日本のピラミッドか  雄岡山、雌岡山(神戸市西区神出町)





以下、写真番号は、鳥瞰図上の拠点の位置に付けた番号に対応しています。






鳥瞰図 (地図はゼンリンマップより引用)



 11月14日、私ら有志三人は、播磨の名山のひとつという”雄岡山”に登った。
 名山といっても、標高250メートルに満たない小山なのであるが、このあたりの平原の中にあっては目立つ存在で、真西に約二キロ離れた場所にある”雌岡山”とペアーをなす御神体山として、古来より信仰されていた所である。

 その謂れとしては、古代、この地に”スサノオノミコト”と”クシナダヒメ”が空から降り立ち、地元民に農耕などを教えたというのだ。ゆえにこの一帯は、”神出”(町名として残る)と呼ばれるようになったらしい。
 そして、この二神と、その子オオナムチノミコトを祭るための”神出神社”が、”雌岡山”山頂に設けられている。

 一方、”雄岡山”のほうは、土地の権利の関係もあってか、山頂に祠が昔からあって、それが近年建て替えられたほかは、原生林のままであり、山の周囲、特に三木街道側からは住宅の進出が中腹まで及んでいるが、それ以外は手付かずという状況であり、休日ハイカーが何組か行き来する程度である。
 もう数十年も前に、この山腹で水晶が出るということでずいぶん人が入ったらしいが、今でもわずかな名残はあるとしても、あえて採掘しようという向きはないようだ。


 ところで、”雄岡山(おっこさん)”と”雌岡山(めっこさん)”は、我々の調べで、どうやら”日本のピラミッド”といわれる部類のものであることが判明した。
 その理由はこうである。

 まず、”雄岡山”の場合である。(写真1−1)

 雄岡山(写真1−1)

 登山道、つまり古来にいう参道は、ほぼ東西から山頂を目指すものとなっており、これは今でも歴然としていること(やや蛇行はみられるが)。

 (写真1)

 山頂には、現在、石製の祠が建てられている(写真1)が、元は形のよい石が置かれていたらしい。それを当初、木製の祠を作って安置していたというのであるが、祠が朽ちて後、石は撤去されたものらしい。
その石が、形の良い神体山の冠石としての”岩座”であったことになりはしないだろうか。

 また、山頂のその場所から、南北にも道らしいものがあった。だが、いずれも途中までしかその形跡はなく、北のものは原生林で覆い隠され、南のものは途中から水流の通り道と化してていた。だが、つい数十年前までは、南の細田地区に下りる道はついていたと聞く。
 つまり、山頂を中心にして、東西南北に、下降道がついていたとみられるわけである。

 また、西から山頂に登る七合目付近の道の脇に、あたりにはまったくみられぬような、縦四メートル、横1メートル、高さ1メートルほどの巨石があった。(写真2)

 (写真2)

 それは、三つの石の組み合わせのようであり、それが元は一つだったとすれば、二か所で切断されたことになるだろう。しかも、その場合の切り口の方角が問題なのである。一つは東西の方角に切られ、またもうひとつは南北の方向に切られていることが、磁石で測ってみて分かった次第だ。・・・三つに分かれた岩(写真2)・・・それを縦に見たもの(写真2-2)・・・切り口は人工的(写真2-3)

 (写真2-2)
 (写真2-3)

 よって、この七合目付近にある巨石は、いわゆる”方位石”といわれるものではないかと考えられるのである。

 では、ペアーであるとみなされてきた”雌岡山”の場合はどうか。(写真3-0)

 雌岡山(写真3-0)

 この山は、神社があった関係か、前者に比べて人跡が多く、車道も山を取り巻く形で整備されている。(鳥瞰図参照)
 しかし、古来からの参道の跡は、未舗装のまま残されている。山頂から東にとる道と、南、北方向への道は、蛇行しながらも、ふもとまで残っている。また、西への道は、後述の”にい塚”までは残されていた。
 つまり、この山も、東西南北に、山頂を目指す参道がつけられていたことになろうか。

 ピラミッドとみなされる山というものは、四つの方角に面した側面に、謎の古代祭祀の意味付けが残されているものである。
 たとえば、参道の存在はひとつの重要ポイントであろう。
 また、山頂、および、その側面の適当な場所に、”岩座”の存在も見逃せない。

”雌岡山”の場合、山頂の”神出神社”(写真3-0)のすぐ東隣に、環状列石に似た配置をする、八つの石があった。いずれも大きさは高さ0.5から1.5メートルの範囲くらい。(写真3:向こうは神出神社)

 (写真3)*ビデオからのもののため不鮮明

 これが元の岩座であったものか、それとも社殿造営の際に、位置を変えたものなのか。はたまた裏の社殿の見えない中に、もっと肝心の大きな巨石が隠れているのかどうかは不明である。

 その山頂から、北の道を下りていくと、七合目付近に、社殿のない”姫石神社”が、巨石組の岩座として鎮座している。(写真4)

 (写真4)

 これらの巨石は、高さ二メートルくらいを最大に、大小様々であるが、どこか整形された感がある。たとえば、写真中央の岩などは、上部は平べったく、下すぼみの船の形をしている。(写真4-2) 祭壇として機能していたものであろうか。

 (写真4-2)

 また、姫石より少し東寄り高みに、”裸石神社”がある。社殿裏に隠された岩座というのであろうか、そこには男根と女陰の形に整形された石が、無数の貝殻に埋まるように安置されていた。(写真5)制作年代は後世のもので、古代岩座の部類のものではないようだが、もしかすると前身的な岩座がこの場所にあったものかもしれない。

 (写真5)

 また、山頂から、西側七合目付近に、御旅所があり、その中央に、”にい塚”と名付けられた巨石群がある。(写真6)
 長方形の棒状のある程度の大きさに加工されたかと思われる多数の石組みは、無雑作のようであっても、塚の頂上から南北方向に並べられているようではないか。(写真6−2)

 (写真6)
 (写真6−2)

 つまりこれも、一種の”方位石”とはいえないだろうか。
 ならば、両山とも、対象形に構図されたと考えられる節はある。(鳥瞰図参照)

 真の東西に並ぶ二つの山。標高でいえば、”雄岡山”が241メートルに対し、”雌岡山”が249メートル。この差とは、自然の創造によるとするには不自然すぎはしないだろうか。

 また、気がついたこととして、”雄岡山”のほうは、特定の場所で水晶が含有されるという特徴はあっても、磁気異常があまりみられないのに比べ、”雌岡山”のほうは、どの場所においても磁気異常がみられたことである。つまり、磁石では方角が確認できないということ。

”雄岡山”は、形としてまだしもとしても、”雌岡山”のほうは、そのなだらかすぎる形といい、とてもピラミッドと考えられそうな面持ちはない。
 また、両山とも、その形を風化から守ろうとしたとみられる”版築”や”神籠石”などの、石を埋め込む技法は使われた感はない。

 しかし、以上のような特長を備えた”神体山”とは、黒又山、皆神山、葦岳山などと同趣旨で作られた面向きがあると思うのである。

 識者はどのようにお考えになるだろうか?






P.S    その後、土地の古老(現在80才くらい)の話を又聞きすることがあった。

それによると、この両山は、今では池になっているところからわざわざ土を運んできて造られた山であるという。(地図参照) 池は灌漑用池となり、運河で繋がっているとのことである。また、ここでは七十年くらい前まで、山上で雨乞いの神事などが行われていたらしい。

たとえ高さが低いとはいえ、この土木工事は、途方もない規模であっただろう。この地の伝説にあるよう、スサノヲの時代の事業とすれば、私の古事記の解釈はまんざら間違いでもないようである。

スサノヲの眷属のオミヅヌの神の国引き神話。またその他彼の眷属には、治山灌漑関連の神々の名が列記されると解釈。フノヅノ=とんがり山(ピラミッド)、フテミミ=どっしり山(マウンド)、フカフチノミズヤレハナ=ダム、灌漑池、等々。 

古代のまだ遥か前に、あちこちからマウンド造りの土を集め、大地の営みを整えた神々と古代人たちがいたこと。昭和58年製の記事「八俣の大蛇と出雲八重垣」から汲み取っていただけたら幸いです。




雄岡山上空UFO撮影例(ムラ氏提供)


謎の発光体


両山周辺を低速飛行した、逆三角UFO




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風変り遺跡探訪


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