太陽と月の神話

太古の昔、空に輝くひとつの神がディアナ(月)とルシファー(太陽)に分かれた。
ディアナはルシファーが愛しくて一緒になろうとするが、ルシファーが拒み続けるので、ルシファーが猫を愛好していたことを知っていたディアナは猫に変身して彼の元に近づき契りを持ってしまう。そして娘アラディアを産み落とした。
ディアナが猫に化けていたことを知ったルシファーは怒り心頭となる。
そこでディアナはアラディアと相談し、ルシファーをなだめる歌を作って歌うことにより、ルシファーの怒りを鎮めたという。
いま流れている曲は、元番正人氏の夢の中に出てきたイタリア風の二人の魔女の、音律のない言葉だけの歌の記憶を再現した曲である。
どうやら彼は、ディアナとアラディアを夢見たようである。

原始信仰におけるルシファーは、輝ける者、太陽のことだった。
ディアナはその配偶者で月であり、生まれたのが魔女のルーツ的神格アラディアという構図である。
そこにキリスト教が入ってきてこの旧概念を排斥し弾圧し、魔女狩りなどへと発展していった。
ルシファーは太陽の座をキリストに奪われ、金星へと強制的に退去させられて、僭越な光を放つ者と貶められた。
つまり神々の世界における世界共通の原初神引退神話がここにも存在しているわけだ。
キリスト教にしてみれば、土着の宗教神話は排斥されるべきものであり、いきおいルシファーは堕天使からさらに悪魔にされ、その妻娘は魔女とされたわけである。
ここに出てくるルシファー像は、悪魔のそれではない。新勢力により排斥された旧勢力の信仰の象徴であるわけだ。


また、このような神話もある。
悠久の昔、空には一つの大きな太陽と、七つの月があった。太陽は月を愛し、月たちは太陽にあこがれ一緒に昇るので、昼はまぶし過ぎ、地面は熱に焼け焦げ、夜は無明暗黒の凍結地獄。せっかく生まれたばかりの植物や、動物たちは、どこまでも広がる砂漠のなかで死に絶えていった。

見るに見かねた太陽は、
「創られた者たちを守りたい、どうか私に近寄らないでおくれ。」
と月たちに頼んだ。ところが、太陽に嫌われたと誤解した月たちは、われさきにと自分を競い、手練手管で太陽に迫った。月の色香に迷った太陽は月を抱き締めようとしてぶつかり、大爆発を引き起こした。暦はそのたびに書き換えられ、歴史は消えていった。

最後に残った月は言った。
「あなたと一つになりたいわ。でもわたしがあなたになってしまったら、たった一人でこの空を照らし続けなくてはなりません。どうしてそんな孤独に耐えられましょう。それにもしわたしが消えてしまったら、弱き愚かな者たちに真の闇が訪れてしまいます。」
彼女は夜の国に去っていった。

別れのしるしに、彼女は小さなからだをもらった。旅がはじまりそしてそれは果てることなく続いた。雪は彼女を閉じ込め、闇は傷つけた。しかし彼女は祈り続けた。決して自分自身は見ることの無い、夜明け、太陽の光が生きとしいける者たちに降り注ぐときの訪れを。

曲名
アラディア


作詞作曲 
森野奥人・元番正人


歌詞
2番

ネットの海
小船浮かべ
ただ待ちました
行過ぎるは
冷たい風
凍える心

待ち続けても
帰らぬ人と
思い固めて
幾年月

ああ今日会うのね
限りある命に
ようやく巡ってきた
この時

ああ、これも青春
年を経た青春
1番

時は流れ
日々はすぎて
雲立つ空よ
風は巻いて
木の葉散らし
影立つ君よ

まだ見ぬ人よ
私の胸に
灯りを点して
去った人

ああ今日会うのね
限りある命に
ようやく巡ってきた
この時

ああ、これも青春
年を経た青春

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