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あとがき



 最終校を前にして阪神大震災に見舞われた。神戸の下町の拙宅は壊滅。神々への不遜に満ちた本の作者ゆえ、さもあらぬ天のなされようだったのか。だが、一方ではこの震災が、将来への杞憂を払拭する希望の輝きを見せてくれていたことも分かった。

 被災地神戸にあって見た光景は、想像されたパニックや暴動ではなく。被災したはずの人々の互いに助け合う姿、外からの惜しみない援助、無私の奉仕の若い人々の涙ぐましい活躍だった。そこには利他の精神が溢れていた。人々の中に忘れられかけていた何かが動きはじめた。おそらくこれに違いない。物ではない本質的豊かさ。これによって奇跡も起きようというものだ。今日もニュースが円高更新を報じた。時の経過が、この時の心を決して風化させてしまうことのないよう願う。

 神話象徴的には、「神の宮田の畦離ち溝埋み」の最たる都市への戒めとともに、イザナギ神が多賀の御陵を蹴ってよみがえられ、「イザナギ人類よ目を醒ませ」と呼ばわった感あり。もともと立場の弱い被災者にとっては、あまりにも筋違いで気の毒な事件であったが、この非情さも、自然界全体が生命体であるからなのだろうか。神は警告しても、結局人を救うのはまこと、人しかあるまいと思えた。

 多くの被災され亡くなられた尊い方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、多くの耐え難い状況下にある方々の前途に、ただ幸多かれと祈るばかりです。

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 本書は、(*53)を増補したものです。いちおうノンフィクションの形態をしていますが、仮説を積み重ねたフィクションであるに間違いありません。たとえば、秘教組織、神の計画などは、歴史解釈の便宜のため導入した仮定であり、実在性に関する確証はなく、カバラについても、不明瞭をよいことに理想化した部分がままあります。また、面白みを出すため、学説や通説よりも異説(多くの場合、真相を穿つものと考えますが)や奇話(多く真実を含むと考えますが)を参考にし、多方面に手を広げて浅学に終始し独歩論に陥ったことは確かです。そのわけで、信憑性についてはむろん、正統派向けの読書たり得ないことを、読者に深くお詫び致します。

 よりまして、関連して話題とした古今の神々、諸氏、諸団体、諸宗教、国々に非礼を深くお詫び申し上げます。また、作成に際しインスピレーション賜った神々には報告申し上げ、御前にこの書を謹んで捧げます。

著者

 






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