)記憶領域と記憶保護機能が存在している。
(十六)細胞レベルに封じられている宇宙の基本的仕組み 理念(プログラム)の段階的ブレークダウンの仕組みは四・(十二)節で述べたメカニズム を基本にすると考えられるが、我々の身辺にもそれが縮図化されでいる例がある。それは、我々の身体を構成する細胞で日夜行なわれている事実の中に在る。 DNAに記録されたプログラム情報は、人体をどのように空間的に構成し、時間的に変化さ せるかを詳細に網羅し、体じゅうの汎ゆる細胞の中に同じパターンを組み込んでいるわけである。しかし、細胞は脳神経を創るものであったり肝臓を創るもので あったりして、全く似ても似つかぬ形態を表面化させていることは衆知のことである。生物学ではこれを「機能分化」という簡単な用語で定義しているが、これ こそ宇宙を語るものに他ならない。 機能分化の理由は誰しも知る通り、DNAの中のある機能を満たす特定のプログラムが励起 され用いられた結果、この特定情報を複写する伝令RNAや、その結果として生ずる酵素にユニークなものができ、このために末端的に生産される化学物質に相 異が生じ外形的変化となり、マクロな機能分化へと展開していくわけである。歴史をつくる理念プログラムの具体化も全く似ている。 伝令RNAに相当するのが中間段階の介添役である人間に相当する。その結果生じるのが生 産物質(歴史)や老廃物質(カルマ)であったりする。 理念の部分的紐解きには時間経過が重大な役割をするのと同様のことがRNAにも言える。 人類の歴史の場合、宇宙意識の下位にある人類集合意識がプログラム実行と共に時間認識をしており、それがしだいに実行順序を一つの定型パターンの中に変化 させてゆくと考えられる。 同様に宇宙意識の下位にある幽体が人体の生滅に関する時間情報を認識し細胞レベルに電磁 的変化を通して賦活をおこない、個人の生涯を定型的な形に変化させていると考えられるわけである。 ここでまとめると次表のようになる。細胞の中に宇宙の基本的仕組みが活在しているのであ る。
注釈 *5 情報素墨情報単位を構成する要素の機能単位。命令 語でいえばオペランドの個々の要素。(ビットではない) *6、*7 量子数的量子、量子的量子一電子の電荷は量 子化されてeの値をとり、決して0.9eといった半端な存在は許されない。また電子が磁気をもつ理由となっているスピンも半整数、整数の値しか取り得ない ようになっている。このように性質がとびとびの値をもって出てくることを量子化されていると言い、特にこの場合を量子数的量子化という。これに対し、エネ ルギーや場の大きさのようにそれ自体連続を許すが、粒子としての性質を併せもつものを量子的量子という。基底にディジタル情報とメカニズムがある限り、仕 方のない出来事であるといえよう。 *8 マッチトフィルター参照光に特定のパターン情報を
付けてホログラム側の同じパターンの情報と照合させることによりホログラム上の参照アドレスを見出したり、あるいは近傍の情報を連想的に索こうとするもの
である。そのときの参照光に記録されたパターンを照会用フィルターと呼んでいる。 |
宇宙全体を記載したプログラムは、宇宙大から
原子やクォークの超ミクロまで網羅されている。思惟作用もプログラムとして与えられている。宇宙に生起するすべてのことが予め用意されているのだ。 人が脳を介して人の次元の観測しかできないの
は、コンピューターが実行する命令語のサイズが脳の性質に合うように固定されているからだ。外界として認識するものは、脳という共通の機構的下地が人々に
ある限り、同様の現象として認識される。コンピューターはそれを順次実行していく行為の中で、時間の経過を生んでいく。 神は、幸せなことに自由度の高い魂である。と
いうのも、人体に束縛されていないからだ。彼がそのつもりになれば、超ミクロの中も観測してこれる。だが、通常は人間よりも命令語の大きなサイズの単位で
実行する者であるため、地球史や宇宙史レベルの歴史体験をしている。人とは観測時間の単位が異なるわけだ。また、フレキシブル性も備えているから、気が向
いたら微細にも入り込み、その中を確かめてくる。時間軸の異なる人間界をわざわざ指導するのは、神の心と言っていい。 インターネットの中の仮想世界に集う人々が増
えているという。 つまり、戦略的に、人間の機能障害を誘発する
ように仕組んであると考えられるのだ。 いや、仕組まれているのではなく、ただ単に、
開発者の開発途上にあることの無知のゆえだと仰るかも知れない。ならば、天においても然りではないだろうか。そこに、全知全能を仮定すること自体、不適切
だ。 |
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