UFO目撃体験情報
らみあさんの場合
(File Number A001)

                     

目撃者 H.N  らみあ (男性)
住所 岡山県倉敷市
撮影物 なし
目撃場所 国道二号線バイパス米倉交差点
目撃日時 平成元年二月  22時頃
天候 風量 晴れ 無風
目撃時間 2〜3秒
出現したUFOの数 1つ
UFOの形 円形
UFOの色 オレンジ・赤
UFOの鮮明度 鮮明
明るさの変化 変化あり
色彩の変化 変化あり
形状の変化 なし
発生する音 なし
UFOの動き 空中で止まって 激しく点滅している
目撃方法 肉眼 (視力 左1.0 右1.0)
同時目撃者 4人 (本人を含む)
同時目撃者とは 友人
同時目撃者の反応 唖然
UFOとの推定距離 20mほど
見かけの大きさ
(腕を最大限に伸ばして手で持ったのと近似するもの)
ドッヂボール大よりもさらに大きく見える
UFOの推定サイズ 10mほど
周囲の状況
(たとえば、山やビルが近くにあれば、
その名前も含めてなるべく詳しく)
国道2号線バイパス米倉交差点南東側上空
目撃体験談
今となっては誰に話しても信じてもらえない話です。
15年も前のことですので日付をはっきり覚えておりませんが、確か平成元年の1月中旬から2月下旬頃までの間だったと思います、まだ寒い時期の土曜日で天気は晴れ、時間は午後9時〜10時頃のことです。

その日私は友人6名でカラオケに向かっている途中に、その内の私を含む計4名(男性2名 女性2名)で、走行中の車の中からUFOを目撃しました。
私たちは某国道バイパス側道を車2台で西進しており、1台目の車両の前座席に男性2名と(この2名は目撃していません)後部座席に女性2名、2台目の車両に私(左助手席側)を含む男性2名が乗車しておりました。

とある交差点を南方向に左折しようとした際、前の車両に乗っていた女性の一人が左側の窓から体を乗り出すように、追従していた私たちに向かって手を振り何かを叫んでいました。
私には彼女がただはしゃいでいるのだと思って見ていたのですが、運転をしていた友人は彼女が訴えていることがすぐ分かったらしく『あれなに?』と左上空を指差しました。
何気なく私が見上げますと、高度にして2、30メートル程度の大変低い位置に、直径10メートルぐらいはあったと思いますが、赤い光をネオンサインのように激しく点滅させる円型のUFOが浮かんでいました。

そのUFOはよく写真などにある『遥か彼方にぼんやり写っている』というような曖昧なものではなく、映画『未知との遭遇』に登場していた小型のUFOのような・・・はっきりとした、言ってみれば大変派手なUFOで、無数にある窓のような物が赤やオレンジに光っていました。
目を疑うというのはこういうことで、私は一瞬何が起こったのか判断できず全く言葉が出ませんでした。運転していた彼もしばらく言葉を失っていました。

それを目撃していた時間は2〜3秒で、車が交差点を左折中でしたので、すぐUFOは建物に隠れて見えなくなり、その建物を通り過ぎた時には空から跡形も無く消えていました。
あまりにもはっきりとしたUFOだったので、いろいろな考えが頭を駆け巡り『何かの撮影だろうか?』とか『ヘリコプターを見まちがえたのだろうか?』とか・・・2人ともなかなか言葉が出ず、車内には異様な雰囲気が漂っていました。

しばらく走ってようやく運転していた彼の方から『さっきの何?もしかしてUFO?』と言う言葉が出ました。私はその時やっと自分だけに見えたのではなかったということがはっきりとして心底ホッとしました。
間もなくカラオケの駐車場に着いて、2人の女性達にも『さっきの見た?』『あれは何だったんだろう』と話かけましたが、彼女達も信じられないという固い表情で『う〜ん』と首をかしげて口ごもっていたことをよく覚えています。

場所は市街地であり、しかも土曜の夜ですから人通りや交通量が大変多く、他に多数の目撃証言があって当然なのですが、それに関する報道等は全く無く、それが私の目撃を信じてもらえない最大の理由でした。
数日間はいろいろな人にこの目撃談を話したのですが笑われるだけで全く信じてはもらえず、その内私は誰にも話さなくなりました。

その後約15年が経過した昨年秋に、その時のメンバー4人がそろったことがあり、当時の思い出話で盛り上がりましたので、私がUFO目撃の時の話題を出しましたところ、なんと彼らは3人ともその時の記憶がないと言うのです。女性2人については完全に記憶が無く全く話になりませんでした。

もう一人の男性は『たしかにカラオケの駐車場で 「なんだったんだろう」 と話した事は覚えているけど、どうしてそういう会話をしたのか、その前のことがどうしても思い出せない』と言っていました。彼も自分でどうして記憶が曖昧なのかが納得できない様子で、思い出そうと随分考え込んでいました。

私も彼らが宇宙人に『記憶を消された』などという飛躍した考えはもっていません。ただそうしますと私が目撃したあの鮮やかなUFOは何かの見間違いだったのでしょうか?
どうしてあれだけのインパクトの強い経験を皆が忘れてしまって私だけが鮮明に覚えているのでしょうか?私は夢でも見ていたのでしょうか?

彼らが覚えてくれていないということにより、この私の話を証明するものが今は何もありません。これが悔しくてたまりません。
こういう例は他にもございますでしょうか?


奥人のコメント
らみあさんの最後に提示されているご質問からお答えします。
>こういう例は他にもございますでしょうか?

坂本さんと同時にUFOを目撃し、また拉致体験までしている従兄弟さんが、そのときの記憶の多くをなくされているとのことです。
また坂本さんご本人も、かつて憶えていたはずのものが、消えてしまっている場合があるとのことですが、記憶力に個人差があるようです。坂本さんは現実問題においても、記憶力はいいのです。

次に、らみあさんの目撃体験に対する私のコメントをいたしましょう。
何度も通られている交差点であろうことから、町のネオンなどではないと考えます。
UFOが実際に出現していた時間がどれほどかによって、どれほどの数の目撃者が出てくるかが通常決まると思われるわけですが、この場合はらみあさんご一行自体が交差点を曲がり、建物に物体が隠れて次に出てくる時にはその場所に存在しなかった(消えてしまった)というわけで、出現時間が極めて短いように思います。
しかし、見た人は個別にいくらもいたかも知れません。
強烈な出現の仕方なので、印象も特に強いものがあったと思われますから、記憶に残らないのが不思議な感じもします。

しかし、ここで奥人流の仮説を持ち出させていただきましょう。
人はあまりに不可解なものは、瞬間的にしろ、認識しないように脳が防衛機能すると考えます。
個別の場合、その認識に他から修辞してくれるようなものがない場合、彼自身の識域下に強制的にいれてしまうというわけです。
こうして、今見たはずのものは「ない」と認識するわけです。
右のストレート脳は見ています。しかし、左の社会脳が認識することを許さないのです。

ところが、らみあさんたちの場合のように、まず一人が見て騒ぎ、それをのこる三人で見て、情報の照合を取りながら騒いでいるわけです。
確認を取り合い騒ぐという行為の周辺環境の記憶は、現実的なものですから、なかなか消えるものではありません。関連させて不可知の認識情報も長い間記憶されていたと思われます。
ところが、のこるお三方の場合、どれほどかの年月のうちに、それぞれが記憶しておくべきではない情報として、周辺情報も巻き込んで識域下に押し込んでしまったと考えられます。
それ以降も同じ話題で電話しあうなど、何度も記憶の取り出しをかけていれば、残されていた記憶だったかもしれません。

しかし、社会脳は現実生活に不都合な不可知情報をどんどん淘汰していると考えられます。こうして、かつてあったはずの記憶も意識に上ってこなくなる。ちょうど嫌悪すべき虐待体験を受けた人が、その間の記憶をなくすに等しいことが起きていると考えられるのです。

ただ、なぜらみあさんだけが記憶を残していたのかについては、らみあさんがこうした不思議現象に対して、ある程度許容している部分があったためだと思われます。つまり、UFOに興味があったり、不思議好きという下地があるのではないでしょうか。
社会脳に、こんなことがあってもおかしくないと許容を持たせていれば、記憶をすべて閉じ込めてしまうことはないと思われます。
また、らみあさんが、他が忘れても自分だけは忘れるものかという意志で記憶の思い出しを図っていることも、ひとつの理由になるでしょう。

宇宙人に拉致されて、記憶を消されて返されるという話をよく聞きます。
実は、坂本さん夫妻も私もそうした経験があるようなのです。最近になって、坂本さんは許容の枠を広げているためか、どんどん思い出されています。今になってもその心構え如何によるわけか、思い出せるようなのです。私は記憶の断片を抱えただけで苦しんでいますが。
こうしたことを考えても、宇宙人が何か操作して記憶を消したというより、体験者本人が自らの意志で記憶を消していることも考え併せる必要があるのではないかと思います。

催眠術の逆行催眠は、ストレート脳から入った記憶に直接働きかけます。
分析脳の出る幕のない時を作りながら記憶を取り出すとき、ちょうどサバン症の人のように鮮明な記憶が蘇るというわけです。
しかし、催眠術の最中にも、嫌悪の感情を露わにしながら思い出し難そうな表情を被験者がとることが多いことを見ると、やはり社会脳が情報を取り出させまいとがんばっているわけだと思います。






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