物語




トマトを食らった鶏



 これもまた、孫次郎祖父にまつわる話である。


 戦時中、祖父は当時珍しかったトマトを初めてわずかばかりある畑に植えた。外国産のものだったので、一般には手に入りにくく、何でも滋養があり美味であるとの人の薦めで、家族が毎年栽培していたトウモロコシなどの穀物を植えようとするのを押しきって、やってみようとしたのだ。

 祖母は、食料難のときなので、おかしなものに手を出すのは止めて欲しいと主張したのだが、戸主の面目が先に立ってか顧みられなかった。

 さて、家には別に鶏を十羽ばかり飼っていて、夜寝る場所は止まり木が用意されているだけで、囲うようなものはなく、昼間は放し飼いの状態にあった。作物を荒らすようなこともなく、たとえ多少ついばんだとしても、たかが知れていた。

 トマトは順調に生育し、その年の八月になって、畑一面に青い実が鈴なりに成った。九月になると色付き、橙の模様が出てきて、やがて真っ赤になった。祖父はこれぞやったと、気色満面の得意顔であった。

 ところが、そのうちの1つを試食してみたところ、次の瞬間、「うわっ」と言って吹き出してしまった。何かの間違いではなかろうかと、別のうねのものを採って食べても、吐き出し、次のも吐き出しといった具合であった。

「なんてまずいんじゃ。あいつにいっぱい食わされたわい」と、人に事情も何も聞かず、うねといううねのトマトを全部根こそぎ引きぬいて、地面に叩きつけてしまったのである。

 祖母はこれを見て、「お父ちゃん。何をしよるの。もったいない。私らは何を食べていけばいいの。だから、いわんこっちゃないんや」と言ってはみたものの、すでに後の祭りだった。

 それを見ていた鶏たちが、地面に落ちれば我がものとばかり、よってたかって赤くぐちゃぐちゃして土くれだらけになったトマトの残骸を、無心にほおばっていた。

「鶏が一生懸命においしそうに食べてるのに、人間に悪いはずないんじゃがなあ」と、祖母はぼやくが、味がいま一つないので、祖父にならって投棄した。こうして、一家は悲嘆に暮れたのだった。

 やがておかしなことが起きた。鶏のやつ、みないっせいに羽根という羽根を落とし始めて、やがて鳥肌ばかりのすっぱだかになってしまったのだ。

 これにはさすがの祖父も自信と威厳の両方ともをなくし、「あーあ、鶏もわしらの情けない有様を見るに見かねて、今すぐ鍋にしてくれと用意しとるわや」と言った。

 まあ、それは冗談だったとみえて、鶏は命を長らえたのだったが、一週間もすると、前より白くつやつやした立派な羽根が生えそろってきたのだった。まったく時期外れの抜け替わりだった。

「ああ、あれはやっぱり栄養が有ったんだわ」と、祖母は祖父にもう一度無駄な抗議を仕掛けたが、祖父は「あんなまずいものは二度と作らん」と、懲り懲りした様子だったという。

 その後、祖父は、戦後の飽食の時代においても、トマトだけは口にしなかったそうだ。









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